2

 1日の疲れをお風呂で洗い流した僕は、ボフッとベッドに飛び込んだ。

 枕に顔を押し付け、浴衣姿の先輩を暗黙の中から見やる。


「また今度……ですか」


 また今度とはいつのことを指しているのだろうか。

 夏休みも折り返しに入って、今日は8月の18日。

 もしあの言葉が始業式のことを指しているのなら、2週間後になってしまう。


 モヤモヤとする気持ちを晴らすようにバタ足を立てる僕は、顔だけを横に向けて液晶版に光を灯す。

 指紋認証でロックを解除し、LINEを開いて先輩とのトーク画面を見る。


 少し遡れば、僕が花火大会に誘った内容がそのままあり、少し顔が熱くなってしまった。

 なにか進展でもあれば……なんて思いで誘った花火大会だけれど、花火に頼りっぱなしで僕が楽しませてあげれた気がしない。


『もう少し積極的に話したほうが良かったかな』『もっと近づいたら良かったかな』なんて後悔がフツフツと湧き上がってくる。

 そんな気持ちが口から溢れ出さないように、もう一度枕に顔を埋めると、手に持つスマホからバイブ音が鳴る。

 口元だけは枕に押し付け、おずおずと目をあげた僕は通知を見やった。


「先輩!?」


 思わず声を上げてしまった僕の顎からは枕が吹き飛び、慌てて身体を起こしてトーク画面を開く。

 瞬間、目を顰めてしまった。


「なんだこれ……?」


 今朝までは普通に会話をしていた先輩のアイコンから、突然送られてきたのは数字や漢字などが綴られている暗号?らしきもの。

 首を傾げる僕は、液晶版に指をすべらせて先輩に問いかける。


『これなんですか?』


 けれど返ってくるのは時間の上に書かれた既読という文字だけ。

 どんなに待っても先輩のアイコンから吹き出しが現れることはなく、時間だけが過ぎていく。


「解けってことで……いいのかな……?」


 言葉を零す僕は、顎に手を当てて先ほどの暗号らしきものに目を通す。

 先輩の最後の吹き出しには――


『π=12月2.6日4.19:7.8 GMT』


 ――と書かれている。

 そもそも解くものなのかすら分かっていない状況だし――


『その問題の時間に花火を見た場所で待ってる』


 シュポッという音とともに現れた吹き出しには、確かにそう書かれていた。

 先輩は、僕にこの問題を解いてほしいと願っている。だからこの言葉を付け加えて送ってきた。

 あくまでも憶測にすぎない。けれど、少なくとも僕にはそう感じてしまった。


『分かりました!』


 そう返信した僕は、既読がついたのを見て、再度目を顰めた。


 πというのは円周率って意味であっていると思う。けれど『12月2.6日4.19:7.8 GMT』という言葉の意味が心底わからない。

『12月2.6日』はかろうじてクリスマスの翌日ということは分かるが、『4.19:7.8』とはなんだろうか。

『:』この記号が時間を表しているのなら小数点が邪魔すぎるし、かといってこの小数点を外すこともできない。


 先輩は僕にこの問題を解いてほしいと願っている。僕だってこの問題を解いて、待っている先輩を迎えに行きたい。

 けれど手詰まりだった。

 どんなに頭を捻らせても閃きは沸かず、深夜の0時を回ろうとしていた。


 首を90度に傾ける僕は、机の上にある時計に目をやり、長針と短針が重なるのを見届ける。

 さすれば、円を描く時計からは1つの数字が姿を消す。


 別になにか閃いたわけではない。ただ一刻と進む秒針から目を背けた僕は、ベッドから立ち上がって勉強机の前に立った。

 引き出しから1枚の紙を取り出し、ペン立てからシャーペンを抜き取る。


「円周率書いてみるか」


 なんの確証もないけれど、多分この問題は数字が強く関係しているはずだ。

 トーク画面からネット検索へと画面を切り替えた僕は、検索欄に『円周率 一覧』と入力した。

 そうして出てきた一番上のWebブラウザを開き、ざっと20桁の数字をノートに書き写す。


「だからといって何も閃かないんだけどね……」


 思わず苦笑を浮かべてしまう僕は椅子に腰を下ろし、根を上げながら机に突っ伏してしまう。

 ホームボタンを2回押し、先輩とのトーク画面に戻った僕は、再度問題文に目を通す。


 今は夏の真っ最中。12月の冬とは正反対の季節。

 そうすれば26日という日付にも違和感を覚えてくる。


 なんでクリスマスでもなく、イブでもないのだろう。

 その日は僕と遊びたくないという遠回しのお断り……?でも『待ってる』って書いてあるし……。

 どんなに考えても謎しか湧いてこない頭をクシャクシャと揉みしだく僕は、バタッともう一度机に突っ伏した。


「せんぱーい……」


 重くなる瞼を擦り、熱くなった頭を冷ますようにおでこを机にくっつける。

 不意に溢れた言葉なんて誰の耳にも届くことはなく、スマホのバイブが鳴るわけでもない。


 冷たさを感じなくなった机からおでこを離した僕は、ペン回しをしていたシャーペンを持ち直し、円周率の下に先輩から送られてきた問題文を書き写す。


 こういう時は大体、なにもしないよりもなにかしていたほうが閃く、という相場が決まっている。

 だから書き写したのだけれど……。


「――あれ?」


 円周率を指でなぞり、12という数字を探していた。

 けど20桁の中に1と2が順番に並んだ箇所は見当たらなかった。


 ならば本当に月の前に入る数字は12なのか?なんてことを思ったのもつかの間、僕は頭をあげた。


「12って数字、あるじゃん」


 突然浮かび上がった閃きに、頭を抱えていた手で紙を押さえ、初めの3を含めた円周率を順番に数え始める。


 1つの数字が見つかれば、その数字を紙に書き写し、もう一度初めから数え直す。

 そうして出てきた数字を当てはめてみると、『12』は『8』になり、『2.6』は『1.9』になる。


 不審だった点は小数点ではなく、数字が10桁にならないようにするためのもの。

 僕が間違えて26番目の数字を見ないように、先輩が優しくしてくれたのだ。

 だから『日』の前に入る数字は『2.6』でもなく『1.9』でもなくて――


「19日だ!」


 解けた喜びからか、自然と目を見開く僕はサラサラと他の数字も埋めていく。


 すべての数字が埋め終わり、安堵のため息を吐く僕は時計を見る。

 いつの間にか短針は1の数字を指しており、緊張感が抜けたからか、軽かった瞼がドっと重くなる。


「先輩……。解けましたよ」


 液晶版に指をスライドさせることなく、言葉だけをかけてやった僕は胸を高鳴らせたままベッドへと潜り込む。

 そして電気を消せば、一瞬にして先輩が待っている夢の中へと身体を預けた。

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