第九幕 矛先

 穿うがたれた、穴。暗闇が広がっている。


 ……それは地面のものだった。


 目を見開いて左側に痕跡こんせきを確認したレイチェルが、頓狂とんきょうな声を上げる。


「はぁ?」 

 

 女性が視線を真っ直ぐに戻すと。

 少女がマリンブルーのひとみ燦然さんぜんきらめかせ、小悪魔じみた顔でいたずらっぽく言い放った。


してやったわ。これで、ね」 


 ふぅ、と息を吐いたリザが立ち上がって後ずさり、杖を光の中へしまい優しい顔をして語る。


「いくらアンタを恨んでたとしてもね、命を奪うような真似だけは絶対にしないわ。これ、アタシのママの教訓ね」 


 思い返す、幼い頃から何度も聞いた母からの言葉。


『魔女として奪い合い、一番に強くなりなさい。でもね、命だけは絶対に奪ってはダメよ。分かった?』 


――ママ。アタシ、約束ちゃんと守れてるよ。……ちょっと危なかった時もあったけどさ。


 魔女の生来の性格である残忍さは律することが難しい。それが思春期の年齢ならば途轍とてつもない衝動である。


 わなわなと震えだして、レイチェルがおもむろに口を開いた。


「……それよ。それが気に入らないのよ」 

「え?」 

「貴女のその! イカレてるかと思えばどっかのほほんとした態度が目障めざわりなのよぉッ! さっさと頭潰しなさいよ! やったことぐらいあるでしょうに!」 

「……」 


 怒号どごうと共に、長い沈黙が訪れる。

 互いが吐いた本音を受け止め、理解し、心が次第に落ち着いてゆく。

 が、なぜかリザの背筋にだけ突然とてつもない悪寒がした。


「私と結・婚したリザ様ー! お怪我は大丈夫ですか!」 


 どこから取り出したか分からないベルをチリンチリンと鳴らしながら、屋上から螺旋階段を駆け下りて走ってくる半獣はんじゅうの猫メイドが、その原因であった。

 うわっ、という顔を取りえずしまい、微笑んで礼をする。


「アタシは大丈夫。そっちこそ無理してるじゃない。変化魔法、無理に使おうとしてちょっとだけ猫になってるわ。……もう分かってる、ここまでずっと支えてくれてありがとう」 


「ふふ、どういたしまして」 


 猫耳をピコンと揺らして穏やかな笑みで返す。

 だが、リザはいったんしまった表情をもとに戻して。


「でもな、その言い方だけはマジで、マジで気色悪いからやめろ! ていうか今はもう本名だし!」 

「では正式にせきを入れましょう! さぁ、こちらの婚姻届こんいんとどけにサインを!」 

「アホか! 断固拒否するわ!」 

 

 和気藹々わきあいあいとしたやり取りが展開される。

 二人を中心にして張り詰めていた空気が和んでゆく中、レイチェルがゆっくりと上体を起こしながら口を開いた。


「貴女にも悪いことをしたわね」 


 しばしの間、リザと見つめ合ってからキョトンとした顔でレイチェルの方に振り返るミハイル。


「……ん、私ですか?」 


 そしてハッと気づくリザ。

「そうよ! アンタ、ミハイルのこと監禁したんだからそれ謝りなさいよ!」 


 猛犬のように吠える少女を横目に、ミハイルは顎に手を当てて少し考え込んだ後。

 

「……リザ様、その件については少し二人でお話をしたいので席を外してもらえませんか?」 

「えーっ! ……まぁ、ミハイルがそう言うなら良いわよ」 


 リザはしぶしぶ、屋上前の階段に腰を掛けに行った。

 ミハイルはそれを見送って、レイチェルの前に歩いていき正座で目線を合わせてから笑顔で話し出す。


「レイチェル様、猫がお好きなんですね」 


 赤面し、しどろもどろになりながら返答する。


「なっ……そ、そそそそうよ! 何か悪いかしら?」 


 黒猫に対する待遇たいぐうは、監禁などという厳しいものではなかった。与えられた部屋は広く、十分なキャットフードや水、そしてふかふかで上質な寝床にトイレを完備。さらに鍵もかかっていない。

 そのため容易よういに情報を集めることができ、脱出に成功したのだった。


「それはどうしてでございますか?」 

「それは……私が小さい頃、訓練を受けてた時の心のり所だったのが貴女みたいな黒猫だったからよ。両親に引き離されてしまったけれど」 

「……そうでございましたか」 


 その事実を聞き、うつむくミハイル。


「ハッ、笑えるでしょう? 結局私はただの寂しがりのくせに、本能のままに誰かのものを奪うことに執着して自分の甘さも、関わりも、何もかもをかなぐり捨てて得たものは空虚な心だけ」 

「では、私と友達になってくださいませんか?」 

「はぇ?」 


 ミハイルの意外な提案に、またしてもおかしな声を上げてしまうレイチェル。


「ふふ、じゃあ決まりですわね! 今から私とレイチェル様は――」

「うっ」


 変にうわずった声に戸惑うミハイル。


「うっ?」

「うわぁぁぁぁぁぁぁん!」 


 突如、せきを切ったかのように泣き出してしまうレイチェル。


「レ、レイチェル様!?」 

「だ、だっでそんなこと言われたことながっだもん!」 


 おろおろと慌てふためくミハイル。ハンカチはサーヴァンツ家の別荘に置いてきてしまっていたというのに、ポケットを懸命にまさぐる。


 そんな彼女達の下に飛来ひらいする者達がいた。

 それに気付き、振り返ったミハイルが目にしたのは。


「貴女達は! えーと……」 

「嘘、本当なんだ……? あ、ミラ・トゥルエノです、グスッ」 

「ライド・エモツィオーネだ。今はもう貴女を捕縛ほばくする気は無いから安心して欲しい。何故かは分からないが、生きていたのだな……良かったな、ミラ」 

「うん……うん!」 


 ミラとライドだった。二人はミハイルが生きている事を知り、安堵した。

 

