タザントには不思議な水が流れている
いも
タザントに流れる水
『…マリーすまない。
我が家、いやお前に王命が下った』
タザント伯爵家当主であるサモドは、此度突然降って湧いた王命を次女であるマリーに告げ、膝の上の拳を強く握りしめ再度すまないと呟いた。
マリーは、伯爵家として受け入れるしかない王命だというのに娘を想って怒りや悲しみを持ってくれる父の様子に、つい頬が緩んだ。
『お父様大丈夫ですわ。王命に従いマリリア・タザントは喜んでバスク公爵家に嫁ぎます』
タザント家は、王都からほどほどに離れたのどかな領地を持つだけの田舎貴族であり貴族の中では中の下くらいの立ち位置だった。
それが覆ったのが三年前。
マリーが14歳の頃に領内の山でいつものように遊んで…見回りをしていたところ足を滑らせあれよあれよと山を滑り落ち穴に落ちたことがきっかけとなった。
バシャッ
『いたーっい!!
あーやっちゃったなぁ…これはマーサにまた怒られるわ。早く戻らないと』
どうやら滑って落ちた穴には水が溜まっており全身がびしょ濡れになってしまった。
ボサボサの髪や小汚くなった服の見た目ほど大きな怪我はなさそうなのが救いだが、立とうとすると足にずきっと痛みが走った。左足首を見ると、赤くなっている。
『あちゃーこれじゃあすぐ戻れないじゃない。どうしましょう』
このままでは侍女長のマーサにいつも以上の小言をもらってしまう。
まずい。
よっこらせと近くの岩に座り、靴を脱ぎ捨て水が深く溜まっていそうな箇所を見つけると赤くなった足を冷やすよう浸した。
『ひゃー気持ちー!!すぐ治っちゃいそう!』
ちゃぶちゃぷと足を遊ばせていると、なんと本当に治った。
マリーは足の痛みがなくなったのに気がつくと何も考えずこれ幸いと急いで穴から這い出てどうにか家に戻った。
怪我はなくなったが見た目はボロボロのままだったため、マリーは家族や侍女長たちにも問い詰められ、勉強から逃げ出し山に遊びに行って滑り落ちたことから穴の水で冷やしたら足が治ったこと全てを話すことになった。
田舎貴族とはいえ勉強をサボって山遊びなど言語道断とマリーがだいぶ怒られた後、サモドは穴を調査することに決めた。
危なければ対策が必要であるし、水源があればなにか使えるかも知れぬと、水の採取も忘れないように命じた。
次の日マリーから大まかな場所しか知らされていないタザントの調査隊は四苦八苦小傷を作りながら穴を目指した。
ようやく穴を見つけ水を採取する際に小傷に水がかかってしまったのだが、一瞬のうちに傷がなくなってしまった。困惑する調査隊は、もう1人小傷に水をかけてみるとこちらも傷がなくなった。
その後穴の水は怪我を治す不思議な水であると調査隊は推論づけたがこれ以上何も解らなかった。
[飲むこともでき、美味しい水だが怪我が治る不思議な水である]
サモドはこの調査結果に頭を抱えた。ただの長閑なだけの伯爵家にこれ以上の調査ができる施設や人も人脈もないのだ。
お手上げ状態で不思議な水を発見したことを国に届け出たところ、王家による調査が入り、一年ほどかけて研究されることになった。
結果、怪我どころか病気にも効果が認めらるとのこと。
不思議な水は、ただの伯爵家には持て余す大層不思議な水となってしまった。
そこからまた一年話し合い、大層不思議な水は争いの火種になるとして、国の上層部のみが知る機密扱いとし王弟の息子がタザント伯爵を継ぐマリーの姉アマリヤに婿入りし、王家の加護をつけることに決まった。
可もなく不可もなかったタザントは、王弟の息子が婿入り後に侯爵に陞爵が決まったため、次の一年タザント家は高位貴族に相応しい教育を詰め込まれることとなった。
不思議な水で手一杯の中に詰め込まれる高位貴族教育に顔合わせに口合わせの日々で慌ただしい中なんと、王弟が反旗を翻した。
粗末な王の暗殺を企てたのである。
曰く、
『我が手に神の力あり神の意思は我にあり』
意訳:大層不思議な水が自分の息子のものになったから国も私のものだ
この頃、姉アマリヤと王弟の息子タリオスがとっても仲睦まじい感じになっており、タリオスが伯爵補佐としての仕事を張り切って請け負うようになった。
『私のせいで負担が大きくなってしまってごめんなさい。
もう少しだけお願いしてしまうけど、必ずあなたに追いつきます』
アマリヤの教育は元々田舎の伯爵用でしかなく、侯爵位の基礎知識から学び直しであり、時間的余裕があるタリオスが積極的にサモドの補佐をしていた。
アマリヤは、か弱そうなほんわかした見た目だが実際は田舎とはいえ次期伯爵として教育を受けた強い女性だ。
最初はタリオスもアマリヤが名前だけの伯爵のちの侯爵となり実務は自分がやるつもりで婿入りを承諾したが、彼女の奥底にある強かさやこのような奇怪な事態にも対応し切る柔軟さに触れることで考えが変わって行った。
心にアマリヤの言葉や笑顔が不思議としみ込むようになると、いつの間にかアマリヤのために支えていこうと思うようになったのだった。
外から見たらタリオスが次期伯爵のように見えたのかもしれない。
ただ愛するアマリヤの負担を減らしたいたけだったのだが。
王弟すらもタザント伯爵領が自分の血筋のものになるという盛大な勘違いさらに思い上がりと奥底に燻っていた野心がそれを引き起こした。
タリオスは、そんな父親を即切り捨てた。
