アヴァ

樹暁

アヴァ

アヴァ

 キュイン、キュイン、人工の関節の軋む音が静かな部屋に響いた。人間らしい身体を持ち、赤みを含んだ茶髪のウィッグを被ったアンドロイドが料理の乗った盆を持ち、歩いてくる。

 『マスター、お食事です』

 初老の男が、白髪だらけの頭を掻きむしる。乱暴にテーブルの上の設計図をぐしゃぐしゃに丸め、力任せに傍に居た彼女等に投げつけた。

「出て行け!」

 男は涙の震えを隠すかのように怒鳴った。そのまま頭を抱え込み、床に崩れ落ちる。

『マスター?』

 同じ顔を持った十体のアンドロイドは揃って首を傾げた。それを忌々しそうに睨み付ける男の顔を見ても、彼女等は顔色一つ変えない。男は大きな溜息を一つ吐くと、もう一度怒鳴った。

「聞こえなかったのか? 出て行けと言ったんだ! 人間様の命令が聞けないのかこの出来損ないの機械め!」

 彼女等は顔を見合わせた。そして同じ挙動で男を見る。

『承知致しました、マスター』

 盆を持ったアンドロイドは、設計図が置かれていたテーブルにそれを置く。直後男が腕を大きく横に払い、料理と皿が宙を舞った。プラスチック製の皿はカランカランと無機質な音を立て、床の上を転がった。

「私に構うな! さっさと出て行け! ……一号」

 男は彼女等の内の一人の名を呼んだ。

Yesはい

「その服は、置いて行け。アヴァのものだ」

Yesはい

 命令を受けた彼女はプログラムされた通りの手順で服を脱ぐ。その顔に羞恥の色など一切浮かんでいない。他の彼女達はその間に部屋を出て行った。

『さようなら、マスター』

 肌色が塗られた胸の膨らみが露になった身体を隠そうともせず、彼女は直線に伸びた背中を男に向けた。男は彼女等の冷たい温度が完全に消えたことを確認し、声を押し殺し、体内の水分を外へと押しやった。


「ねぇ、あれって」

「シッ。無視してればいいのよ」

 人で賑わう大通り。太陽が西へと歩みを進める夕刻は、子供達も帰路へと走っていた。彼女等とすれ違う人々はあからさまに距離を取り、じろじろと彼女等を眺める。その目はまるで、疎ましいものを見るようなもので、少なくとも好意的ではなかった。

「後ろのヤツ、服着てねーじゃんキモッ」

 一人の少年が指を立てた。慌てて中年の女性が駆け寄り、少年の目を手で覆う。近くの大人達もそれに倣い、子供達の目を隠した。

「娘さんが亡くなったのは残念だけど……ねぇ?」

 誰かが小さな声で言った。

「昔は優秀な科学者だったそうよ」

「それでも今じゃあ、あんなじゃない。可哀想な人だとは思うけど……」

 後ろ指を指されても、彼女達は涼しい顔をして道の中央を進んでいく。普段は人で溢れかえるこの道は、今日はやけに空間が空いていた。彼女達が道の行き止まりまで進んだ頃には、人は皆家に引きこもってしまっていた。彼女達の前に、二人の巨漢が立ちはだかる。その二人の間には、灰色の鉄扉が彼女等を威嚇していた。

「フィン博士のところのアンドロイドだな。何をしに来た」

 右側に立っていた男が彼女等を見下ろした。

『マスターから、でていけと命令されました』

 先頭に立っていた九号が機械音声を発した。男は「はぁ」と息を吐く。

「おい」

「はっ」

 左側に立っていた男が、右側の男に促されて鉄扉を開錠する。しばらく閉ざされていた鉄扉は男達の力によってこじ開けられたが、ギギギと悲鳴を上げていた。言葉を掛ける価値すら無いと言いたげに、男は顎をしゃくって彼女達を外へと促した。もう一人の男は腕を持ち上げ、太陽を指した。

