こんなブラック企業は存在してはいけない!

黒羽椿

非実在系暗黒企業

 埼玉県某所、駅周辺ばかりしか栄えていない辺鄙な土地に、その会社はある。


 デジタル化が進む昨今、未だに紙媒体を主に使用し、もはや絶滅危惧種ならぬ絶滅寸前企業。簡単に言ってしまえば、前時代的な風潮の残るブラック企業だった。


 そんな場所に、彼女らは居た。時刻は午前0時過ぎ。終電などとっくに終わり、通常の社会人であれば明日に備えてとっくに寝ている時間だというのにだ。


 「……ねぇ」


 「……なんだ」


 二人以外誰も居ないオフィス。金髪の女性はか弱い声で、隣に座る不健康を体現した黒髪の同期に話しかけた。


 「今日って、日曜日だよね?」


 「もう日付変わってるから、月曜だぞ」


 「そっか……私たち今、何連勤してたっけ」


 「20から先は数えてない」


 「……今、27連目だよ」


 「…………聞きたく、なかった」


 「ごめん……」


 鬱々とした雰囲気の中、突如机の上の携帯が鳴り響いた。不愉快な音を響かせながら、ゴミカスと表示された画面を見て、二人は苦い顔をした。


 「うわ、カス上司じゃん。死ねば良いのに」


 「あいつ、今日も妹の迎え付きで定時だったよな。私たちなんて、定時で帰ったの台風が直撃してる時だけなのに」


 「あの日はやばかったねー……過労以外で死を感じたのは久々だったよ」


 「…………」


 「…………」


 「……出ないの?」


 「やっぱ出ないと駄目だよな。はぁ……」


 ため息を吐きながら、心底嫌そうに電話を取る。それと同時に、いつも通りの無駄に元気な声が聞こえてきた。


 「遅い! どれだけ待たせるんだ! 社会人たるもの、電話にはワンコールで出なさい!」


 「なら、社会人らしく常識的な時間に連絡してくんない? 5W1Hって知ってるか?」


 「あぁ知ってるとも! 四輪駆動のことだな!」


 「それは4WDだ。良いから早く要件を話せ」


 電話を掛けた人物は二人にとって上長に当たる人物である。しかし、彼には敬えるところなど神経の図太さくらいしか無いため、二人にとってはただの厄介なトラブルメイカーでしかない。だからこそのタメ口、不躾な対応だった。


 「銀子、それにヒカリも居るんだろ? ちょっと頼まれてくれ!」


 「えぇー、嫌ですよー。私、まだソシャゲの周回が終わってないですしー」


 電話を取った黒髪の方、南銀子みなみぎんことだらけながらスマホを操作する金髪の方、熊野くまのヒカリはまたいつものかと辟易していた。彼がこういったことを唐突に言い出すのは、今に始まったことでは無い。


 「おい。仕事してたんじゃないのか」


 「スマホ休憩中ー」


 「そんな休憩は存在しない」


 今すぐぶん殴って仕事を押しつけようかと、スマホを弄るヒカリを見る。しかし、サボりはするが最低限の仕事はするし、やれば出来る奴なのは確かだ。今はこっちの面倒事の方を処理した方が良いと、銀子は判断した。


