第二章 獣の妖(2)


 都内にある私立白樺大学に着いたのは、丁度昼頃だった。キャンパス内は広々としており、また新学期ということもあってかサークル勧誘で賑わっていた。稀雨と歩いているとそれはもう、ありとあらゆる方面から視線が集中した。それは仕方ないだろう。この美貌だ。だが二人とも流石に新入生には見られていないようで、サークル勧誘のビラを貰うこともなく、ただただその賑わいを横目に歩いていた。

「さて……早速被害者の友人たちに会いに行きましょうか。既に藤倉さんから連絡はいっているようなので」

 そう言う稀雨が立ち止まり、きょろきょろとキャンパス内を眺める。物珍しいというより何かを探しているようだった。

「どこか探しているんですか?」

「ああ、その被害者の友人たちがいる、総合棟に併設しているカフェに行きたいのですが……」

 稀雨の黄金ではない、黒い瞳が困ったように彷徨う。

「どこか分からなくてですね」

「あー……成る程。そうですね……でも、あれじゃないですか?」

 文也が指差せば、稀雨がそちらを見る。キャンパスの中でも一際大きく、新しい棟の一階はガラス張りになっている。雰囲気的にカフェのようにも見える。それを見た稀雨が「確かにあれかもしれませんね」と言うと颯爽と歩き出した。慌てて文也はその後を追う。案外、足が速い。

 総合棟の前に来ると、早速稀雨と共に文也はカフェテリアの中に足を踏み入れた。広く綺麗なカフェテリア内には昼時とあってか人が多く、果たしてここからどうやって被害者の友人を見付けるのだろうと文也は疑問に思う。だがその疑問もすぐに解消された。

 あたりを眺めていた稀雨が一点で視線を留めたかと思えば、そちらに向かって迷いなく歩き出す。その後をついていくと、テーブル卓に座った女性たちが稀雨を見て、ぽかんとした表情を浮かべていた。それはそうだろう。稀雨を初めて見た人間なら、きっと皆そんな反応をとってしまうに違いない。

 片方の女性が頬を桜色に染めながら、あの、と声をかけてくる。稀雨は柔らかく微笑むと「滝沢朱美さんと、咲間美雪さんですね」と言って空いている席に腰掛ける。文也も残りの椅子に腰掛けると、頬を染めた黒髪の女性が「はい」と頷く。

「えっと、藤倉さんから聞きました。あたしが滝沢朱美です。それでこっちが、友達の美雪です」

 そう言った滝沢の視線が、隣に座っていた茶髪の女性へと移る。どちらも愛らしい顔立ちをしているが、美雪と呼ばれた方はその名の通り雪のように白かった。

「咲間美雪です。お役に立てるかどうかは分からないんですが……」

 そう言う咲間は控えめな性格なのか。少し落ち着かない様子で名乗る。さらりと堕ちた茶色の髪を片耳にかけた咲間は、ちら、と稀雨と文也とを見る。

「あの、それで今日はどういった……」

「藤倉から大体のことは聞いているかと思いますが、現在も意識が戻っていない笹倉さんと竹田さんについてお話を聞かせてくれませんか? 申し遅れました。私の名は九十九稀雨、彼は助手の十野文也君です」

 笹倉愛理、竹田三枝。その二人の名前を出すと、滝沢と咲間の顔が曇る。それはそうだろう。身近な友人が立て続けに不可思議な死に至ったのだ。

「話と言われても……同じ学部で同じ専攻で、その中でいつの間にか仲良くなったのが二人だったので……」

 困り顔の滝沢に対し、文也が問う。

「えっと、確認をしたいんですが亡くなったお二人の共通点とか、何かありましたか?」

「共通点……同じゼミにいることくらいでしょうか。サークルは別ですし」

 滝沢の答えに対し、稀雨が口を開く。

「お二人とも、オカルト的なものを好む傾向はありましたか? 幽霊や心霊スポット、そのほか都市伝説といった怪談話など」

「三枝は好きでしたが、愛理はどちらかといえば苦手でした。でも、それが何か関係あるんでしょうか?」

 不思議そうに首を傾げる美雪に、稀雨は答える。

「関係はあります。そうですね……例えば、君達四人で最近、怪談話や幽霊話をしたり、耳にしたことはありますか?」

「そんなこと──」

 言いかけた滝沢の口がそこで、はたと止まる。何かと思えば滝沢は咲間と視線を合わせて、まさか、と唇を震わせた。稀雨はその反応を見て「教えて頂けませんか?」と柔らかい声音で促す。滝沢は「関係あるか分からないんですが」と前置きしてから口を開いた。

「民俗学の講義で、妖怪の話は聞きました」

 ぴくりと微かに稀雨の形の良い眉毛が動く。

「妖怪、と言いますと一体どんな妖怪でしょうか?」

「ええっと……確か、送り犬、という妖怪だったような……。妖怪というものが一体どのようなものなのか、民俗学的視点からアプローチする授業で、人気なんです」

 咲間の説明に、稀雨が顎に手をやり「送り犬」と小さく呟く。だが文也は妖怪博士でも何でもないので、一体送り犬というものがどんな妖怪か分からない。女性を送り届ける途中で豹変して、女性を襲う男性──所謂「送り狼」なら分かるが、これとそれとでは違うのだろう。なにせ送り犬は「妖怪」だ。

「その講義を受けている生徒の方はどれくらいいらっしゃるんでしょうか?」

 稀雨の問いに対し、滝沢が答える。

「大講義室一杯に入るくらいなので、百人以上はいるんじゃないかと……」

「そうですか……人気なのですね」

 そう稀雨が何処か落胆を滲ませた言葉を漏らす。相反して滝沢は「そうなんですよ」とどこか嬉しそうに答えた。

「なにせ授業も分かりやすくて、優しくて、格好いい先生なんです」

「おや、若い先生なんですか?」

「はい。まだ三十七歳なんですけど、もう教授なんですよ。女子生徒達の憧れなんですけど、紳士というか、生徒に手を出しているような噂もなくって」

「朱美は森本先生のこと、好きだよね」

 小さく笑う咲間に対し、滝沢は「そりゃあそうよ」と息巻く。

「あんな素敵な人、そうそういないわよ。他の男子が霞んじゃうくらい」

「なるほど……」

 そこで稀雨が少し考えたあと、あの、と口を開く。

「その講義って次はいつやっていますか?」

「え? ああ、丁度今日これからやりますよ。見に行きます?」

「ちょっと朱美。この人達は大学の生徒じゃ……」

 乗り気な滝沢に対し、咲間は控えめに押し止めようとする。だが、滝沢にとっては自慢したい先生なのだろう。いいじゃない、と少し悪戯っぽい笑みを浮かべると言った。

「先生の講義、人多いし、二人くらい増えたって絶対にバレないって。もしバレても森本先生なら大丈夫。何だかんだ言って見逃してくれるよ」

「それはそれは、有り難い事ですね。ねえ、文也君」

「あ、はい。そうですね……」

 確かに文也が大学にいた頃も、大講義室などで行われる講義は生徒が一人や二人増えたところで誰も気にしなかった。逆に減っていても誰も気にしなかった。だから滝沢が言っていることは納得できるのだが、正直、自分は大丈夫だとしても稀雨は大丈夫なのだろうかと少し心配になる。なにせこの容姿だ。目立たない訳がない。

 だが、そんな自分の容貌の美しさを自覚しているのかいないのか、稀雨は「それでは私達も講義に参加させて頂きましょう」などと言う。そう言われてしまっては、稀雨の助手でしかない文也に断る力などなかった。



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異説怪奇奇譚およずれ 一時匣 @hitotoki

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