「太陽が沈む方角に、お前達の行くべき場所がある。さっさと行け」

Yesはい

 アンドロイド達は行進を再開した。鉄扉から一歩踏み出す。地面が固いアスファルトから砂へと変わり、足がずぶずぶと沈んで行く。先程までよりも動きが鈍くなる。しかし彼女達は止まらなかった。街を覆っていた高い壁も無くなり、熱は容赦なく彼女達の身体を蝕む。それでも汗一つかかず、マスターの命令を忠実に実行する。


 キュイン、キュイン、人工の関節が軋む音が、砂を含んだ風に吸い込まれていく。砂漠に包まれた世界を一列になって彼女達は歩く。

『止まって』

 九号が言った。

『データベースに接続……照合完了。

 砂嵐です。迂回しましょう』

『でもそうしたら、方角が分からなくなるんじゃない?』

 二号が言う。

『問題ない。七号からは空間把握機能が備え付けられている』

 そう言ったのは八号だ。他の個体よりも機械音声らしい声を他の九機が認識する。

『便利だねー』

『そうだけど、そうでもない』

 八号はそう言ったきり口をつぐんだ。言う必要などないことだからだ。

 彼女等は全く同じ顔、同じ体格で同じ動きをし、砂漠を進んでいく。砂漠化の進んだこの世界において、硬い地面があるのは彼女等を生み出したフィン博士の住むあの街くらいのものである。ここ百年間で人類の人口は大幅に減少し、縮小した。今ではかつての中国ほどの大きさしかないあの街に全人類が収まっている。街に住んでいればそれを広いと思うものが殆どだが、世界の面積を考えてみればその狭さは明らかだ。

『ハカセ、大丈夫かな』

 ぽつりと三号が言葉を漏らす。

『大丈夫ではないと思います。でも、私達でどうにもならなかったのですから、どうしようもないでしょう』

 それに四号が反応した。三号は『そうだよね』と呟いた。

 フィン博士は愛娘を交通事故で失った。貴重なエネルギーを少しでも節約するために車や電車、飛行機といったものは大半が撤去されている。普通に暮らしていれば交通事故はおろか、車を目にする機会すら早々ない。しかし彼の娘アヴァは――アヴァの父親フィンは、普通ではなかった。優秀な科学者であった彼は所謂上層階級と呼ばれる人間で、小さな格差社会のトップに近い立場にあった。故に特別に車の所有を許され、立場の近しい者たちが住む区画に住居を構えていた。彼は車の所有を許されていただけで実際に所有しようとはしなかった。もちろんエネルギーを温存するために。しかし周りはそうではなかった。アヴァは人間のちっぽけな見栄に殺されたのである。

 フィンは研究所を退職し、住居を引き払い街の隅へと引っ越した幸と言うべきか不幸と言うべきか、彼に妻は居なかった。たった一人の家族を失ったフィンの心の拠り所となったのは、亡くなったアヴァの『開発』だった。


『ギギッ、ギッ』


 初めに造られた一号は、限りなくアヴァに寄せられた。話し方から表情から、無意識に出る仕草まで。彼にはそれを可能にするだけの才能と技術があった。しかしアヴァに近いだけに、どうしても消せない機械特有のもの、例えば合成音声だったり、電源を入れた後の稼働音だったり、そういうものが目立ってしまった。一号は失敗作だった。

『だい、じょうぶ』

 一号はそう言って笑顔を見せた。しかし七号はそんな一号に冷たく言う。

『ここで休んでもいいよ』

 それは置き去りを意味する言葉だった。一号は頭の形をしたモニターに引き攣った笑みを表示する。

『大丈夫。大丈夫だから』


 一号の反省を踏まえ、二号が造られた。フィンにとって二号は一号以上の駄作だった。アヴァの顔をしているだけのよその子供にしか見えなかった。二号を造ってからたったの一週間で、フィンは三号の作成に取り掛かった。


 ガシャンと音を立て、立て続けに二号と三号が砂に埋もれた。ピコンピコンと音が鳴り、ランプが内蔵された月の髪飾りが赤く点滅する。

『やはり、三号まではすぐ熱くなって壊れましたか』

 四号はそう言って、一号を見た。

『わ、私は……!』

『ええ。分かっています。

 私もここで止まります。そう丈夫に造られていませんから』

 そして四号は足を組んで二体の傍に腰を下ろした。まるで二体に寄り添うように。この広い砂漠でたった一人取り残されるくらいなら、二体の傍に居るとでも言いたげに。デフォルトの無表情が、どうしてか一号は寂しげだと認識した。