 「何でも良いから、とにかく頼むぞ。メール送っとくから、詳細はそっちで見ろ!」


 「いや、じゃあなんで電話したんだよ」


 「内容を伝えるのがめんどいのと、メールなんて見てなかったと、無視されるのを防ぐためだ! じゃ、よろしくな!」


 「…………チッ! 死んどけクソが!」


 「乙女がそんな汚い言葉を使っちゃ駄目でしょ……気持ちは分かるけどさ」


 「また顔シューティングで上司の顔ボコボコにしてやっからな……!」


 「懐かし過ぎ。今時の子はそれもう分かんないよ」


 青色の携帯ゲーム機を握りしめながら、銀子はメールを確認した。いつも通り、うざったい声が聞こえてくるような文面だった。


 『総務に提出しなきゃいけない書類をド忘れしていてな! 受領の印鑑が必要だから、ちょっと行って押してきてくれ! 終わったら俺のデスクの上に置いておけよ!』


 必要も無いのに、『妹Love』と書かれているオムライスの写真が最後に添付されていて、またイラッとした。あの馬鹿のシスコンには付き合っていられない。


 「上司なんだって?」


 「書類提出し忘れたから、ハンコ押しに行ってこいって」


 「えぇー……いっそのこと、無視しちゃえば? あのゴミ野郎のミスでしょ?」


 「そうしたいけどな……わざわざ電話で頼まれた以上、それを無視するのもな」


 「全く……真面目なんだから」


 「後、あいつのやらかしって大体私らに降りかかるから、未然に防げるなら防いでおきたい」


 「そうだね。休憩がてら、行こっか」


 お前はさっきまでサボってただろと、喉元まで出かかった言葉を銀子は飲み込んだ。ヒカリと口論になると、大抵開き直られるかトンデモ理論を展開されるかに決まっている。そも、この時間に喧嘩などしたくはなかった。


 「いやー、真っ暗でこわーい」


 「ぶりっ子乙」


 「でもでも、真っ暗な廊下とか怖くない? ホラゲーみたいでさ」


 「この会社の闇深さの方が怖いから」


 「ヒトコワ、ってやつだね! やっぱ幽霊よりも生身の人間が死にそうな顔してる方が怖いもん!私の横にも、その模範解答が居るし」


 「やかましい。ほら、とっとと行くぞ。どうせ私たち以外居ないしな」


 この会社に警備員など居ないし、そも警備会社などと契約しているはずも無い。また、今月はノー残業デーで、午後十時までには社員は帰宅しているから、彼女ら二人以外はこの会社に残っていない。


 「この会社、ノー残業デーの意味分かってないよね……」


 「いや、だとしても何で私たちは帰れてないんだよ。言ってることおかしいだろ」


 「そういうこと考えちゃ駄目だよ。そういうもんだから」


 「いや、そういうもんで流しちゃ――」


 「ハイもうこの話終わり! そういうもんはそういうもんなんだよ! あんま深く考えないで!」


 「……わ、分かった」


 そんなことを話ながら、二人はスマホのライトを頼りに一階へ降りていく。総務部は階段を降りてすぐ右手にある場所だ。


 「お邪魔しまーす。ちょっとハンコ借りますねー」


 「これ、普通にアウトだよな。一応、申請の中身はチェックしておくか」


 書類は経費申請の紙だった。上司の出張費や通勤代、各種消耗品の経費などが書かれていた。あの馬鹿にしてはフォーマットも数字の乱れも無く、しっかりとした書類になっていた。


