16

そして、その日はやって来た。

夫はいつものように家に帰ってきて、晩御飯を食べる。

見ているテレビも一緒。

服を脱ぎ捨てるのも変わっていない。

あの日と同じように炭酸水は切らしておいた。

和はいつものように風呂上り、バスタオルを肩にかけて冷蔵庫に向かう。


「お母さん、炭酸水は? お風呂上りには飲むから、切らさないでって言ったじゃん」

「え? もうない?」


私はそう言って、娘と一緒に冷蔵庫を覗く。

和はあの時と同じような反応を見せた。


「ごめん、ごめん。明日には買っておくから」


私はそう言って冷蔵庫の扉を閉める。

和はもうと不満そうな声を上げていた。


「なら、今からコンビニまで買いに行けばいいじゃないか?」


あの時と同じようにテレビを見ながら、提案する夫。

これは私を殺す合図のようなものだ。


「はぁ? もうお風呂入っちゃったし。今更、もういいよ」

「なら、お父さんが買ってくるよ」


夫がソファーから立ち上がり動き出す。

そして、タンスから自分のズボンと上着を取り出して、私の方へ振り向いた。


「お母さんも一緒に行こう。たまにはいいだろう?」


当然、私は頷いた。

エプロンを外して、上着を着て財布だけ持って夫について行った。

夫の携帯が机に置きっぱなしになっていたのに気が付いて、私は声をかけた。


「携帯、持っていかなくていいの?」


夫もそうだなと言って、携帯を取りに行く。

夫は携帯をズボンのポケットに入れて再び玄関へやって来た。

そして、夫が靴箱からシューズを取り出そうとするので、私はそれを止めて、突っ掛けを夫の前に出した。


「コンビニへ行くだけじゃない。これで十分よ」


私は笑って答えた。

夫もそうかといって素直に履く。

私は隣のいつも履く靴を履いて、夫に続いて玄関を出る。

そのまま、夫の後ろについて行くように歩いた。

あの時はいろいろと考え込んでいたので、夫が後ろに立っていることに気づかなかった。

しかし、今度はそんなへまはしない。

私は夫の背中を睨みようにして歩いた。

そして、例の長い急な階段に差し掛かった時、私は夫に話しかける。


「あなたの携帯、なっているみたいよ?」

「は? そんなはずないだろう?」


夫はそう言ってポケットから携帯を取り出した。


「俺のじゃねぇよ。着信も何もついてないだろう」


夫はスマホのロック画面しか確認していなかった。

だから私は一言添える。


「開いてみないとわからないじゃない。たまにそこには出ないこともあるのよ」


そして、夫は中身を確認しようとロック画面を外した。


「ほらやっぱり何も――」


夫がそう話しかけた瞬間、あの時、私がやられたのと同じように夫を思い切り突き飛ばした。

夫もまさかこのタイミングで突き落とされるとは思わず、驚いた顔で私を見ていた。

この時の私は夫と同じように無表情だっただろうか?

夫が地面に階段の上を転がっていき、携帯が投げ出されるのを確認した。

私はその携帯を服の裾で拾い上げ、浮気相手とのメッセージ画面を探した。

そして、それらしいメッセージ画面に、話があるからこの場所に来てほしいとメッセージを残した。

夫は痛みで震えていた。

頭から大量に血が流れ、このまま放置すれば死んでしまうだろう。

そんな夫を見下ろしながら、私は携帯の画面をふき取って、再度夫の手に握らせた。

忘れないように夫の指の痕もつけておく。

そして、最後に夫の耳元でささやいた。


「和の為にあの遺体はちゃんと処理しておいたからね」


私はかすかに笑って、そのままその場を去った。

もし、万が一にもあの時間、あの場所に誰かが通って、夫が奇跡的に目を覚ましたとしても私の事は話さないだろう。

そして、突っ掛けを履いてスマホ画面をいじっていた夫が転落死していたとしても、誰も突き落とされたとは思わない。

本人の注意ミスとして片づけられるはずだ。

だから、夫も私を殺すのにこの場所を選んだ。


私はそのまま行く予定とは別のコンビニへ向かい、そこで炭酸水を買って帰った。

帰って来た私を見た和が私に声をかける。


「お父さんは?」


私は、笑顔で答えた。


「お父さん、会社の人から連絡があったみたい。だから、先にコンビニで買い物して戻って来た」


和はふぅんというだけでそれ以上、何も言われなかった。

それから数時間後、警察から電話があった。

夫が階段から転げ落ちて、絶命しているところを知り合いの女性が発見したという話だった。

私は気の抜けた声で答え、警察に事情を話す。

ひとまずご自宅に行ってもよろしいですかと聞かれたので、私は大丈夫ですと応対する。

そして、自宅に来た警察が私と娘に事情を聴いてきたのだ。

私は夫に提案されて娘の為に炭酸水を買いに行く途中に、夫は携帯を触り始めて、用が出来たから先に行ってくれと言われたと答えた。

仕事の連絡だと思いましたとも付け加え、その証言が正しいかどうか和に確認していた。

警察も今回の件は事故だと判断しているのだろう。

そして、最後に警察は私に一枚の写真を見せてきた。


「この女性の事はご存じありませんか?」


私はそれを見て答える。


「しりません」


そう、答えはそれだけでいい。

私と彼女の接点はない。

私が夫の浮気に気が付いているのも三滝しか知らないのだ。

いろいろとヤバいことにも手を付けている三滝が私を売るような行為をするとも思えない。

私は警察の人たちを玄関までお送り、警察の人も気を落とさないでくださいと私を慰めた。

そして、玄関が閉まると私は顔を上げる。

玄関に置いてあった、鏡に自分の姿が映っていた。

その顔は満足そうに笑っていた……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『私』が夫に殺された理由【修正版】 佳岡花音 @yoshioka_kanoko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