8.旅は道連れ世は情け
「清水の舞台」から飛び降りたことは、後から考えると夢の中の出来事のようで、ケンタにはとても現実のこととは思えなかった。あの後、念のため2人はノリコ先生に付き添われてタクシーで病院に行き、頭もどこも打っておらず、かすり傷一つないことが検査で確かめられると、やっと無罪放免となって帰りの新幹線でみんなと合流すべく、ノリコ先生と一緒にタクシーで京都駅に向かった。心配していたヨウヘイたちと合流して、新幹線が来るまでの間ホームで整列して待っていると、車内で食べなさいとノリコ先生がダイゴとケンタに駅弁を手渡してくれた。病院に寄っていたので昼食をとる時間がなくなってしまっていたのだ。
新幹線の車内で弁当を食べながら、落ちた後の様子や病院での検査のことを聞かれるままにケンタはみんなに報告した。しかし、ダイゴは一言も口をきかず黙々と弁当を食べるだけだった。ダイゴがどういうつもりで手すりに上ったのか。あれは事故だったのか。それとも意図的に飛び降りたのか。聞きたい思いはみんな一緒だったが、誰も問い質す者はなく、はれ物に触るようにそっとダイゴのことを見守っていた。それは余計なことを聞くと怒られるという恐怖からではなく、思いやりから出たものだった。
修学旅行から帰って1週間が経った。梅雨のはしりなのだろうか、このところずっと雨が続いていたが、この日は午後から雨がやんだので、放課後6人は久しぶりに屋上に集まった。ヨウヘイが早速タバコを取り出して1本をダイゴに、1本を自分でくわえてそれぞれのタバコにライターで火をつける。ケンタからすれば、転生した日以来の屋上である。喘息発作を起こしたタツヤも、その後は発作を起こすこともなく元気に学校に通ってきていた。タツヤが帰った後に起こった出来事の話をかわるがわるみんなが話すのを聞いて、「清水の舞台」から落ちた話は嘘だろうとタツヤはなかなか信じなかったが、しまいにはヨウヘイもダイゴもケンタもみんな無事でよかったなと、しみじみとした口調で言った。
コウジが撮った写真は各自のスマホに送られてきていたが、何枚か特によく撮れたものは引き伸ばして紙にプリントしたと言って、みんなに配ってくれた。訪れたスポット順に時系列に並べると、本当にいろんなことがあったなとつくづく思う。あれから守護神は姿を現すことはなく、毎朝の銅像「守護神」の拭き掃除は帰ってきても続けていたのだが、いくら像に話しかけてもなしのつぶてだった。守護神が具現化したのは期間限定だったのかもしれない。屋上での恐怖はまだかすかに残っていたが、ケンタはもう逃げなかった。彼らがケンタを追い詰めることは二度とないとわかっていたからだ。
「俺んち引っ越すんだ」
修学旅行以来めっきり口数の少なくなっていたダイゴが、意を決したように吸っていたタバコを灰皿代わりの空き缶でもみ消すとみんなに告げた。空気が凍りつく。
「え? いつ?」
ヤスシが尋ねると、
「1学期が終わったら。親父の会社が潰れちまってさぁ」
殊さらに明るい口調でダイゴが打ち明けた。
「ダイゴのお父さんってIT企業の社長だったよね」
ヤスシが重ねて聞く。
「ああ。だけど業績悪化してさ、こっちじゃどうにも立て直せないらしくて、秋田の親父の田舎に引っ越して新規事業を立ち上げるんだって。俺はこっちに残るって言ったんだけど、ママが……」
「ママ?」
一斉に聞き返すと、
「おふくろが」
と言い直して話を続けた。
「おふくろが家族はみんな一緒にいたほうがいいって言うからさ。おふくろなんてしょっちゅう高級ブティックで買い物したり、友達と高級レストランでランチしたり、ホームパーティー開いたりして都会の生活を満喫してたんだぜ。それが田舎に引っ込むって言うから、俺も結局一緒に行くことにしたんだ」
それで修学旅行に行く直前ぐらいから少し様子がおかしかったのかと、一同腑に落ちる思いだった。もっとも旅行中、日を追うごとに無口になっていったのは、それだけが理由ではなかったのだろうということに誰もが気がついていた。カラ元気を出して話し出したものの、話しているうちに意気消沈してきた様子のダイゴにみんながかける言葉もなく黙っていると、
「夏休みに秋田に遊びに行っていい?」
ケンタがこわごわお伺いを立てた。それを聞いてダイゴの顔がパッと明るくなった。
「おう、来いよ。おやじの実家、クソ田舎だけど部屋数だけはいっぱいあるからさ。8月後半だったらもう向こうでの生活も落ち着いてると思うしよ」