 「案外、マトモに仕事して――」


 銀子が少し感心していると、とある項目が目に入った。業務費用とだけ書かれたそれは、桁を間違えているのではと思うほど高額だった。


 「ヒカリ。この業務費用って奴は何だか知ってるか?」


 「べべべべ、別にぃー? ぎょ、業務で使った費用でで、でしょ?」


 「声、震えてるぞ」


 「おしっこ我慢してるだけ!」


 「おい。誤魔化せて無いし、恥じらいとかは無いのか」


 明らかに変だ。それに銀子は、どうして自分とヒカリの出張費用が入っていないのか不思議に思った。確かに申請したはずなのに。


 「ヒカリ。この前、仕事で東京まで行くのに新幹線使ったよな。その時の申請、したか?」


 「へ? あ、当たり前じゃん。申請しないと自腹になっちゃうんだからさ」


 「それ、入って無いぞ」


 「はぁ!? あのクソ上司、銀子のは良いけど私のは入れておけって言ったのに!」


 「おい、どういうことだ?」


 「しまっ……!」


 ヒカリとは入社してからの同期だ。彼女の他に6人居た同期が最長3ヶ月で辞めたのに対し、ヒカリは自分と一緒に今まで戦ってきた社畜せんゆうだった。


 だから、こういう時のこいつは大抵ヤバいことをしているのが分かる。横領、文書偽造、数値改ざん……いくらでも思いつく。


 「別に責めはしない。だから、何してたか言って見ろ」


 「え……? い、良いの?」


 「良くはない。でも、ここでお前を糾弾しても意味が無い。なら、もっと効果的な方法を取るべきだろ?」


 「……! そっか、分かった銀子! 銀子が何考えてるのか、分かっちゃった!」


 「そうか……じゃあ、とっとと仕事を終わらせるぞ」


 「任せてよ……! こういうのは得意なんだから!」


 大抵の不条理や面倒事は見逃すが、流石に今回は舐めすぎだ。人に仕事を押しつけ、挙げ句の果てには不正の書類を届けておけなど。


 確かに、今までは給料が差し引きマイナスで3万円になろうと、ボーナスが宮城県の銘菓になろうと耐えてきた。


 「けど、限度ってものがあるでしょ……! クソブラック企業が!」


 「ぎ、銀子がキレてる……連勤に次ぐ連勤が彼女を壊してしまったんだね……」


 「ふひ、ふひひ……! 死なば諸共、道連れだぁ!!!」


 「……あ、ちょ! 何すんの!」


 銀子は普段は見せない、イキイキとした顔でヒカリの手を掴むと、総務部の受領の判を彼女に握らせ、そのまま書類に押した。


 「これで一蓮托生! 最後まで付き合って貰うからな!」


 「うわぁ……眼ぇガン開きじゃん……銀子が一番怖いよ」


 「ヒカリはそっちを。私はこっちやるから」


 ヒカリは思った。あの業務費用は、上司が会社の金で昼食代などを精算しようとしていたものであることを。そして、それに気付いた自分が彼に内緒で、ゲーム課金のために魔法のカードの支払いを会社の金でしたことを。


 完全な横領である。しかし、先に自分の出張費用を勝手に消したのは上司の方だ。自分は会社の金を好きに使っておいて、こちらの出張費をケチるなど言語道断。つまり、先に手を出したのはあっちだ。私は悪くない。うん、悪くない。


 「……よっし! 任せてよ!」


 完全な開き直りだった。しかし、この場でそれを咎める人は誰一人として存在しない。


 二人はそのまま、深夜テンションのまま書類に細工をし、日が昇ると共に机に突っ伏した。

 そして、朝が来た。始業は9時からだというのに、6時頃からチラホラと社員が死んだ顔をしながら通勤してくる。そして、午前8時58分。彼がやってきた。


 「おはよう、二人とも! 頼んでおいたものはやっておいたか?」


 「うるさい……もう少し静かにしてくれ」


 「なんだそのたるんだ顔は! 髪もボサボサ、スーツもしわくちゃじゃないか! お前ら、社会人の自覚はどうした!」


 「怒りを通り越して尊敬する。その無神経さは」


 「きゅ、急に褒められると……なんだ。て、照れるだろうが!」


 「は? キモ」


 彼……上之司かみのつかさにとって、それはいつも通りの日だった。日曜にも出勤する部下二人を、午後出社で確認し、仕事をあらかた押しつけて帰宅する。ケアレスミスも報連相を怠ることなく、未然に防いだ。完璧な一日であった。


 彼の無神経さと図太さは武器でもあるが、同時に欠点でもあった。自分の印象を客観視出来ないことが、ここに来て裏目に出たのだ。


 つまるところ……不真面目で悪巧みを進んで行うヒカリはともかく、彼のことを嫌っていて堅物人間である銀子に不正を頼むのは、明らかな采配ミスだったのだ。


 「じゃあ、私たちはこれで」


 「……はぁ? なに言ってるんだ。今日は外回りなんて無かっただろ?」


 「私たちー、今日と明日、有給なのでー」


 「な、何言ってるんだ! 当日に有給の申請なんて、非常識だろ!」


 「きちんと昨日、提出したぞ。もちろん、お前のハンコも押してある」


 自分のデスクの上には、見慣れない紙に自分の判が押してある物が二枚あった。予定表にも、何故か昨日までは今週の土曜日まで出社予定だった二人が、月曜と火曜に休みと入っていた。


