はぐれ人外【軌跡】

みずくらげ

まじないは軽快に

カランコロン

下駄が鳴る。

現代の人が1年に数回自分の足元から聞くかどうかのこの音も、鈴燈にすれば何百年も道を共にしている。

普段着物を着ている鈴燈は浴衣の身軽さに改めて感動しながら、冷房を切り自分の営むまじない屋を出た。

まじない屋を営み出したのは去年のもう冷房もいらなくなった頃で、初めて令和という時代の夏を今年やっと体感している。

まじない屋は自分の妖力で生み出したものである。

ある日急に現れてある日急に消えていく。

見つけてくれた人に道標を残して。

鈴燈の営むまじない屋はそういう場所だ。

冷房がなくたって年がら年中室内を適温にすることだって可能だ。

だが、世間知らずも甚だしい鈴燈に冷暖房の付け方ぐらいは知っててくれと周りが懇願した。

別に平気だと主張し続けたもののつい先日、この猛暑に体が悲鳴をあげ倒れるハメになり、妖力も上手く使えずまじない屋どころではなかった。

九尾といえど令和の夏には対応しかねる。

なので冷房をこれまた妖力でまじない屋に出したのだ。

あいにく機械音痴なので付けることと消すこと以外はできない。

鈴燈の前では使えるボタン以外は飾りだ。

操作を教えたのが同い年くらいの座敷わらしというのがなんとも皮肉だ。


だんだんと笛や太鼓の音が大きくなる。

この神社ができてもう何年経つのだろう。

時間の感覚がおかしくなっているのでわからない。

もう随分話もしていない。したところで神ではない自分とは仲良くしてくれないかもしれない。

神は気まぐれものが多い。


「鈴燈」


同い年の声が聞こえる。

見た目通り元気で、精神通り大人びた声だ。


「お琴」


彼女の名前を、琴音、という。

彼女が元いた旅館を離れ私たちと仲間になった時、人間界にいる歴が長い者が授けた名前だ。

人間のように行動をしたり生活をしたりするときに違和感がない名前を。

とあたまを捻っていた。

人間のように、というのはそのままの意味で彼女は浴衣を着た女の子に見えているだろうし、私も耳も尻尾も出ていない。


「よく来れたな。道に迷うんではないかと思っていた」

「流石にもうみなれておるからの。そこまで心配しなくてよい」

「そうか。」


下駄の音が重なる。

彼女の隣に立ってぷにぷにとした手を握る。

呆れたような目線に見上げられる。


「なぜそうも手を繋ぎたがる」

「はぐれたら困るからの」

「はぐれるのはおまえだろう」


そう言うわりに振り解いたりもしない。

彼女も自分も方向音痴ではないが、人混みの中では何が起こるかわからない。

それに彼女の事を子供扱いするのを気に入っているのだ。


人の流れに沿って歩みを進める。

彼女は縁日が好きなのでも屋台が好きなのでもなく人が好きなだけであるので屋台の文字を見上げるばかりで何も欲しがらない。

物珍しそうにあたりを見回しているのはむしろ自分の方だ。


「縁日には来たことないのか?」

「来たことはない。でも縁日があるたびに神社の陰からみておった。ずっと羨ましくて気になっておったが、こんな風だったんじゃのう」


彼女は愛おしそうな微笑をこちらに向けた。

彼女はたまに愛おしそうに目を細める。

なぜ今そういう顔をするのかわからないことが多いが、いつも彼女と同じように笑って返す。


しばらく歩いていると鈴燈の耳は人間の子どもの泣き声を引っ掴んだ。

道の端に幼い少年が泣きながら立っている。

周りの人たちは少年に目をやるものの人の流れは止まらずその流れを外れる人もいなかった。

だが、人の形をした九尾は座敷わらしの手を引いて流れを外れ少年のもとで目線を合わせるようにしゃがんだ。


「どうしたのじゃ少年。どこか痛いのか?」


少年は急に話しかけられたことで一度きょとんとしてから父親とはぐれたのだと教えてくれた。


「急に何かと思った。一言声をかけろ」


不満そうな声が半歩後ろから聞こえたかと思うともう少年を慰めながら話しかけている。

この座敷わらしは人間が好きだ。

さらにいえば子供が好きだ。

見た目でいえば少年より彼女の方が幼いのだが。

かかとをあげて背伸びをしながら少年の頭を撫でる彼女とそんな彼女を不思議そうに見る少年を見ながら、あの夏を遠く思い出していた。


堕天使や悪魔や座敷わらしなどと人間界で過ごすようになった日より前。

神であった頃。

よりもっと前、尻尾も一本しか生えていない頃。

狐の模範のように警戒心も好奇心も強かった私は親も兄弟も置いて縁日の人混みに飛び込んだ。


下駄の音。

浴衣の色。

人の声。

出店の食べ物の香り。


全てが目新しくて、怖くて、それが背徳感を確かに生んでいた。


しばらく人の足元をすり抜けて楽しんでいると、知らない場所に出ていた。

もしかすればよく知った場所だったのかもしれない。

