会いたくて
#zen
短編
私は
けど、そんな私もちょっとした悩みに直面していた——。
「絵美さん、あなただけですよ。進路調査票を出していないのは」
放課後の職員室。担任の女性教諭に呼び出されたかと思えば、そんなことを言われた。
けど、すぐに進路調査票を出せない私は、仕方なく頭を下げる。
「すみません。もう少しだけ待ってください」
「来週には提出してくださいね」
「……はい」
——私には夢がなかった。
小学生の頃はパティシエや画家になりたいと言っていた私だけど、SNSに上がっている同年代の作品を見たら、私なんかが目指すのはおこがましいような気がして……いつの間にか諦めていた。
だって、私みたいな口だけの女子が、天才に叶うはずなんてないから。
そんな風に夢を諦めて何年経つだろう。
少し物足りない日常を見て見ぬふりして、それでも私なりに楽しい日常を送っている——つもりだった。
***
「ねぇ、ママ」
「どうしたの? 絵美」
自宅に帰宅して、私はさっそく母親のいるキッチンに向かう。
料理上手なママは、アジフライを揚げている最中で、パチパチと音が弾けた。
本当は食事中に言っても良かったんだけど、なんとなく早く言った方が良い気がした私は、おそるおそる口を開く。
「実は、進路調査票を提出しないといけないんだけど……」
「あらそうなの? あなたが目指すものなら、私はなんだって応援するわよ」
「それが、よくわからなくて…」
「あなた、パティシエになりたいって言ってたじゃない」
「それは昔のことだよ」
「なら、探せばいいじゃない。やりたいことを」
「……そうだね」
話にならないことはわかっていた。パパもママも、寛容なふりをしているだけで、本当は面倒ごとが嫌いなんだと思う。
だからいつも、噛み合わない会話がたまらなく嫌だった。
「やりたいことを探すって言ったって、世の中にどれだけ職業があると思ってるの……」
制服のまま自室のベッドに転がった私は、学校で配布された職業別Q&Aの本を片手にため息をつく。
職業診断もついてるけど、漠然とした解答しかないので余計にモヤモヤした。
夢について考えるのが嫌になってきた私は、何気なく本棚の卒業アルバムを開く。
「この時代は悩みなんてなかったんだろうな」
幼稚園の頃の無邪気に笑う自分を見て、またもやため息をつくけど……。
ふと、そんな時。
アルバムから一枚の紙切れが落ちた。
「なにこれ?」
小さなメモに描かれていたのは、園服を着た私と——。
手を繋いでいるもう一人は誰だろう?
知らない誰かがそこに描かれていた。
「この頃は、絵描きを目指していたんだっけ?」
根拠のない自信ばかりあって、今思えば黒歴史である。
なんだか恥ずかしくなった私は、その絵をアルバムに挟んで、元の置き場所に戻した。
————そしてその夜、私は夢を見た。
夢の中の私は、水の中にいた。
水中で一生懸命手足をバタバタさせているんだけど、その場所から動けなくてストレスばかりが溜まった。
ただ、水の中と言っても、息はできるみたいで……そこのところはさすが夢である。
「はぁ、変な夢だった」
今日は休日だけど、早朝に起きてしまった私は、なんとなくパパやママと一緒にいるのが嫌で、外に出ることにした。
夢の余韻を引きずりながら公園に向かう私。
まだ早い時間だから、人気のない公園は居心地が良かった。
それなのに、
「ねぇ、君」
「?」
変な男の子に声をかけられた。
同年代くらいだろうか。
何が変って、雨なんて降ってないのに、全身ずぶ濡れのその子は、何がそんなに嬉しいのか、私を見て笑っていた。
「すみません、宗教には興味ないです」
私がハッキリ告げると、男の子はきょとんと目を丸くしていた。
「え? 宗教?」
「違うんですか?」
「君は、絵美ちゃんだよね?」
「なんで私の名前を知ってるんですか?」
私が警戒する中、その人は笑っていた。
「何か困ってるみたいだね」
「ええ、困ってます。変な人に絡まれて」
「変な人ってどこ?」
「私の目の前の人です」
「え? 僕? 僕って変な人なの?」
「だって、雨でもないのにずぶ濡れだし」
「服はすぐ乾くよ」
「そういう問題じゃ……」
「ほら、乾いた」
「またまた、そんなはずないじゃないですか……って、本当に乾いてる」
「でしょ? だからこれで変な人じゃない?」
「……」
よく見ると、その人はとても綺麗な顔をしていた。
でもこんな早朝に声をかけてくるなんて、やっぱり変な子に決まってるけど。
「……用件はなんですか?」
「んと、君の願いを叶えに来たんだ」
「私の願い? 叶えに来た?」
「そうだよ。だって僕のこと、呼んだでしょう?」
「なんのことですか? 私は誰も呼んでません」
「ううん。はっきり聞いたよ。君の心の声を」
