第2話 毛鉤(けばり)独考

 ひどい有様であった。

 今シーズン最後の釣行に、初見の渓流を選ぶべきではなかった。明確な到着地点を見いだせぬまま、私の運転する車は彷徨さまよっていた。


 九月末の最後の休日、私を含め有終の美を飾りたい諦めの悪い渓流釣り師があらゆる所で竿を出しているのだ。既にめぼしい箇所は彼らの車で一杯だ。

 やはり釣りにおいて最大の障壁は間違いなく人、魚より天候よりも人、なのではないか。

 刻々と良い時合が過ぎていくのに苛つきながら私は車を走らせる。


 そうしてようやく、駐車スペースと入渓口らしい箇所を見つけ、車を停めた。


 正直言ってそこまで良いとはいえない渓であった。

 水は清涼で、白い花崗岩で構成された渓流の美しさはあったが、度々堰堤えんていが現れて遡行そこうを阻害し、魚はさんざんに叩かれたあとでほとんど反応はなかった。


 唯一の救いは坊主ボウズ(一匹も釣れないこと)ではなかったことだ。小さな岩魚イワナを掛けたが、むろん満足のいかないものだ。

 

 焦りと苛立ちはミスを誘発する。一歩、迂闊うかつに踏み出した際に発した振動は、大きな魚影を走らせた。悔いだけが残る。


 その大きなしくじりの後、私は下流に入り直して釣行を続けた。期待できる渓相(渓流の様相、雰囲気)ではない。やはり反応はなく、むなしく時間が過ぎていく。

 

 堰堤の下まで辿り着いた。乗り越えられるぐらいの小滝程度のもので、ここがほぼ最終ポイントと言っていい。

 小さなオモリをつけた毛鉤けばりが宙を舞い、ゆったりと沈める。と、途端に道糸が張って、反射的に『合わせた』。

 水中で小さな銀色が走る。

 竿が曲がり、根がかりでない確かな手応えが伝わる。


 そいつは鋭く体をくゆらせて、鉤をはずさんともがく。


 雨子アマゴだ。


 中々の手応えに、この一年を生き抜いてきた個体だ、と感じた。

 焦ってはいけない。もがく勢いを竿の弾性と腕力でいなし、ゆっくりと弱らせてから引き寄せる。少しの抵抗ののち、力を失った魚をタモで確実にすくい上げた。


 花崗岩に磨かれて色素は薄く、背の部分は少し淡い翠。そして水中花のごとき朱点が散りばめられている。そう大きくないが、この渓流の色を移し込んだ。美しい肢体。


 私はほとんど魚を捕らない。

 許可区域でもいわゆるキャッチアンドリリースをしているが、この日は何故だか逃がすより、この魚を持ち帰りたい気持ちが強かった。


 少し逡巡しゅんじゅんして私はナイフを取り出し、アマゴのえらの内に押し当てた。

 魚が撥ねて赤い血が溢れる。命の証が絶えることのない流れの中に、ゆらゆらと吸い込まれていく。


 曇り空から雨粒がこぼれはじめた。




 ――あの時、あの命を奪ってよかったのか――。


 あの時の釣行を思い出しながら、私は淡々と、毛鉤巻いていた。


 冷たくなった空気に、微雨が屋根に落ちる音を感じた。


 テンカラ、と呼ばれる日本の疑似餌釣りに使う毛鉤は至ってシンプルだ。


 西洋のフライフィシングの精巧なそれと比べるとぼんやりそれっぽく、水生昆虫やら羽虫に見える程度のものだ。


 こだわる人もいるが、私も効率と手間を惜しんで、いつも大体似たような毛鉤をつくる。


 魚には人間のような拘りはない。

 餌のように見えれば飛びつくし、どんなに虫に見えても食い気がなければどんなことをしても食わない。


 もうすぐ夜が明けるが、釣行に行くわけではないのでただ、毛鉤を、管理釣り場用やら来年用やらと巻き続ける。


 反省、後悔、来年への期待、去来する様々を巻き込んで、私は毛鉤を巻き続けた。

 

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テンカラ釣行記〜生命(いのち)のうねり〜 香山黎 @kouyamarei

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