檜山めぐみ


 啓。

 啓が欲しい。

 啓じゃなきゃ、嫌だ。


 それ、なのに。

 私が。

 私、は。


*


 あの女の娘である私は、

 人を無駄に惹きつけてしまう容姿に生まれ付いた。

 何一つ手を加えずとも、髪を下してすらも。

 

 オトコ、オンナ、オヤジにジジイ。

 欲望、崇拝、敵意、嫉妬、怨恨。

 生まれ付いた時から、あらゆる感情をぶつけられてきた。

 逃げ回っても、説得しても、抵抗しても、全て曲解され続けた。


 頼まなくてもヤラせる女だとの噂を女子に人気の教師が聞きつけ、

 私の味方を装って近づいてきながら、

 社会科資料室で私を手籠めにしようとした時、

 私の中で、ずっと守って来たつもりの何かが壊れた。


 どれほど意を尽くしたつもりでも、必ず、曲がって理解される。

 人間は、言葉は、通じないものだと。

 

 人と人との間にいるのが人間だというなら、

 私は、人間では、ない。

 

 毎日、顔にナイフを突きつけて、滅茶苦茶にする夢を見た。

 高層階の屋上から飛び降り、顔面を破裂させて死ぬ。

 ノートに落書きをしながら、私は、決行の日が来るのを願っていた。

 

 私の心の中だけで、D-Dayを選んでいた時。

 その声は、私の心に、すっと降りてきた。


「どうもありがとう。

 助かったよ。」


 ただ、それだけ。

 

 中3の1月。

 時期外れの転校生に、

 私が校舎を案内したことに対するお礼、なだけ。

 

 その声が。

 その表情が。

 

 私の容姿ではなく、私のに対する純粋な感謝を、

 私は、生まれてから聞いたことはなかった。


 その時は、まだ、

 ほんのちょっとした違和感に過ぎなかった。


*


 春日啓。

 それが、彼の名前だった。

 私は、生まれてはじめて、オトコの名前を覚えた。


 彼の受験校は、予想より高いハードルだったが、

 2歳の時からあの女の台本練習に付き合わされた私にとって、

 やってやれないことはなかった。


 春。

 神は、私を見放した。

 私は、春日啓と同じクラスではなかった。

 

 私は、逆に考えた。


 「あれ?

  春日君だ。」


 この時の私は、相当わざとらしかっただろう。

 2歳の頃からあれだけ演技を仕込まれ続けたというのに。

 

 「あぁ。

  えーと、檜山さんか。」

 

 「うん。

  同じ高校だったんだね。」

 

 「そうみたいだね。

  知り合いがいてくれると助かる。」

 

 「あはは、

  同じクラスじゃないけどね。

  春日君、部活は?」

 

 知ってる。

 春日君は、部活に入れない事情があることを。


 「……入ってない。」


 卒業前に、数少ない私の味方だった中学の担任59歳♀から聞きだしていた。

 引き籠りになってしまった従姉妹の精神的ケアに当たるために、

 課外活動に取り組めないのだと。

 

 だから。

 

 「あはは。

  そっか。私も入ってないよ。」

 

 春日君は、少し、意外な顔をした。

 春日君が、何か言おうとする唇を、

 私は、指で塞いだ。

 

 「きみと同じ。

  。」

 

 嘘でも、本当でもないこの言葉が、

 春日君の表情を、心を動かす様に、

 私の心がチクりと傷んだ。

 

 「そう、なんだ。」

 

 「うん。」

 

 口から、先に、

 出てしまったことは。

 

 「だから、一緒に帰ろ?」

 

 「え?」

 

 「知り合いなら、

  一緒に帰るの、おかしくないでしょ。

  帰宅部同士だし。」


 ほんの少し早口になってしまった私の無理筋に、

 春日君は、律儀に考えて込んでくれて。


 「……

  まぁ、そう、だね。

  そうしようか。」

 

