三文乙六 小春 (3)抱き締めてあげようか?
【ここまでの粗筋】
天然系な主人公「駿河轟」は高校三年生。
愛とツンデレの彼女「ベーデ」や強気の留学生エリーが次々と去る中、漸く寂しさから立ち直った駿河。
そんな中、通学電車で偶然出会ったベーデの従姉「閑香」。
ベーデやエリーとの関係を気にしながらも、駿河は閑香を知るべく「お友達から」関わり合うことになる。
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「明日も模試でいらっしゃるんですか?」
「そうだね。」
「何時頃に終わられるんでしょう?」
「三時頃かな。」
時折窓から直接差し込んでくるようになった陽の光に目をしょぼつかせながら、二人して縁側で日向ぼっこでもしているような会話が続くのが
「午前も、午後もなんですか。」
「それだけ科目数もあるし、一科目の試験時間も長いからね。」
「大学入試って大変なんですね。」
「シィちゃんは、其の
「両親は、出来れば外の大学を受けなさい、と言いますけれど、兄や駿河さんを見ていると、
「何? 楽して過ごし度いのかい?」
「しなくてもよい苦労をする必要はありませんもの。」
「若いうちの苦労は買ってでもせよ、って言うだろう?」
「何かしらの努力はしようと思いますけれど、実りもないような単なる苦労は厭です。」
「はっきりしてるっていうか…。」
「そういうのは駄目ですか?」
彼女は、自分の考えが否定される気配を感じると、暢気な様子を一変させ、膝を此方に向けて座り直す。
「努力を完全否定していないところで、辛うじて救われてるけどさ。」
「模試が終わる頃、
「何でまた?」
相変わらず、
「『何でまた』は駿河さんですよ。私のことを知り度いと仰有ったのに、毎朝と、偶の夕方の電車しかご一緒くださらない。其の夕方だって、最近では殆どお逢いしてない。」
「済みません…。」
「明日、待って居ても良いですね?」
「うん。」
畳み掛けるように理屈を並べた上に、白いしなやかな手で膝頭をピシャリと叩かれては、そう返事をせざるを得ない。
* * *
模試が終わって外に出ると、言葉通り、会場の出口に彼女が立っている。
此方を見つける素振りはなく、通り過ぎる人の流れとは垂直に、真っ直ぐ前を見つめている。
伏し目がちや、人恋しそうなそれでもなく、定まった相手に対して《私は此処に居る》という最低限の指標を判然と表していた。
其処には自分から相手を捜すことなど微塵も考えていないという、女性としての潔いほどの受け身の姿勢が感じられた。
「寒かったでしょう。此様な所で待っていて。」
「ええ、寒かったです。でも充実感がありましたし。」
当時は、男女手をつないで模試に行くような時代でもない。帰りに待ち合わせて帰るというだけでも白眼視されるくらいの《あゝ受験生》的な頃だったのに、彼女ほどの目立つ存在が待っているのは、駅に向かう人の流れの中を歩いている最中でさえも何やら居心地が悪かった。
「あまり、自分だけで煮詰まらない方が良いよ。」
「スタンドプレイにならないように、ちゃんと駿河さんもフォローして下さい。」
「ん~。」
「受験ですものね。難しいですよね。分かりました。」
「少しだけ、お茶でも飲んで行こうか。」
「はい。」
一緒に居られることを素直に喜んでいる彼女は実に可愛らしかった。彼女とて、矢張り、まだ高校一年生なのだと実感する瞬間だった。
「本当を言えば、もっと色々とお出掛けし度いです。」
「そうだね。」
「でも、我慢しています。」
「申し訳ないと思ってる。」
「大丈夫です。あと少しの辛抱ですから。」
「そうなると良いんだけれど。」
「なるかどうかは、駿河さんの努力です。私をもっともっとお知りに成り度いのなら、どうぞ頑張って下さい。」
彼女は、小さく切ったホットケーキをぱくつきながら、淡々と語っている。ベーデといい、シィちゃんといい、実によくホットケーキを食べる。
何でもない女の子に、毎日のようにこう説教されたら、如何に年下の女の子とはいえ、腹が立つものだけれど、彼女には、そうならない不思議な魅力があった。
天真爛漫というか、天性の明るさというか、無垢で憎めない様子は、凡そ他の女の子には無い、彼女特有のものだった。そして其の日は、鳥渡違った攻撃方法を仕掛けてきた。
「私、これでもお手紙をよく貰うんですよ。亜惟姉様ほどではないでしょうけれど。」
「学校で?」
「学校で貰ったら同性愛ではないですか。まあ、そういうのも少しは…有ります。」
