三文乙六 厳寒 必ず男が堕落する

【ここまでの粗筋】

 天然系な主人公「駿河轟」は高校三年生。

 愛とツンデレの彼女「ベーデ」や強気の留学生エリーが去った後、通学電車で偶然出会ったのはベーデの従姉「閑香」。

 閑香とは「お友達から」関わり合うことになるが、彼女の押しの強さに防戦一方の駿河は、受験間近だというのに突然の「抱き着き」「間接キス」で振り回されっぱなし。

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「えーっと…、受験まであと半月程しか無いのに女子高生に現をぬかしている駿河君は此処かな?」

「先生、一高うちに駿河は僕一人です。」


 講堂脇、眺めが良いのに、わざわざ木立の茂みに入り込んだ芝生の上で、寝転がって青空を眺めているところに山名先生たんにんがやって来た。


「あ、鳥渡ちょっと…横、良いかな。」

「どうぞ。ダメですと言ったところで、独り言をされるでしょう?」

「アハ、そう言うな。」

「サブ・ネームで、もう大体の御用件は分かりました。」

先刻さっき、君の彼女のお父様のの三条さんから電話があってな。」

「ご丁寧な解説、畏れ入ります。先にお詫びします。申し訳ありません。」


「まあ、君が謝るような話でもないんだが、…彼、一高うちのOBでな。」

「…。」

「然も、僕の同級生なんだ。」

「…。」


「君を受験に専念させてやって呉れと。大事な時期に娘が邪魔をして申し訳なかったと。」

「いえ、調子に乗っていた僕が不可ないんです。」

「まあ、人の気持ちの問題に、どちらが不可ないも無い。まあ、此処は、後輩を思う三条さんの顔を立てて、一先ず受験に専念して呉れ。」

「はい、分かりました。」

「邪魔したね。」

「いえ。ご迷惑おかけしました。」

「いやいや…。」

「有り難う御座居ました。」


 先生は片手を上げながら戻りかけて立ち止まった。


「…あぁ。」

「まだ何か?」

「そういえば、駿河は何処を受けるんだったっけ?」

「京都の理・物です。」

「あ、そうだったそうだった。…うん、良いんじゃないかな。しっかりな。」

「はい。」


 *     *     *


 翌日も、閑香シィちゃんは普段の電車に乗って来なかった。

 が、次の駅でS女の制服を着て、お下げで眼鏡の、人の良さそうな娘が乗って来ると、僕の学生服の徽章を怪しいほどマジマジと眺めている。


「あ、あの…、失礼ですが駿河さんでいらっしゃいますか?」

「そうです。」

「私、S女学院で三条と同級の一條と申します。おはよう御座居ます。」

「(三条の次は一條ですか…)おはよう御座居ます。三条さんの件?」

「はい。」

「じゃ、そちらの乗換駅で降りるから、鳥渡待って下さい。」

「畏れ入ります。」


 風呂敷から菓子折りでも出してきそうな丁寧さの彼女に電車の中で用件を切り出されてもばつが悪いと思い、僕が一旦電車を降りた。


「すみません。はい。伺いましょう。」

「有り難う御座居ます。これを三条から預かって参りました。どうぞ、お受け取り下さい。」


 彼女は自分のラブレターでもないのに真っ赤になって両手で白い封筒を差し出した。


「一條さん。わざわざ有り難う。」

「いえ、通学途中ですので。」

「じゃあ、これで。」

「あの!」

「まだ、何か?」

「いえ、あの、受験頑張って下さい。」

「有り難う。」

「私たちは駿河さんと三条を全面的に応援してますので。」

「心強いな。皆さんにもよろしく。」

「はいっ。行ってらっしゃい。ごきげんよう。」

「一條さんもお気を付けて。」


 学校に着き、いつもの場所で、閑香シィちゃんからの手紙を開いた。


「駿河様 父が一高そちらの山名先生に電話を架けたと聞き、ご迷惑をお掛けしたのではないかと、心配しております。

 父の言う通り、私は楽しくとも、駿河様は大学受験という大きな試練が待っておられる身、それをおもんぱかることもせず自分の感情のみで動いておりましたことを恥じております。

 今は、私こそもう少しの辛抱と言い聞かせ、駿河様の合格を祈念しております。

 駿河様の辛さに比べれば私の我慢など取るに足らないものです。

 三月の第三週の月曜には、普段の電車で合格の朗報を耳に出来ますことを楽しみにしております。

 閑香 」


 嬉しい励ましの手紙ではあったけれど、受験という現実の前では、よほどの炎でない限り、冷や水を浴びせられた後に再び火をつけるのは大変なことだとも思った。

 彼女の待ちわびている《春》の日差しが訪れない限り、発火点を下げることなど到底無理なのだ。

 加えて、女子高生に有り勝な先行逃げきり型というか、自分だけ走って行って了っているというか、僕にとっていつから受験が其様そんなに苦労になっているのだろう、と思いつつ、彼女達が「高嶺の花」と言われつつも、なかなか彼氏が出来ない事情が理解できたような気がした。