 嬉しくて。

 対等の目線で、言葉が通じる相手と話ができることが。

 私の意図を、正確に汲み取ってくれる春日君が、

 ただ、嬉しくて。


 この時の私は、とてもうまくやれていた。

 そのことに、舞い上がっていたのかもしれない。


 怠ってしまったのだ。

 自分の気持ちに素直になる勇気を培うことを。


*


 父親が、死んだ。


 私のに当たるのだろう娘が、

 父親の遺骸に寄り添って泣いているというのに、

 私の心は、呆れるほど何も動かなかった。

 

 あの女が死んだ時、

 施設に行かずとも済む程度の金は、元々持っていた。


 「お母さんの跡を、継げばいいのに。

  勿体ないわねぇ。」

 

 嫌、だ。

 絶対に、嫌だ。


*


 ほとんどの場合、

 春日君は、私の話を、ただ、頷いて聞いてくれる。

 否定もせず、遮りもせず聞いてくれる。

 でも、ちゃんと聞いてくれている。

 

 会話のキャッチボールが成り立っていることが、

 自分が適当に投げた球をちゃんと拾って、

 私の胸に優しく投げ返してくれることが嬉しくて。


 認めてしまうべきだった。

 まだ、誰もいなかったのだから。


 軽い女だと、見られたくなかった。

 そんな風な理由で近づいているのだと、思われたくなかった。

 あんな連中と私が同じことをしていると、

 死んでも認めたくなかった。


 くだらない。

 ほんとうに、クソくだらない。


*


 異変は、

 ささやかに訪れた。

 

 「図書委員、やってくれって。

  断るに断れなくて。」

 

 春日君のクラスで、

 図書委員の男子生徒が、体育会系の部活に誘われて、

 忙しくなってしまったのだと言う。

 

 「まぁ、唯のほうも、

  すこし落ち着いたから、

  少しくらいならいいのかなと。」


 春日君は、

 ほんの少しだけ、自分のことを、

 私に話してくれるようになっていた。

 

 ごくわずかな、見えない程度の綻び。

 それが、私をあれほど苦しめる元凶になるなんて。


*


 不覚、だった。

 

 手なんか、出してない。

 そもそも、知りもしない。

 

 「あんたが、そうやって色目を使うから、

  美由紀がっ」

 

 色目なんか、微塵も使っていない。

 むしろ、できるだけ地味に、

 目立たないようにしているつもりだった。


 だめだ。

 話が、まったく通じない。

 既視感というには、余りにも

 

 「檜山さんが、色目を使うかな。」

 

 え。

 

 「な、なによあんたっ。」

 

 「ん?

  檜山さんの中学の時の同級生だけど。」

 

 春日君は、

 あまりにもさりげなく、眩しかった。

 

 「中学の時から、檜山さんは、抜群の容姿だった。

  言い寄られることはあっても、

  檜山さんの側から言い寄ってるところを、

  見たことはないよ。」

 

 一言で。

 ど真ん中を、言い当てられた。

 

 私を取り囲んでいた筈の女子が、

 鈍い穂先を折られて戸惑っている。

 

 「安心してくれていいと思うけど、

  たぶん、檜山さん、その男の子に関心はないよ。」


*


 「大変だね。

  綺麗な人っていうのも。」


 舞い上がっていた。

 天にも昇る気持ちだった。


 春日君が、私を護ってくれたことに。

 春日君が、私を心の奥底を正確に理解していてくれたことに。


 「あはは。どうもありがとう。

  まぁ、子どもの頃から慣れっこだから。

  心配しなくていいよ。」


 お礼を言うべきなのに。

 感謝を伝えるべきなのに。

 

 素直に、なれなかった。

 

 「そっか。

  それは余計なことをしたかな。」

 

 そんなこと、ない。

 ない、のに。

 

 「むしろ春日君が心配だよ。

  女の恨み、怖いんだよ?」

 

 違う。

 こうじゃ、ない。


 どんなに有難かったか。

 どれほど嬉しかったか。

 声で、心で、躰全身で、伝えるべきだったのに。

 

 「そうかもしれないね。

  難しいね、いろいろ。」


 いまにして、思う。

 この時に、啓を、抱きしめていたら。

 顔中から涙を流して縋りつきながら、

 啓が存在していることへの感謝を伝えていたら。


*


 「おや。」

 

 その人に会った時、すぐにわかった。

 

