あい・どんと・にーど

間川 レイ

第1話

 ピコン、と。


 帰宅するなりスーツも脱がずに突っ伏したベッドの脇。枕元に放り投げたスマホが通知音を鳴らす。はああ、とため息を一つ。仕事で疲れ切った体がより一層重くなったような気がする。それでも何とか鉛のように重たい手を動かしてスマホを手にする。Twitterとかの通知だったらいいな、と願いつつ。


 スマホをタップしてロック画面を呼び出す。果たして通知は登録してあるマッチングアプリからの通知だった。その他の通知12件の文字が目にちらつく。全てマッチングアプリからの通知。はああ、とため息をもう一つ。内容は読まずとも分かっている。「プロフから申請飛ばさせていただきました」「今度良かったら話しませんか」


 ああ、うざったいな。内心ぼやく。こんなアプリいっそ削除してしまおうか。そうしたらきっとこの憂鬱な気分も少しは晴れるはず。そうわかっているのに、追加オプション目的にアップグレードした利用料金16500円が脳裏をちらつき、アンインストールする手を止めてしまう。


 せめて利用期間いっぱいまでは残しておくべきでは、そんな内なる貧乏精神に負けてしまう。何でアップグレードなんかしちゃったかな。過去の自分に内心毒づく。どうせ基本料金無料なのに。お試しで始めたぐらいなのに、どうせやるなら真面目にやらないとと、すべてのオプションを解禁するために課金までした私はなんて馬鹿だったんだろうとため息を吐く。


 ちょくちょく電話する高校時代からの友達。その友達との電話がマッチングアプリに登録したきっかけだった。近況を話して、仕事の愚痴を言って、馬鹿話をして。何かのはずみに、マッチングアプリの話になったんだと思う。マッチングアプリってなんだか胡散臭いよねと言った私。一昔前に流行った出会い系サイトみたいでさ。うかうか登録したら殺されちゃいそう。


 そう冗談交じりに言った私に、彼女は笑って言った。そんなことないよ、最近のはわりかししっかりしてるし。それに私も最近始めてみたんだ。そうコロコロ笑う彼女に驚いたことをよく覚えている。何せ、高校のころから恋愛とは無縁の彼女だったから。部活一筋、仕事一筋で、恋愛なんて興味ありませんなんて顔をしているのが彼女だったから、それはもう驚いたものだった。どういう心変わり?そう尋ねる私に彼女ははにかむように言った。だってそろそろ私たち、28じゃん?そろそろ結婚しないとまずいかなーって思ってさ。


 結婚ねえ。そうため息を吐いたことをよく覚えている。結婚。私は結婚なんてしたくなかった。それは幼いころ、父と母がしょっちゅう些細なことで怒鳴りあいの大喧嘩をしていたことを見ていたのが原因かもしれないし、大喧嘩で気の立った両親が私に八つ当たりするように厳しく振舞うのが当たり前だったからかもしれない。


 怒鳴られ、殴られ、追い出され。それはそれは厳しく当たられたものだった。それを避けるために父の機嫌を取れば母の機嫌が悪くなり、母の機嫌を取れば父の機嫌が悪くなる。お互いの悪口を常日頃から聞かされて、そうだねあなたは間違ってないよと愛想を振りまく毎日。それが嫌で家に帰る時間を遅らせれば、この不良娘がとその時だけは両親が一致団結して詰ってくる。そんな家だったから。結婚したところで、幸せになれるとは思えなかったから。お互いを信じあう二人がゆくゆくは愛し合って結婚する。そんなのは嘘っぱちだと知っている。だからこそ私はぼやくのだ。結婚ねえ、と。


 そんな事情は私から聞いて知っているだろうに、それでも彼女は明るく言うのだ。事情は知ってるけどさ、結婚できるのは今しかないんだよ。今を逃したら一生独り身だよ。実家がどうであれ幸せな家族を作ることはできるんじゃないの。やらずに後悔よりやって後悔だよ。そんな言葉にのせられるようにして始めたマッチングアプリ。だけど結果は大失敗だ。そんなことを考えながらベッドの上で寝返りを打つ。


 ピコン。再びの通知。久々にマッチングアプリにログインする。初めまして、○○ですのオンパレード。私がどんな人間かも知らないくせに、お近づきになろうとする無数の男たち。趣味は○○で、休日は○○をしていて。知らない、聞いてない、興味もない。行間から何とかしてマッチングしてやろうという下心を感じる言葉たち。それが堪らなく気持ちの悪い。


 私のことなんて何にも知らないくせに、よくそんな申請出せるな、なんて。そう、思ってしまう。知りもしない人とお付き合いしようとするその精神性が信じられない。お付き合いってそういうものじゃないと思うのだ。お互いのことをよく知って、仲良くなって、その上で付き合うかどうか決めるものではないのか。初めから付き合う事ありきの言葉たちは、吐きそうなぐらい気持ちが悪い。


 ピコン。通知が鳴る。マッチング申請が届いていますの通知に拒否を選択。その流れでスマホの電源を落とし、スーツを脱ぎ捨て浴室へ向かう。メイクを落としシャワーを浴びる。流れていく髪の毛が排水口に絡まっていくのが鬱陶しかった。

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あい・どんと・にーど 間川 レイ @tsuyomasu0418

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