三文乙六 小春 (5)お姉様の言うことを聞いていらっしゃい!

【ここまでの粗筋】

 天然系な主人公「駿河轟」は高校三年生。

 愛とツンデレの彼女「ベーデ」や強気の留学生エリーが去った後、通学電車で偶然出会ったのはベーデの従姉「閑香」。

 閑香を知るべく「お友達から」関わり合うことになるが、これまでの女子相手では経験のないほどの彼女の押しの強さに防戦一方の駿河は、実は受験間近。。

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「クリスマスはどうなさるんですか?」

 彼女シィちゃんはボソリと呟くように言った。


「其の哀しい予想通りに予備校だよ。」

「はぁ…。」

「仕方ないでしょう?」

「仕方ないです…。」


 隣に座った儘、項垂うなだれた頭をさらにガクンと下げ、季節外れの幽霊のように髪の毛も身体もだらんとさせている。いわゆる《全身で落胆を表現している》というやつだ。


「シィちゃんは学校で何かないの?」

「何かって、何ですか?」

「女子校なんだから、華やかなパーティーとか。」

「其様なの、有ったとしても、夕方以降は個人の都合がありますから、みんな昼間の短時間開催ですわ。」

「ああそう…。」

「あぁあ…お誘いはいっぱいいっぱいあるのになぁ…。」


 今度は上体を起こして、伸びをしながら《退屈》を表現している。

 此の娘は全く猫のような表現方法を用いる。


「動揺させても予備校は予備校だよ。」

「誰かと遊びに行ってしまおうか知らぁ…。」

 まったく聴く耳を持たない。


「予備校だよ。」

誰方どなたが良いか知らぁ…。」


「そうだ、立ち食い蕎麦に連れてってあげる。一度入ってみいって言ってたでしょ。」

「駿河さんっ!」


 途端に、普段のように膝をピシリと叩かれた。


「…はい。」

「何が哀しくてクリスマス・イブに、二人で立ち食い蕎麦屋に入らなければ不可ないんですか?」


 彼女は《食う》という言葉に遠慮があって、固有名詞であっても、どうしても音が小さくなる。


「…済みません…。」

「もう少し、頭を廻せ使えないのですか? 受験生でいらっしゃるのでしょう!」


 何かを言う度に、膝をペシペシと白い指先で叩かれる。

 何度も言うが、これが人間の手かと思うほど、頗る痛い。まるで物差しで叩かれているようだ。

 何だろう、スナップの利き具合が良いのか、はたまた掌の鍛え方が凄いのか。何度も叩かれた日には、家に帰ってからも真っ赤になっていることがあるくらいだ。


「…ごめんなさい…。」

「何もレストランに連れて行けとか、銀座でウィンドウ・ショッピングさせろとか、お願いしているのではありません。ほんの一瞬でもイブらしいことの一つもなされないんですか?」

「…はい…。」

「はい、ではありません。駿河さんは、実直かも知れませんけれど、愚直でもありますね。ロマンチックの片鱗かけらもお持ちでいらっしゃらない!」


 その都度、叩かれ続けている右膝は、もうジンジンしている。申し訳ないが右膝にはもう少しだけ我慢してもらわなければならない。


「ん~、受験でもなければ、もう鳥渡ねぇ…。」

「〇か百かじゃありませんよ、人生。」

「…はい…。」

「もう良いです。私が考えます。イブの日は予備校の帰り、ご一緒してもよろしいですね?」

「…はい…。」


 *     *     *


此様こんな、外で待っていて、寒かったでしょう?」

「其の一言の代わりに、無言で抱き締めてくださるとか出来ませんこと?」

「ん~…ごめんなさい…。」


 ベーデとの待ち合わせで渋谷のハチ公前でなら、それもなんとか出来ない相談ではないが、予備校の前で、其処に居るだけで目立っているシィちゃんを、いきなり抱き締めるなんてことは、到底出来る相談ではない。