 春日君は、バツの悪そうな顔をしながら、

 少し甘えるようにその人を見た。

 

 「ぜんぜんなんでもないんだからね。」

 

 「はは。

  そうだろうね。クラスメートかな?」


 「中学の時にね。高校では別のクラス。

  お互い部活入ってないから、たまに一緒に帰ってる。」

 

 春日君の横顔を見つめながら、

 嬉しさと哀しみの双方が湧き上がってくる。

 父親に紹介してくれてること、

 知り合い以上には行かせてもらえないこと。


 「分かると思うけど、凄い人気だよ。」

 

 「そうだね。

  それで、御名前は?」

 

 え。

 

 「父さんっ。」

 

 戸惑う春日君を後目に、

 私は、スーツを隙なく着こなした端正な容姿の紳士に近づいた。

 

 「檜山めぐみです。」

 

 「めぐみさん、か。

  いつも愚息がお世話になっております。」

 

 「とんでもありません。

  お世話になっているのは私のほうで。」

 

 バツが悪そうな顔をする春日君が、

 可愛くて仕方なかった。

 

 「今日に限ってどうして早いの。」

 

 「明日から出張でね。

  では、御先に。」


 さっと手を挙げると、

 春日君のお父上は、含み笑いを上品に隠しながら、

 さらっとマンションに入っていってしまった。


 「……ごめんね、檜山さん。」

 

 「ふふ。

  似てるんだね、お父さんに。」


 恥ずかしそうに、ほんの少し誇らしそうにする春日君が、

 見たこともないくらい可愛くて、

 燃やしたくなるくらい羨ましかった。


*


 春日君のお陰だろう、

 一学期の中頃くらいから、

 私は、女子と普通に話せるようになってきた。

 

 進学校で、恋愛脳じゃない娘もいるから、

 中学に比べたら、比較的過ごしやすい環境だった。

 自殺願望をノートに詳細に書くこともなくなった頃。

 

 「部活入ってないんだったら、ヒマだろ?」

 

 油断、した。

 

 殺してやりたい。

 部活に入っていることがそんなに偉いのか。

 課外活動は義務なのか。

 

 でも。

 どうせ、こいつらには。


 「あはは。

  ヒマじゃないんだけどね?」


 言葉が、通じないのだから。


*


 「体育祭実行委員かぁ。

  また重たいものを押し付けられたね。」

 

 「春日君は当たりじゃない?

  図書委員、代わっておいてよかったね。」

 

 うちのクラスの図書委員は譲るつもりはないだろう。

 体育祭実行委員なんてものに私がなってしまってる以上、絶対に。

 

 「あはは。違いない。

  康達に礼を言うべきなのかな。

  

  まぁ、僕に体育祭実行委員を押し付ける人はいないと思うよ。

  キャラ的に。」

 

 キャラ、か。

 

 「春日君、

  運動、苦手そうだもんね。」

 

 「好きかそうでないかで言えばそうでないし、

  やりたいかやりたくないかで言えば、

  できればやりたくない。」

 

 「あはは、嫌いなんだ。」

 

 「部活で稼げるわけでもないのに、

  なんでやるのかが不思議で。」


 春日君は、時々、割り切った醒めたことを真顔で言う。

 人に言わないようなことを、

 私に心を許してくれていることが、嬉しくて。

 

*


 だから。

 

 「ちょっとくらいダンスできるからって、

  調子に乗ってんじゃねぇよ。」

 

 油断、した。


 「俺らのこと、心の中でバカにしてんだろ。

  元芸能人だからって。」

 

 芸能人であったことなんて、一度もない。

 子役に誘われても、絶対に断って来た。

 どうして、知ってるんだ。

 

 「お前のこと、前々から気に入らなかったんだよ。

  俺らの邪魔すんじゃねぇよっ。」

 

 邪魔。

 邪魔なんて、微塵も考えてないのに。


*


 なん、で。


 どうして。

 春日君の、隣に。

 

 「あぁ、檜山さん。

  って、随分遅いね?」


 っ。

 

 「ま、まぁね?