 *     *     *


 そして三月第三週の月曜。普段いつもの電車に乗っていると、果たして彼女シィちゃんが乗って来た。


「おはよう御座居ます。」


 懐かしい所作しぐさで腰掛けた後、彼女は以前のように朝の挨拶をした。


「おはよう。」

「…如何でしたか?」

「ダメだった。」

「ええーーっ?!」


 彼女は車内の人が一斉に此方を見るくらいの大きな声を出して僕をみた後、鞄に突っ伏して了った。


「私の所為せいだ…。」

「違うって。」


 いくら言葉を掛けても、彼女はだだっ娘のように首を振り、顔を上げない。


「…降りよう。」


 乗り換え駅で降りてベンチに座らせた。彼女は泣いてこそいなかったけれど、真っ青な顔で僕を見た。


「君の所為せいじゃないから。」

「私、亜惟姉様に申し訳が立たない…。」

「だから、君の所為せいじゃないって。」

「どうしよう…。ごめんなさい、ごめんなさい…。駿河さんがお人好しで、優柔不断で、断り切れない性格なんてこと私知ってたのに。それなのに父に止められるまで…。」

「人の話を聞けって。」

「だって、駿河さんが普通にやっていて不合格な筈がない。私がひっかき回したりしたから。」

「違うって。よく聞きなさいってば。」


 彼女の手を押さえて握った。


「良いかい? 合格も不合格も他人の所為なんてことはないんだ。結果は全部自分の責任なんだ。君と出会わなかったとしたって僕は不合格だったかも知れないし、君と出会っても僕はきちんとやる可きことはやっていたんだから、起こる可くして起こった結果なんだ。君が責任を感じる必要なんてこれっぽっちもないんだ。」

「ごめんなさい…。」

「だから謝る必要なんかどこにもないんだって。」


「…では、私はどうしたら良いんですか?」

「気持ちを表し度いのなら正直に言うのが一番だ。但し、過去じゃなくて将来に向かって。」

「…合格して下さい。」


 彼女は、半分べそをかきながら言った。


「来年、きっと合格するから。」

「本当ですか?」

「約束する。」

「…指切り…。」


 朝の忙しい時間帯に、浪人決定の男と半の名門女子高生が指切り…。


(泣き度いのは此方こっちだよ)


 と思いつつも、彼女のあまりの純粋さに、もう不合格のことなど吹っ切れて了った。


「駿河さんは、第二志望とか、滑り止めとか、受験されてないんですか?」

「京大だけ。」


「…ほら…、矢っ張り自信がお有りだったから…。私の所為せいだ…。どうしよう、このことが知れたら、私、亜惟姉様に殺されるかも知れない。」

「もう話を其処に戻すのは止めなさいって。」

「来年に向けて、私はどうしたら良いですか?」

「とりあえず、というか間違いなく、僕は勉強をしなけりゃ不可ない。」


「それは…、『もう連絡してくるな』ということですか?」

「其様なことじゃない。僕がしなければならないことであって、君のことは君が決めれば良い。」

「関わって欲しくないのであれば、はっきりそう仰有って下さい。」

「だから、誰も其様なことは言ってない、って。」

「そうでしたね。駿河さんは判断出来ない方でしたね。」

「…。」

「分かりました。駿河さんが大学に合格するまで、私は関わりません。決めました。私の判断です。其の代わり、大学に合格したら、覚悟しておいて下さいよ。」

「何? 覚悟って。」

「それは其の時に心配して下さい。先ずは大学に合格なさってから。」

「ああ、分かった。」

「では、これで暫くのお別れです。さようなら。ごきげんよう。」

 シィちゃんは、自慢の髪の毛をふわりと靡かせて、くるりと振り返り、スタスタと、以前のように去って行った。


 *     *     *


 大学の合格発表が一通り終わったところで、応援部と運動部の有志が集まって午餐会を開いた。結局、進学先が決まらなかったのは男子ばかりで、女子は全員が第二志望までに収まり、これまた全員の進学先が決まっていた。


 最後に安埜先生曰く、

「男と女の学生が一緒に居れば、必ず男が堕落する。気の張り具合と、気持ちの切り替えが出来ていないからである。」

「先生は?」

「私は、男女七歳にして席を同じうせず、の世代であるから。」

「でも、有名ですよ。やかたの風紀委員から猛烈なアタックを受けていたって。」

「それは、かの学校の女生徒と我が校の男子生徒との不適切な交際を防止する目的であるから。」

「不適切な交際を防止する目的で、不適切な交際をさっていた訳ですか?」

「これっ! 何ということを言うか!」

「だって今の奥様じゃありませんか。」

「…それはと言えば、私は堕落して了ったから、こうして諸君の前に居る訳で。」

「あ、非道い言われ方ですね。堕落していなかったらどうされていたんですか?」

「特別飛行訓練生で、今頃は居ない。」

「いつだって,其処に逃げ込んじゃうんですから、先生は。」

「まあそれとは別に、意志を果たせなかった者は、捲土重来を期して、これから一年しっかり努めなければならない。人生は自分のものなのだから。」


 *     *     *


 僕は、それまで比較的飄々と、いつでも事の成り行きに身を任せ、大学に落ちた時も特に感慨をもっていなかったのだけれど、其の午餐会の日で見た女子陣の「未来のある」姿と、自分を含めた「未来の定まらない」姿を否応なしに並べて考えざるを得ないという状況にあって、漸く「道を切り拓くために、しっかりと歩む」という必要性を感じ始めていた。


 *     *     *


 恵まれているという実感で始まり、山谷はありながらもいろいろなものを得て過ごしてきた高校生活が、全てを失った「零」の状態で終わろうとしていた。


 第二巻 高等学校編「丘の上」了

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つい先週のこと 第二巻 高等学校編「丘の上」 雪森十三夜 @yukimoritoumiya

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