急にみんなのテンションが上がって、行きたい、行きたいと言い出す中で、ヨウヘイだけが冴えない様子で思い詰めた顔をしていた。
「ヨウヘイ、妹も連れてきていいぞ。隣に小学生の従妹が住んでるから、一緒に遊んでもらえばいいんじゃねえか」
ダイゴの言葉がヨウヘイの表情も一気に柔和にした。
秋田ってどんなとこ? おいしいものある? クマはいる? とひとしきり秋田の話題で盛り上がった後で、ダイゴが改まった様子でケンタに話しかけた。
「その、清水寺の件はサンキューな。俺、落ちる前後の記憶が全然ないんだけど、後からヤマダの野郎とかに聞いてさ、あの高さから落ちて無傷だったなんて奇跡としか考えられないって。俺の後を追ったケンタが俺の体に当たったおかげで、軌道がそれてあのトラックの荷台の草の上にうまく落ちたんじゃないかって言ってた。だから、ケンタが追いかけてきてくれなかったら地面に叩きつけられてくたばってたんだよな、俺。おまえ、俺の命の恩人ってやつだよな」
あれ以来、「清水の舞台」から落ちた話はグループ内ではタブーになっていたのだが、ダイゴが率先して話題にしたことで、
「俺も」
とヨウヘイが言い出した。
「俺も感謝してるよ、ぬいぐるみの件。妹の土産を買うなんて恥ずかしくて言えなくてさ、ケンタが買ったことにしようと思ったんだよ」
「あれはごめん。僕がケンタをからかったから」
ヤスシが言うと、
「ちげーぞ。俺がぬいぐるみを道路に投げたのがいけないんだ」
ダイゴも殊勝な面持ちで頭を下げた。
「ケンタが旗持ってバスの前に立ち塞がった時の迫力はすごかったよな。俺なんか固まって1ミリも動けなかったのに。ほんと命の恩人だよ」
ヨウヘイも長身を折り曲げてケンタにお辞儀をした。
「命の恩人というなら、僕こそ命を救われたよ。弱っちいやつって思われるのが嫌で、喘息のことみんなにも先生にも黙ってたんだ。しばらく発作も起こってなかったから大丈夫だろうと思ったし。そうしたら枕投げで……」
「あれも俺のせいだ。俺が強く枕を投げたから」
「ううん、違うよ。ダイゴのせいじゃないよ。修学旅行でいつもと違うことをして興奮しちゃったからだよ。ケンタが薬を渡してくれなかったらダメだったと思う」
タツヤも未来の華道の家元を彷彿とさせる優美な所作でケンタに向って深々と礼をした。
「僕はケンタとコウジのこと、僕より下っ端だと思ってバカにしてたんだ。だからまさか柱くぐりが自分にも回ってくるなんて思ってもいなかった。それに僕は太ってるから、ダイゴは免除してくれるだろうっていう甘い考えもあったんだよね」
「悪かったな、無理させて」
ヤスシの腹のあたりに目をやりながらダイゴは謝った。
「ううん、いいんだ。ケンタのおかげで柱から抜けられたし。あと、動画も消してくれたよね。あんなの残ってたら後で笑い者にされると思ってたから、消してくれてうれしかった。ありがとう」
「僕は学校で地面に倒れた時にケンタがリュックを投げてくれたおかげで、リュックがクッションになって頭を打たずに済んだんだよね。あれだって、まともに頭を打っていたら怪我ぐらいじゃ済まなかったかもしれない。本当に感謝しているよ」
ケンタが転生した翌日の銅像前での出来事をコウジが回想すると、
「あれも、俺が倒れ込んできたヨウヘイを突き飛ばしたからだろ。何か、ごめんな、みんな」
ダイゴがしおらしい表情をしてみんなに向かって首を垂れた。
とっさにあんな行動がとれるなんて勇気あるよね、カッコいいな、ケンタって何気にすごいやつだったんだな、と仲間からの予期せぬ称賛の嵐に包まれて、ケンタは喜びよりも居心地の悪さを感じていた。自分のことを褒めたり感謝してくれるのはうれしいけれど、あれは全部守護神がやったことなのだ。直接助けてくれたのは「清水の舞台」から落下するダイゴとケンタを受け止めてくれた時だけだが、他の事件の現場にもいつも守護神がいた。ケンタ自身は転生しても魔法も使えないヘタレ転生者だったけれど、守護神がついていてくれたおかげでさまざまな活躍ができたのだ。自分の手柄ではない。だからうぬぼれちゃいけない。
ケンタは覚悟を決めると、転生して守護神と出会ったいきさつを順を追ってみんなに話し始めた。ケンタには何の能力もないこと。みんながピンチになった時には必ず守護神の気配があり、背中を押される形で体が自然と動いていたのだと。だからみんなを助けたのは自分ではなく守護神だったのだと、勇気を振り絞ってカミングアウトした。
