第3話 寧国

 永灯ヨンダンから馬車を使い、北西へと進んでいくと関所がある。夜の行燈の光しかない薄暗い関所の中で、兵士たちは豆豆ドゥドゥが出した手形を見て、あくびをしながら門を開けた。一歩入れば、そこは灯りが落ちない永灯ヨンダンより異質な、寧国であった。

 寧国は兆国の属国であると同時に、「仙人」と呼ばれる種族の人間が大多数を占めている。さらにそこから十二支族という民族に分かれ、十二支族それぞれが違う能力や思想を持つ「多仙人国家」である。

 豆豆ドゥドゥは父に連れられ初めて、ここへ来た日のことをよく覚えている。穏やかな陽気の春の日だった。

 集落の広場にビビッドな紫色の血を流しながら横たわる十尺(約三メートル)はあろうかという青色の馬。それらを解体しながら談笑する若い男女。

 彼らは皆、上等そうな輝く絹や刺繍の施された服を着ていたが、そんなのお構いなしに、幼い豆豆の背丈ほどある刀を振るっていた。瞬く間に、馬の身体や頭部は肉塊へと変わってしまった。

 そして、それをあんぐりと見つめていた豆豆の頭上をふわふわぴゅーんと、蝶や鳥のように飛んでいった。小さい豆豆はとなりにいる父に尋ねた。

「親父、なんであの人たちは飛べるの?」

 彼は諦めたように答えた。「仙人だから」と。

 その時、豆豆は門を出てからここへ来るまで、若者か少年少女としかすれ違わなかったことに気がついた。何とも言えない寒気に襲われた。桜が綺麗な日だった。


 さて、豆豆にとってそんな思い出がある寧国だが、弁当配達や「まかない」で来るうちに、そんな非日常には慣れてしまった。今では、空中で若い女性同士が謎の光弾を打ち合っていようが、黒い喪服のような衣の男がぶつかってきてぼそぼそと何か言ってこようが、たいして気にならない。

 むしろ、気になるのは行李こうりに入れたイーン姐やの簪と、あの年寄りがどんな無茶ぶりを言ってくるかだ。

 春になったばかりの夜風が肌寒い暮六つ、門から出て馬車で五分ほどの「営業中」の看板が傾いたボロボロの建物の前で豆豆は降りた。御者は信じられないといった目で彼を見た。

「何なら目的地まで連れていくけど」

「あ、俺、ここの住人に飯作るのが仕事なんで」

「じゃ、そういうことで」と豆豆が軋む扉を開け、入っていくと「ええ……」と声がした。豆豆は電気をつけた。

 金メッキが剥がれかけた異国の面や、腹部が欠けた幼子の陶人形、蜘蛛なのか百足なのかよくわからない虫がびっちり詰まった瓶、赤い染みだらけのボロボロのソファ、その他諸々。見渡す限り、誰がどう見てもガラクタだらけ埃まみれの店内。その端っこの、ギリギリ勘定場だなとわかる場所、男が巨大なクッションの上で健やかな寝息をたてていた。

 広がる艶やかな青みがかった黒髪は長く、寝息をたてる唇は薄く、色白で顎がほっそりとしており、鼻が高い。それでいて睫毛が長めの中性的な美人である。胸元で組んだ指だって細い。何も知らない人が見れば、ガラクタの中、青い絹衣を着た彼が上等な人形に見えるだろう。

 豆豆にだって一瞬、そう見えた。しかし、すぐにかぶりを振った。そして、ずかずかと奥の厨へ入ると鍋とお玉を手にし、カンカンカンカンと男の耳元で鳴らしてやった。

老麦ラオマイ、起きろ! 飯だぞ!」

老麦ラオマイ」と呼ばれた男は、けたたましい金属音に初めこそぎゅっと眉間に皺を寄せていたが、「飯」の二文字にぴょいと飛び起きた。そして、

「やったぁ! ご飯!」

とぴょむぴょむとウサギのように飛び跳ねた。これを見る度に、豆豆の口元はわなわなする。「このクソガキじじいが」と。

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