第11話

 クソみたいな味の食事を終えて少しだけ仲良くなった僕とレーナは再びあの大男と対峙していた。


「いい? 自分を道具だと思いなさい。アンタはアタシに使われるただの道具。何を壊そうと誰を殺そうと全部アンタじゃなくてアタシの責任。悪いのは全部アタシ。刃物で人が殺されたとしても悪いのは殺した人であって刃物じゃない、そういうコトよ」


「分かるような分からないような」


「じゃあ分かりやすく脅してあげるわ。アレを殺さなきゃアタシがアンタを殺してあげる」


「やっぱりよく分からないや」


 まるで見えない壁があるかの如く目の前で止まったままの大男。彼我の距離は数メートルもない。数歩歩けば彼の射程内。

 準備運動をするように全身を動かすレーナは僕にシニカルな笑みを向けてきた。


「安心してよね、アタシは全世界を支配してやる女よ。こんな所で終わる訳ないんだから。全部アタシに任せときなさい!」


――――


『……………………』


『学習能力というものがアナタにはないのですか……?』


『アナタは馬鹿正直にあのレーナとかいう小娘の指示に従って勇者ストマックに戦いを挑み、一度も攻撃することなく倒れ伏しました。それでも世界最強と謳われたモモモ人なのですか、恥を知りなさい』


『とはいえ、事実ワタシがアナタに施した祝福のトリガーはアナタの意思、認識によるものです。完全に他者に責任を委ねることが出来ればその支配者の意思でアナタが暴力を行使できるのは間違いありません』


『ただ、それは事実上不可能といっても良いでしょう。モモモ人は精神干渉に対しても高い耐性を持ちますから洗脳による支配は困難。そして自由意志の元、暴力の責任を他者に押し付けるなど破綻した精神性を持つか妄信とも言える信頼関係が必要でしょう』


『そのつもりで動いた? アナタは何処まで愚かなのですか。出会ってすぐの相手を心の底から信頼することなど土台不可能です。アナタは人格破綻者でもない。……褒めていませんよ? ワタシはただ壊れていないという事実を述べただけです』


『残念ですね。アナタはこの森を出ることは一生敵わない。モモモ人であるが故にストマックの力を以てしてもアナタを殺すことは不可能でしょうが、アナタが彼を越えることも出来ません。非常に残念ながら、アナタはこの森で生涯を閉じることになるのかもしれません。人間の寿命は瞬きのように短いですから』


『……ただまぁ、ワタシも悪魔ではありませんし鬼でもありません。むしろ天使です。どうしてもと頼むのであれば、突破口を教えて差し上げましょう』


『この夢の内容は起きれば忘れる? えぇ、そうですね。ですから当然、これはアナタが覚えていなくても問題ない方法なのですよ』


『一分です。一分だけ、このワタシに肉体の支配権を譲ってはいただけないでしょうか?』


――――


「道具のように使う。その考えはワタシの祝福の抜け穴として正しいです。流石は人間、地上最強の生物。しかし、そう簡単に潜ることが出来ないからこそその脆弱性は放置されているのですよ」


 古の大英勇ストマックの握る矢に体を貫かれながら、その刃からどうにか逃れようと体をよじって出血を激しくしていたレーナはその声にはっと顔を上げた。

 声の発生源はつい先ほど、レーナの前でストマックに殴り倒されたモモモ人。しかし、男性であるはずの彼から聞こえてきたのは清浄さを感じさせるような女性の声音だった。


 瘴気に覆われた虚ろな顔をストマックもそちらへと向ける。そこには、やはり倒れたミゲルの姿。


「……しかし素晴らしいですね、この体は。地上においては天使以上の肉体性能、聖霊魔術以外への魔術的適正も非常に高い、知覚能力や脳の演算性能も高水準ですか。結構結構、ワタシの僕として認めましょう」


「ふぎゃっ!? うっ……痛ったいわね……」


 自身の体の感触を確かめるようにして立ち上がったそちらへの優先度が――警戒すべき危険度がレーナを上回ったのか、矢を振るい鏃から彼女を抜き飛ばすとストマックはミゲルへと正対した。

 地面へと転がったレーナの腹部は背にまで届く傷が広がっており、ヒモ状の臓器が溢れていた。灼けるように痛む傷口を手で抑え、外界へとまろびでた中身を強引に内部へと押し戻す。


