第2話 鶯とカエルの簪

 時がたち、豆豆ドゥドゥは十七になった。小さい鼻や大きな黒い目は相変わらず、背丈は五尺九寸(約一八〇センチ)近く体は丈夫な青年へと成長していた。

「ほんのちょっと前は、こぉーんな小さかった小豆シャオドゥが今じゃ、こんなでっかくなって……小豆シャオドゥなんて呼んじゃあいけないな、大豆ダードゥって呼ばなきゃ」

 彼が幼かった頃からの常連は皆、口を揃えてそんな冗談を言う。その度に、豆豆はこう返した。

「お客さん、大豆でも小さすぎますぜ」

 さて、ある日の八つ時、店の二階の一室で父の弟子・枇杷ピーパーと賄いの粥を食っているときだった。「小豆!小豆!」と外から鳥の鳴くような甲高い声がした。

 ひょいと窓から顔を覗かせると、昼間から白粉を塗りたくった妓女がひらひらと手をふっていた。地味めの白い花柄の黄みがかった緑色の衣を纏っている。ここから二軒先の中堅妓楼「小鳥楼」の「イーン」という妓女だ。手には小さな紺色の風呂敷包みを持っていた。

 豆豆はうげぇと、舌を出しかけた。父ではなく自分を呼んでいること、そして、風呂敷包み。確実に厄介ごとの臭いがする。豆豆は顔を引っ込めた。

「小豆! 居るんだろ! 早く出てきな!」

 ばれている。仕方なく彼はガツガツと粥をかきこんだ。

枇姐ピーねぇ、悪いけど茶碗お願い」

 男性の身体に女性の心を持った枇杷ピーパーが「はいはい」と茶碗を受け取ると、豆豆はすぐさま階段を駆け降りた。木製の両開きの扉を開けると、くりくりとした黒目と豊かな茶髪の童顔女が、にぃと目を細めた。

「鶯姐、人使いが荒くねぇか?」

「うるさいな。妓女ってのは時間がねぇんだよ。呼ばれたら飯食ってようが、寝てようが待たせるんじゃあないよ」

「時間がねぇなら禿かむろを使えよ」

「禿には禿でやることが、たんっまりとあるんだよ。お前、そういうのは『はい、わかりました。小姐ねえさん』って返すんだよ」

「はいはい、わかりました。小姐ねえさん

 豆豆が言われたとおりに返せば、鶯は「よろしい」と満足そうに頷いた。

「ところで今日は何の相談?」

「あぁ、そうそう」と彼女は手にした紺色の包みを解いた。

 螺鈿の鶯が金の波の中を飛んでいる黒漆の箱。その蓋を開けると、横を向いた白銀のカエルと連なった瑪瑙めのうが輝く簪。瑪瑙はしずくの形に加工されており、白銀の細い鎖の装飾と相まって雨の降る様子を表しているようだった。

「ある客から貰ったんだけど、どう思う?」

「どうって……センスがないなぁと」

「同意。あたしも箱までは良いじゃん、良いじゃんって思っていたのに、中がこれだからガッカリしちゃった」

 鶯が肩を落とした。鶯のいる「小鳥楼」の妓女たちは皆、鳥の名を源氏名としている。そのため、この見世に通う客は妓女に贈り物をする際、鳥もしくは妓女の名の鳥をモチーフにしたものを贈る。

 いわゆる暗黙の了解ではあるが、鳥にカエルを贈るとは食い物にでもしてくれということだろうか。冗談めかして、豆豆が言うと鶯がケラケラと笑った。

「あたしもさ、そう思って、すぐ質屋に入れたんだよ。そしたらさ、三日して質屋の野郎が血相変えて来たんだよ」

「鶯姐、こいつ、動きやがるんだ」唇まで青くさせて、質屋は見世に来た。

「もちろん、あたしはそんなの知らないし、それで、返すからお前も金返せって言われてさ、もう大喧嘩だよ」

「結局、どうなったの?」

「おばばに箒で叩かれようが何されようが、土下座するもんだから根負けした。せっかくあの金で、繍眼シュウイェンに何か買ってやろうと思ったのに」

 繍眼とは鶯の禿である。今月の末、確か、初見世となる舞と歌が得意な小柄の愛らしい娘である。そりゃ、ちょっとでも良い物で着飾ってやらねば。

「だろう? だからさ、小豆、今日の夜、『寧国』に行くんだろう? だったらさ、ちょっと、こいつをどうにかしてくれよ」

 豆豆はぎょっとした。なんで、自分のシフトを知っているんだ、この女。

「ふふーん! 妓女には妓女の情報網ってのが、あるのさ。さぁ、可愛いあたしの禿のために頑張っとくれ!」

 バンバンと背中を叩かれ、豆豆は大きな溜息をついた。

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