「えっと、ミハイル・サーヴァンツです……あの、とは?」 


 ライドの言葉に引っ掛かったミハイルが問う。


「あぁ、耳を良くする魔法で全部聞いていたんだ。すまない。こんなレイチェル様を見たのは初めてだな」 

「そうだね。もう少し早く打ち明けてくれれば良かったのに」 


 笑い合った二人。


「本当に気が気じゃなかったです。だってレイチェル様、ミハイルさんがいなくなってから見たことない落ち込み方してました」 

「えっ、そうだったんですか?」 

「うぅ、言わないで……」 

「はは、そうですよレイチェル様。メイクだって崩れまくってたんですから」 

「ちょっと! それ以上はやめてくれるかしら!」 


 これ見よがしに全員でレイチェルをおちょくる三人。

 そして二人は杖を降りひざまづき、真面目な顔で話し出す。


「初めから道具として使う心算つもりだったとしても、こうして本心を聞けたんですから」 

「内気だった私が友達の為に少し変われたように、これからレイチェル様もいくらでも良い方向に向かっていけるから」 

『この先も、お供しますよ』 

「……ありがとう」 


 ほんの少しだけ、口角を上げて感謝の言葉を口にする。

 孤高ここうの道を突き進んでいたはずの彼女の周りにはいつの間にか、かけがえのない絆ができていた――。


 一方、リザは屋上で。

 何処からともなく現れた、執事のような格好をした腰の低い老人と対話していた。


「ここへの招待状を受け取って以来ね。今回は何の用かしら?」 


 二人は既に顔見知りだった。

 それは最悪の形の、という意味ではあるが。


「ほっほ、そう怖い顔をしなさんな。今回は二つ良い知らせを持って来た次第しだいでございます」 

「フン。もしくっだらない内容だったらぶっ飛ばすわよ」 


 腕を組み、期待をせずに明後日の方向を向いて聞く。


「一つ、ここ白帝界の所有権をレヴォルツ・ノートンからリザ・ノートンに譲渡する事とする」 

「……は? え!?」 


 有り得ない内容の情報に目を見開きサッと振り向いて頭を抱えるリザ。


「そして二つ目は――」 

「おい、待てよジジイ!」 


 質問の機会を作ろうとする彼女を無視し、続ける。


「リザ・ノートンの、『四天魔女闘争してんまじょとうそう』への出場決定でございます」 


 百年に一度、ある特定の方法で選定された魔女の中から、「四天魔女闘争」という四人の類まれなる力をもった魔女である「四天魔女」を決める儀式が、数千年前から原初の魔女が石化して今もはりつけとなり眠っているエンファング墓地にて行われる。


 四天魔女の一人になれば、血争の規定を一つだけ自由に変えることが可能。

 そうして血争劇は現在まで、幾度いくどとなく改変されてきた。


「……」 


 力を抜き、黙々もくもくと何かを考えこむリザ。

 さらに伝言でんごんは続けられる。


「また貴女様の母君ははぎみ、レヴォルツ様から言伝ことづてを預かっております。『ここまで勝ち上がってきなさい』だそうです」 


 リザはゆっくりと顔を上げ、真っ直ぐな瞳で問う。


「……とりあえず単刀直入たんとうちょくにゅうに聞くわ。は、生きてるの?」 


 しばしの沈黙で、風になびく二人。

 返答はこうだった。


「……それは存じ上げておりません」 


 相好そうごうを変えずに発される一言はどんな意味を含んでいるのか。

 それを気にする事も無く。


「あっそ。じゃあもういいわ、さっさとどっか行きなさい」 


 苦い顔をしながら、しっしっと手で払う仕草をするリザ。


「承知いたしました。リザ様のこれからのご活躍を、心より願っております」 


 左手を腹部に当て、右手を背面へ回しながら深々と礼をして、影の中へ消えていく老人。


 リザは陽光が射す方向へ向き、呟く。


「多分、大体分かったわママ」 


 そこへ、陽気なメイドが甲高い声を上げながら階段を二段飛ばししてこちらへ向かってきた。


「リザ様ー! さぁ、私と屋敷に帰ってイチャイチャしましょう!」 

「丁度いい所に来たわねミハイル。アタシ、やるべき事ができたわ」 


 小首を傾げて問うミハイル。


「何でございましょう?」 

「まず、みんなからった宝玉はまだ返さないわ」 

「ええっ! ど、どうしてですか!?」  

「まだ、よ! ま・だ! ったく、ちゃんと聞きなさいよねダメイド猫。ちゃんと最後は返すわよ」 

「ダ、ダメイド……猫」 


  またしても、心なしか眼鏡にヒビがはいったような気がしたが全くの気のせいである。顔は引きつっているが。……気を取り直して。


「ではこれ以上に力をたくわえてどうするんですの?」 

「よくぞ聞いてくれたわね。聞いて驚きなさい」 


 リザは左手を広げ、太陽に透かしながら宣言する。


「アタシはこの力を使って、血争劇をそのものをぶっ壊すわ」 


 かざした手を翻し、全力で握った。


「ミハイルも一緒に来てくれるかしら?」 

「……フフ、ええ! 勿論ですわ!」 


 かくして彼女の復讐の矛先が天秤そのものへ向けれられたのだった。

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没落魔女(ウィッチ)の復讐劇 楪 紬木 @YZRH9

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