会いたくて

#zen

短編

 

 私は大橋絵美おおはし えみ十六才。優しいパパとママがいて、仲の良い友達もいて、幸せな日々を送っていた。


 けど、そんな私もちょっとした悩みに直面していた——。


「絵美さん、あなただけですよ。進路調査票を出していないのは」


 放課後の職員室。担任の女性教諭に呼び出されたかと思えば、そんなことを言われた。


 けど、すぐに進路調査票を出せない私は、仕方なく頭を下げる。


「すみません。もう少しだけ待ってください」

「来週には提出してくださいね」

「……はい」


 ——私には夢がなかった。


 小学生の頃はパティシエや画家になりたいと言っていた私だけど、SNSに上がっている同年代の作品を見たら、私なんかが目指すのはおこがましいような気がして……いつの間にか諦めていた。


 だって、私みたいな口だけの女子が、天才に叶うはずなんてないから。


 そんな風に夢を諦めて何年経つだろう。


 少し物足りない日常を見て見ぬふりして、それでも私なりに楽しい日常を送っている——つもりだった。






 ***






「ねぇ、ママ」

「どうしたの? 絵美」


 自宅に帰宅して、私はさっそく母親のいるキッチンに向かう。


 料理上手なママは、アジフライを揚げている最中で、パチパチと音が弾けた。


 本当は食事中に言っても良かったんだけど、なんとなく早く言った方が良い気がした私は、おそるおそる口を開く。


「実は、進路調査票を提出しないといけないんだけど……」

「あらそうなの? あなたが目指すものなら、私はなんだって応援するわよ」

「それが、よくわからなくて…」

「あなた、パティシエになりたいって言ってたじゃない」

「それは昔のことだよ」

「なら、探せばいいじゃない。やりたいことを」

「……そうだね」


 話にならないことはわかっていた。パパもママも、寛容なふりをしているだけで、本当は面倒ごとが嫌いなんだと思う。


 だからいつも、噛み合わない会話がたまらなく嫌だった。


「やりたいことを探すって言ったって、世の中にどれだけ職業があると思ってるの……」


 制服のまま自室のベッドに転がった私は、学校で配布された職業別Q&Aの本を片手にため息をつく。


 職業診断もついてるけど、漠然とした解答しかないので余計にモヤモヤした。


 夢について考えるのが嫌になってきた私は、何気なく本棚の卒業アルバムを開く。


「この時代は悩みなんてなかったんだろうな」


 幼稚園の頃の無邪気に笑う自分を見て、またもやため息をつくけど……。


 ふと、そんな時。


 アルバムから一枚の紙切れが落ちた。


「なにこれ?」


 小さなメモに描かれていたのは、園服を着た私と——。


 手を繋いでいるもう一人は誰だろう?


 知らない誰かがそこに描かれていた。


「この頃は、絵描きを目指していたんだっけ?」


 根拠のない自信ばかりあって、今思えば黒歴史である。


 なんだか恥ずかしくなった私は、その絵をアルバムに挟んで、元の置き場所に戻した。

 



 ——そしてその夜、私は夢を見た。


 夢の中の私は、水の中にいた。


 水中で一生懸命手足をバタバタさせているんだけど、その場所から動けなくてストレスばかりが溜まった。


 ただ、水の中と言っても、息はできるみたいで……そこのところはさすが夢である。


「はぁ、変な夢だった」

  