「だから、宗教勧誘はお断りします」
「宗教じゃないよ! 僕は君の——」
言いかけて、その子はハッとした顔をする。
「?」
「友達だよ」
「友達?」
「覚えてないの?」
「もしかして、子供の頃の友達とか?」
「そうそう」
「ごめんなさい、覚えてなくて。名前を聞いてもいいですか?」
「名前? 名前……は、アキト」
「あきと? 確かに、そんな子がいた気がする」
「だよね? だってこの名前は……」
「?」
「それはそうと、何か困ってるみたいだけど?」
「……別に、困ってないですけど」
「でも、不安そうな顔してた」
「……ちょっと進路について悩んでただけです」
「進路?」
「私、なりたいものがないから」
「え? 嘘! あんなにパティシエとか画家とか言ってたのに」
「……本当に私の友達なんですね。私の昔の夢を知ってるなんて」
「知ってるよ。毎日のように聞かされたし」
「それは私がまだ子供だったから」
「にしたって……夢がないなんて」
「夢がなくて悪いですか?」
「そうじゃない。君のことをずっと応援してたから」
「悪かったですね。私は自分のことをよくわかってるから、パティシエも画家も無理だってわかったんです」
「そんなことないよ」
「世の中には私なんかじゃ手の届かない人がたくさんいるから」
「絵美は臆病だね」
「普通です」
「でも、何もしないで夢を諦めるなんて、そんなの勿体ないよ」
「どうせ失敗するんだから、今から軌道修正した方がいいでしょ」
「夢に向かって失敗する方がいいと思うよ。何もしない後悔よりも、何かして後悔した方がいいに決まってるし」
「私は現実を見てるんです」
「だったらさ、一度やってみようよ」
「え?」
「試しに一度やってみて、ダメだったら諦めればいいじゃん」
「試しにやってみるってどういうこと?」
「僕の知り合いがケーキ屋のオーナーをしてるから、やってみなよ」
「はい?」
「面接は受けないといけないけど、君ならきっと大丈夫だから」
「むりむりむりむりむり! そんなこと、いきなり言われても」
「さっそく行こうよ!」
「ちょっと! 引っ張らないで」
そして私はなぜか、職業体験をすることになったのだった。
「ほら、あの人がオーナーだよ。行っておいで」
近くにあるオシャレなカフェに連れて来られた私は、ドキドキしながら店内を見回していたけど——アキトに背中を押された。
「え? 行くっていったって」
「ほら、大丈夫だから、行っておいで」
「ちょ、ちょっと!」
アキトに背中をどんどん押されて足を進めた私は、思わず店長さんらしき人の前にまで来てしまう。
店長さんは、私を見るなり首を傾げていた。
「あの……すみません」
「なんだい? ああ、もしかしてバイトの面接に来たのかな?」
「……はい」
「いつから入れる?」
「え? あの、面接は?」
「今は猫の手が借りたいくらい忙しい時期だから、さっそく入ってもらえると助かるよ」
「……はあ」
なぜかすんなりとバイトが決まったので、私はその日の午後から働くことになった。
「い、いらっしゃいませ」
しかもバイトは店頭販売の担当だった。
「あの、モンブラン二つとショートケーキ三つで」
「は、はい。かしこまりました」
ショーケースの裏側に立った私は、慣れないながらも、お客さんの対応に追われた。
そんな私に、ショーケースの向こう側にいるアキトが小声で告げる。
「頑張れ、絵美」
「うるさい」
こうして私は、流されるまま初バイトで一日が暮れた。
そして、
「今日は本当にありがとう。初日から入ってくれて、助かったよ。これは残りものだけど、持って帰ってくれるかな?」
「え? いいんですか?」
店長からケーキをもらった私は、悩みなんて嘘のようにご機嫌になって家に帰ったのだった。
「ただいま」
「おかえりなさい」
キッチンにいるママは、相変わらず忙しそうに調理していた。
けど、言わずにはいられなかった。
「あのね、ママ。私、今日初めてバイトしたんだ」
「え? バイト?」
「そうだよ。友達の紹介で、ケーキ屋さんのバイトに入ったの」
「嬉しそうな顔しちゃって。そんなに楽しかったの?」
「うん。ケーキ眺めるだけでも幸せだったよ」
「良かったじゃない。でもこれからは、バイトを始める前に報告してほしいな」
「ごめんなさい」
「でも社会勉強自体は悪いことではないわ。頑張りなさい」
「うん」
そして次の日も、その次の日も、私はカフェで働いた。
バイトなんてしたことがなかったから、不安だったけど、思い切ってやってみて良かった。それもこれもアキトのおかげだから——。
それを伝えるために再び公園に来たけれど、アキトの姿は見当たらなかった。
「どうしよう。連絡先聞いとけばよかったな」
