第七話 長い寄り道の終わり

「この前のことについて話すのは、一通り遊び終わってからにしようね」

「……うん」

 鈴の誕生日、四月十七日。私は今、鈴と二人で、新江行きのバスを待っている。

「最初は、どこに行く? 私はね、商店街にあったあのゲームセンターに行きたい」

 大人っぽい水色のワンピースを着て、眩しいくらい無邪気な笑みを浮かべる鈴。

「ゲームセンターか、いいね。あと、商店街と言えばさ、いつか二人で行こうって約束してた、小さいカフェもあったよね。高校生になった今なら、堂々と行けるよ」

「いいねいいね、他にもさ……」

 そうこうしているうちに、バスが来た。そこからの時間は、本当にあっという間だった。


 ジャンケンによって、先に行くことになったゲームセンター。昔のまま変わっていない、レトロとは言えないけど、新しいとも言えないような、中途半端な古さの筐体たち。鈴が、ワニワニパニックで、とんでもない高得点を叩き出したので、ビックリした。

 そして、その次に行ったのは、二人で行こうと約束していたあのカフェ。鈴はパンケーキを、私はハニートーストを頼んだ。優しそうな中年のおばさんやおじさんが埋める店内を見渡しながら、私と鈴は、「こんな感じなら、怖がらずに行けばよかったね」と笑い合った。

 それから、商店街を出て、腹ごなしに中学校まで歩いた。そして、不審者と思われるのではないかと心配しながら、生徒玄関の中まで入ってみた。


 中学校の近くにある図書館。私たちは、生徒たちの中で「やばい本」と話題になっていた小説を、一ページずつ交代で読むというゲームをしていた。

「……そういえば、中学校時代の茉莉って、どんな感じだったの?」

「勉強と美術部と生徒会を頑張ってたよ」

「すごいじゃん。もっと具体的に教えてよ」

「勉強だと、中一の後半からずっと学年一位だった。部活だと、小さいコンクールで最優秀賞を取った。生徒会だと、会長をやってた」

 そう答えると、鈴は、これでもかというほど私を褒めてくれた。流石に恥ずかしくなったから、私は、渡すタイミングを見失っていた本を、話を遮るように渡した。

「……ごめんごめん、図書館なのに、大きな声出しちゃった。よし、読むぞ」

 赤く染まっていくその耳を眺めながら、私は必死に笑いをこらえていた。ポーカーフェイスを保って、読み切った甲斐があった。

「……よし。そろそろ、違うところに行こうか」

 耐え切れなくなったように、バンと本を閉じて、鈴は立ち上がった。


「案外、変わってないものだね」

 今では、若い夫婦と小学生の息子さんが住んでいる、昔の鈴の家。その庭に干された、たくさんの星がついた子供用の服を眺めながら、鈴が呟く。

「……次はさ、裏山に行かない? あの桜、見に行こうよ」

 鈴は私の手を引いて、裏山への入り口まで走った。シャクトリムシのように脚を伸ばして、丸太の階段を上っていく鈴。虫嫌いの私は、足元を見てしまわないように気をつけながら、その背中を追いかけた。

「確か、ここだったよね」

 昔よりも獣道っぽくなった、あの桜の隠れ家までの道。「ワンピース着て来たの、間違いだったな」なんて笑いながら、鈴は先陣を切って、丈の長い草を踏みしめて行った。


 「この辺りが中間地点かな?」と思ったところで、もうゴールが見えた。跨ぐだけで越えられるようになったあの倒木を、あえて私たちはジャンプで越えた。

「……うわー、懐かしい。全然、変わってないね」

「なんか、色々なことを思い出すね」

 降り注ぐ優しい光も、満開のまま私たちを待っていてくれた桜も、瓶ビールのケースの椅子も、あの頃のまま変わっていなかった。

「……なんかさ、昔みたいなワクワク感はないね」

 腰を少し浮かして椅子に座りながら、鈴が言う。

「鈴が大人になった証拠だよ」

「今ってさ、確か十八歳から成人だよね?」

 私が頷くと、鈴は信じられないというような表情で、「あと一年か」と何度も呟いた。

「……私も、大人にならなくちゃね。そろそろ、例の話をしようか」

 そう言って、鈴がこちらを振り向いた次の瞬間、鈴のショルダーバッグから、電話の着信音が聞こえてきた。

「……晴希からだ。ごめん、出るね」

 本当は後にしてほしかったけど、鈴の表情が不意に真剣になったから、私は何も言えなくなった。


 ――青ざめた顔で電話を切ると、鈴は過呼吸のような深呼吸をした。そして、光を失った目で私を見つめながら、「晴希が車に轢かれた。今も意識がないらしい」と、呻くように言った。

 鈴は、「早く帰らなきゃ」と狂ったように何度も唱えながら、震えた手でスマホを操作した。そして、しばらくすると、絶望が飽和しているような声で呟いた。「電車は一時間後、バスは四十分後だった」と。


 ――鈴は今、地面に崩れ落ちて、あの桜を御神木のように拝んでいる。「星を堕としたい」という私の欲望は、満たされたはずなのに、心はなぜか空っぽで、ズキズキと痛んでいた。


「私が、世界で一番好きなもの、なんだか知ってる?」

 そうか。私は今まで、忘れていたんだ。

「……ゼリエース?」

 涙でぐしゃぐしゃになった鈴の顔が、こちらを振り向く。

「それは、十五番目くらいかな。……正解はね、鈴の笑顔だよ」

「私の、笑顔?」

 その頭に載った桜の花びらを、手で払って落としながら、「そう、鈴の笑顔」と繰り返す。

「……じゃあ、お金はかかるけど、タクシーで帰ろうか」

「あっ……そうか、その手があったか! もしかして茉莉って、天才?」

「ふふ、まあね」


 鈴のスマホが再び鳴ったのは、藤門市内に入ってすぐのこと。「バカ、心配させるな」と電話を切った鈴の顔を見て、私は心の中で「負けたな」と小さく呟いた。


 ――勉強も、部活も、生徒会も、全力で頑張った。今の私は、昔の私よりもずっと、自分のことを愛せている。辛いことも、たくさんあったけど……鈴を好きになっていなかったら、私はきっと、変われていなかった。


「……鈴を好きになって、よかった。晴希さんと、世界一幸せになってね」

 嬉し泣きする鈴に抱きついて、私はこの恋を終わらせた。最後くらい、かっこよく笑おうと思ったけど、できなかったな。

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星を堕としたい てゆ @teyu1234

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