比喩ではなく本当に切った。ばっさりと。
その日、今後のタザント領や水の扱いについて王宮の執務室にて国王陛下、宰相、王弟、タリオス、伯爵家からは父と姉が呼ばれ最終確認をしていた。
親戚になる予行練習のような穏やかな場になるはずだったのだが、王弟は突然立ち上がると先ほどの口上を叫びながら懐から短剣を取り出し国王に向けた。
それにいち早く気づいたのが隣に座っていた息子のタリオスだった。
騎士を目指したこともあるという彼は、素早く短剣を奪うと首元をばっさりとやった。
『あなたの言う神の力はアマリヤの許可がなければ使えませんよ。
すぐには死ななように切りましたが…
(生きて北の牢屋に行くか、このまま死ぬか)
どうします?』
息子の問いを正確に読んだ王弟は、全てを諦めて北の牢屋に行くことを選んだ。
アマリヤは王弟から殺意が消えたのを感じ取るとタリオスに水を手渡した。
『……アリーありがとう私のせいで、ごめん。
国王陛下、父がこのようなことをしでかしてしまい申開きもございません。勘違いにのぼせ上がらせた責任は私にもございます』
タリオスはアマリヤとの未来が閉ざされた絶望の中息子として高位貴族として責任を果たすつもりであった。
そばで一部始終見ていたサモドは、タリオスの姿勢に感心しつつ早く王弟に水をかけてあげて欲しいな、と顔には出さず少しだけ狼狽えていた。
現在床に伏せている王弟の首からは血が刻々と流れ落ちているのである。
『タリオスお前に責はない。
弟よ、昔お前がこの玉座を欲していたのは知っていた。それでも私を支えることを選んだお前を私は……
はぁ、よい。
連れて行け』
衛兵が来る前にタリオスが水をかけ王弟の傷は治された。血だらけのままなので治ったかどうかはあまりよく分からなかったが。
王弟はふらつきながら腕を取られ連れて行かれた。このまま王族用の北の牢屋に入るのだろう。
『やはりこの水は、絶大な力は、人を狂わせるか。
伯爵、アマリヤ、そしてタリオス。これから伯爵領は大変難しい土地となろう。
子々孫々くれぐれも力に振り回されぬよう気を引き締めて励んでくれ』
アマリヤとタリオスは王の言葉に涙を堪え深く頭を下げた。伯爵も2人が引き離されずほっとしながら今後も変わらぬ忠誠を心に刻みながら頭を下げたのだった。
色々あったが大円団!
で終わるはずだったがさらに最悪なことに王弟婦人が騒いだ。
我が夫が国王に理不尽に捕まえられた、と。
取るに足らない伯爵家の家に大事な息子を婿入りさせられた挙句、それでも変わらず王を支えていた王弟が謀反を企てたなど今更そんなことをするわけがない、罪を捏造して我が家を潰すつもりだと騒ぎ立てた。
これには国王も慌てた。
即座に夫人を王宮に呼び、説明したが不思議な水について話せないためになんとも中途半端な話になってしまい納得は得られなかった。
高位貴族の茶会で涙ながらに語る夫人に、婦人らが同情を寄せた。
これまでの王弟や夫人の献身を知っているからだ。
分かる。
あいつは良き弟だった。
はぁ…
さらに突然の伯爵家への婿入りは他の貴族たちにも疑念があったらしい。
急に我が家にも下位貴族へ婚姻を結ぶように王命が下されたら冗談じゃないという静かな夫人たちの怒りが腹の奥底に眠っていたのだ。
そんなに多くの王命はだしてないと思うんだかなぁ。
はぁ…
少しずつ話が広がって行ったため仕方なく夫人を北の牢屋に連れて行き王弟に会わせたうえで、伯爵領に王家が必要な財が見つかったことから婿入り王弟の謀反についてを再度できるだけ丁寧に説明した。
此度の騒動について深く反省した王弟は、機密以外自分のしでかしたこと、タリオスが止めてくれたことや彼が最愛と一緒になったことを話した。
夫からの言葉でようやっと夫が罪を犯したことを理解し涙を流した夫人は、自分も牢屋に入ることを王に願い出た。
数日後婦人も北の牢屋、王弟と同じ牢に入ることとなった。
牢屋と言っても罪を犯した王族を捉えるために建てられたもので、厳重に鍵がかかってはいるが簡素な平民が住むには少し良質な部屋である。
夫婦2人生涯出ることはないが、生きることに不自由はない。今の2人ならば命あることに感謝し穏やかに暮らせるだろう。
タリオスはすでに旨みのない伯爵家に婿入りという罰を受けている、ように世間では見られていた。
実際の物事の順序では婿入りが先だったが噂を操作することで、謀反が起きたから婿入りさせられたと、いかようにでもである。
だがしかし、本来なら有耶無耶に処理するはずが夫人の声の大きさゆえに謀反を隠せなくなってしまった。おかげで事後処理が増えてしまったことに国王は、ため息を吐かざるおえなかった。
王弟の息子が婿入りするために伯爵位から侯爵位に、王家が後ろ盾になる予定が頓挫した。
仕方ない。
そして冒頭の次女マリーへの王命である。
それを受けた伯爵は怒髪天である。
亡き妻に娘たちのことは頼むと言われ、婿選びは慎重に慎重を重ね吟味し倒し、選び抜く予定だったのだ。
いやだがしかし仕方ない。
分かる。
だが。
2人だ。
1人目はなんだかんだ貴族だそんなこともあるかもと少しだけ覚悟はあった。
しかし、2人だ。
威厳たっぷりに『娘と結婚したくば娘を幸せにするのが条件だ』と父親らしし台詞を言うことがささやかな野望であった。
王命では無理だ。
しかも公爵。
なんだ王家による嫌がらせか?
数週間前に王家に忠誠を誓ったこともすっかり忘れ今や怒りしかない。
不思議な水を盾に反乱でも起こしかねぬ勢いの伯爵にマリーは『喜んで』てふんわり笑ったのだった。
バスク公爵家は初代国王の弟が起こした家であり、最近では先代の国王の歳の離れた王妹が嫁いでいる。
今はその息子が25歳という若さで当主を勤めており、その人こそがマリーの結婚相手である。
タザンナ領は、隣国に行くのも避暑地に行くのにも通り道になるため多くの人の往来があった。
王都に程近いため領内で立ち止まる人間は少なかったが。
あの日はたまたま珍しく激しい雷雨が鳴り響いた日だった。馬が驚き道を外れた貴族の馬車が一台ぬかるみに嵌り立ち往生してしまった。
そこに通りがかったタザント伯爵は自分の邸宅に貴族御一行を迎えることにした。
馬車は夫人が子息を連れて少し離れた生家に遊びに向かうところだったらしい。
予定では我が家のお隣の領地で一泊するつもりが、急な雨で本当に困っていたとのこと。
夫人からは丁寧なお礼の言葉をいただき、子息からはにこっと溢れる笑顔でありがとう、と。
王家特有の澄んだ川のように淡く輝くサファイアの瞳が、少し高いが聡明さを窺わせる聴きやすい声が、静かな衝撃を与え心を震わせた。
マリーは初めて人が、綺麗だと思ったのだ。
だからと言って、好き好き結婚したい!とは思わなかった。
縁のない方だと割り切って、一行が帰るまでちらっと見ては綺麗だなぁと鑑賞していただけ。
そんなマリーの初恋未満の想い人が、バスク家の嫡男アルシオンなわけだが実は嫡男の方はちゃっかりマリーが初恋だったりする。
あの日馬車を引いてた馬を宥めたのが他ならないマリーだった。
とてつもない衝撃だった。
アルシオンは目を疑った。
女性といえば、か弱く静かに声を出すものだと習ったし周りにもそのような知り合いしかいなかったため、興奮状態の馬の手綱を躊躇なく取り手懐ける様に心臓に激流が走った。
結婚したいなーしたいなーと思い一晩過ごしたがあまり接点がなく祖父母の家に着いた後ちょっぴり泣いたくらいだ。
それから何年もどうにかならないか考えているなか、不思議な水の噂を聞いた。
渡りに船とばかりに、素知らぬ顔でマリーと結婚しますと申し出ようとしたら国王が弟の息子に王命を出しやがった。
王が公爵家に今までの献身に褒美を与えたかった、とそうですかそうですか。
心の中で泣いた。
いい歳なのでさすがに泣かないがいつでも泣けそうだった。
せっかくのチャンスが…
と、思ったら大逆転劇。
王弟やっちゃったな、でもこのチャンスいただくとしよう。
なので国王にさくっと王命をお願いした。
この一年マリーが高位貴族の勉強をしたり夜会に出るようになって接点ができたことで、好印象なはず。
明日はマリーが好きなタザンナの山に咲くサファイア色の花を両手いっぱい持って会いに行こう。
数年後タザンナは姉アマリヤとタリオスにより穏やかに発展して行った。
ここで休憩していくとちょっと疲れが取れやすい、そんな噂が広がり少しだけ賑やかになった。
領内の山にはバスク公爵家の別荘ができ、ぬかるみができないよう改めて道が舗装されたことで人の往来がさらに増えたのも要因だろう。
このまま発展していけば陞爵もあるのでは?と噂されるほど確実にタザンナは、重要な土地になりつつある。
目覚ましいタザンナ領の発展に、不思議な何かがあるという噂が流れた。
しかし、その噂はのほほんとアマリヤ伯爵はきっとうちは水が美味しいですからそれですわ、と言うだけでいつしか話題にならなくなった。
タザントには不思議な水が流れている いも @potato0
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