自らに課した罪を背負いて (5)

 私が十六になる、ふた月前。


 例の一件から、父の精神状態は更に悪化した。朝から晩まで酒に暮れ、少しでも不満があれば使用人に当たり散らした。理不尽に耐えられず退職する者が増え、人手が不足し始めていた。

 

 領地の管理も疎かになり、父が治める土地は徐々に廃れて行った。そして、治安の悪化や物価の高騰などが問題になっていた。

 領民達からは毎日、大量の嘆願書が届いた。しかし、父はそれに一度も目を通すことをせず、全て使用人に捨てさせるのだった。いつまで経っても領主である父に領民の悲痛な叫びが届くことがなかった。

 

 私は捨てられた嘆願書を隠れて拾っては目を通すのが日課になった。それにはいつも領民の苦しい暮らしぶりが書かれていた。領民の暮らしを改善するために出来る事はないかと必死で考えた。そして、一つの結論を出したのである。



 私は父の部屋を訪れた。父と顔を合わせたことは、あの一件以降一度もなかった。部屋の中は足の踏み場も無いほど散らかっており、酔いそうなほどに酒の匂いが充満していた。閉ざされたままの分厚いカーテンの向こう側では雨音が響いている。


「何のつもりだ」

 部屋に入ってきた私をみて父は嫌悪感を露わにした。



「話があって参りました。長居をするつもりはありません。早速本題に入らせて頂きます。──ふた月後、爵位を私にお譲り下さい」



 父は顔を真っ赤にして激怒する。机を拳で叩き付け、椅子から立ち上がる。

「ふざけるな!」

 父の反応は私の予想通りだった。私は涼しい顔で答える。

「酒に明け暮れ、領主としての責任を放棄している貴方のせいで領民が困窮していることはご存知ですか。伯爵様」

「黙れ」

 私に近づいた父に胸倉を掴まれる。私は大人しく父がしたいようにさせてやっていた。

「お前のような未熟な子供に何が出来る」

 私は嘲笑を浮かべながら答える。

「私がいつまで子供のままだとお思いなのですか?」

 父は私を殴りつけようと拳を振りかぶった。私に当たる直前で父の手首を思い切り掴む。私に止められると思っていなかったのか、父は屈辱的な顔をしていた。


「父上の時代はもう終わりです。今の貴方にとっては、重い任から解放して差し上げます」


 私は父の腹を蹴り上げ、体を床に押し倒した。長年私を苦しめ続けた父を、私の体重の全てをかけて組み敷いた。袖口に隠し持っていた短刀を父の喉元に突きつける。


「私の要求を聞いていただけないというのでしたら、今、ここで私と共に帰らぬ人になってもらいますが。伯爵位を譲るか、此処で死ぬか。選んで下さい」


 狂った笑いを浮かべる私から逃れんと、父は必死で後ずさる。私はさらに力を加えて父を組み敷く。短刀を父の顔の真横に深々と突き刺した。


「領主としての責務を放棄したことを罪科として強制的に爵位を剥奪します。父上は隠居して下さい」


 言うべきことを言い終えた私は父を組み敷くことをやめる。父は腰を抜かし動けなくなっていた。

「ご安心下さい。要求さえのんでくだされば、生活は保証してさしあげます。これでも貴方は私の父親なので。……二度とお会いすることはないでしょう。お元気で」

 私は部屋を後にする。扉を向こうから父が何やら怒鳴っている声が聞こえた。


 振り返る事なく階段を駆け降り、外へ飛び出した私は庭先で崩れ落ちた。父の地位を奪い自分の物にしようとしている私に、居場所など何処にも無いように感じた。

 雨粒が私の体を濡らしていく。余す所なく濡れた服が体温を奪っていく。身体は芯から冷え切っていた。




 どれだけの時間が経ったのかも分からない。

 

