グラスゴーから花束を

博雅

グラスゴーから花束を

僕の先生は自分のことを Scotsmanスコットランド人 だと言った。I'm not British イギリス人じゃないとも付け加えて。


時は師走真っ盛りの極寒の一日。都内のバーでここ数時間ほど呑みに吞んでいる俺達…27歳のしがないリーマンの俺・国枝トヲルと、今も付き合いのある高校時代の英語のネイティヴ英語教師・ヴィクター、そして今年20になったばかりの娘さんのエリザベスだ。俺たちは、アイリッシュパブで Close the Box というゲームに興じている。


"Ma', yer oot yer face awready《なぁ、もう酔っ払っちまったの》 ?" ヴィクターが戯れに俺に尋ねる。


「ったく、高校で教わったあの英国式のあの英語はどこに行ったんですか」


ヴィクターとエリザベスがふくふくと笑う。

先生がグラスゴー訛り…もとい、造船業で栄えたスコットランドの主要都市の方言になるのは、初めて二人で呑みに行ける、つまり呑みに行ける年齢になってからのことだった。




☆☆☆




当時30だった先生とライソで連絡を取り、どうせなら単なる呑み屋じゃなくてパブに行ってみようじゃないか、とお誘いを頂いたのだ。学生時代、先生にはちいさな娘さんがいたが、そのエリザベスちゃんはエリザベスちゃんで、どうも俺に会ってみたいと常日頃から口にしていたそうだ。なかなか写真のやり取りなどはしてこなかったのだが、話に聞く所によると “Pure dead brilliant” な見た目だそうだ。


夜八時、最寄りの駅で待ち合わせをした俺は、すぐにそれが先生とエリザベスさんだとわかった。先生は開口一番、


“Right, pal!”


俺に向かって手を振る。


「え?」


「らいっ、ぱl! 」


なんだそれは。それが俺の第一印象だった。


“Gonnae no be surprised like that, it’s me Victor, ye knoo”《そんなに驚くなよ、俺さ、ヴィクターさ。わかるだろ》


頭が痛くなってきた。英語のようだが、方言の訛りが凄すぎる。


“Nice to see you again, sensei. Nice to meet you, Elizabeth”


可憐な女性を目の前にして、かろうじて英語が出てきた。

先生が続ける。


“らight, Towoる. Hey, Elisabeth, Towoる. Towoる, Elisabeth”


“H, Hi”


少し噛みそうになる。


状況はこうだ。どうも先生は最初から俺をからかいたかったらしい。しかも恋愛には決して遅くないといえそうなくらい可愛い、20歳の娘さんまで同席させて…。


“I always used to think you were British.”


俺は言う。


“I’m a Scotsman – and a Glaswegian, by the waa”


Way の「エイ」の発音が「ウェー」みたいに伸ばされている。


かくして、先生の即席グラスウィージャン講座が始まった。




☆☆☆




“Towoる, may I get a piece fろom your packet of yer cりsps?”


エリザベスさんが恥ずかしそうに言う。


「え、ええぇ…there you go」


“Cheers”


「ちあっz」。最後のzは曖昧だ。グラスゴー式の「ありがとう」なのだろう。


ヴィクター先生が咳ばらいをし、


「こういう時は、”thanks” の返事として “Nae botha” 「ねぃーぼざ」、いえいえ、とも言うんだよ」


でもなぜ、先生は学校でグラスウェージャンを使わなかったんだろうか。


「訛りが強すぎたんだね。で、標準的なスコットランド英語…それもBBC並みのちゃんと聞き取れるアクセント程度におさめたのさ」


なるほど、と思って僕はアイリッシュコーヒーを口に運ぶ。

夜もだいぶ更けてきた。今度はトランプゲームに興じる俺たち。


“Amaz’n”


良い札が来たのか、ヴィクターが言う。Amazing の略、「アメーズン」のように聞こえる。

もう少し詳しくグラスゴー方言を教わりたいが、先生は小出しにしてくるのみだ。ゆっくり盗め、ということなのかもしれない。


時としてエリザベスさんの視線を感じる。

こんなお嬢さんが俺の奥さんだったら…と妄想が膨れかけるのを防ぐように、俺は次に出すカードの選択にとりかかった。


外では粉雪が舞い始めている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

グラスゴーから花束を 博雅 @Hiromasa83

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