春になると思い出したく無いことまで思い出すもの

 「春……それは、出会いと別れの、キセツ」


 「言い方キモ。あと窓閉めろ。寒い」


 「分かってないねぇ……この春の芽吹きを感じるのが良いんじゃ……へっくしゅ!」


 時刻は22時。常人であれば死にたくなってくる時間だが、生粋のブラック企業戦士である銀子とヒカリにとっては無問題。フランス料理のコースで言えば、魚料理くらいの時間帯であった。


 「この季節になると思い出すね……あの日の、ことを」


 「…………」


 「思い出すね! あの日のことを!」


 「うるさい馬鹿。仕事しろ」


 「じゃあもういいもん! 一人で勝手に回想するから!」


 「…………(なんか始まった)」


 「あれはそう、三年……ってぇ、あれ? 五年前だっけ? 私たちって、いつ入社したっけ?」


 ヒカリは曖昧な記憶を思い出すため、覚えていることをひとしきり口に出すことにした。

 

銀子はそんなヒカリを横目で見つつ、そんなことより仕事をしろと思うのだった。


 「四月の入社式……今でも覚えているよ。あの日、私は遅刻して走っていた……遅刻して走って……走って、どうしたんだっけ?」


 「はぁ!? おまっ、ふざけんなよ!? あの時のこと、忘れたのか!?」


 「え、何急に。私、なんかしたっけ?」


 「よくそんなこと言えたなお前! お前はあの日――」


 珍しく、銀子は激高していた。忘れる訳がないと、思っていたから。


 「はっ、はっ、はっ、はっ……!」


 思い返すこと、入社式当日。銀子は、走っていた。社員寮には入社三日前から入居予定だったと言うのに、そこはブラック企業。不手際で入居が出来ない状態だった。


 そのため、彼女は駅からかなり遠い場所(経費削減のため)にあるホテルから駅へ向かっていた。しかし、そこでも不運は重なってしまう。


 人身事故で電車が数十分遅れていたのだ。そのため、30分ほど余裕を持って向かっていたというのに、こうして走ることになっていた。


 「クソッ……! 入社初日から遅刻はマズイ……! 早くしないと……!」


 走る、走る、走る。銀子は焦っていた。そのため、前方から向かってくる人影に気付くことが出来なかった。


 「あいたっ……!」


 「いっっっっった!!! 何処見てんの! こりゃあもう慰謝料だよ慰謝料!」


 「あ、すみませ……」


 銀子は固まった。相手の咄嗟に出た言葉が謝罪ではなく罵倒に変換されたのもそうだが、目の前の人物が、あまりにも突飛な容姿をしていたから。


 髪は金髪、それ自体はまだ良い。しかし、その服装がふざけていた。鞄はビジネスバッグであると言うのに、サンダルに何故か半袖短パン。極めつけは、服にプリントされた熊猫の文字。あまりにゲテモノ過ぎる組み合わせだった。


 うん、関わっちゃダメな人だ。見なかったことにしよう。


 「申し訳ありません。では、私はこれで」


 「ちょーちょ待って! 慰謝料とか要らないから一つ聞いて良い?」


 「嫌です。離してください」


 「〇×町のここに行きたいんだけど、場所分かる? スマホの充電切れちゃってさー」


 「だから離し……え」


 渡されたその紙に書かれている住所は、自分が向かっている場所と同じだった。つまり、この金髪のイカれた女は、自分と同じ新入社員なのだ。


 「…………私も、そこに向かってる」


 「え、マジ! ちょー偶然!」


 「…………」


 「え、何その蔑んだ視線……人を見かけで判断しないでよ」


 「いや……入社式、ですよ? その服装は何?」


 「…………ふぇ? だ、駄目なの?」


 銀子は気付いてしまった。こいつ、キャラとかじゃなくてガチで言っていると。この女は、入社式にこの服装で行くことに、何の疑問を持っていなかったのだ。


 「どどどどどうしよ!!! このまま私は入社式にキテレツな格好で登場した新進気鋭、奇々怪々、唯我独尊のニューフェイスとして顔を覚えられちゃう! ……結構良いかも」


 「駄目に決まってるだろ」


 こいつ、ヤバい。頭が終わっている。関わってはいけないタイプの人種だ。銀子は何も言わず、その場を立ち去ろうとした。


 その瞬間、掴まれていた袖を、ガッと強く引っ張られた。振り返ると、うるうるとした眼で金髪はこちらを見ていた。その服装さえマトモであれば、可憐であったと思う。


 「目つきと顔色の悪い人は、私を見捨てないよね?」


 「喧嘩売ってる?」


 「お願いします助けて下さいぃー! なんでもしますからぁ!」


 「ちょっ! 鼻水ついたって! やめ、分かったから!」


 「あ、マジ? いやぁ、ありがとね」


 「このクソアマ……!」


 あの日は散々だった。結局、ヒカリのスーツやらを買いに駅前に戻ることになり、財布に28円しか入っていないこいつに金を貸したせいで、給料日まで極貧生活を送ることになったのだ。


