断章 蓮華

 人間というものは、理不尽や不条理、矛盾や恐怖に理由を付ければ、それに納得することが出来る。


 キリスト教においてはその気づきは、お告げ。

 仏教においては、妄像もうぞうと呼び、まやかしだと言う。


 私には、後悔している死が、縛られている死が2つある。


 1つは、言わずもがな『少女』。付き合いきれないと判断した親に負けず、最後まで彼女の多重人格に付き合って、納得したかった。


 もう1つは、「安倍晋三」だ。

 間違っても「安倍元首相」ではない。


 理由は簡単だ。


 誰もが話の飛躍だと言う。そうではない。そうではないのだ。


 私は、ことに、後悔している。


 私の言うことを、理解しようとしなかった教会が悪い、そう言ってしまうのは簡単だ。


 次代の若者たちに、を続けるように託すような、老害の集まりの中で、孤軍奮闘した結果が、事実上の追放で、住む土地を変えても私への悪評は広まっている。


 ここまで広まっているなら、もういっその事、極めてしまえ。


 どこまでも身勝手で、どこまでも『道化』で、どこまでも『意味不明』な名物になってしまえばいい。


 実際ネットの中傷でも、「有名な人」「関わらない方がいい」と、広まっていた訳だから。


 それでも神父は、私という個性を拒まないのだから。

 拒むのなら、それはもう、「神父」ではない。風評を恐れた使徒であり、「キリストの代理人」たる教皇から任命された使命を放棄した、単なるだ。


 「一箇所が痛めば全身が痛む」という聖書の言葉を忘れた、教会員たちのように。


 「聖書に従う」というなら、「聖書で対抗する」までだ。「神様に従う」というなら、「神の言葉で対抗する」までだ。

 そして彼らが認める「神の言葉」とは、聖書のみだ。


 私のように、妄像しゃかいの中に見い出すのとは訳が違う。


 ちりめんじゃこの『再教育』に関して、私の友人も何人も心配していた。喉を痛めた歌手見習いでさえも、「いつでも話そう」と案じてくれていた。

 その中の一人が、こんなことを言った。


「お前はもう何もするな」

「それでも誰も何も言わない。言えるわけがない」

「それくらいにやれることはやった」


 ―――私は、『少女』の分まで償えましたか?

 ―――私は、統一教会カルト親族ひがいしゃによる殺しを贖えたのでしょうか?


 ―――神よ、これは、あなたの言葉ですか?


 今思い出しても、涙が溢れて止まらない。


 私が欲しかった言葉だった。数十年欲しかった言葉だった。


 「『少女』ちゃんは死んだ方が良かった」という、彼女の生きづらさを傷つけるような言葉ではなく。

 「話が飛躍している。テロと貴方は関係ない」という、一般論のようで、実際は組織の一員としての責任と後悔を認めない言葉ではなく。


 ただ、ただ、

「出来ることは全てやった。それでも止められなかった。」

「だから、止められなかったのはあなた1人の責任ではなく、だ」と。


 私は誰かに、


 人の命を、肩書きで軽視したり重視したりするような、今の社会の中で。


 子供でも政治家でも難民でもテロリストでも、という基本を忘れた日本キリスト教社会の中で。


 私が、ずっと欲しかった言葉だった。

 終わりの見えない懺悔の中で、本当に必要な制止の声は、人の悪意や怠惰を繰り返す事ではなく。


 ただ、私は、であったことを、誰かに教えてもらいたかったのだ。

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おさかな教会闘争記~近代民主主義vs原始共産主義! 今度こそお前を守り抜く!!~ PAULA0125 @paula0125

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