ただその時は、振り返っても人の足元しか見えずとにかく混乱して走り回ることしかできなかった。

だんだんと元気も無くなってきた頃、ひょいと持ち上げられた。

あぁ、もうだめなのだ。

勝手に人間のところに行かないようにと親にも言い聞かせられていたのに言いつけを破ってしまったから。

もう、家族には会えないのだろうか。

そう思って、もう抗う気にもなれず死んだふりでもしてみようかなんて自暴自棄になっていた。

だが、なにごともなく人の少ないところに放された。

もう捕まるもんかと素早く草むらに潜り込んだ。

振り返ると自分を抱き上げていただろう人間の後ろ姿が見えた。

大人の男性とまだ幼い男の子であった。

人の温もりと鼓動を思い出して、やっと助けてくれたのだと気がついた。


そんな1日から時が経ち、私は狐としての生を終えた。

そしてもう8本尻尾が生え、めでたく九尾となった。

最初は妖だったが、永い時を経て神へとなった。

神社では代々神主にそれはそれは大事に護られた。

なにかを護るべきは私でなければいけなかったはずだが私はそんなことにすら気がつけず、きまぐれに参拝に来る人の話を聞きながらずっとずっと大切にされた。

かといって神といえど万能ではない。

少なくとも私は万能ではなかった。

そもそも小さかった神社は来る人も少なかった。

お金が無くてはやっていけない。

だんだんと管理することが難しくなっていった。

無意識だったか意識的だったか神社が無くなることは考えないようにしていたし、時折聞こえる話も知らないフリをしていた。

私が向き合ったときにはもう切羽詰まっていた。


結局、神社は無くなった。

私は眠りについた。

ながいながい眠りだった。

神社がなくなってしまうことが私なりに悲しくて、たくさんの幸せな日常が私の中に血液とともに巡っていて、それでもやっぱり寂しかった。

もう目覚めることはできないような気がした。 

だが、潮が引いてもまた満ちるように私は目覚めた。

その時にはもう神ではなく、仲良くしていたほかの妖もおらず、もちろん神社もなく、あるのは見たことの無い景色だけだった。

そこから堕天使やら悪魔やら、愛おしそうに私に向かって笑う座敷わらしやらと出会った。

神だから信仰されていたのでは無い。

信仰されていたから神であったのだ。

もうあの神社のことも私のことも覚えている人はいないだろう。

この身ひとつで見たことも聞いたことも無い時代に放り出された私は、もはや妖でも神でも狐でさえなかった。

私は堕天使がつけてくれた『鈴燈』という名前を片手に握っただけのまじない屋として生きていくほかないのだ。


不意にくいっと袖を引っ張られた。


「なにを怖い顔をしている。幼子が怖がるだろう。……また具合が悪いか?」

「すまない。平気じゃ」


あっ!!


昔のことを思い出している間にすっかり泣きやんだ少年が、話が聞こえぬようぴったりと身を寄せあっていた私たちを越えた先に向かって声をあげた。

振り返ると1人の男性が近づいてくる。

妖力で人間に見えるようになっている私たちを見事に無視して少年の無事を確認しているところを見るに保護者だろう。


安心感からかまたもや泣き出した少年と少々言葉を交わしてから、やっと私たちの方をみた。


「私たちは少年になにもしておらぬ。本当じゃ」


言葉もなく見つめられ焦りやましいこともないのに弁明する。

座敷わらしも何度も首肯した。

もう何百年も昔の狐時代の警戒心が顔を出す。


「いえ、先祖代々伝わる話を思い出してしまっただけです。息子がお世話になりました。」

「ご先祖さま?」


座敷わらしがまるで人の子かのように話の続きを促す。

彼女のこういうところが狡猾に思える反面羨ましいところである。


「そう。ご先祖さまが縁日の日狐を助けたらしく、そこから家業が繁盛したという話が先祖代々語り継がれていて。まぁ動物のことを大切にしなさいとか人には親切にしなさいとか、情けは人の為ならずっていう教訓を伝えたかった童話みたいなものだとは思うんですけど」

「巡り合わせ、というものはあると思う」


不思議そうな顔をする少年の父親に、なんでもないと返して2人を見送った。

ありがとうと手を振る少年と会釈をする父親を見てなんとなく座敷わらしが人間のことが好きなわけがわかった気がした。


「こわい顔をしたり安心した顔をしたり忙しいなおまえは」

「私は独りじゃなかった。私から欠けたものなどひとつもなかったんじゃないかと思ってのう」

「なんの話をしている」


怪訝な顔をして見上げてきたかと思えば慈愛に満ちた顔をする。


いそがしいのはそちらもじゃないか。


そんな言葉を閉まっておいている隙に繋がれた手は彼女からだった。

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