しばしの沈黙の後、みんなが一斉に腹を抱えて笑い出した。
「ケンタ、おまえ夢でも見てたんじゃないか」
「ゲームのやり過ぎ!」
「転生シンゴの見過ぎだよ」
「想像力たくましいなぁ」
「ご謙遜をー」
愛情がこもったからかいの洗礼を浴びて、ケンタは事実を証明しようとみんなを誘って屋上から「守護神」の銅像の前まで移動した。みんなには守護神の姿が見えないことは承知の上だったが、それでも守護神の存在を知ってもらいたかったのだ。
「守護神」はいつもと変わらぬ翼を広げた姿でそこにいた。当然のことながらそれは一緒にいる仲間には他の銅像群と同様、銅像以外の何物にも見えなかった。そして、ケンタの目に映ったそれも、1本角が生えているワシとフクロウを足して2で割ったような鳥のブロンズ像にしか見えなかった。抜けるような青空に6人の大きな笑い声がひとしきりこだました。
「ケンタ、起きなさい、あ……」
階段の途中まで上ってきていたお母さんは、ケンタがすでに制服を着て上から降りてきたのを見て続く言葉を飲み込んだ。
2学期の始業式の朝は蒸し暑く、珍しく遠くで雷が鳴っていた。大きなオムレツをきれいに平らげてリュックを持って出かける息子を玄関で送り出しながら、いつの間にこんなに背が伸びたのだろうと、お母さんは一抹の寂しさとともに息子の成長を実感していた。夏休み前半に家族で行った北海道旅行の時も、バーベキューをしたりお父さんに釣りを教えてもらったりと楽しそうにしていたが、秋田に引っ越した友達のところに8月下旬に仲間と遊びに行った時は、出発する前も楽しそうだったけれど、帰ってきて興奮ぎみに旅行の思い出を話す様子は本当にうれしそうだった。1学期の前半までのように覇気がなくうじうじすることもなくなっていたし、意思表示もちゃんとできるようになっていた。思えば修学旅行に行った頃から少しずつ変わってきたような気がする。
「かわいい子には旅をさせよということかしらね」
お母さんはひとりごちて息子の背中を見送ると、玄関のドアを閉め、朝食の洗い物を片づけようとスリッパをパタパタ言わせてキッチンのほうへ戻っていった。
いつもより少し早めに学校に着くと、ケンタはいまだに日課にしている「守護神」の像の拭き掃除に取りかかった。雷鳴がどんどんひどくなっている。結局、修学旅行以来守護神が現れることは二度となかったけれど、清掃だけは続けようと夏休み中も時々学校に来ては像の汚れを拭っていた。リアル守護神に会えなくなったのは寂しかったが、今ではヨウヘイ、タツヤ、ヤスシ、コウジの4人とはお互いを認め合うマブダチと言っていいほどの仲になっていたし、夏休み中に秋田のダイゴのところに遊びに行った時には、あの威張り腐っていたダイゴがすっかり田舎の健康的な中学生になっていて、海や山での遊びをみんなで堪能した。転生したけどモブキャラのままだったことを最初は悲観したけど、守護神のおかげで自分自身にちょっぴり自信がついた。一歩踏み出してみないと何も変わらないというのは本当だとケンタはつくづく実感していた。
「守護神、ありがとう!」
改めて「守護神」に向かって呟いた瞬間、耳をつんざく雷鳴が轟き、稲妻がピカっと光ると「守護神」の1本角に火花が散った。像が真っ二つに割れて台座から地面に落ちる。ケンタは突然の出来事に体をのけぞらせて尻餅をついた。さあーっと天から雨が降ってくる。
「2年C組ってどこだ?」
ぶっきらぼうだがかわいらしい声が聞こえて、声の主を見上げると見慣れぬ女子が赤い傘を差して立っていた。制服の白いブラウスにえんじ色のリボン、紺にえんじ色の細かいチェックが入ったプリーツのミニスカートからすらりとした足が伸びている。毛先が翼のようにくるんと外向きにはねたボブヘアの超絶カワイイ女子だった。転校生だろうか。
「2年C組なら僕のクラスだから案内するよ」
思わず見とれてしまい、ドギマギしながら返事をしてケンタが立ち上がると、その女子は一言短く礼を言った。
「ありがとう、ケンタ」
― 了 ―
転生してもまた僕だったので、人生やり直してみることにしました 文重 @fumie0107
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