 今日は休日だけど、早朝に起きてしまった私は、なんとなくパパやママと一緒にいるのが嫌で、外に出ることにした。


 夢の余韻を引きずりながら公園に向かう私。


 まだ早い時間だから、人気のない公園は居心地が良かった。


 それなのに、


「ねぇ、君」

「?」


 変な男の子に声をかけられた。


 同年代くらいだろうか。


 何が変って、雨なんて降ってないのに、全身ずぶ濡れのその子は、何がそんなに嬉しいのか、私を見て笑っていた。


「すみません、宗教には興味ないです」


 私がハッキリ告げると、男の子はきょとんと目を丸くしていた。


「え? 宗教?」

「違うんですか?」

「君は、絵美ちゃんだよね?」

「なんで私の名前を知ってるんですか?」


 私が警戒する中、その人は笑っていた。


「何か困ってるみたいだね」

「ええ、困ってます。変な人に絡まれて」

「変な人ってどこ?」

「私の目の前の人です」

「え? 僕? 僕って変な人なの?」

「だって、雨でもないのにずぶ濡れだし」

「服はすぐ乾くよ」

「そういう問題じゃ……」

「ほら、乾いた」

「またまた、そんなはずないじゃないですか……って、本当に乾いてる」

「でしょ? だからこれで変な人じゃない?」

「……」


 よく見ると、その人はとても綺麗な顔をしていた。


 でもこんな早朝に声をかけてくるなんて、やっぱり変な子に決まってるけど。


「……用件はなんですか?」

「んと、君の願いを叶えに来たんだ」

「私の願い? 叶えに来た?」

「そうだよ。だって僕のこと、呼んだでしょう?」

「なんのことですか? 私は誰も呼んでません」

「ううん。はっきり聞いたよ。君の心の声を」

「だから、宗教勧誘はお断りします」

「宗教じゃないよ! 僕は君の——」


 言いかけて、その子はハッとした顔をする。


「?」

「友達だよ」

「友達?」

「覚えてないの?」

「もしかして、子供の頃の友達とか?」

「そうそう」

「ごめんなさい、覚えてなくて。名前を聞いてもいいですか?」

「名前? 名前……は、アキト」

「あきと? 確かに、そんな子がいた気がする」

「だよね? だってこの名前は……」

「?」

「それはそうと、何か困ってるみたいだけど?」

「……別に、困ってないですけど」

「でも、不安そうな顔してた」

「……ちょっと進路について悩んでただけです」

「進路?」

「私、なりたいものがないから」

「え? 嘘! あんなにパティシエとか画家とか言ってたのに」

「……本当に私の友達なんですね。私の昔の夢を知ってるなんて」

「知ってるよ。毎日のように聞かされたし」

「それは私がまだ子供だったから」

「にしたって……夢がないなんて」

「夢がなくて悪いですか?」

「そうじゃない。君のことをずっと応援してたから」

「悪かったですね。私は自分のことをよくわかってるから、パティシエも画家も無理だってわかったんです」

「そんなことないよ」

「世の中には私なんかじゃ手の届かない人がたくさんいるから」

「絵美は臆病だね」

「普通です」

「でも、何もしないで夢を諦めるなんて、そんなの勿体ないよ」

「どうせ失敗するんだから、今から軌道修正した方がいいでしょ」

「夢に向かって失敗する方がいいと思うよ。何もしない後悔よりも、何かして後悔した方がいいに決まってるし」

「私は現実を見てるんです」

「だったらさ、一度やってみようよ」

「え?」

「試しに一度やってみて、ダメだったら諦めればいいじゃん」

「試しにやってみるってどういうこと?」

「僕の知り合いがケーキ屋のオーナーをしてるから、やってみなよ」

「はい?」

「面接は受けないといけないけど、君ならきっと大丈夫だから」

「むりむりむりむりむり! そんなこと、いきなり言われても」

「さっそく行こうよ!」

「ちょっと! 引っ張らないで」


 そして私はなぜか、職業体験をすることになったのだった。


「ほら、あの人がオーナーだよ。行っておいで」


 近くにあるオシャレなカフェに連れて来られた私は、ドキドキしながら店内を見回していたけど——アキトに背中を押された。


「え? 行くっていったって」

「ほら、大丈夫だから、行っておいで」

「ちょ、ちょっと!」


 アキトに背中をどんどん押されて足を進めた私は、思わず店長さんらしき人の前にまで来てしまう。


 店長さんは、私を見るなり首を傾げていた。


「あの……すみません」

「なんだい? ああ、もしかしてバイトの面接に来たのかな?」

「……はい」

「いつから入れる?」

「え? あの、面接は?」

「今は猫の手が借りたいくらい忙しい時期だから、さっそく入ってもらえると助かるよ」

「……はあ」


 なぜかすんなりとバイトが決まったので、私はその日の午後から働くことになった。


「い、いらっしゃいませ」


 しかもバイトは店頭販売の担当だった。


「あの、モンブラン二つとショートケーキ三つで」

「は、はい。かしこまりました」


 ショーケースの裏側に立った私は、慣れないながらも、お客さんの対応に追われた。


 そんな私に、ショーケースの向こう側にいるアキトが小声で告げる。


「頑張れ、絵美」

「うるさい」


 こうして私は、流されるまま初バイトで一日が暮れた。


 そして、


「今日は本当にありがとう。初日から入ってくれて、助かったよ。これは残りものだけど、持って帰ってくれるかな?」

「え? いいんですか?」


 店長からケーキをもらった私は、悩みなんて嘘のようにご機嫌になって家に帰ったのだった。


「ただいま」

「おかえりなさい」


 キッチンにいるママは、相変わらず忙しそうに調理していた。


 けど、言わずにはいられなかった。

 

