蒼い雫
この夏は座敷わらしによく振り回されている。
この前は縁日に誘われ、今日はプールとやらに誘われた。
座敷わらしは、性格自体は落ち着きがあり、神社で過保護に護られていた私よりうんと人間界への知識がある。
それゆえ『琴音』という名も1度で受け入れた。
私は『鈴燈』より前に1つ堕天使から授かるはずの名前があった。
いわゆる現代風な名前で、人間のように行動する時にあまり違和感のないものをと考えてくれた名前だった。
だが、私にとってあまりに聞き慣れぬ名前だったがためにきょとりとしてしまって考え直されたのだ。
現代に適応した座敷わらしと、時代遅れの九尾。
似ているのは生まれてから今日までの時間くらいだ。
かっちり合わさるようには出来ていない私と座敷わらしの凹凸を互いに気に入っているのだと思う。
出かける準備をしながら横を盗み見ると座敷わらしがキューピットに髪を梳かれていた。
仕事はほっておいていいのだろうか。
座敷わらしに構うキューピットを見る度に、そんな心配には満たない疑問が浮かぶがそんな考えも持つ必要は無い。
堕天使や悪魔や死神、キューピットは人間ほど必死には働かない。
このキューピットはそもそも引っ込み思案で1人が好きで、拒絶されていたわけではないが出会った当初は積極的に関わってはくれなかったと堕天使に聞いた。
大体6、7人が出入りするこの家に今の頻度で来てくれるようになったのも最近だとも言っていた。
話をしてくれた相手が堕天使なので最近が何年ほど前のことなのかは分からない。
私もキューピッドのことを好いているしキューピッドには嫌われていないと思うが、キューピッドは座敷わらしのことをとても良く気に入っている。
座敷わらしは妖力で人間に見えるようにして洋服を着たとしても5歳ほどにしか見えないので、面倒見のいいキューピッドは無意識に座敷わらしを子供だと思っているのかもしれない。
かといってキューピッドは座敷わらしと一緒にいる時間が、この家に住んでいる堕天使と悪魔、そして私よりも短い。
だから、キューピッドは座敷わらしの本格的な世話をしたことはなく、専ら身だしなみ担当になっている。
髪を梳いて、服を着せて、化粧をしないかわりに、可愛いよ。素敵だね。と褒め甘く色付ける。
大体は座敷わらしは上機嫌のまま一緒にキューピッドと出掛けて行ったり、堕天使や悪魔に身なりをよくしてもらったと報告してまわっている。
「次、鈴燈ちゃんおいで」
どうやら座敷わらしのことを褒め終わったらしい。
今は堕天使も悪魔も出払っているので、座敷わらしは外出の準備をしに行った。
「髪整えるよ」
「いいのか?」
「他人に髪触られるの嫌?」
「そういうわけではない」
じゃあおいで、と言いながらキューピッドから近づいてくる。
初めてこの家の仲間になって数日経った頃、腰のあたりまであった髪の毛を切った。
切れた髪の毛は肩の辺りの長さになった。
全て堕天使や悪魔やそれこそキューピッドに頼ったのでよくわからないが狼の髪型らしい。
「仕事はいいのか?」
心配には満たない疑問。
だが、会話の種にはちょうどいい。
「人間が大切な人と結ばれるのもいいけど、自分の大切な人を大切にする瞬間も好きだから」
「そうか。私もお琴の面倒をみているときはなんだかんだ好きじゃ」
髪の毛に櫛を2、3回通したあたりでキューピッドの手が止まる。
なにか気に障ったかと慌てて振り返ると、少し寂しそうな桃色の瞳と視線が合う。
「どうしたのじゃ?いけないことを言ったか?」
「ううん。なんでもない。もう一回前向いて?」
相手が座敷わらしや死神であれば、本当になんでもないのか?と聞くところだが、深追いされることをキューピッドは好まないことを知っているので何も聞くことはしない。
「では行ってくる」
「気をつけてね」
「人間たちに迷惑はかけん」
キューピッドが言っているのはそういうことではないと思うのだが、座敷わらしなりの心の通わせ方なのだろう。
それがわかっているからキューピッドも座敷わらしの頭を撫でるのだ。
「では行ってくるのじゃ」
「行ってくる」
「行ってらっしゃい」
妖のまま外に出たからいいものの、人間としての姿で外に出ていたらこの暑さで床に伏せていた数週間前の二の舞になるところだった。
普段歩かない道を歩む。
とはいえ神時代の感覚を引きずっていてあまり外に出ないのでほとんどが歩んだことのない道ではあるのだが。
白く大きい少し薄汚れた建物が見える。
座敷わらしは門の前に立ち私に向かって両手を広げた。
「抱き上げろと?」
「ほれ、はやく」
何かを間違えて落としてしまわないようにゆっくりと抱き持ち上げる。
座敷わらしは纏った妖力を抑えて門に手をかける。