 「なのに、あの時の4万2980円を忘れた……? 確かに利子も取らないし、返せる時で良いとは言ったけどさ……それはちょっと話が違くない?」


 「あ、あはは……そんなこともあったっけ」


 「ちょうど良いし、今すぐ返せ」


 「い、いやぁ……今はちょっと持ち合わせが無いと言うか……」


 「何言ってんだ。昨日がちょうど給料日だったんだぞ。今回は営業のノルマを自腹で買うことも無かったし、満額入ってるだろ」


 ヒカリは冷や汗を流しながら、スマホを差し出した。そこには、もはや無残としか言い様のない銀行アプリの貯金額が表示されていた。


 「お前……今時、小学生だってもうちょい貯金あるぞ?」


 「実は昨日、パチ屋のイベント日でさぁ。外回りって嘘吐いて一日中打ってたんだけど、ボロ負けしちゃって……滞納してた分支払ったら、これしか無くなっちゃった」


 「お前、マジでふざけんなよ……!」


 「痛い痛い!!! ヘッドロックは辞めて! ごめんって! 今度は銀子も誘うから!」


 「サボるのを辞めろって言ってるんだ! ていうか、それで今月どうするつもりなの!」


 「痛た……いやぁ、何とか食いつなぐよ」


 約一ヶ月。その間、こいつがこんな残高で生活出来るとは到底思えない。とはいえ、ヒカリに倒れられると困るのも事実だ。こんなんでも、ここでは貴重な戦力なのだから。


 「はぁ……また、極貧共同生活するか?」


 それはかつて入社して間もない頃していた共同戦線。お互いに自炊をして、辛く苦しい一ヶ月を乗り越えた、懐かしきイベントだった。


 「え……い、良いの?」


 「良いも何も仕方ないだろ。それに、お前に倒れられるのは困る……から」


 銀子は顔を赤らめながら、そう言った。それは紛れもない、本心からの言葉だった。サボり魔とはいえ、全くの役立たずという訳では無いのだ。


 「……っ! ぎ、銀子ー!!!!」


 「ぎゃう……! お、重い……!」


 「私の身体の76%は銀子への愛情で出来てるからね!」


 「色んな意味で重たいから……! 離れろっ……!」


 「…………なぁ」


 「「へ?」」


 百合百合とした二人の前方側。無駄に整理され、笑みを浮かべた制服姿の少女の写真が飾ってあるデスク。そこに、まるで死人の様な顔をした男が居た。


 上之司。先日の不祥事により、8時間の勤務と16時間のサービス残業を強いられている男だった。その勤務時間もそうだが、どうして懲戒解雇になっていないのか、不思議でならない。


 「頼むから……仕事、してくれ。じゃないと俺、死んじゃう」


 「「アッ、ハイ」」


 この男がこんな風になっているの、過労死寸前の労働と妹に会えないことによる精神的ストレスによるものだった。この男にとって、妹は三大欲求に並ぶほどの精神的支柱であるのだ。


 「銀子ぉ……お前がマイの代わりをしてくれよぉ」


 「黒髪なところしか共通点無いぞ」


 「もうそれでも良いから……! マイチャージさせてくれ……! 二つの意味で……!」


 「寒いしキモい……」


 しかし、その程度で仕事をしてくれるのなら、案外お得かもしれない。そんなことを思った。


 普段ならそのようなことは考えないが、今の銀子は疲れており、正常な判断は出来ていなかったのだ。


 「はぁ……しょうがないな」


 「え、やるの!?」


 本当にやるの? と言いたげなヒカリの横で、眼を閉じながら深呼吸をする銀子。彼女は思い出していた。あのゴミカスクソ上司の妹とは思えないほど、清楚で良い子である舞依ちゃんのことを。


 「私は舞依……私は舞依……私は舞依……!」


 「す、凄い……! 銀子が舞依ちゃんに見えて来た……!」


 「おぉ……!!! ま、マイなのか……!?」


 この場に居る全員、疲れていた。そのため、深夜テンションと過剰なカフェイン摂取による高揚感のせいで、三人は幻覚のような光景を見ていた。


 そこには確かに司の妹、上之舞依が居た。銀子はその瞬間だけ、銀子ではなく舞依になっていたのだ。


 「お、おにぃちゃん! が、がんばれー……」


 「あ、最後少し正気に戻った。やっぱ恥ずかしかったんだ」


 「当たり前でしょ……! こういうのはキャラじゃない……!」


 しかし、不完全ではあったがそこに舞依は居た。あの男にとって、それは幻想であっても、やる気を向上させるには十分過ぎた。


 「うおおおおお!!!! 一秒でも早く終わらせて、俺は舞依の元へ帰るぞ!!!」


 「……なんか、キモいを越えて凄く見えてきた。よく考えると気色悪いけど」


 「言ってやるな。それで私たちも家に帰れるんだ。いつもこの調子なら助かるんだけどな」


 春。それは別れと出会いの季節。しかし、この部署においてはそんなイベントは存在しない。


 「そういえば、新入社員って居るんだっけ?」


 「どうせ数ヶ月すればみんな辞める。残るのは、やべぇ奴かイカれた奴だけだ」


 「まっ、期待するだけ損だねー。私たちが入ってからは、一人も来てないもん」


 「ここだけ現代社会と隔絶されてるよな。違法労働とかいうレベルじゃないし」


 埼玉県某所にあるとある会社。そこの庶務部は通称、煉獄と呼ばれている。


 生半可な人材では、数ヶ月で過労死してしまう現場であるからだ。だから、この環境では新年度など、全く意味が無い。


 しかし、今年は違った。


 彼女ら二人は知らないが、ひっそりとそれは進んでいた。新しい人員の配属だ。だが、相手はあの煉獄である。


 「あたしも、明日から社会人だ! 頑張るぞ-!」


 つまり、そこへ来る人材など、普通であるはずが無いのだった。 

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こんなブラック企業は存在してはいけない! 黒羽椿 @kurobanetubaki

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