 「貴様らぁ……! こんなことをして、許されると思っているのか!」


 「有給は労働者の権利だ。それに、後一ヶ月で下半期が終わるのに有給消化ゼロってどういうことだよ。イカレてんだろ」


 「こ、こんなもの認めないぞ! それに、お前達が居ないなら誰が仕事をするんだ!」


 「上司がやればー?」


 「ヒカリぃ……! お前はナマケモノに怠けるなって言うのか!」


 「お前はナマケモノじゃないだろ」


 これ以上話すのは無駄だと言わんばかりに、銀子とヒカリは身支度を済ませていた。しかし、そんなことで諦めるほど、彼は容易くは無かった。


 「ここは通さんぞ……! お前らは今日も、仕事をする運命なんだからな!」


 「……そうか。けど、良いのか? そんなところに立って居たら――」


 その瞬間、電話が鳴り響いた。銀子はヒカリに目を配ると、彼女は電話を取った。


 「はい、こちら庶務部。――はい、司ですね。今、変わります」


 ヒカリはにんまりと笑って、保留のボタンを押した。


 「上司ー! 社長からお電話ですよー!」


 「は、え、いわ、え! ちょっちょちょ、ちょっと待っておけ!」


 彼は顔を驚愕に染めて、電話に向かっていった。それを、後ろから二人は満面の笑みで観察していた。


 「お電話変わりました司です! なんのご用で――って、え!? そそそ、それはですね。部下が勝手に――も、申し訳ありません! はい! はい! すみません! はい!」


 「じゃあ、私たちは帰るから」


 「お仕事、頑張って下さいねー」


 「お前ら待て! あいえ、社長に言った訳では……! す、すみません!」


 電話越しでも分かるほど、ぶち切れた社長に詰められている上司を横目に、二人はその場を後にした。


 二人は昨日、二つの細工をした。


 一つは、有給の申請を行ったこと。そしてもう一つは、彼の横領の証拠を社長のデスクの上に置いてきたのだ。当然、彼は鬼のように詰められることだろう。いい気味だ。


 会社から出て、少し進んだところで、二人はピタリと止まって、顔を見合わせた。


 「ふ、ふふふ……」


 「くっ……ぷっ」


 「「アーハッハッハッハッ!!!!」」


 周囲の視線を憚ること無く、二人は爆笑し始めた。それは数分続き、しばらくして息を切らした二人はハイタッチをした。


 「あいつの顔見た!? 写真撮っとけば良かったよー!」


 「それなら撮っておいたぞ。顔シューティング用にね」


 「あ、マジ? 私にもそれちょーだい。久々にやりたくなってきたよ」


 「思う存分楽しもう。それより、これから時間あるか? 明日も休みなんだし、飲みに行こう」


 「珍しいじゃーん! 誘ったからには、もちろん奢りだよね!」


 「馬鹿。宅飲みに決まってるだろう。ほら、行くぞ」


 「ま、待ってよ銀子ー!」


 朝日が昇る中、二人は笑いながら去って行った。その顔は清々しく、そして希望に溢れていた。


 「……あ、上司から電話だ」


 「ちょっと貸してくれ」


 「良いよー」


 『おっ、ヒカリか!? これはどういうこ――』


 「くたばれ」


 『あちょ、待っ――』


 「……ヨシ!」


 その後、酒盛りを始めた二人の元に、号泣しながらジャンピング土下座をする上司が乗り込んでくるのは、これから数時間後のことであったという。

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