妖力を多く纏ったままだとすり抜けてしまう。
このくらいの妖力の押さえ方だったら人間に見られない範囲だろう。
そこから私の腕の中を抜け出し門の上に乗る。
足を踏み出したかと思えばふわりとゆっくり降りていく。
おまえもこっちに来いという目線を受け妖力を抑えず門を通り抜ける。
「こうすればよかろう」「人の子の真似をするのも一興だろう」
わかっていないとでも言うように言い放って先に歩いていく。
足音が遠ざかっていく。
といっても人間の鼓膜を震わすことはないし、空間に響くこともない。
妖力や魔力を纏うものから発せられる五感を刺激する要素は、妖力や魔力を纏う者の五感しか基本的には刺激しない。
なにごとにも例外はあるし人間の第六感を刺激してしまうこともあるのだが。
私の聴覚や嗅覚はただの狐であった頃から劣っていない。
前を歩いている座敷わらしの姿が見えなくなっても確かに聞こえる足音を辿り階段を上る。
着物の裾が邪魔だ。
それに下駄も階段が上りにくい。
神をしていた頃は人前に姿を現す必要もなく他の妖も私のことをやたら好んでいてくれていて、ある種隔離のようになっていた。
だから着物や下駄の不便さを人間のような生活様式をとるようになってから初めて知った。
身にまとったことがない洋服というものを着るということを躊躇ってまるで意地を張るように着物を着ていたけれど、そろそろ挑むべきなのかもしれない。
ここに来るまでの道中で思考したことと同じようなことを思いながら、急に先ほどの半分の音量になり消えていった座敷わらしの足音の軌跡を辿る。
いきなり水遊び場にいこうと誘われたものだから老若男女がいるようなところに連れていかれるのだと思っていたが、あれよあれよという間に学び舎に連れてこられてしまった。
私からすれば学び舎すら物珍しいのでもう少し幼子たちの日常を見たいのだが、座敷わらしが先に行ってしまったので追いかける他ない。
いくら事実時100歳超えだとしても見た目は5歳だ。
なにかあっては困る。
座敷わらしの妖力を1番濃く感じるところで立ち止まる。
一応扉の取っ手を回すがやはり開いたりはしない。
ということはすり抜けたのか。
そんな人を怖がらせる妖怪みたいな。
鍵のかかった扉を無視するのは悪いことをしている申し訳なさに苛まれるが、鍵を開けてしまったらそれはそれで悪いことなのだろう。
壁をすり抜けるのはあまり気分はよくない。
重たい水をかき分けるようだ。
「おそい」
「そなたが速いのじゃ。もう少し待ってくれたってよかろう」
「お目当てはプールだと言っただろう。教室の中をじっくり見すぎだ」
「興味深くてな」
立っていた、いや妖力で浮かんでいた揺らぐ空色に座敷わらしはそのまま座る。
といってもやはり浮かんでいる。
どうやら機嫌を損ねたらしい。
「待たせて悪かったな」
「待ちくたびれた」
「うん。悪かった」
座敷わらしは普段せっかちであるとか、気分の波が激しいとかそのようなことはない。
ただたまに、低い頻度ではあるのだが我儘を言う日がある。
それがただの我儘であれば受け入れてやったり、時には叱ってやったりすれば良いものの、彼女の場合まるで我儘を言う努力をしているかのようで、私たちは我儘を聞いてやる度合いをずっと探っている。
例えば今朝、キューピッドに髪の手入れを要求したのが我儘の始まりだったが、キューピッドが着替えを手伝おうとすると拒否される。
座敷わらしのなかで我儘と遠慮の境界線で足踏みしている。
咎める必要もなければ大袈裟に受け入れてもやれない。
座ったその場にぺたんと仰向けに寝転がる座敷わらしを見ながら何を叶えてやればいいのだろうと思案する。
「ほう、これがぷーる」
薬剤の強い香りに思考が遮られる。
水に手を入れるとひんやりしたのもつかの間、手を繋ぐようなぬるさに覆われる。
「……鈴燈は」
「ん?なんじゃ?」
「……鈴燈は、長命を嫌に思ったことはないのか?」
座敷わらしは強い日差しに目を瞑ったまま。
こんな話をしたことは今までにない。
「……ないと言えば嘘になるが。」
そう前置きをして私も目を瞑る。
「他の子らと出会って思ったのはたった数百年で根を上げている場合ではないなということ。なんせあの子らは死神やら元天使やらじゃからな。ずっと長く一緒におれるのじゃ。楽しまなきゃあの子らにも悪い」
長らく返ってこない返答の合間に、私が叶えられる座敷わらしの我儘を考えていた。
いや、考える必要などない。
私には叶えてやれないことを知っているのだから。
座敷わらしは我儘を言い始める前日の夜、寝る前に毎度泣き出すのだ。
本人は隠れているつもりなのだろうが、同じ家にいる者は大抵知っている。
