第4話 麦仙

 半年ほど前のことだった。辰族の長だという、見目十八ほどのすらりとした柳腰の女性がたずねてきたのは。

梅龍房メイロンハンさんにしかもう、お頼みできないと思いまして」

 話を聞くと、古物商をしている弟の生活力がなさすぎるらしい。姉としてはせめて、ご飯くらいは食べてほしいと弁当配達やまかないを雇うが、これがどうにも長続きしない。

小麦シャオマイがわがままというのもありますが、何より……その、店のセンスが……アレなので、配達に行きたくないという声が多くて」

 今となっては、その意味がわかるが、当時は想像がつかなかった。真樹ジェンシューも興味本位だったのだろう。こんなことを尋ねた。

「配達に行きたくないと、言う人がいるくらいのセンスがない店……具体的には」

「馬糞以下です」

 即答だった。

「そうじゃなくて具体的に、何が店内にあるのか、なんですが……」

「あ!」と長は、磁器のように白い少女の顔を赤くした。

「あの……時間が経つと『ねうねう、ゴロゴロゴロ』と鳴く仕掛けがついた、羊の身体に頭部が半壊した狼の剥製が置いてあったりするのですが……」

「……」

「……」

 女と父、そして豆豆の間に、しばし言葉が無くなった。やがて、父が口を開いた。

「小豆、お前、行け」

「うっす」

 弁当配達は時間がもったいないので、朝と夕を作り置きする「まかない」になった。

 そんなわけで、豆豆は三日に一回程度の頻度で、この「麦仙マイシェン」という二十三で体の成長及び老化を止めた辰族の男のもとへ通っているが、彼の生活力の酷さは凄まじかった。掃除はしないし、皿も水につけっぱなし。客が来なけりゃ昼間から飯も食わずに寝ているのなんの。

「相変わらずひでぇの」

 かび臭い座敷で割烹着に着替えながら豆豆がぼやけば、

「でも最近の俺、ちゃんと皿、洗うぞ」

と、ドヤ顔を覗かせてきた。そういう問題か。

 豆豆が首をかしげると、麦仙は再び「めんどいな~めんどっちぃの~」と歌いながら箒を掃きだした。

 明日の夕方には戻れと父から言われている。そのため、今日は夕飯を作り、明日、朝食と次に来るまでの作り置きをすれば良い。

「そうは言っても、氷室には限りがあるからな~……あと、朝の丑市で何が買えるかによるな~」

 玉ねぎや生姜を切りながら、豆豆は明日からの献立について考えていた。なるだけ新鮮な野菜と肉が手に入ると嬉しい。卵が手に入れば、オムレツを作ろう。実家の梅龍房メイロンハンにいるときに作れないものが、作れるのはまかないの良いところである。

「今日の夕餉は海老のフワフワか?」

 掃除を終えたらしい麦仙がひょいと、海老の殻を剥く手元を覗きこんできた。「フワフワ」とは、海老団子や蟹団子のことである。彼いわく

毛豆マオドゥの作る蟹団子は蟹団子じゃない。フワフワしているから『フワフワ』だ」

とのこと。ちなみに、麦仙はなぜか豆豆のことを「毛豆マオドゥ」(枝豆)と呼ぶ。

「んにゃ、海老の香辛料煮です」

 前世の世界でいう「トムヤムクン」をこちらの世界でアレンジしたものである。親父からは「辛いんだか酸っぱいんだか、わからねぇ」と言われ、姐やたちからは「美味しいけど、匂いがキツイ」と不評であった。

 麦仙お坊ちゃん(九十八歳)はどうだろうか。乾煎りされる殻を見ながら、彼は「ふーん」と興味なさげな声を出すと、

「フワフワがよかったんだが」

はいはい、わるぅござんしたね。豆豆は、んべと心の中で舌を出した。

「香りは悪くない」

「だろ?」

 パチンと豆豆は指を鳴らした。

「そうだ。老麦ラオマイに頼みたいことがあるんですけど、飯ができる前にちょっと見てくれませんか?」

「暇だし良いけど、その代わり、羊の腸詰肉が食いたい」

 羊肉は寧国では高級品である。そもそも羊という動物自体、寧国では未族しか飼ってはいけないという決まりがあることや、彼らが羊肉を食べることをタブー視していることから、寧国の市場には出回らない。

 羊の腸詰肉ソーセージは、少し前に店で出したものの余りを彼に出したことがあったが、このとき、豆豆はそんなこと知らなかった。

「俺のじゃなくて、姐やのなんです」

「ヤダ。羊の腸詰肉が食いたい」

「今すぐには無理ですよ」

 店も閉まっているし、食材だってない。

「じゃあ、今度、腸詰肉食わせろ。そしたら、見てやる」

 羊肉、それも内臓は海の方が近い永灯ヨンダンでは、なかなか手に入らない。

 この間は、大見世の看板妓女が身請けされたとかで思い切って仕入れただけだ。今度、作れるとしたら良くて来年だろう。炒める野菜と一緒に、豆豆の心もしなしなになってきた。

「お前、余計なことしやがったな」煙管を燻らせながら鼻で笑ってきた、酉族にいる方の麦仙の姉の顔を思い出した。

「……羊肉は使えないけど、代替品じゃいけません?」

「それなら、今すぐできるのか?」

「明日、朝から丑市で材料を買ってきますから」

 豆漿ドゥジャン(豆乳)を鍋に注ぎながら、豆豆は祈った。お願いです、神様、仏様。いや、この世界に神様はいても、仏様はいなかったなぁ。そういうことではないんだが。豆豆の心臓はバクバクとした。

「じゃ、明日な」

 勝った。唇を尖らせる麦仙を横に、豆豆は拳を突き上げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

マメ豆カンジョウ記 やばやばしんどみパラダイス @8ba4n

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