「あのね、ママ。私、今日初めてバイトしたんだ」

「え? バイト?」

「そうだよ。友達の紹介で、ケーキ屋さんのバイトに入ったの」

「嬉しそうな顔しちゃって。そんなに楽しかったの?」

「うん。ケーキ眺めるだけでも幸せだったよ」

「良かったじゃない。でもこれからは、バイトを始める前に報告してほしいな」

「ごめんなさい」

「でも社会勉強自体は悪いことではないわ。頑張りなさい」

「うん」 


 そして次の日も、その次の日も、私はカフェで働いた。


 バイトなんてしたことがなかったから、不安だったけど、思い切ってやってみて良かった。それもこれもアキトのおかげだから——。


 それを伝えるために再び公園に来たけれど、アキトの姿は見当たらなかった。


「どうしよう。連絡先聞いとけばよかったな」


 そんな風に困っていると、ちょうどその時、アキトが姿を現す。


「どうしたの?」

「あ、アキト」

「また新しい悩みでもあるの? 僕を呼んだよね?」

「違うの、お礼を言いたかったから」

「お礼?」

「うん。私、わかったの。最高のパティシエになりたいんじゃなくて、お菓子を作ることができれば、それでいいんだって」

「どう違うの?」

「全然違うよ。私、パティシエは天才しかなれないと思ってたんだ」

「そっか。でも僕は、きっと絵美にも才能があると思うよ」

「でも私、下手のもの好きだし」

「そうじゃなくて、絵美は真心をこめて作る才能があると思うよ」

「それは私が作ったお菓子を食べてみて言ってよ——今度はね、厨房にも入らせてくれるんだって」

「へぇ、そっか」


 その日、アキトは笑っていたけど、どこか悲しげにも見えた。


 それからアキトは、いろんなケーキ屋さんを紹介してくれた。


 いろいろなお菓子を見ることができて幸せだった。カフェの店長さんの計らいもあって、他店の厨房を見せてもらうこともできたし、私の夢はパティシエの方向で動き出していた。



 ——そんな矢先だった。



「進路調査票、そろそろ提出しないと。専門学校の見学も行きたいな……そういえば、アキトって子供の頃の友達なんだよね? 卒アルにいるかな?」


 休日で自室にいた私は、幼稚園の卒アルに手を伸ばす。すると、挟んでいた私の絵が床に落ちた。


「あ、うっかり踏んじゃった。……って、あれ? どういうこと?」


 卒アルに挟んでいた私の絵。


 なぜかそこには私しかいなかった。


「あれ? 確かにこれ、私と誰かの絵だったよね? なんで私しかいないの?」


 しかも卒アルには、アキトの名前がどこにもなかった。


「幼稚園じゃないのかな? だったら、小学校の卒アルにいるかな?」


 私は小学校のアルバムを開く。けど、やはりどこにもアキトはいなかった。 


「どうして? アキトはいったい、誰なの? ……でもまあ、明日また聞けばいいかな?」


 そしてその翌日も、公園に向かった私だけど——アキトは現れなかった。

 

「連絡先も教えてくれなかったし。実は私、嫌われてるのかな?」


 それから毎日のように通っても、アキトに会うことができず。思い切ってカフェの店長さんに連絡先を尋ねてみたけれど……。


「アキト? 誰だい、それは」

「え? だって、アキトの紹介でここのバイトに応募したのに……」

「紹介? どういうこと?」

「私が初めてきた日、一緒に男の子もいましたよね?」

「いや、君一人だったよ?」

「……え」


 店長さんの言葉に、私の顔がみるみる青ざめる。


 思い返してみると、アキトがオーナーと喋っているところを一度も見ていないのだ。


 私はアキトが紹介してくれた他のケーキ店を回ってみるけれど、誰一人としてアキトを知っている人はいなかった。


「これは、どういうこと?」


 私はその衝撃の事実に、震えが止まらなかった。


「アキトは何者なの? もしかして私が空想で作りだした人? 私、病気なのかな?」


 あんなに親身になってくれたアキトが現実にいないと知って、涙が出た。


 いつか私が作ったお菓子を食べさせてあげる。そう約束したのに……。


「ただいま」

「おかえりなさい。あら、どうしたの? なんだか暗い顔して」


 一日アキトを探し回って、帰宅する頃にはすっかり遅くなっていた。

 

 気遣うように顔を覗き込んでくるママに、私はアキトのことを訊ねる。


「うん、ちょっと……ママはアキトのこと、知らないよね?」


 誰もアキトを知らないことに、諦めていた私だけど、ママは驚いた顔をする。


「アキト? アキトがどうしたの?」

「え……ママ、知ってるの? アキトのこと」

「覚えてるに決まってるでしょう。仮にも私のお腹で生きていた子ですもの」

「ママのお腹の中?」

「そうよ。あなたがアキトと名付けたんだから」

「私が……アキトと……あ! 思い出した」


 私は慌てて幼稚園の卒アルを探した。そこに挟んでいた一枚の絵。それは、私しかいないけれど——元は私とアキトの絵だった。


 弟ができるのを楽しみにしていたあの頃。


 毎日弟と私の絵を描いては、ママやパパに見せていた。


 その頃はまだ子供だったから、同じ幼稚園に通えると思ってたんだよね。


 けど、アキトは結局、切迫流産で生まれてくることはなくて……。 


 私は一人になったその絵に、再びアキトの絵を描き足した。


 私の夢は、もしかしたらアキトの夢でもあったのかもしれない。


「絵美、大丈夫?」


 心配して部屋を覗きにきたママに、私は笑顔を向ける。


「うん、大丈夫だよ。私決めた」

「何を?」

「やりたいこと全部やるの」


 だから見ていてね、アキト。


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