三文乙六 小春 (4)ビンタされなくて良かったですね

【ここまでの粗筋】

 天然系な主人公「駿河轟」は高校三年生。

 愛とツンデレの彼女「ベーデ」や強気の留学生エリーが去った後、通学電車で偶然出会ったベーデの従姉「閑香」。

 ベーデやエリーを気にしながらも、駿河は閑香を知るべく「お友達から」関わり合うことになる。

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 週末、下校かえりが久しぶりに一緒になった。


「どうですか? 少しは成績が上がりましたか?」

其様そんな、四日や五日で…。」


 親戚というのは考え方も似るのだろうか、以前にベーデにも同じようなことを訊ねられた憶えがある。


「四日や五日で向上しない成績が一か月で向上するものなんですか?」

「こういうものは、ある日突然、発揮されるものなんだってば。」


 彼女シィちゃんがベーデと違うのは反論したり、手をあげたりしないところだ。頬をぷーっと少し脹らませた儘僕らの姿が映っている対面の車窓を眺めている。至って可愛らしい。


「駿河さんにも、餌が必要ですか?」

「え、何?」

「餌がないと、頑張れませんか?」

「君が居て呉れることが充分張り合いになってるよ。」

「また、そんな口先だけの観念的なことを仰有って。」


 此処はベーデと違って、言葉では誤魔化されないぞ、という姿勢がはっきりしている。


「本当だってば。」

鳥渡ちょっと、降りて下さい。」

「何だい、急に。」

「良いですから、お降りになって…。」


 まだ途中の駅だというのに、彼女は僕の腕を掴んで降りて了った。

 外はもう真っ暗で、ホームも電灯の光の届かない処は闇に近かった。


「寒いし、風邪をひくよ!」


 吹きつける北風にちらちらと光るものが混じり始めた。

 息が詰まりそうになりながら呼び掛けても、彼女はずんずん先を歩いて行って了う。

 追いかけてホームの端まで来ると、今度はくるりと此方を向いた。


「寒くて手が凍えるから、これを持っていて下さい!」


 彼女は、両手で掴んだ自分の学生鞄を、僕に向かって突き出した。


「ほら、みろ。風邪をひくと不可な…。」


 北風に目を細めて正面を向き、自分の鞄と彼女の鞄を両手に提げた儘、言葉に詰まって了った。


 彼女の温もりが全身に満ちていった。


「私が先に駿河さんを温めてさしあげます…、…だから、私のために早く、春を呼んできて下さい…。」


 目の前には彼女の髪の毛があった。


「…。」

「今はこうして両手が塞がっていても…、春には…、必ず約束通り、私を抱き締めて下さい…。約束です。」

「うん…。」


 胸に頬を寄せている彼女が常時いつも身につけている花香は、『高潔』と『幸福の再来』の象徴、すずらんだった。


 *     *     *


 翌朝、彼女は、出会った最初の頃のように、無言で隣に座った。


「おはよう。」

「…おはよう御座居ます…」


 何処となく静かな様子でも、僕は敢えて何も聞かずにドイツ語の対訳本を読んでいた。


「届いてますか?」

「ん?」

「私の気持ちは、届いてますか?」

「ん。」

「じゃあ、お勉強、続けて下さい。」

「…。」

