第一章 下書き-1
かき氷みたいな雲が遠くに見える夏の日。太陽がまだ肌を照りつける昼どきに、私は海をバックに踏切を描いていた。
私が住む島は小さく、本州から離れていて飛行機の滑走路を作れるほどのスペースがない。だからか、港町ばかりが発展している。だが反対側、つまり今私の居る側は過疎地域のようなものになっている。
ここはあまり人が来ないから、キャンバスを立てていても文句を言われない。しかも、景色の移り変わりが落ち着いていて、風景画を描くのにピッタリだ。
ーカンカンカンカンー
遮断器がけたたましい音をたててバーを下ろす。蝉の声が先ほどよりも近くに聞こえる。
向こう側が描けなくなってしまった。
人が来ないのは良いことだが、ここの電車は古く、あまり速度が出ないせいで手持ち無沙汰な時間ができる。
雲なんかは線を描いたって仕方ないし、遮断機の傷を細かくするくらいか。そうして下書きを続けていたらいつの間にか電車は私の前を過ぎ去っていた。
それに気づいて目線を上げると、学校で見知った顔がそこにあった。肩口で切り揃えられた髪を風に遊ばせながら、抜けるほど白い肌によく合う水色のワンピースを着ていた。だが、夏休み前までは髪を伸ばしていたはずだ。
「こんにちは、真白ちゃん」
流石、学校中に顔のきく人だ。たかだか百人の中の一人とはいえ、私の名前まで憶えているとは。
「うん、こんにちは。髪、切ったんだね」
そうして話かけられた私は名前を憶えていないが、大丈夫だろう。名前を知らなくても二人だけなら会話はできる。
彼女は小動物と称されるタイプの人間で、平均よりも少し身長の高い私を見上げる形で話かけてきた。
「夏は蒸れるからね。それよりも、描いてるもの観てもいい?」
私が少し頷くと、彼女は目を輝かせて、こちら側へ回ってきた。私のスケッチを見て不思議そうな表情を浮かべる。気づいたのだろう。
「人は描かないの?」
その通り、私の下書きには人が描かれていない。
「人を描くのは、苦手なの」
幼い頃からひまつぶしとして風景画を描いているが、生き物の生命力なんかの感覚を掴めずにいる。だから、私の画には人どころか生き物が居ない。
「それなら、私を描いてみるのはどう?」
思ってもみない提案だった。
「下手だよ?」
生き物を描くと、美術の評価が軒並み低くなったのだからこれは事実だ。
「真白ちゃんは人を描くのがうまくなる。私は夏休みを平穏に過ごせる。win-winじゃない?」
どうして平穏に過ごしたいのかは分からないが、そういうことなら描かせてもらおうかな。だがもう少し懸念することがある。それは、彼女が夏休みのほとんどを使おうとしていることだ。夏休みを平穏に過ごすとなると、私と多くの時間を共にする可能性がある。
「友達はいいの?」
彼女には友達が多くいるのだから、夏休みは引っ張りだこだろうに、こんなことに付き合ってもらっていいのだろうか。
「あまり騒がしいのは好きじゃないの。それに、今は広く浅くより狭く深くの気分だから」
存外、彼女は私の想像していた、グループの中心となるようなタイプではないらしい。それならば、この夏は付き合ってもらうとしよう。私にそれだけの価値を感じたのかは・・・まぁ、いいか。
「それなら明日、お昼ご飯食べたらここに来て」
私がそう言うと彼女は驚いた様子を見せる。
「今日は描かなくていいの?」
「飲み物、持ってきてないでしょう?何時間も描くもの、体調を崩されると困るわ」
本意だ。実際、私は日が暮れるまではここで描き続けるつもりだから、水分補給できない彼女を付き合わせたら熱中症になってしまうだろう。
「優しいんだね、真白ちゃん。それなら今日はお言葉に甘えて帰りますか」
納得したようで彼女は「また明日ー」と言って帰路についた。
翌日。13時頃、今日はかき氷みたいな雲は見えない代わりに、うす暗い雲が空を覆っている。昨日みたいに暑くはない。私は昨日からまた、持ち越しになった下書きを描き続けていると、踏切の向こうに彼女が見えた。今日はワンピースではなく白いブラウスに水色の長いスカートを合わせていた。右手には大きくもなく小さくもない水筒を携えている。
「こんにちは、真白ちゃん。今日も制服なの?」
昨日と同じ挨拶だった。
「うん、こんにちは。あまり服を持ってないし、選ぶのも面倒だから」
そこで私は下書きの手を止める。スケッチブックのページをめくり、昨日家の押し入れから引っ張り出してきた持ち運べる椅子を手に取った。