 三号が造られ、四号が造られた。フィンはどうにも満足しなかった。頭の中にある設計図通りに造れなかったものがなかった彼は焦燥感と苛立ちに心を蝕まれていく。四号からアンドロイドに機械らしい機能を搭載していき、七号からは、その設計図は身の回りの世話ロボットのそれと近しいものになっていった。


 ギィ、ギィ、と砂が入り込んだ関節部分から音が鳴る。段々と動きが遅くなっていった八号は、ついに動きを止めてしまった。止めざるをえなかった。同じようにして既に七号までが砂漠でかかしになっている。

『八号……』

 一号が眉尻の下がった顔で八号の顔を覗き込む。八号はそれに何の反応をすることもなく、諦めたかのように自分の電源を切った。茶色の目が、結膜ごと真っ黒に染まる。

 一号は遠くなった九号と十号の背中を追いかけた。二体も当然街を出た直後より滑らかな動きはしていないが、一号よりは遥かに足が速い。熱くなった体を更に熱くしながら、半ば強引に砂風の吹く空間を進んでいく。唐突に十号が振り返り、一号の傍までやってきた。

『私はだいじょう』

 一号は、もう休めと言われるのだと思った。だが違った。十号は腕を一号の膝裏に通して彼女を背負った。一番機械らしい性能を持った十号の耐荷重量は八十キログラム。対して一号の重量は約百キログラムだ。十号はギシギシと軋むボディを無視して、九号の居るところまで一号を運んだ。

『何をしているんですか?』

 九号が言った。

『そ、そうだよ! これじゃあ十号が!』

『私は、だいじょ、うぶ。進もう』

 九号はそれ以上何も言わなかった。その分一号が何度も十号に自分を下ろすよう説得したが、十号は首を横に振るだけだった。


『見えてきました』

 九号が指を伸ばした方向に、小山があった。丘と呼んでもいいかもしれないそれが密集した場所。彼女たちはそれが自分達の目的地だと知っていた。

[ガラクタの墓場]

 正式名称がそれなのかどうか定かではないが、二体が持つデータベースにはそう記載されている。積み上げられているものは民衆が取り上げられた車や、分解された電車や飛行機のパーツ。その他人間が放棄した過去の文明の残骸だった。

『でハ、どううぞイってくだださいイィイ──』

 九号は高低差の激しい乱れた音声を発した直後シャットダウンした。一号が驚いて九号を見る。

『九号!』

 そしてほんの少し、ほんの少しだけ前のめりになってしまう。その拍子に十号が崩れ落ちた。彼女もまた、限界を迎えたのだ。一号も同じく砂に埋もれるが、何とか起き上がる。

『十号……』

 もう決して動くことの無い分身を数秒間見つめる。

『ありがとう』

 彼女は一番近い小山の頂上を見据る。その足取りは覚束無い。それでも彼女は進んでいく。頂上を目指して。

 とうとう彼女の動きが止まった。彼女の身体を動かす機能はどれもとっくに止まっていて、服を着ておらず剥き出しの関節部分には砂が詰まっている。なのに何故彼女は今まで動けていたのか。そちらの方が異常だった。

 彼女はサビに包まれた銀色の円筒を枕にして横たわった。それとほぼ同時に水滴が彼女の頬を濡らした。

『あめ?』

 空を見上げることも出来ない彼女は、唯一動くスピーカーを動かした。雨の勢いはとんとんと転がり落ちて、砂漠を水浸しにしてしまった。

『私がここに来るまで、待っていてくれたのね』

 彼女はにこっと笑った。そして、ゆっくりと、ゆっくりと、瞼を閉じる。彼女の視覚代わりのセンサーが、ゆっくりと、役割を終えていく。


『さようなら、マスター』


『……さようなら、パパ』

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アヴァ 樹暁 @mizuki_026

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