 対訳本に目を戻すと、左肩が少し重くなった。


「これは私のために…。」


 すずらんの香りが身近に感じられて、昨日のことが思い出された。


「起きて!」


 まさか本当に眠り込んで了うとは思いも寄らなかったので、乗り換え駅で彼女を揺り起こす羽目になった。

 彼女は慌ただしく「行って参ります、ごきげんよう」と言い残して駆けて行った。


 *     *     *


 下校の電車は、朝よりも空いていて、少しだけゆっくり話も出来る。


「今日は降りないよ。」

「ええ、構いません。当然ですわ。」

「僕より君が風邪をひいたら大変だ。」


 昨日来、彼女は幾分機嫌を直した風情で落ち着いていた。

 彼女は機嫌が良いとちょいちょい座り直すようなことをせずにきっちり前を向いて座っている。


「駿河さんて、変な方ですわね。」

「何が?」

「大抵の殿方は、私が素振りを見せただけで絶対に他所見よそみなんかしないで、私を繋ぎ留めようと必死になります。」

「それぁ凄い自信だね。」

「自信なんかではありません。経験です。」

「そう。それならそれも大したもんだ。」


 まだ高校一年生の娘が言うことだとしても、それは多分、本当の話だと思う。

 彼女は自分を指して《世間知らずで生意気な娘》というが、どうだろう。

 混んだ電車の中でさえ、恋の追求を遠慮無くしてみたり、時には堂々と僕の肩を借りて眠って了ったりする。


 罰せられることや、公の目を恐れていないのではなく、きっとそうした《周囲からの束縛》というものに飽き飽きしているのだ、と感じられた。だから、無理に《いけないこと》をしてみたがったりする。

 其の様子は、確かに《世間知らずな娘》が社会の恐さも考えずに《生意気》なことをしている風に見えるに違いない。また、周囲からそうも言われるのだろう。

 そういう彼女は、ある意味コケティッシュだ。どこまで本気だか知らないが、きっと、其の言の通り、これまでにも男性に思わせぶりな態度をとってきたのに違いない。


「だのに駿河さんと言えば、『繋ぎ留めておき度いと思ってるのは君の方だ』と、平気で言って除けていらっしゃる。」

「ああ、言ったね。ホットケーキを取られたときに。」

「ご馳走様でした。私、あの時、思いましたのよ。今迄なら、殿方は素振りさえ見せていれば他所見よそみの心配なんか無いと思っていたのに、此の人は何をしても何処かに行って了うんではないかと。もしかしたら、私なんかには全然興味が無いのか知らって。」


 女性が自分で心情を吐露するときは、策略を巡らせているか、弱気を武器にしようとしているかの何れかだ。

 これまでの二年間で、女性心理を《冷静》かつ《客観的》に分析する(否応なくに瞬時に把握する)ことだけは長けていた。


「これまた短い時間で色々考えるんだね。僕は其様そんなに深く考えてはいないよ。」

「其処です。考えていない人の行動ほど怖いものはありませんわ。全くもって何をするか分かりやしないんですから。予測も付かないこと。」

「成る程ね。ああ、なんか昔話に其様なのがあったな。」

「《さとり》の話でしょう? 茶化さないでください。良いですの? ですから、私は初めて賭けに出ました。これでも返事がはっきり出来ないような男なら、頬の一つでもひっ叩いて線路にでも放り出してやろうって。」