  準備、こき使われちゃってさ。」

 

 「一年生だからね。

  二年生に使われちゃうね。」

 

 「そ、そうなんだよね。

  ほんと、まいっちゃう。」

 

 春日君が、私を訝しむ目で見てくる。

 なんでも見透かしてくる春日君の両瞳が、

 今日は、憎らしく、疎ましかった。

 

 だって。

 

 「あぁ、うん。

  じゃぁね、檜山さん。」

 

 「……うん。」

 

 髪を降ろした、いかにも図書委員な感じの娘が、

 不安そうな目で、私を見てくるから。


*


 まさ、か。

 

 「聞いたぞ。

  中学ん時の話。」

 

 こんな、ことが。


 「頼めば、ヤラしてくれるんだろ?」


 進学校で。

 進学校なのに。

 進学校だから。

 

 「なぁ、頼むよ。

  一回だけでいいからさぁ。

  金なら出すから。いいんだろ?」

 

 戸惑いよりも、

 怒りが、先に。

 

 「……ふざ、けんな。」


 「は?」

 

 「ふざけんなって言ったのが聴こえなかったのかよっ!」

 

 無謀、だった。

 校舎裏で、体力のある男二人を前に、

 言っていいことであるわけがなかった。

 

 男子生徒は、逆上し、

 私に、暴力を振るってきた。

 私は、躱しきれず

 

 ぱしゃっ

 

 ぇ。

 

 「檜山さん、こっちっ!」

 

 「!?」

 

*


 保健室に逃げ込んだ私が、

 最初にしたことは、

 

 「はぁ……はぁ……っ」

 

 崩れ落ちる啓を支えることだった。

 

 「……ご、ごめん、檜山さん。

  ふ、普段から、

  う、運動してないから。」

  

 体育の持久走でも、後ろのほうだったのに、

 短距離、あんなに早いなんて。

 

 「……

  ま、撒けた、ね。」

 

 息が整ってきた啓は、

 保険医の男の先生に、事情を説明している。

 淡々と、端的に、要点をわかりやすく。

 

 「……現行犯じゃないのが痛いな。

  このドアを開けてりゃな。」

 

 啓と一緒でなければ震えてしまいそうになるくらいの

 ガタイの良い男の先生が、唇を噛んでいる。

 啓が信用しているなら、私に悪いことにはならないだろう。

 

 そう考えた時、震えるように思い知らされた。

 私が、どれほど啓を信頼しているのか、

 どれだけ、啓に依存してしまっているのかを。


 それ、

 なの、に。


*


 「ねぇ、

  春日君。」

 

 失敗した。

 こう持って行くべきでは、なかった。

 絶対に。

 


  「こうなったらさ、

   私、いっそ、彼氏、

   作ってみようと思うんだけど。」


 

 変な、プライドがあった。

 やらなくていい、駆け引きをしてしまった。

 

 「……。」

 

 啓は、物凄く真剣な表情を見せた。

 私は、私の勝利を確信してしまっていた。

 

 次の瞬間。

 

 

  「なら、

   康達がいいよ。」

 

 

 私は、地獄に落とされた。

 

 「康達は、サッカー部だし、

  スポーツマンだし、義理固いし

  なにより、容姿がいい。

  

  いろいろな要素が檜山さんに釣り合っている

  珍しい奴だと思う。」


 戸惑って、しまった。

 なんで、戸惑う必要があったのか。

 

 「ちょうど、康達に相談されててさ。

  サッカー部で女子に追っかけられて、

  追い払うわけにもいかないし困ってるって。

  立場は、似てるかなと。」

 

 差し伸べられた手は、貴方の躰じゃない。

 それ、なのに。

 

 「……。」

 

 私は、黙り込んでしまった。

 私のことを真剣に考えてくれたことが嬉しくて、

 私の汚く、穢れたところを、啓に、見られたくなくて。

 

 奪いに行くべきだった。

 絶対に。

 

 でも。

 壊せなかった。

 壊したく、なかった。

 

 命よりも大切な関係を。

 たった一人、心が通じ合う会話ができる相手を。

 生涯、ただ一人の友達を。

 

 「……考えて、みる。」

 

 「……うん。

  いい案だと、思うけど。

  まぁ、檜山さんが負担になるようなら。」

 

