3
石段を登る。
先輩が待っていると言ったあの場所に。
一緒に花火を眺めたあの鳥居の下に。
眠気なんて忘れ、後ろを振り向かずにただひたすらに走る僕の呼吸は粗くなる。
緊張なのだろうか。それともただ疲れているだけだろうか。
祭りのない神社は静寂に包まれ、虫の音が囲まれた木からよく聞こえる。
けど、それ以上にバクバクと鳴り止まない心臓の音は僕の脳を揺らす。
そして肩で呼吸をする僕は鳥居をくぐり、人がいないかと周りを見渡した。
「早かった……かな……」
膝に手に手をつくと同時に、僕の頬から汗が参道に垂れる。
ポケットに手を入れ、スマホを見やると数字が変わり、先輩が問題を通して僕に伝えた時間となった。
少しだけ落ち着いた呼吸だったが、嫌な憶測が脳裏をよぎって瞳が揺れる。
涙のように次々と頬を伝う汗は、夏夜特有のしっとりとした風によって乾かされる。
そのせいもあってか、心が冷えていくのが分かった。
先輩に言われていた時間を間違えている、という嫌な憶測が頭を蝕む。
自分を信じたい。そう願っても、答えのわからないこの問題に自信を持つことができない。
「――あれ?早かったね」
刹那、背後から聞こえる声が僕の身を包んだ。
冷めそうになった心が暖かくなり、また別の涙が溢れ出しそうになるのを抑え、満面の笑みで先輩の方に顔を向けた。
「先輩!僕、解けまし……た……」
浮かべていた満面の笑みが無くなっていくのが見なくても分かった。
喜びすらも頭から離れてしまい、ただ一心に先輩と、その後ろの月に魅入ってしまっていた。
言いたかった言葉なんか忘れ、高鳴っていた鼓動が一瞬にして収まる。
それほどまでに、青い月に照らされる先輩が綺麗だった。
かつて見たことのないほどに肥大化した月は青く輝き、部屋着であるパーカーを着た先輩を照らす。
黒いはずの先輩の髪色は深藍に染まり、白かったであろうパーカーは縹色になって先輩の身を包む。
浴衣姿の先輩を見たときから分かっていたけど、とにかく青が似合う。
青い月の前に立つ先輩はとにかく様になっていた。
「本当に解けたみたいだね」
優しく微笑む先輩は更に言葉を紡ぐ。
「GMTの意味、分かったんだ」
「ネ、ネットに頼りました……けど」
先輩の言葉に、やっとの思いで覚束ない言葉を返す。
そして頭の整理を行うために先輩から視線を外し、いつの間にか青くなっている参道を見ながら続けて唇を動かした。
「GMTは日本時間に9時間を足したもの。途中までは頭から離れていましたが、問題文を読み直して良かったです」
「答えが『8月20日03:26』になることがちゃんと分かってくれて嬉しい。もしかしたらって思ってヒヤヒヤしちゃった」
「伊達に先輩のことを見ていないわけではないですからね。なにか捻りがあると思いました」
「嬉しい言葉だねぇ」
先輩を見ていないからか、先ほどとは打って変わってスルスルと口から出てくる言葉。
尻目に先輩の顔を見てみると、嬉しそうにはにかむ先輩が、青い光にも負けを劣らない赤めた頬をこちらに向けていた。
僕が問題を解いてそんなにも嬉しかったのだろうか。なんて言葉が脳裏をよぎるが、それ以上に先輩の笑顔がまた見れてこの上なく嬉しい。
今だけは何も考えず、この先輩の笑顔を見ていたい。
いつの間にかマジマジと見ていた僕に、先輩はクスッと口元を隠しながら笑う。
そんな1つの動作にすら鼓動を高鳴らせてしまう僕はちょろい男なのだろうか。
「私の顔になにかついてる?」
「い、いえ。ただ……その、綺麗だなぁと……」
「素直だねぇ……」
僕の言葉に目を見開いたかと思えば、恥ずかしそうにフードをかぶって先輩は顔を背ける。
深藍に輝く髪が隠れてしまい、名残惜しい気持ちが拭えないけれど、先輩の行動はただひたすらに可愛い。
「ほら……そんなに私の顔を見ないの。ブルームーンに目を向けなさいよ……」
自分を落ち着かせるために発した言葉なのだろう。
フードを握る先輩は、チラッチラッと横目に僕を見てはすぐに参道に視線を落とす。
「でも先輩のほうが綺麗ですよ?」
「そ、そういうことを言わないで……もう……」
普段は見ることのできない先輩の姿にもっとからかいたくなる。
動かしづらかった唇のことすらも忘れてしまった僕は、腰をかがめて先輩の顔を覗き込む。
先日見た提灯のように赤くなった先輩の顔は、僕と目が合うや否や慌てて背けられてしまった。
「先輩。人と話す時は目を合わせなくちゃダメですよ?」
「分かってます!後輩くんのくせに生意気です!」
突然の敬語を聞くに、相当テンパっているのだろう。
そんな先輩にもう一度顔を覗かせようとするのだが――
「はい!ここで問題です!私の顔は見せてあげるからこれを解いてください!」
投げやり気味になる先輩はバッと顔をあげ、僕の肩を押し出してくる。
相変わらず真っ赤な頬を浮かべる先輩に思わず頬が緩んでしまいながらも、僕は素直に身を引いた。
ここに僕を呼び出した理由はこの顔を見せるためじゃない。そのことは僕も分かってるし、先輩も釈然としないはず。
「また問題ですか?遠回りが過ぎると思うんですが」
「う、うるさいなぁ……」
僕の指摘に、不服な顔をする先輩は有無を言わさずポケットを指差す。
「スマホを出してください」
腹をくくったのか、赤い顔を見せつけるようにフードを脱いだ先輩は、僕がスマホを出すのを見届けてから口を開く。
「『歳月不待 意味』って調べて?」
「調べました……けど」
要約すると時間は待ってくれないぞ、と言う意味なのだが……これがどうしたのだろうか。
「それでは問題です。『35.19.12.53』」
「え?」
「『35.19.12.53』を解いてください」
「35……18?え?も、もう1回お願いします」
突然の問題と、早すぎる言葉で数字が頭に入ってこない僕は首を傾げる。
けれど解き方だけはすぐに分かった。
先輩も僕の閃きが確認できたのか、ゆっくりと数字を言ってくれる。
何度も僕に伝えるように、ただ問題文を言っているだけなのに頬を赤く染めて。
「――先輩」
「はい」
問題を解き終えた僕は、スマホから視線を上げて青い月に照らされる君を、先輩として見た。
そして1度目を伏せ、呼吸を整えてから顔を上げる。
その時は先輩ではなく、一人の女子として君の顔を見た。
「時間は待ってくれませんからね。僕もですよ、先輩」
先輩を照らす青い月はゆっくりと姿を消す。
まるで出番は終わりだと言わんばかりに、先輩の髪色を黒へと戻していく。
でも先輩の笑顔は何ひとつ変わることない。
それがたまらなく嬉しかった。
青い月に照らされる君に、本音を解く せにな @senina
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