 私を探していたらしいリオンが駆け寄る。リオンは着ていた上着を私の背にかけた。私はその重みにすら押し潰されそうだった。

「風邪を引く。早く中に……」

 腕を掴んだ手を強く振り払う。拒絶されたにも関わらずリオンは顔色一つ変えなかった。隣にしゃがみ込み、私の肩を抱く。冷えた体にはその手の温度さえも熱く感じられた。雨音に掻き消されそうな声で私は言う。

「……これで、本当に良かったのだろうか」

 リオンは一言も発することなく、私の話を聞いていた。

「どれ程考えても、私ではこんな方法しか浮かばなかった。どうすれば良かった? 何が正しい? 私は分からない。何が正解で、何が間違いなのか」

 難しそうに眉を寄せながら、リオンは静かな声を返す。

「今すぐに答えを出そうとなんてしなくていい。お前が選んだことは正解かもしれないし間違いかもしれない。時間が経てば自然と分かるよ。……もういいだろ。ほら、早く立て」

 しびれを切らしたリオンは場から動こうとしない私を引き上げる。

「…………でも俺は、お前はよくやったと思うよ」

 リオンは豪雨に紛れるほどの声量で呟き、私を引き摺るように屋内へ連れて行った。




 そして、十六になった日。

 私は伯爵位を襲爵した。父は屋敷から遠く離れた、領地の片隅に移り住んだ。隠居後、暫くしてから父は消息を絶った。


 領主となった私はまず、屋敷の使用人への待遇を向上させた後、父が衰退させた領地を再興する為に奔走した。

 寝る間も惜しんで幅広い分野の書物を読み漁り、使えそうなものだけを抜粋していく。バラバラに取り出したそれらを組み合わせ、欠点を補う方法を考える。また実際に、領民達に話を聞き、問題点を抽出する。何度も試行錯誤し、私なりの方法を組み上げ実践した。実践によって欠点が判明すれば補う。ひたすらにそれを繰り返した。それは領民のために私が出来る唯一の贖罪だった。

 時間がかかったものの、領地は繁栄を取り戻し始め、少しずつ領民達の暮らしは改善されていったのだった。



 馬に乗って、領地を視察していたある日の帰路。隣を並走していたリオンは前を見据えたまま言った。

「ノア、俺はお前に拾われて本当に良かったと思ってる」

 私は間が抜けた顔でリオンを見た。

「…………急にどうした。悪いものでも食べたのか。帰ったらすぐに医者を呼んでやろう」

「失礼だな。食べていないが。お前の能力の高さに感心しているだけだ」

「褒めても何も出てこないぞ?」

「違う。俺はただ……」


 言葉に詰まったリオンに私は先を促す。

「ただ?」

「お前はいつか突然壊れてしまいそうで、ふと怖くなる時があるんだ」

 私にはリオンが言いたい事が分からなかった。しかし続きを聞くのが怖かった私は話を逸らす。

「容姿だけ見れば、私よりもお前の方が脆そうに見える。鏡を見てみろ」

「俺を今の容姿にしたのは他でもないお前だろう。そんなことより真面目に俺の話の続きを……」

「分かったから。後で聞く。もうじき日が暮れる。暗くなる前に帰ろう」

 姿勢を低くした私は馬の手綱を引き、一気に速度を上げる。馬は屋敷に向かって一直線に市中を駆け抜けていく。地平線に沈んでいく橙の夕日が私達の背を押していたのだった。




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【あとがき】

全5話にわたる、ノアの過去編が終了になります。

非常に文量が多く、本作の中でもとりわけ内容も重いお話だったのではないかと思います。

ここまでお付き合い下さった皆様、本当にありがとうございます。


次回から、第4章へと入って参ります。大変長らくお待たせ致しました。物語もそろそろ折り返し地点を過ぎたところです。


4章更新は9/1以降を予定しております。引き続き、お楽しみ頂けましたら幸いです。


(先の話にはなりますが、第4章終了後、スピンオフ作品の新規連載を開始する予定です。スピンオフは本作より十四年前の時間軸から始まる、ライアンとティアナの物語となっております)


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皆様、いつもありがとうございます。

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泡沫の夢をあなたと共に 〜Past editions〜 一条 月葵 @tk_icj

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