 「……ううん、

  ありがとう、春日君。」


 失敗した。

 絶対的に、失敗した。

 

 一番最初の言葉を、間違えてしまった。

 勇気が、出なかったから。


*


 高瀬君は、スポーツ少年だった。


 朝も、昼も、夜も。

 ほぼ、サッカーのことだけを考えて生きている。

 熱心に、情熱的に。

 

 私は、生半可な知識を仕入れ、すぐに諦めた。

 世界中の試合を知っているサッカーオタクの高瀬君に、

 相槌を打ち、脳の片隅に流れていく単語を繋げて話を続けた。

 

 私と高瀬君が仲良く話していると、

 高瀬君の追っかけの女子から凄まじい嫉妬が沸き上がった。


 私は、啓との約束を果たそうとした。

 、高瀬君に害を成す厄介な輩を無害化し、

 高瀬君の追っかけ達から、諦めに近い納得を得た。

 

 気づいたら、私は、高瀬君の彼女と目されるようになり、

 男性からの告白や嫌がらせは、十分の一程度に減った。

 

 「少しはマシになったみたいだね。」

 

 啓が、安堵した顔で私に微笑みかける。

 私は、心に強い麻酔を打ちながら、身に着けた笑顔を向けた。


 「あはは。

  おかげさまで?」


 「ならよかった。

  康達、

  彼氏らしいこと、ちゃんとやってる?」

 

 なにも。

 サッカー少年だから。


 高瀬君の彼女になって、

 ほんの少しだけ、良かったことは。


 「あいつ、

  ちゃんとした彼女ができるのはじめてだから、

  長い目でみてやって。」

 

 「あはは、

  って、こーくんの親?」


 きみの名前を、呼べること。

 

 「親、ってわけじゃないけど。

  見た目、なんでもできそうなんだけど、

  意外に不器用なんだよね。

  

  まぁ、に釣り合うのは、

  康達くらいしかいないから。」

 

 私の名前を、呼んでくれること。


*


 2年生のクラス替えでも、啓と一緒にはなれなかった。

 運命を呪っていると、

 啓と一緒にいた図書委員の娘と同じクラスになった。

 

 1年生の時よりも、髪に隠れた目は虚ろがちになっていた。

 中学の時みたいな物理的な虐めは起こらないが、

 柚木絃さんは、男子からも女子からも、話しかけられもしない。


 でも。

 

 委員会選びの時。

 

 「図書委員に立候補する方は。」

 

 柚木さんは、髪を降ろしたまま、

 誰よりも早く、真っすぐに手を挙げた。

 

 しまっ、た。


 わか、る。

 彼女は、啓を、想っている。

 強く、とても強く。


 私は、戦うべきだった。

 髪に隠れた彼女の澄んだ眼を、

 正面から見据え、跳ねのけるべきだった。


 「は、はい。

  では、柚木さんにお願いします。」


 また、舞台に上がり損ねた。

 言いようのない敗北感が、打ちひしがれた私の心を澱ませる。

 私は、ここまで弱い人間だったのか。


*


 柚木さんが髪型と化粧を替えた時、

 クラス内外は騒がしくなった。

 

 狙って欲しい人以外からの

 好奇と欲望、羨望と嫉妬の視線を浴び続けて、

 柚木さんは怯えるように俯いている。

 

 あぁ。

 私って、どうしてこう、

 弱いんだろう。

 

 私は、意を決して、

 後ろの席で縮こまる柚木さんに近づき、

 息を整えながら、言葉を選んだ。


 「絃ちゃんさ。」


 「!」


 敵意、嫉妬、戸惑い。

 澄んだ両眼に、溢れる感情が渦巻いている。

 

 あぁ、わかる。

 手に取るように、わかってしまう。


 私は、溢れてくるドス黒い感情を覆い隠しながら、

 アルカイックな陽キャスマイルを着け直し、

 仕込まれ続けた朗らかな声を出した。



  「その髪型、

   啓くんのため、だよね。」



檜山めぐみ

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襲われそうになっていた底辺歌い手を支えたら、修羅場が待っていた @Arabeske

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