現在の天気は雨模様です

神崎郁

そんなもの

 自分の人生を悲観しだしたのはいつからだろうか。いや、もしかするといつからも何も無いのかもしれない。


 小さな諦めが幾重にも重なって、何もかもどうでも良くなって、自分すら見失った。どこまでも薄っぺらなのに中途半端に諦めがつかない。


 どうしようもなく誰かに愛されたい、そう思ってしまう自分が嫌になる。


 でも、俺の不幸も、悲観も、世界全体から見れば鼻で笑われる程度のものなのだろう。


 その程度で死にたくなってる自分も誰かから見るとどうしようもなく浅い次元で生きているように映るのだろう。笑える。


 雨はひたすらに振り続いて、全身が鈍化する心のように重くなっていく。傘、持ってくればよかった。


 雨の日特有のむせ返るようなカビ臭い匂いも、雨水と一緒に全身に覆い被さる。


 ついでに分厚いレインコートのせいで蒸し暑い。


 やがて、何だか歩き続けるすら馬鹿らしくなってその場に蹲った。周りに人は居ないしいいだろう。多少は。


 何をしてもどうにもならない。俺の痛みは俺にしか分からない。


 どいつもこいつも、分かってない。


 無意味でどうしようもない陶酔に耽っていると、ふと手が差し伸べられた。


 視線を上げると、雨にぐっしょりと濡れた黒髪を、腰の辺りまで伸ばした美少女が傘もささずに立っている。


 全体的にほっそりとした、貧相な感じの体格なのに、雨に濡れているせいか物凄く艶やかな印象を受ける。


 そしてそれは、虚構の中の理想のそれとは少し違う質感を孕んでいた。


 というか、何で美少女が俺に手を差し伸べてるんだ? 普通に考えるとありえない。普通って言葉は好きじゃないけどそれくらいこの出来事はあまりにも現実離れしているのだ。


 仮説を立てるとするならば現実に耐えかね、とうとう頭がおかしくなったか、若しくは死んであの世にでも来たのか。


 如何せんどちらも全然有り得るから困るな。


 そう困惑したまともに働かない頭を無理矢理に回していると少女は口を開いた。


「浜谷でしょ? 3組の。大丈夫?」


 線の細い印象を受ける容姿とは裏腹に、はきはきとした、耳にすとんとそのまま落ちてくるような聞き心地のいい声音だ。


「大丈夫ですけど......無心で雨を浴びたくなりまして......」

「ふーん。まあ生きてたらそんな時もあるか」

「まあ、ごく稀に......というか、あなたって確か1組の......」

「......空見真奈」

「ああ……」


 やはりそうか、学校にいる時と印象が違うからアレだったけど所謂一軍とかいうやつだ。

 

「呼び方は空見でいいし敬語じゃなくていいよ」


 そうは言われても対して親しくもない相手にタメ語とか絶対無理だ。精神が擦り切れまくって数秒でダウンしてしまう......それに、何より烏滸がましい。


「で、何でこんな所で蹲ってんの?」

「......なんでもないです。疲れただけですよ」


 彼女の問いに心の柔い部分に触れられたような不快感を覚えたからか、突き放すような返答をしてしまう。本当に最悪だ。

 

「ふーん。まあ、ちょっとわかったかも。じゃあ何も聞かない」

「俺からも質問ですけど、そっちこそ傘も無しに歩いて大丈夫すか? 風邪引きますよ」

「こう見えて割と丈夫なほうだから。というか、渋谷君の方こそ自分の心配した方がいいでしょ?」

 