「おお…。」

「ビンタされなくて良かったですね。」

「ぎりぎりのところで助かったのか?」

「駿河さんも矢っ張り、赤い血が流れている同じ人間だってことですよ。」

「女の子は深読みし過ぎだよ、男はもっと馬鹿で単純だ。」


 本心を晒け出して相手を追い詰めようとしたところが、呆気あっけなくひっくり返されて了ったので、少し不機嫌になり始めている。

 彼女がまた、静かに頭の中で思いを巡らしているのが手に取るように分かる。


「…だからこそ…深読みして外堀を埋めていかなければ、何処に行って了うか分からないではありませんか。」

「成る程、それも一理だ。」


 此処まで心情を吐露して了うと、後は男性に感情で訴えかけるだけだ。


「昨日は、駿河さんの鼓動を聴かせて戴きました。」

「よせやい、其様な言い方。照れくさいな。」

「それで私は落ち着きました。今朝、肩を貸して戴いて、もっと落ち着きました。」

「それは良かったね。」


「駿河さんは、昨日の温もりで充分ですか?」

「今朝の肩の実感もあって、更に充分です。」

「良かった。次々と先を求めるひとばかりかと思ってました。」

「シィちゃん、気を付けないと駄目だよ。恋のお遊びも程々にしないと。」

「大丈夫です。今は本気ですから。」

「ん~…。」

「私の鼓動もお聴きになりますか?」

「?!」

「冗談ですよ。真っ赤になっていらっしゃる。」

「からかうもんじゃないよ。」

「本当に変な御方。」


 *     *     *


 受験間近になってから転がり込んだというか、神の悪戯のような彼女との出会いは、確かに僕の心の隙間を埋めていた。

 それは丁度何もかもがベーデと久我ゾンネさんの中間のような存在だった。

 長い髪と言葉の切り口はベーデに、日本人としては稍はっきりとした顔のパーツと背の高さ、スタイルの良さは久我ゾンネさんに思いを馳せる部分があった。


「シィちゃんはモデルになるとか、考えたことないの?」

「背の高さですか?」

「立派な体格。」

「立派な体格はモデルに向きませんよ。そこそこ痩せていなくては。」

「ふーん。」


 言われてみれば、彼女は確かに《健康的》そのものだ。


「じゃあ、今をときめくアイドルとか。」

「私をデヴューさせ度いのですか?」

「此様な電車の中で燻っているのは、勿体ないなって。」

「何処を見て仰有ってるんですか?」

「否、何処も…。」


 僕は確かに何処を見てもいなかったけれど、彼女の追求にシドロモドロになっていた。


「触ってごらんになります?」

「はぁ?」


 一体何を言い出すのやらと吃驚びっくりする。


「髪。」

「あぁ。」

「何のことだとお思いになって?」

「否、何かと思って。」


 彼女はくすりと笑うと身体を《く》の字に曲げて、艶めかしく長い髪の先を束ね、「さぁ」という風に差し出した。


「…。」

 恐々おそるおそる、そっと手を出してみる。


「ガゥ!」

「うわぁ!」


 こちらが怖じ気づいているのを見透かしたように、彼女は持っていた髪の毛で噛みつく所作しぐさをしてきた。


「…可笑しい…。噛みつきなんかしませんのに…。」

「急にされたら驚くだろう!」

「だって…ただの髪ですのに、其様なにおっかなびっくり。」


 小馬鹿にされた勢いも手伝って、一気に彼女の髪に触れてみる。

 プールの季節でもあるまいに、しっとりと塗れたようで、それでいてサラサラと一本一本が独立している。


「どうか知ら? 牙でもありまして?」

「馬鹿にするなよ。」


 くっくっくとまだ笑っている彼女を横に、僕は手を離して前を向き直った。


「ご自身で可笑しいとは思われませんか?」


 彼女は鞄を僕に押しつけると、両手で長い髪をかきあげ、器用にヘアピンを止めながら言った。


「女の子っていうのは、自分が身繕いする場面ところを見せるものじゃないんだろ?」

「亜惟姉様が仰有いました? 確かにそうですね。でも、今は鳥渡ちょっと不可いけないことをしてみ度い気分なんです。それより、質問したのは私の方ですわ?」


「何だっけ?」

「繋ぎ留めておき度いのは君だろ、と言ったり、アイドルにならないのか、と言ったり。ご自身のお口が可笑しいと思われませんか?」

「どうしてさ?」

「身の内から湧き起こる独占欲というものが欠けておられるのですか? 駿河さんには。」


 髪をまとめ終わると、彼女は鞄を受け取った。


「そりゃあ目の前で奪われたり、居なくなって了ったら哀しむなぁ。」

「だからですよ。」

「ん?」

「だから、みんな居なくなっちゃうんです。」

「…。」


 また一気に核心を突かれてギクリとした。


「何を今更吃驚びっくりなさってるんですか。失礼ですが、本当に鈍感というか間が抜けていらっしゃるというか。」

「否、其の通りだよ。」


「でも、だからといって無闇に繋ぎ留めようとしない方が良いですよ。」

「君こそ何か言ってることがおかしくないか?」

「いいえ、私は駿河さんのおかしさを指摘しただけで、私がどうして欲しいとは言っていません。駿河さんには駿河さんの遣り方がお有りですから、それを作為的に変えない方が駿河さんらしいと言っただけです。」