そんな風に困っていると、ちょうどその時、アキトが姿を現す。
「どうしたの?」
「あ、アキト」
「また新しい悩みでもあるの? 僕を呼んだよね?」
「違うの、お礼を言いたかったから」
「お礼?」
「うん。私、わかったの。最高のパティシエになりたいんじゃなくて、お菓子を作ることができれば、それでいいんだって」
「どう違うの?」
「全然違うよ。私、パティシエは天才しかなれないと思ってたんだ」
「そっか。でも僕は、きっと絵美にも才能があると思うよ」
「でも私、下手のもの好きだし」
「そうじゃなくて、絵美は真心をこめて作る才能があると思うよ」
「それは私が作ったお菓子を食べてみて言ってよ——今度はね、厨房にも入らせてくれるんだって」
「へぇ、そっか」
その日、アキトは笑っていたけど、どこか悲しげにも見えた。
それからアキトは、いろんなケーキ屋さんを紹介してくれた。
いろいろなお菓子を見ることができて幸せだった。カフェの店長さんの計らいもあって、他店の厨房を見せてもらうこともできたし、私の夢はパティシエの方向で動き出していた。
————そんな矢先だった。
「進路調査票、そろそろ提出しないと。専門学校の見学も行きたいな……そういえば、アキトって子供の頃の友達なんだよね? 卒アルにいるかな?」
休日で自室にいた私は、幼稚園の卒アルに手を伸ばす。すると、挟んでいた私の絵が床に落ちた。
「あ、うっかり踏んじゃった。……って、あれ? どういうこと?」
卒アルに挟んでいた私の絵。
なぜかそこには私しかいなかった。
「あれ? 確かにこれ、私と誰かの絵だったよね? なんで私しかいないの?」
しかも卒アルには、アキトの名前がどこにもなかった。
「幼稚園じゃないのかな? だったら、小学校の卒アルにいるかな?」
私は小学校のアルバムを開く。けど、やはりどこにもアキトはいなかった。
「どうして? アキトはいったい、誰なの? ……でもまあ、明日また聞けばいいかな?」
そしてその翌日も、公園に向かった私だけど——アキトは現れなかった。
「連絡先も教えてくれなかったし。実は私、嫌われてるのかな?」
それから毎日のように通っても、アキトに会うことができず。思い切ってカフェの店長さんに連絡先を尋ねてみたけれど……。
「アキト? 誰だい、それは」
「え? だって、アキトの紹介でここのバイトに応募したのに……」
「紹介? どういうこと?」
「私が初めてきた日、一緒に男の子もいましたよね?」
「いや、君一人だったよ?」
「……え」
店長さんの言葉に、私の顔がみるみる青ざめる。
思い返してみると、アキトがオーナーと喋っているところを一度も見ていないのだ。
私はアキトが紹介してくれた他のケーキ店を回ってみるけれど、誰一人としてアキトを知っている人はいなかった。
「これは、どういうこと?」
私はその衝撃の事実に、震えが止まらなかった。
「アキトは何者なの? もしかして私が空想で作りだした人? 私、病気なのかな?」
あんなに親身になってくれたアキトが現実にいないと知って、涙が出た。
いつか私が作ったお菓子を食べさせてあげる。そう約束したのに……。
「ただいま」
「おかえりなさい。あら、どうしたの? なんだか暗い顔して」
一日アキトを探し回って、帰宅する頃にはすっかり遅くなっていた。
気遣うように顔を覗き込んでくるママに、私はアキトのことを訊ねる。
「うん、ちょっと……ママはアキトのこと、知らないよね?」
誰もアキトを知らないことに、諦めていた私だけど、ママは驚いた顔をする。
「アキト? アキトがどうしたの?」
「え……ママ、知ってるの? アキトのこと」
「覚えてるに決まってるでしょう。仮にも私のお腹で生きていた子ですもの」
「ママのお腹の中?」
「そうよ。あなたがアキトと名付けたんだから」
「私が……アキトと……あ! 思い出した」
私は慌てて幼稚園の卒アルを探した。そこに挟んでいた一枚の絵。それは、私しかいないけれど——元は私とアキトの絵だった。
弟ができるのを楽しみにしていたあの頃。
毎日弟と私の絵を描いては、ママやパパに見せていた。
その頃はまだ子供だったから、同じ幼稚園に通えると思ってたんだよね。
けど、アキトは結局、切迫流産で生まれてくることはなくて……。
私は一人になったその絵に、再びアキトの絵を描き足した。
私の夢は、もしかしたらアキトの夢でもあったのかもしれない。
「絵美、大丈夫?」
心配して部屋を覗きにきたママに、私は笑顔を向ける。
「うん、大丈夫だよ。私決めた」
「何を?」
「やりたいこと全部やるの」
だから見ていてね、
会いたくて #zen @zendesuyo
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