「男女を問わず、人気なんだね。」
「他人事みたいに仰有るんですね。其様な言い方が出来るってことは、駿河さん、余程自信がお有りなんですの? それとも、私なんかどうでも良いのか知ら?」
「だって、白紙の状態だから。」
「私が他の人の方を向いてしまっても宜しくて?」
「ん~、それは…。」
これが彼女の一番の武器であり、僕の一番の弱みだった。
つまり、彼女は客観的に見ても、主観的に見ても、いわゆる自他共に認める《相当の美人》であり、一般的な教養と振る舞いを兼ね備えた人だった。
言動が少しくらい独特であることを差し引いたとしても、僕の人生においては、おそらく現時点で最高最上の相手であることには間違いなかった。
其の相手に逃げられて了うのは、正直非常に辛い。
「捕まえるだけ捕まえておいて、後でゆっくりなんて、蜘蛛でもあるまいし、自分勝手ですわ。」
「ごめんなさい…。」
「謝って欲しいのではなくて、はっきりして戴き度いのです。」
「他の人に獲られて了うのは厭だな。」
「では、駿河さんもそれなりに私の気持ちを育てて下さいませね。」
「ふん…。」
「今、ご準備で大変なのは分かります。でも、短い時間なりに出来ることもあるのではなくて?」
「ほら、今は君を見ているときだから。」
「それが生殺しだって
「あぁ…。」
「まったく、どう
「どうし度いんだろう?」
「…知りませんわ!」
「良かったら食べる?」
「食べます!」
自分のお腹にはもう収まりきれないホットケーキを一枚彼女に差し出そうとすると、彼女は慌てて両手を広げた。
「不可ません!」
「え?」
「駿河さんのお皿から戴く訳には参りません。」
これと似たことはベーデにも言われていた。
―洋食の席で料理の取り分けをするのは駄目よ。―
―知らない仲じゃない人間なら勿体ないじゃないか。―
―まあ、喫茶店やコース料理をいただいている時でもなければ、構わないけれど…―
ホットケーキ一つを食べるのにも、ナイフとフォークの使い方が美しいシィちゃんのことだ。ベーデ以上にマナーにうるさい(というか融通が利かない)のはすぐにわかった。
「喫茶店で料理を動かしても笑われたりしないよ。」
「本当ですの?」
「本当だってば。」
其の儘皿を寄せて、彼女にホットケーキを譲った。
彼女は黙って其の動作を見つめ、今度は素直に受け取ると、ナイフとフォークで小さく切り分け始めた。ホットケーキを一枚差し出すと、彼女は素直に受け取って、ナイフとフォークで小さく切り分け始めた。
「ふなひほめへおひはいんはっはら…」
「食べるか喋るかどっちかにした方が良いよ。そっちの方が余程お行儀も悪いだろう。」
「私も時間短縮に協力しているのですわ。」
「それはどうも…。」
「繋ぎ留めておき度いのなら、釣り上げないまでも、目の前に餌はぶら下げ続けないと駄目ですよ。」
「成る程。」
「『成る程』ではありません。どうして私が此処まで言わなきゃいへなひんへふは…。」
ホットケーキを頬張りながら、一人で憤慨している。
「餌は何が良い?」
「そうですね…大袈裟なものではなくても…何か心にときめくもの。」
「…抱き締めてあげようか?」
「…!」
忙しなくホットケーキを食していた動きが、ぴたりと止まった。
「其様なんじゃ、心ときめかないか。」
「…いきなり…、然も、此様な処で何てこと仰有るんですか?」
「合格したら、だよ。」
彼女は視線の先を再び皿に落として、手を動かし始めた。
「…そうですね、其のときは、それくらい為さって下さい。」
「…実はさ、僕が君を繋ぎ留めておき度いんじゃなくて、君が僕を繋ぎ留めておき度いんじゃないの?」
黙々とホットケーキを切り分けていた彼女の手が再び止まった。
顔を真っ赤にして此方を見ている。
「あ…、いや…ごめんなさい。」
「本当に狡い御方…。駿河さんは。もう知りません!」
そう言うと、また黙々とホットケーキを切り分けては口に運び始めた。
* * *
「
翌朝の電車で、彼女は開口一番に訊ねてきた。
「ん~、五割くらい。」
「それでは全然駄目ではないですか!」
「ほら、まだ一次試験まで一か月くらいあるし。」
「一か月で五割も上がるものですか!」
「五割も上げなくても、あと三割くらい上がれば良いんだけど…。」
「いいえ駄目です。しっかりなさって下さい!」
「はぁ…。」
またもや膝頭をピシャリと叩かれた。
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