「今日は椅子を持ってきたからそれに座って」
そうして私が椅子を準備すると彼女はおとなしく座った。
「真白ちゃんが描く間は喋ってもいいの?」
正直なところ、静かな方が集中できるが、せっかくの機会だ。彼女を知ることもできるだろうし、好きなだけ話してもらおう。
「好きにしていいよ。ただ、顔を描くときは言うからその間は喋らないで」
そうして私がスケッチを始めると、彼女は思っていたよりも静かに話す人だった。
「真白ちゃんは、どうして人を描くのが苦手なの?」
至極単純なことだ。
「生命力っていうのかな、その感覚が上手く掴めないの」
だが、彼女からの返答は意外なものだった。
「それだったら私は適任じゃないかもね」
どういうことだろうか。私の知る彼女はいつも笑顔で快活に生きている。あふれんばかりの生命力を持っていそうなのに、彼女は合わないと言っている。もしかしたら内面は静かな人なのかもしれない。
「真白ちゃんはいつから絵を描いてるの?」
いつだったか、物心がついた頃には鉛筆を握って絵を描いていた。
「多分13年前、3歳のときだと思う」
そして、中学1年生くらいの時に水彩画をはじめた。
「そうなんだ。結構早いんだね。他に好きなこととかはないの?」
好きなこと。困るな。私は特に趣味をもっていない。絵を描いているのだって、集中すれば時間を湯水のように溶かすことができるからだ。
「ない、かな。そっちは趣味とか多そうだけどどうなの?」
彼女は多くの人と繋がりを持っている。それなら、様々な人の趣味に触れるだろう。そうなれば、自分に合う趣味の一つ二つは見つけられるはずだ。
「実を言うと、私も今はないの。前まではカラオケとか行ってたんだけど最近は冷めちゃってね」
限られた人としか交流を持てないような環境で、小学校から同じ人としか遊ばないとなると飽きるのかもしれない。
それからはしばらく無言の時間が続いた。その間、彼女がどこか寂し気な目で遠くを見ていたのは、強く印象に残った。寂し気な目を見たからだろうか、私らしくないと思いながら、彼女の色々な感情を見たいと思った。
「明日から、少しどこか出かけない?」
彼女はこんな提案をされるだろうとは思っていなかったのだろう。「え?」と気の抜けた声を出して、固まっている。なるほど、人の驚く顔は確かに面白い。
「場所は、任せるよ。ただ、あまり暗くない所にしてね。表情が見えなくなるから」
表情は人のイメージを掴む上で大切だと思う。表情がよく変わる人は快活な印象があるし、あまり変わらない人はどこか寂しさや空虚さを感じるだろうから。
「・・・うん?」
その表情からは困惑していることしか読み取れない。少しだけ、彼女の魅力が分かった気がした。
彼女がいろいろと考えている間に、私は手を動かす。こうして彼女を注意深く見ていると、彼女の印象が少しだけ変わる。もともとの印象は『快活』だったが、よく観察すると、白くキメ細かい肌に、頼りなさそうに見える手足。それらが平均よりも少し低い身長とあいまって、『綿菓子のような少女』という印象になった。
いつもは元気に見えていたが、彼女自身の持つ、つかみどころのない透明感やどこか遠くを見つめる瞳が空虚に感じ、風が吹けばふわっと飛んでいきそうな、そんな印象を抱かせる。
そんなことを考えていると、彼女は何かに納得したようで、こちらを見た。
「明日、港町でお買い物しようよ」
どうやら明日の予定を考えていたらしく、出かける先を提案してくる。
港町か、彼女の友達と遭遇してしまわないかが心配だが、彼女が行きたいのなら付き合うほかない。心残りがあるとすれば・・・
「いいけど、私、あまりお金持ってないよ?」
ウチは母子家庭だからお小遣いは月二千円で、しかもそれは私が画材を買うのに使う。つまり、他のことに使う余裕がなく貯金は実質的にゼロである。
「大丈夫大丈夫!私の買い物に付き合ってくれるだけでいいから!」
勢いが強いことが気がかりだが、そういうことなら付き合おう。
「そう。ならどこに集合する?時間はそっちが決めていいよ」
朝は強くないのでお昼頃がいいのだが、彼女はどうだろうか。
「うーん。灯台のところに一時集合でいいかな?」
一時...家からは少し遠いが大丈夫だろう。
こうして私の明日は彼女に任された。
君と私の青写真 盛一 @rorisuki
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