第六話 心を突き破って
「……単刀直入に訊くけどさ、あの晴希って人、鈴の彼氏?」
「えっ、ど、どうしたの急に?」
鈴の家までの道中、日当たりが悪い雑居ビル沿いの道での会話。
「仲良さそうだったから、もしかしてと思ってさ」
「……当たりだよ。中二の時から付き合ってるの」
「やっぱりね。晴希さんって、どんな人?」
「優しくて、頼りになる人だよ。意外と下ネタが好きだし、だらしないところは、とことんだらしないしで、ダメなところも結構あるけどね」
あの時の鈴は、私が知っている「恋人について話す女の子」ではなかった。恥ずかしそうに目を逸らすこともなく、私情を挟んで過剰に低く評価することもなく、私の目を見て話しながら、ただただ温かく微笑んでいた。
「そっか」
家族だ。あれは完全に、家族について話している時の鈴だった。
「……素敵な人に、出会えたんだね」
昔よりも華奢に見える鈴の背中をポンポンと叩き、最大限の明るい声で言う。鈴は悲しいくらい無垢な笑顔で、「いつかきっと、茉莉も出会えるよ」と返した。
――今日の目的は、大きく分けて二つ。私の知らない四年間の鈴の人生を教えてもらうことと、鈴に抱いているこの想いの正体をハッキリさせること。その中の一つはもう、あの時に達成されていたんだ。
棚の上に並んで座っていたテディベアの家族も、カレンダーの横のコルクボードに貼りつけられていたアクアビーズの動物たちも、いなくなってしまった鈴の部屋。その窓辺に置かれたミルクティーみたいな色のベッドに、私と鈴は、並んで腰かけていた。
「……まずは、私から話していい?」
膝の上に広げた両手に視線を落とし、落ち着いた声でそう訊いた鈴。その横顔が、あまりにも鋭利だったから、私は思わず身構えて、慎重にコクリと頷いた。
「実はね……私のお父さん、中一の夏に交通事故で死んじゃったの」
「……えっ?」
重いと思って持ち上げたものが、想像よりも遥かに重かった時のような、不意打ちを食らった感覚。私は言葉を失って、更に鋭さを増した鈴の横顔を、呆然と見つめていた。
「信じられないでしょ? 私でさえ、今もまだ実感が湧かないもん。……それとね、お父さんがいなくなった分を埋めようと、パートをいくつも掛け持ちして頑張ってくれたお母さんも、中三の冬に、過労のせいで病気になって入院したんだ。まあ、去年の春に退院して、今は元気なんだけどね」
しばらく黙り込んだ後、私はついに耐えられなくなって言った。
「……中一の夏休み手前から、手紙の返事をくれなくなったけどさ、もしかして、『心配させたくない』とでも思ってたの?」
自分でもビックリするくらい、毒を含んだ言葉だった。鈴は、ハッとしたような表情で私の方を振り向き、少し俯いて言った。
「そっか、そうだよね……ごめん。私、茉莉の気持ち、全然わかってなかった」
その目があまりにも悲しそうだったから、私は思わず鈴の手を握った。知らない感触に少し驚きながら、私は、ユリの花のように白くなったその手の甲を、親指でそっと撫でた。
「……こうやって、すぐに人の手を握るの、最初は私の癖だったのに、いつの間にか茉莉の癖になったよね」
「確かにそうだね」
「こういうのってさ、探してみると、お互いに結構あるかもね」
私の花がたくさん紛れ込んだ、鈴の花畑を想像してみる。嬉しさよりも先に湧いてきたのは、「私の花と晴希さんの花、どちらの方が多いのだろう?」という疑問だった。
――そして、またしばらくの間、沈黙の蚊帳が降りる。鈴は、蚊の鳴くような声で、それをめくった。
「……私、怖くなっちゃったんだ。あのまま手紙のやり取りを続けて、約束通り夏休みに再会したら、茉莉に嫌われちゃうかもしれないって」
「どうして、そう思ったの?」
「今の私は、昔みたいに明るく振舞えないし、いつも人の顔色ばかり窺ってるから」
重大な秘密を打ち明ける時のような深刻な顔で、鈴はそんなくだらない答えを返した。脳がストップをかけるよりも早く、私の口からは、「バカじゃないの?」という言葉が飛び出していた。
「そんなことで嫌いになるんだったら、『一番の友達』なんて言わないよ。鈴がどんな人になろうとも、私はずっと、鈴の友達だよ」
「……ありがとう」
その時、鈴は初めて、私の手を握り返した。不意に込み上げてきた懐かしさに、少し涙腺が緩む。そう、鈴はこうやって、痛みを感じる寸前まで力を込めて、手を繋ぐ子だった。