「人畜無害の極致ですね」

「シィちゃん、妄想し過ぎじゃないの?」

「女の子のロマンティシズムを理解出来ないやつなんか犬に食われてしまえ! ですよ。」

「誰の言葉?」

「私です。」

「あはは。」

「笑い事ではありません。私、此処で、ほんの十分間待っている間に、何人の男の人に声を掛けられたと思います?」

「へぇ、隙のないシィちゃんでも、声を掛けられるんだ?」

「それだけ玉砕覚悟の馬鹿者が多いということです。こういう処には。」

「はぁ…。」

「良いですか? 五人ですよ、五人! 銀座で待ち合わせしているよりも頻度が高いとはどういうことですか?」

「それはほら、飢えてるし、其処にきてS女の制服なんか見たら、空きっ腹の狼の群の中に生肉放り込んだようなもので…。」

「誰も分析して下さいなんてお願いしてません。少しは心配して下さい!」

「ああ、心配した。」

「行きますよ!」


 彼女は僕の腕をムンズと掴むと、駅に向かってズンズン歩き始めた。


「あのね…。」

「何ですか?」

「腕は放した方が良いと思うんだな」

「お厭ですか?」

「厭じゃないけど、流石に制服姿じゃ困るでしょ?」

「誰がですか?」

「シィちゃんがさ…。」

「私のことならばご心配なく!」

「はぁ…。」


 腕を組んでいるというより、何か彼女に悪いことでもして交番に連行されているかのような硬さの儘、電車にまで乗ってしまう…。


「怒ってるの?」

「いいえ…。」

「もう少し肩の力を抜いた方が良いよ。」

常時つねに臨戦態勢を余儀なくさせているのは何方どなたですか?」

「済みません…。」

「私だって折角のイブだというのに、憤慨しくはありません。」

「ほら、じゃあ、先ず、手を放して、普段通りに、ね。」


 彼女がギュッと力いっぱいに握っている手を、指一本ずつ放していった。


「逃げたりなんかしないから。」

「…こうでもしていないと、心配なんです!」


 彼女は、俯いて僕の胸をコツンと拳で殴った。


「はい、プレゼント。」

「え? 何事…?」

「イブだから、少しイブらしいことを。いつも優しく耐えている君に。」

「何か知ら? 全然予想してませんでした…。」

「開けてご覧。」


 包みを開いている間、彼女の学生鞄を持ってあげる。


「まぁ、綺麗!」


 漆塗りの少しだけ贅沢なシャープペンシルを眺めている。


普段いつも綺麗な手帳を使っているから、それに合ったものを、と思って。」

「有り難う御座居ます…ごめんなさい…機嫌の悪いところをお見せしてしまって…。」

「良いよ。常時いつも、シィちゃんは、シィちゃんらしくて。」

「お恥ずかしいです…。」


 シャープペンシルを鞄に仕舞い直してからシィちゃんは外の景色を見ていた。


鳥渡ちょっと下りましょう。」

「ん? 気分でも悪い?」

「良いですから。」


 彼女は扉が開くとさっさと降りて、またホームの端へと歩き始めた。会話をしているのかしていないのか、彼女は、自分が《こう》と決めたら、其の道を何としてでも進んで行って了う。


「もう寒いから、風邪ひくと不可ないから、ほら。」

「大丈夫です。心の炎が燃えてますから。」

「ん~、上手だけど、寒いものは寒いぞ…。」

「では、此処で。」


 立ち止まった。


「此方を向いて下さい。」

「なに?」

「目を瞑って下さい。」

「良いよぉ~、其様なの。」

「良いから、瞼をお閉じになって!」


 僕は目を瞑った。

 彼女の髪の香りが仄かに香った。

 と、同時に、彼女が常時いつも舐めているバラの香りのキャンデーの息がフッと僕の鼻先に吹き付けられた。


「ん?」


 目を開けると、目の前に彼女の顔があって、悪戯っ娘そのもので笑っている。


「キスして貰えると思ったでしょう?」

「え?」

「残念ですわね! そういうのは合格までお預けです!」

「構わないよ。それにスズランの香りを付けているような娘が、安売りしちゃ駄目だ。」


「あら、駿河さんて花言葉なんかご存知なんですね。」

「それくらいは。」

「亜惟姉様に仕込まれました?」

「いや、はは。」

「都合が悪くなると直ぐ、そうやって笑って誤魔化すんですから。…あっ!」

「え、何?」


 彼女は僕の口元を見て、驚いた表情を見せている。


鳥渡ちょっと口を開けて下さい、あーんて。」

「何だい?」

「今、虫歯がありましたわ。私、保健委員だから、分かるんです。ほら、大きくお開けになって?」

「ほんと? あ~。」

「もっと大きく!」

「あ~。」

「ほら、其処…。」


 彼女は首を傾げて顔を寄せた。


 其の瞬間、僕の舌の上に甘い香りが拡がった。


「ん?!」

「えへへ…間接キッス…。」


 彼女は悪戯そうに微笑むと歩き始めた。


「シィちゃん、此様なこと、何処で習ったの!」

「う~、寒い寒い」


 してやったりと許りに、得意そうに歩いている。


「恋せし乙女の成せる言動、是、緩急自在也!」

「誰の言葉?」

「私です。」

「シィちゃん、背伸びは良くないよ、背伸びは!」

「背伸びなんか、鳥渡もしてません!」

「まだ高校一年生なんだからさ…。」


 彼女は、くるりと振り向いて、キッと此方を見返した。


「あ、…ごめんなさい…。」

「偉そうに其様そんなことを仰有っているご自身こそ、乙女心の全く分からないお子さまのくせに! お子さまへのプレゼントなんか舐めかけの飴玉一個で充分です! お厭なら返して下さい!」

「厭だ…。」

「ほら、そうやって口ばかりは達者で、一度貰ったものは絶対返さないところなんか、お子さまそのものですわ。お子さまならお子さまらしく、お姉さまの言うことを聞いていらっしゃいましな!」

「…はい…。」


 彼女は漸く機嫌を直したように、電車の中では落ち着いた微笑みを湛えていた。


「では、良いお歳をお迎え下さい。また、再来週に。ごきげんよう。」


 丁寧にお辞儀をして彼女は先に降りて行った。


 *     *     *


 年が明けても、彼女はもう普段の電車に乗っては来なかった。

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