紫の仮定法

ナナシリア

紫の仮定法

 紫色の花が咲き誇っていた。


 名前も知らない、だけど綺麗な花。


「これは、フリージアっていう花」


 解説したのは、テスト順位はいつも学年一位の、ちょっと鼻につく彼だ。


 今も、花の名前を説明した彼がちょっと自慢げ。


「……フリージア」


「春から初夏に咲く花だ」


 鬱陶しくもあるけど、彼が博識で優秀なのは間違いなくて、彼みたいに生まれたかったと思う。


 僕がもし彼みたいに生まれていたら、僕はどれだけ心地よく生きられていただろう。


 ……想像してもただの幻想か。


 僕は彼みたいにはなれない。


「君の心は、とても綺麗だ」


 彼が言う。


 僕にはそれが嫌味みたいに聞こえた。


 彼が僕に勝っていることはたくさんあるのに、僕の方が上みたいに言う。


「俺は、君に紫のフリージアを贈りたい」


 たっぷり蓄えた知識を使って、おしゃれな言い回し。


 僕にはできないことを平然とやるその姿が、腹立たしい。


 含みのある笑顔が、内心では僕を見下しているであろうことを想像させる。


 彼が僕をここに連れてきたのは、そうやって自分の知識を自慢するためではないか。


「知ってるか? 紫のフリージアの、花言葉」


 僕にはわからない。彼はなにがしたいのか。


 僕は知らない。紫のフリージアの、花言葉は。


「知らない」


 彼はそっとうなずく。


「知らないなら、知らないままでいいや」


 彼が、本当に花言葉を教えたくないとは思えなかった。どうせもったいぶっているのだろう。


 そう思ったけど、彼は僕に花言葉を教える気配もないまま僕に背を向けた。


「また明日」


「ちょっと待ってよ。花言葉、教えて」


 本当に帰ろうとして、さすがに面食らって呼び止める。


 彼は仕方なくといった様子で振り返った。


「紫のフリージア……。花言葉は、『憧れ』」


 予想していなかった花言葉。「憧れ」を贈りたいとは、どういう意図なのだろう。


「君は、俺にはないものをいくつも持ってる。もし俺が君みたいに生まれていたら、っていつも憧れてる」


 彼は、僕の中の彼よりも数倍真剣な目で語った。


 彼の頬が、ちょっと赤い。


「改めて説明すると、やっぱり恥ずかしいな」


 彼はふいっと僕の方から顔を逸らしてフリージアの花畑に向き直る。


 僕も再びそちらを向く。フリージアが清々しいほど紫だった。


「俺じゃ君に届かない。届かないから、憧れるんだろう、って思う」


 言いながら、彼は目を伏せる。


「……うん」


 さっきまではひどく大きく見えた彼が、今では僕と同じように見える。


 これまで彼よりずっと小さく思えた僕が、今では彼と同じように思える。


 ふっ、と彼は短く息をした。

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紫の仮定法 ナナシリア @nanasi20090127

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