「……茉莉、今まで本当にごめんね。私がどれだけ変わっても、茉莉なら、こうして嫌わずに受け入れてくれるって、本当は、ずっと前からわかっていたはずなんだ。なのに……私は結局、最後まで、一番の友達を信じ切ることができなかった」
私を見つめる鈴の顔には、心の底からの安堵と、心の底からの反省が滲んでいる。しばらくの間、無言で私を見つめ続けた鈴は、突然、両手を広げて、私の方に倒れ込んできた。
「再会のハグ、しようよ」
あの頃と同じ、一対の光る水晶玉が、私を見上げている。ここで鈴を抱きしめてしまえば、きっと私は止まれなくなる。……そう、わかっていたはずなんだ。
「えー、ちょっと、子供みたいで恥ずかしいな」
鈴の高い体温が、私の中に溶け込んでくる。その熱を原動力にして、心臓が鼓動を速めていく。いっそ、鈴に気づいてほしかった。そして、とびきりの嫌な表情で、私を気味悪がって、離れていってほしかった。だけど鈴は、木に掴まるコアラみたいに、私の背中に両腕を回し、力を緩めない。
「……やばい。昨日から泣くの我慢してたから、もう限界かも」
その言葉で、私の心は、ついに突き破られた。
「……ま、茉莉、どうしたの?」
「大好き」
「……えっ?」
「ずっと前から、鈴のこと大好きだった。友達としてじゃなく、恋愛的に。……ただ、それだけ」
私に押し倒された鈴は、その言葉に更に動揺して、視線を泳がせている。流れかけた涙に濡れた大きな目、皮を剥かれたタマネギのように白くなった肌。そして、鈴の十歳の誕生日に私が贈った桜の髪留めと、それによく似合う真っ黒いサラサラとした髪。
こうして、互いの息がかかり合うような距離で、まじまじと見つめると、つくづく思う。本当に、ため息が出るくらい美人だ。
「……帰るね」
そう言って立ち去り、扉に手をかけた時、背を向けた方から、不意に声が飛んできた。
「……ちょっと待って! 最後に、謝っておきたいことがあるの。これまで、縛りつけるように『一番』って言葉を使って、ごめん! 確かに鈴は、私の一番の友達だけど、私が一番大切にしていた人は、結局、自分自身だった」
「じゃあ、今の大切のランキングは?」
「一位が自分自身、二位が家族と晴希、三位が茉莉だよ。……いや、二位が二人いるから、正確には四位かもしれないけど」
その時、私がどうしようもなく絶望的な気持ちになっていたのは、「鈴の一番大切な人が私じゃなかったから」ではなかった。
「……そっか。やっぱり鈴は、星なんだね」
呟いて、部屋を去る。愛情よりも、憧れよりも、ずっとずっと鮮烈な感情が、胸の中で渦巻く。そう、私はこの星を、この肌寒い草原の端に、堕としたいんだ。
「どうして、ここにいるの?」
お母さんに「お友達が来てるわよ」と言われて、もしかしてと思いながらリビングを覗くと、案の定、そこにいたのは菊川さんだった。
「上条さんが心配だったから」
口ではそう言いながら、のほほんとした顔で食卓に座り、クッキーを食べている菊川さん。
「……で、どうだった?」
「……告白、してきた」
「……やっぱりね」
リュックをテーブルの脚に立てかけて、菊川さんの前に座る。
「二人でどっか行かない? カラオケとか、ショッピングモールとかさ」
「やめた方がいい。お母さん、心配するよ?」
「あの人は、私のことなんか気にかけてないよ」
私はハッとして、黙り込んだ。周囲の空気に墨を垂らすような、皮肉な薄笑い。菊川さんが、こういう笑い方をしたのは、それが初めてだった。
「……同性の子を好きになることが、異常だって知ったのは、十一歳の時。お母さんに、女の子に告白してフラれたってことを、何の気なしに伝えた時。お母さん、青ざめた顔で、たった一言だけ呟いたんだ。『お父さんには、絶対に言わないで』って」
ネイルの仕上がりを確認するみたいに、右の親指をじっと見つめながら、菊川さんは語った。
「私たちはそれから、必要のない時は、一切話さなくなった。この世界には、自由に関節を外せる人や、見たものを一瞬で暗記できる人だっているのに……おかしな話だよね」
私は、かける言葉を探して俯いた。すると菊川さんは、固く結ばれた私の唇の間に、無理やりクッキーを差し込んで、明るく笑った。
「……で、どんな話をしてたんだっけ?」
「……私のおごりで、一緒にカラオケに行こうって話だよ」
――外していた髪留め、引っ越しの日に鈴からもらった、小さな
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