「ふーん。先刻、不可ないことをし度い気分って言ってたけど、あれは何?」

「私にだって、たまには不可ないといわれることをしてドキドキし度い時もあるってことです。」

「え?」


「もう! 小さい子どもでもないのですから。何でもあれこれ尋ねるお歳ではないでしょう? 少しは自分でお考えなさいまし。」


 普段のように膝をピシャリと叩かれて了った。


「狡いなぁ。」

「狡いのは駿河さんです。全然手の内を見せないのは私の比ではないですよ。」

「へ? 僕は何も隠し事とかしてないぞ。」

「それ自体が隠し事なんですわ。全く分かっていらっしゃらない。」


 そう言うなり、彼女はぷいと窓の外を向いて了った。


 *     *     *


 言うまでもなく、シィちゃんは其の容姿から久我さんに勝るとも劣らぬ注目を浴びていた。

 何処に居ても日に一度は後ろから来て前を覗き込む失礼な奴が居た。

 ベーデと久我ゾンネさんは正面からのインパクトの強さだろう、エリーはバリバリの外国人ということだろう、前から来た人にマジマジと凝視されたことは何度もあった。

 しかし、後ろからわざわざやって来て前を覗き込まれたのは始めてだった。

 僕が覗き込まれた訳ではないのだけれど、ついでに僕の顔まで見られることも多かった。


「あれって、気にならないの?」

「《回り込み》ですか?」

「そう。」

「もう慣れました。」

「ふーん。」

「半分くらいは駿河さんも確認されてるんですよ?」


 相変わらず、淡々と前を向いた儘語っている。


「なんで?」

「あの娘と一緒に居る男は何様どんな奴だって。」

「ほほう。」

「気になりませんか? 確認されて。」

鳥渡ちょっと得意。」

「驚いたぁ! そういう感情…、駿河さんでもお持ちだったんですか?」


 彼女は目を丸くして、言葉だけではなく、心の奥底から本当に驚いたのが分かるほどゆっくり口にした。


「そ、そりゃ、鳥渡は…。」

「じゃあ、私が美人だって認識してます?」

「一応…。」

「それに加えて、ご自身の其の四半世紀くらいズレた恰好と一緒だと、私まで仮装だと思われかねないほどのギャップだということも?」

「ごめん、鳥渡文章が長かった。」

「360度周り回って、冗談なほど不吊り合いな外見だってことです。」

「成る程ね。」


 確かに、幣衣破帽に足駄履きの学生と、S女の制服、然も濡れ羽の黒髪に美人となれば何処か仮装めいているほどのセットだ。


「成る程ね、…ではないですよ。」

「破れ鍋に閉じ…アイタタ。」

「全然、例になってないです! 月とスッポン、提灯に釣鐘でしょう?」

「例は分かるけど、其の語源って何だと思う?」

「知りません! 受験生なのですからご自身でお確かめになればよろしいのに。」

「ふん…。」


「あゝ私は何故なぜ此処ここに居るんでしょう?」

「君が僕と一緒に帰り度いから。 アイタタ。」

「今、仰有ったことを十八歳以上の第三者、百人に聞いて戴きましょうか? 駿河さん懲役五年くらいは確実ですよ!」

「じゃあ先に帰れば良いじゃないか。…!!」


 二の腕を本気で嫌というほど抓られた。

 今まで、生まれて此の方、此の娘に抓られるほど痛かったことはない。

 手の中にペンチでも仕込んでいるのかというくらい、強い指の力で捻られる。


「…明日、先生に言い付けてやりますから。」

「どうなるのさ?」


 腕をさすりながら訊ね返す。


S女うちの学院長から一高そちらの校長先生にご相談が入って私は停学、駿河さんは良くて停学でしょうね。」

「なんでまた?」

「私の言い方次第ですよ。」

「狡いなぁ。」

普段いつも、先に狡いことを為さるのは、駿河さんの方ですもの。私なんかまだまだですわ。」

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