 そう言って座っている俺の隣に並ぶ。


「どうして、そこまでしてくれるんですか? 別に関わりがあった訳でもない、愛想もない、こんな日陰者に」

「寂しそうだったから」

「ん?」

「多分、君も私もそんなに変わんないと思うよ。最初の一歩をどうするかが違っただけだよ。きっと」


 変わらない? そんなはずない。教室の隅から動けない弱者の俺と、実際に動いて今の立場を手にした彼女は別世界の人間だ。


 今は、輝かしい未来も満たされた人間関係も欲しくなくて、ただ惰性で何となく、努力もせず生きていたい。その癖勝手に死にたくなっている。


 最低で、最悪だ。


「俺は、あなたみたいに、『皆』みたいに前に行こうと思えないです。このまま、最低なまま、何者にもなりたくないんです」


 彼女はただ黙して、俺の言葉に耳を傾ける。


「分かるかも」

「え......?」

「世界から置いていかれてるみたいになるんでしょ? 自分だけが駄目で自分だけが何も無い事に満足してる......みたいな」


 図星だった。


 俺の考えを言い当てられたことに驚いた。


 だが、それがなんだと言うんだ、まぐれだろう


 どう足掻こうと俺の心は俺にしか分からない。分かるはずがない。そうだろう?

 

「そう……ですね」 

「でも、そういうのさ、ダサいよ」


 あくまで表情を変えないまま、そう吐き捨てられる。


 ダサい、か。


 無意識に舌打ちが漏れる。


 俺だって、そんなことは分かってんだよ。言い訳めいた自虐と自己陶酔は俺の十八番まであるのだ。

 

「そんなこと、分かってますよ。怖いんです。この劣等感を捨てたら、俺が何なのかも分からなくなって今の最低な現状も無くなるんじゃないかって」

「まあ、変わる必要なんてないんじゃない?」

「どうしてですか?」


 彼女は表情をほとんど変えず、当たり前のように『現在の天気は雨模様です』位のトーンで言葉を続ける。

 

「そりゃあ、人間なんて9割方救いようがないでしょ?」

「弱い自分に酔ってる俺も含めですか?」

「自覚してるなら尚更別にいいと思うよ。私でも君みたいな思考になる時はあるしね」


 俺と彼女はこのまま、どこかベタついた雨に打たれ続ける。


 この居心地の悪い沈黙が嫌で、ひとつ問を投げた。


「なら、どうして、そう在れるんですか?」

「......酔いたくなかったし負けなくなかった。それだけだよ。言ったでしょ? 君も私もさして変わらないって。誰しも皆弱いから、どうやって自分を守るかの違いだと思う。それで、話して多少はスッキリした?」


 あ、しまった。流れに乗って色々話し込んでしまった。

 

「まあ、少し」

「なら良かった。死なない程度にね」

「心配しなくてもそんな勇気ないですよ。てかどうしてレインコートも傘もないんですか? 俺のやつ貸してもいいですけど」


 異性と話すことなんて滅多にないんだ。たまにはこういうところで格の違いを見せないと。

 

「ありがと。でも今日は雨を浴びたくてね。まぁ、仮に忘れてたってだけだとしても、その程度の気遣いで恋愛に発展するなんて大間違いだから気をつけてねー。あ、レインコート別にいらないから」


 そう言ってそそくさと彼女は歩いてゆき、すぐに見えなくなった。


 まあでも、そうか。どこまで行ってもそこそこに死にたいまま生きるくらいが俺の身の丈にあってるのかもな。


 変わる気力なんて思えばとうに失せているのだ。


 どれだけ最もらしい、変わろうとしない言い訳を並べたところで、俺という人間は、俺なりの凡庸さと、どうしようもなさで、この世界で生きるしかない。


 良くも悪くも、俺の心はどこまで行っても俺のものでしかない。


 だけど同時に、それはきっと誰にも理解されない程、特異なものでもない。


 何だか、全部馬鹿みたいだ。でもそんなものなのだ。


 そう思いつつ立ち上がる。


 カビ臭いレインコートにも、少し慣れた気がする。


 気づけば空は裂け、雨は止んでいた。

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現在の天気は雨模様です 神崎郁 @ikuikuxy

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