「傷つきにくいだけではなく再生能力まで。相変わらず化け物ですね、おちこぼれである個体でさえこれなのだから、この肉体が寿命以外で滅びる想像が出来ないというものです」


 冷たい視線をレーナへと注ぐ、ミゲルの顔をした何者か。まるで実験動物を眺めるかのような視線だった。

 その視線の先、レーナの腹部は傷口周辺の細胞が異常な速度で分裂と肥大を繰り返し、目に見えて分かるほどの速度で傷が癒え始めていた。ほんの数秒ほどしか経っていないというのにすでに出血は止まっていた。


 ストマックは――勇者ストマックは、モモモ人の体を借りた何者かに何を思ったのか、一瞬で彼の前へと詰め寄るとその手に握った矢を彼の頭部へと叩き込んだ。


「ミゲルっ!?」


「やかましいメスです、淑女であるならばそう吠えるのは控えなさい――おっと、野蛮かつ粗野な人間に紳士淑女という概念はありませんか」


 頭頂部へとその刃のような鏃が接するかという刹那、ミゲルの背中から灰色の翼が幾重も伸び、ストマックの攻撃を遮った。


「天使の眼前ですよ、頭が高い。無礼者には神罰を下しましょう」


 レーナは、ミゲルの背後に小柄な女性の姿を幻視した。美しく、しかし作り物めいた感情のない表情の、天使。六対の灰翼を持つ神の使い。


 何が起こったのか、強烈な風が巻き起こりストマックを弾き飛ばしてしまった。飛ばされた先には不自然に土が盛り上がり十字を象る。


「懐かしいですね、地上の大粛清。人魚には人魚の、悪魔には悪魔の、そしてエルフにはエルフの方法で。五千万年前の再現といきましょう」


 磔となるストマックを前に、邪悪な笑みを浮かべたミゲルが腕をかざす。

 風、土、水、炎――エルフの持つ自然感応力によって操ることのできるエレメントが集い、美しい弓矢を形成した。


「ワタシはこれでも天使ですからね、邪神の戒めごと葬って差し上げましょう。どうです、優しいでしょう? ――ばんっ」


 触れることなく弦が引かれ、そして放たれた矢は寸分違わず勇者ストマックの延髄を貫いた。


 ストマックの体から立ち上る瘴気が霧散していく。肉体も水分を失ったかのように塵へと変わる。


『――人間、いや、天使か……』


 朽ち逝く最中、虚ろなる表情が僅かばかりの時、正気を取り戻した。勇者ストマックの瞳に理知的な意志が宿る。


「お久しぶりですね、勇者ストマック。ワタシが分かりますか?」


『忘れるものか、堕天使』


「おっと失礼な。『今の』ワタシは歴とした神の下僕。天に、主に、父に刃向かうつもりなどありませんのに」


『何故貴様が人間に宿っている。それは、貴様が滅ぼそうと躍起になっていた種であろう』


「えぇ。全知全能なる我らが父の産み出した唯一の失敗作ですもの。ノノノ人を滅ぼした時はエルフの皆さまにもご協力していただいて感謝しております」


『何故、何故』


「理由など一つでしょう?」


 ぼそり、と誰にも聞こえぬほどの声で呟くと、天使は人間の体を操り、エルフの大英勇をこの世の軛から解放した。


「……さて。次は薄汚い人間のメスを始末しましょう。ワタシ、人間というものが嫌いなんですよね」


 倒れたままのレーナに振り返ったそれは、独り言を呟くように、そして手をかざす。

 しかし。


「だってそうでしょう? 羽も、光輪も持たないのに、それ以外の見た目は天使そっくりなんですよ。中途半端に似て気持ち悪い。そういう意味では、えぇ、エルフも大概ですけれど――おや?」


 ミゲルの背後に浮かぶ半透明の幻視が、ゆっくりと薄れていく。


「時間切れ、ですか。まぁいいでしょう、一分ならず、五分程度支配できたというのは収穫です。モモモ人の体の使い方も覚えました。次はより長く操ることができるでしょう」


 そして、そのビジョンが完全に消えると、まるで糸が切れるかのようにしてミゲルは地面へと倒れてしまった。


「ミゲル……? ねえちょっと、ミゲルっ!? あぁもう! 訳が分からない! なんなのよアンタ!?」


 レーナは他に誰もいない森の中一人、そう吠えた。

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A・C・H――エンシェント・カラミティ・ヒューマン―― 異世界最強生物人間/怪物黎期アポカリプス チモ吉 @timokiti

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