マメ豆カンジョウ記

やばやばしんどみパラダイス

第1話 始

 「麗杏リーシィ」は色町を有す兆国第二の都市である。灯の落ちぬ町「永灯ヨンダン」と称されるその町の一角、中堅妓楼と高級妓楼の間に「梅龍房メイロンハン」はあった。

 梅龍房メイロンハンは色町にしては珍しい女を売らない飯屋であった。王都の高級料理店で十数年修業を積んだ男の作る料理は、素材が活かされた繊細な味つけ、季節を感じる彩り、盛り付ける器へのこだわりなどが評判を呼び、繁盛している。

 客の中には、

「これで女と遊べるとなりゃ、もっと繁盛なさるぜ?」

と、下卑たことを言う者もいた。そんな時、店主である真樹ジェンシューは決まって、

永灯ヨンダンに普通の飯屋があったっていいだろう? 俺は、妓女やそいつらと遊びに来た奴らが腹いっぱい食えるような店にできりゃ万々歳さ」

 そう、さらりと答えた。

 女は絶対に売らない、寝床も用意しない。梅龍房メイロンハンは美味い飯しか出さない。そんな真樹のまっすぐな思いに、徳の高い上客や教養ある妓女はますますこの店の贔屓となった。

 今では、「梅龍房メイロンハンで飯を食い、そこにいる客や女と話してこそ、遊び人として一流である」と、風流人たちは噂するくらいだ。

 さて、この梅龍房メイロンハンの店主の真樹ジェンシューの嫁、つまりは梅龍房メイロンハンの女将は地元では変人として有名であった。何せ裕福でない身分の女なのに、読み書きができる。そのうえ、男のように本を読み学ぶ。

 そんなだから、永灯ヨンダンへと当初は遊女にするため売り飛ばされたのが、どういう縁の繋がりか、女を売らない料理屋の店主の妻となり、子供までもうけた。

 子の名前は「豆豆ドゥドゥ」豆のように小さい鼻と、砂糖であえた黒豆のように輝く大きな黒い目と小柄な体躯が特徴的な男児であった。豆豆は母と父、そして、たくさんの「姐や」や「おじじ」たちに可愛がられ、優しい子に育った。

 そんな彼が憎かったのだろう。七歳になったある日、近所の悪ガキが豆豆を川へ突き飛ばしたのだ。幸い命はあったものの、真冬の凍てつくような日だったうえに、腕や足には針を入れねばならぬほどの傷まで負っていた。彼は長いこと熱にうなされた。

 その時、豆豆は夢を見た。

 ここではないどこか。見たこともない建物や、牛や馬なしで動く車。

 そして、豆豆は思い出した。自分はかつて、この世界とは違う世界の、「日本」という国で生きていた前世を。一流ホテルへの就職が決まり、ゆくゆくは自分の店を出すんだと夢見ていた矢先、交通事故で亡くなった過去を。

 それから豆豆の生活が一変した、ということはない。しかし、豆豆は前世の記憶をどうにか活かしたいと思っていた。

 この世界は、龍やら神獣やらの存在が信じられていて、果実や野菜も前世とは少し違うということはわかっている。それと同時に、リンゴやタラといった前世の世界にもあった食材があるということも知っていた。だから、豆豆はある時、自信満々に、

「これはフキノトウだ!」

と、ヨモギついでに摘んでいった。そして、父親に雷を落とされた。

「お前! こいつぁ、マリモドキっつー毒だ! 食ったら三日三晩で胃が腐るとんでもねぇ毒だ!」

 豆豆はまだ生意気なガキであったから、父親の言葉に、

「親父食ったことないから、そんなこと言うんだ!」

などと言って、食った。とんでもなく、不味かった。両親は慌てて隣の店から薬師を呼んだ。そして、豆豆はまた父親に雷を落とされたのだった。

 その夜、豆豆は泣いた。自分の知識が両親の助けになると思ったのに。そんな豆豆に母の雨鈴イーリンはいつもの優しい声で言った。

「お前がお父さんにムキになったのを、母さんは初めて見たよ。何が、小豆シャオドゥをそうさせたんだい?」

 父にぶたれた頬を撫でる彼女に、豆豆は前世の記憶について話した。転生前の国や時代はこの世界とは違うが、文明が大きく発展していたこと、衛生管理や養殖技術など、この世界で活かそうと思えば活かせられるものが多くあること。

 母はそれを否定も肯定もせず、ただ黙って聞いていた。やがて、彼が話し終えると、

「お前さんはそんなすごい世界から来たんだね」

 その言葉に、豆豆は顔を輝かせた。しかし、「ただし」とピシャリとした彼女の声に、姿勢を正した。

「いいかい。小豆、知識というのは時に人間や世界を変えてしまう。それは自分が思っているより、大きく、そして、急速に」

 そう言った母の目は、どこか遠い目をしていて、それが豆豆には恐ろしかった。怒っているときの父よりもずっと。

「だからね、小豆、どんなに人の役に立ちたいと、楽させたいと思っても、その前世の記憶の使い時には気をつけなさい」

 そう笑った母はどこか寂しそうだった。

「あぁ、あとそうだ。これは私の老師せんせいから受け売りなのだけれど、小豆にも言っておこう。何が真実で、何が正しいのか、それはお前の知恵と目で確かめなさい」

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