座敷わらしは元々ある旅館にいた。
何がしかの力で旅館から出ることは出来なかったと本人は言う。
妖は元来、人の負の感情が元になっていることが多い。
現代では、座敷わらしはもともと口減らしのため殺されただとか、家系の中で血が濃くなりすぎて障害のある子供を隠していたのがもとで、その子がいるから裕福なのではなく裕福だから隠すことが出来たのではないかという説やら、そういった物騒な話が沢山転がっている。
それが本当であるのなら、水面に寝転がるこの座敷わらしから人間への恨みなどを感じても不思議では無いだろうが、そのようなことは全くない。
寧ろ人のことはとても好きで、旅館の方たちのことも大切に思っている。
なのにどうして旅館から離れたのか、離れられたのか。
旅館の皆のことがとても好きだったからだ。
この座敷わらしには人間でいう幼児期健忘のようなもので、ある一定の期間の記憶が無い。
それゆえ気がついた時には沢山の愛情を注がれていた。
妖力の量がいつの間にか増えていて、その加護で旅館は繁盛した。
とても忙しくなった。
たしかに幸せになったが、ある側面ではそうでは無かった。
旅館の女将さんが身体を壊した。
命に関わるようなものでは無かったが、座敷わらしは大きな衝撃を受けてしまった。
捧げた幸せを壊した。
その夜、座敷わらしは心の中で自身と女将を始めとした旅館の皆の、旅館が繁盛するという幸せを全て否定した。
後はこの場を去るだけだ。
去れば訪れる客も減るだろう。
座敷わらしが居なくなるとその家は没落すると言われているがそのようにはきっとならない。
だってこの身がこの場を離れることが出来ても心はそうはいかない。
だが、それでいいのだ。
それくらいでいいのだ。
本当にこれでいいのかと随分悩み泣いて。
幸せの為に不幸になる旅館の皆を思い浮かべて泣いて。
不幸の中で幸せをかき集める皆を思い浮かべて泣いて。
結局どちらの中にも自身がいるところが思い浮かべられないことに泣いて。
そして旅館を去った。
自身が居なくても旅館のみんなは幸せであれるということが理解出来たら、旅館から出るのは案外簡単だった。
もう泣かなかった。
皆はきっとこれから小さな幸せを並べ飾って生きていく。
それが己の幸せでもあると納得したから。
私が遠慮もなく泣いている座敷わらしに話しかけた時そう話してくれた。
きっと何がしかの力ではなく己の強すぎる執着とも呼べる意識が自身のことを旅館に強く固く縛り付けていたのだと私は仮説を立てている。
座敷わらしはいつも矛盾の中にいる。
幸せでいて欲しくて旅館を出たのに不幸でもいいから一緒に居たいと言って泣くのだ。
旅館のみんなが死神に魂を返すとき見送ってやれないと言って落ち込むのにそんなところ見たくないと言って泣くのだ。
そして翌日、まだ一緒に居てくれるか?と言うように可愛らしい我儘を言い出す。
まるで人間のような葛藤をする。
そんな座敷わらしの、ここにわらわが居ることを許可しろという我儘はやはり叶えてやれない。
叶えてやっても意味がない。
その我儘を言いたかったのは私たちにではないばすだ。
「うん」
寝ているかのようなゆっくりとした呼吸音。
未だなにも返事をしない座敷わらしになんと言おうと考えているとだいぶ遅れた短い返事が帰ってきた。
それに反応して蒼の底まで行っていた視線を水面まで上げると座敷わらしと目が合う。
体を起こしまた浮いた座敷わらしの着物と短く黒い髪の毛から水が滴っていく。
滴ってしまっている。
「そなた妖力を抑えすぎでは?!」
「人の子の真似をするのも一興だと言ったろ」
にやりと不敵に笑った座敷わらしは、ぶわりと高く浮いて周りの壁を越えゆっくりと落ちていく。
機嫌はなおったようじゃの
着物と9本の尻尾を靡かせ塀を超える。
上から見ると座敷わらしは既に門の前で待っていた。
「帰った」
おかえりという声の後半が驚きで消えていった。
「愛羽、ぷーるもいいが他の場所も見たいと言ってもお琴が全然待ってくれぬ。酷いと思わぬか?」
「う、うん。いやというかなんでそんな濡れてるの?!」
「人の子の真似っ子だ」
自慢するかのように笑い、駆けていく座敷わらしをキューピッドが追いかけていく。
そなたたちが、お琴が、いるから私は今幸せなのだと、どんなに意味がなかろうと言ってやりたくなる。
私にも執着がある。
はぐれ人外【軌跡】 みずくらげ @waterjellyfish
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。はぐれ人外【軌跡】の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます