地下鉄の幽霊

日乃本 出(ひのもと いずる)

地下鉄の幽霊


 夜のニューヨークの地下鉄の中、スーツ姿の二人の青年が、つり革を手にして話していた。


「やあ、ビル。今日も残業かい?」

「やあ、ジョン。そういう君も、こんな時間に地下鉄にのっているということは残業だったんだろう?」

「その通りさ。まったく、やってられないね」


 ため息をつくジョンに、ビルがまあしょうがないねと自嘲気味に笑いながら同調した。


 この二人、一週間前からこの地下鉄で知り合い、それ以来お互いに世間話をしながら家路につくのがお決まりとなっている。


「どうだい、ビル。最近何か面白いことでもあったかい?」

「いや、特になにもないよ。職場と自宅を行ったり来たりさ」

「そうだろうと思ったよ。そんな君の退屈を吹っ飛ばしてくれるような面白い話があるんだが、聞いてみるかい、ビル?」

「どんな類の面白い話なんだい?」

「ホラーストーリーさ。題して、地下鉄の幽霊」


 ふふんっと鼻を鳴らして得意顔をしてみせるジョンに、ビルは興味をそそられて問うた。


「そいつは面白そうだ。是非とも聞かせてくれよ。でもまさか、この地下鉄が話の舞台とかじゃないだろうね?」


 両腕を広げて冗談めかした口調で言うビルだが、ジョンは至極真面目な顔になってビルに言った。


「なんだ、知ってるのかいビル?」

「っていうことは、この地下鉄が話の舞台なのかい?」

「ああ、そうさ。なんだいビル、怖気づいたのかい? どうだい、もし嫌ならこの話はここでやめておくことにするけど?」


 勝ち誇っているかのようなジョンの顔に、ビルは大きく息を吐いて言った。


「まさか。ぜひ、聞かせてくれよ」

「よし、それじゃあ一つ披露させてもらうとするかな。ところでビル、人が死んだとき、当然のことだけど死者は墓の中に入るわけだね?」

「そりゃあそうだ。まあ宗教によっては死者を焼いたりすることもあるそうだが、アメリカでは基本的には土葬――つまり死者は棺の中に入れられて墓の中に埋められるだろうね」


 ビルがそう言うと、ジョンは我が意を得たりといった様相でうなずいた。


「ということはだ、このニューヨークの地下にもそんな墓の住人たちがいるわけだよ」

「このニューヨークの地下に? 死者たちがいる? 馬鹿馬鹿しい。こんな開発された大都会の地下に墓を作る奴なんていないよ」

「それは君が現在のニューヨークしか見ていないからそう思うだけだよ。今でこそニューヨークは大都会となっているわけだけど、昔から大都会だったわけじゃない。当然、ここも我らアメリカ人の誇るべきフロンティアスピリッツによって開拓され、今の姿に至るというわけさ」

「まあ、確かにそれは君のいうとおりだろうね。でも、それと地下の墓と何の関係があるんだい?」

「だから、その開拓時代に想いを馳せてみようじゃないか。重機もなく、まともな寝食を与えられることもなく、ひたすらに開拓していった先人たち。当然、その労働環境は過酷を極めるといったところだったとは思わないかい?」


 ジョンの言葉に、ビルは歴史の教科書の挿絵や、西部開拓時代の映画のワンシーンを思い起こした。


「そうだね、そうだと思うよ。きっと過酷な環境だったんじゃないかな」

「そうなると、事故や病気によって亡くなってしまう人も大勢いたわけさ。しかし、開拓現場から遺体を一々引き上げるわけにもいかないし、人によっては身寄りがないから帰る場所がないなんて場合もありうる。それで仕方ない――というのも変な話かもしれないけど、開拓現場であるニューヨークにそのまま埋葬したんだ」

「なるほど、だんだん話が読めてきたよ。つまり、ニューヨークの地下には開拓時代の人々の遺体がまだ埋まっていると言いたいんだね?」

「そういうことさ。それで話の本筋に戻るけど、そんなわけだからニューヨークの地下鉄には、時折開拓時代の幽霊が出ると言われているんだ」

「ふうん。でも、わからない気がしないでもないね。開拓時代の御先祖様なんだから、新しい物好きに決まってるだろうからね。それこそ新しい物好きのニューヨーカーと一緒さ。そんな人――いや、幽霊か。まあ、そんな幽霊の前にこんな地下鉄なんかが通ったら、一度は乗ってみたいと思っても不思議じゃないよ」


 そう言うビルに、ジョンは茶目っ気たっぷりなウィンクをして見せた。


「君の言う通りさ。それに、当時の人たちは今のニューヨーカー以上にジョークが好きだったに違いない」

「なぜそう思うんだい?」

「想像してみなよ。昔は今と違って、娯楽なんてものがどれだけ少なかったことか。せいぜい酒を飲むかジョークを言い合うかくらいしかないだろう?」

「なるほど、たしかにそうかもしれない」

「そんなジョーク好きの茶目っ気たっぷりな御先祖様たちが、午後八時を境にして、この地下鉄に御乗車されるっていう噂話を最近耳にしたんだ」


 自分の腕時計に目をやるビル。時計の針は午後八時を少し過ぎたところを指していた。


「ということは、御先祖様たちはもう地下鉄に乗りこんでいて、物珍しそうにぐるぐるとニューヨークの地下を周っているというわけだね」

「ああ、そうさ。その証拠に――ほら、見てごらんよ」


 ジョンが顎をしゃくった先には、妙な老人の姿があった。


 まさに今話題にあがっていた西部時代のような薄汚れた姿をした老人であった。ビルは老人がホームレスかなと思ったが、あんな時代錯誤な姿をしたホームレスがいるなんてちょっと考えにくい。


「ははは、なんてタイムリーな姿をした御老体だ」


 笑って誤魔化してはいるが、ビルの心には何やらうすら寒さが忍び寄っていた。まさか、本当に幽霊じゃないよな? 偶然にしては、タイミングが良すぎるぞ。


「タイムリーも何も、ひょっとすると御先祖様本人かもしれないぞ? なあ、話しかけてみなよ、ビル。違ってたら違ってたで興味深い老人だし、本物なら本物でそれこそ面白い話が聞けそうじゃないか」

「そうかもしれないけど、なんて話しかければいいと思うんだい? 失礼ですが、あなたは幽霊じゃありませんか、なんて聞けるわけがないだろう」

「たしかにそうだね。なんと話しかければ――っと、こいつはいい。あちらさんのほうがこちらに興味をお持ちになってくれたようだよ」


 ジョンの言葉に老人の方へと目をやるビル。すると、老人が複雑な表情を浮かべながらこちらへと向かってきているではないか。


「おいおい、ひょっとすると気を悪くさせてしまったんじゃないかい。僕達の話が聞こえてしまったのかもしれないな」

「それはまずいな。ビル、すまないが、あの御老体の応対は君に一任させてもらうよ。僕は同世代の人間とはシンパシーを得やすいけど、年上の人間とはどうも波長が合わないんだ」

「そんな投げやりなことを――――」


 ジョンを咎めようとするビルであったが、老人がすぐそばまで来ていることに気づいてそれをやめた。ビルはせき払いをし、老人に言った。


「ど、どうされました。何か御用でしょうか?」


 努めて冷静に穏やかな口調でビルが老人に問いかけると、老人はおびえた表情を浮かべてジョンの方を指さしながら言った。


「あ、あんた……さっきから、一人で隣に話しかけておられるようだが、隣に誰かいるのかね……?」


「一人でって……。おじいさん、面白い冗談を言うじゃありませんか。僕の隣には、僕の友達のジョンが――――」


 そこまで言ったところでビルは戦慄した。隣にいたはずのジョンが忽然と姿を消していたからだ。


「そんなバカな……?!」


 辺りを見回してみるが、ジョンの姿はどこにも見当たらない。まるで、最初からこの世に存在していなかったかのように、あっという間に姿を消してしまっていた。


 背筋に冷たいものを感じながらビルが老人の方へと向き直すと、ビルはさらに唖然としてしまった。


 なぜなら、話しかけてきた老人の姿も消え去ってしまっていたからだ。


 あまりに突然の出来事と、明らかにこの世のものとは思えない相手との邂逅かいこうに、ビルの表情が恐怖の色へと染まっていく。


 そんなビルに、乗客の一人が声をかけた。


「なあ、あんた。さっきから一人であっちに話しかけたりこっちに話しかけたりしてるが、大丈夫かい?」


 にやにやと笑う乗客とは対極的に、やはりジョンや老人はいなかったのだという現実を突きつけられ、ビルは思わず悲鳴をあげそうになってしまった。だが、しかし。


(いや、待てよ……)


 あることに思い当り急に思案顔になるビルを見て、先ほどの乗客が今度は気遣わしげな表情となって、


「あんた、どこか悪いのかい?」


 と、ビルを心配しはじめた。すると、ビルは思案顔から急に茶目っ気たっぷりな笑顔となって、


「ああ、大丈夫さ。体調は悪いどころか、すこぶる快調さ。なんてったって、今度のパーティに使える最高の小話のネタができたんだからね」


 ビルの一言を聞き、乗客が苦笑をしたところで地下鉄が終点駅へと停車した。


 乗客たちは地下鉄から降りていき、ビルもまた地下鉄から降りていく。


 他の乗客たちが駅から出ていく中、ビルだけは駅にとどまっていた。


 やがて地下鉄が回送となって去っていきはじめると、ビルは去っていく地下鉄の後ろ姿に向けてつぶやいた。


「ありがとう、ジョン――いや、ご先祖様かな。おかげでしばらくの間、パーティの席での小話には困らないよ」


 気分よく鼻歌交じりで駅から去っていくビル。


 そして、誰もいなくなった駅のベンチに、消えたはずのジョンと老人の姿が浮かび上がってきた。


 ジョンが笑いながら老人に言う。


「どうだい? 今どきのニューヨーカーも捨てたもんじゃないだろう?」

「うむ。怯えるだけかと思ったが、この体験をパーティの小話のネタにするとは、なんとも抜け目のない奴だ」

「それこそがニューヨーカーの気質じゃないか。ピンチをチャンスに変え、不都合を好都合へと変えてしまうあの考え方こそ、俺たちの時代のフロンティアスピリッツに似たものを感じないかい?」

「確かにそれは言えるな。ならば、ニューヨーク――ひいてはアメリカも、まだまだ発展を続けていくというわけだ」

「ああ、きっとそうなるだろうよ。さて、俺たちのお遊びの新しい標的を見つけに行くとしようか」


 そう言って、ジョンと老人は高笑いをしながら、その姿を空気の中に溶け込ませるように消えていった。


 誰もいなくなった駅には、不思議と土埃の匂いだけが残されていた。

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