7.修学旅行最終日

 修学旅行最終日。全員がまた貸切バスに分乗して京都御所を見学した後、最終観光スポットの清水寺に向かうことになっていた。清水寺では再び班別の自由行動で、2時間の間に清水寺拝観と昼食を済ませ、大型バス駐車場に集合した後、バスで京都駅に運ばれて新幹線で帰途につく予定になっていた。

 昨夜の夕食の席では、四条大通りの事件を見ていた他のクラスの生徒が告げ口したらしく、ノリコ先生と特にヤマダ先生にたっぷり絞られた。

「ほんとにあなたたちの班は元気がよ過ぎるんだから。あんまり羽目を外しちゃだめよ」

 ノリコ先生は諭すようにそう言っただけだったが、ヤマダ先生はネチネチと、

「おまえらは目を離すと何するかわからないから、明日は1日おまえらに密着するぞ」

 と脅してきたので、ケンタたちは、ごめんなさい、ちゃんと規則は守ります、危ないことはしませんと口々に何度も誓って、ヤマダ先生の同行を阻止することに何とか成功した。


 京都御所は金閣寺の時と同様にクラスごとの団体見学で、職員のガイドで説明を聞きながら広い敷地内をぞろぞろと見て回るだけだったので、イレギュラーなことは何も起こらなかった代わりに特段おもしろみも感じられなかった。金閣寺を見た後だったので、建物自体が地味だと感じたせいかもしれない。



 京都御所で少し盛り下がっていた気分は、清水寺近くの駐車場でバスを降り産寧坂の下に立って階段状になった坂を見上げた途端に再び活気づいてきた。ここが修学旅行最後の自由行動の場だ。午後にはもう新幹線に乗らなければならない。明日明後日は土日で休みだが、月曜日からはまたいつもの学校生活が始まる。親もいないところで異次元の非日常が味わえるのはあと数時間しかないのだ。

 ヨウヘイ、ヤスシ、コウジ、ケンタの四人は、両脇に建ち並ぶ京都らしい風情の土産物屋や飲食店をきょろきょろ眺めながら産寧坂を上っていく。ダイゴは昨日の鴨川と同じく今日もしんがりを務めていた。ヤスシが甘味処やスイーツの店の前で立ち止まっては物欲しそうにするのを、後ろから時々一喝してはさっさと進めとどつくのがダイゴの唯一の能動的な行動になっていた。


 坂を上り切ると目の前の階段の上に朱色の門と三重塔が現れた。思わず歓声が上がる。ヤスシは坂を上がって少し息を切らしていたので、やっと寺にたどり着いてほっとした顔をしている。しかし、いわゆる「清水(きよみず)の舞台」で知られる本堂はまだまだ奥だとケンタに告げられると、ええーっと悲鳴を上げて座り込んだ。

 周囲は日本人観光客やインバウンドと呼ばれる外国人観光客、ケンタたちと同じような修学旅行生でごった返している。とにかく「清水の舞台」まで行くぞと、またしても後ろからダイゴに軽く蹴りを入れられ、ヤスシがしぶしぶ立ち上がると5人は「清水の舞台」がある本堂を目指して再び歩き出した。実は写真を撮るのが趣味なんだと、昨日ケンタにこっそり打ち明けてくれたコウジが途中、朱色の三重塔を何枚かパシャパシャとスマホで写し、その写真の画面をみんなに見せた。プロっぽいカッコいいアングルでフレームにおさまった写真を見て、みんながしきりと感心する。

 しばらく進むと開山堂(かいざんどう)の建物の前にチケット売り場があり、みんなの分のチケットをまとめて買ったケンタにそれぞれが料金を渡してきた。ダイゴだけはわざと気づかないふりをしているのか、お金を出してくる様子はない。ケンタもいつものことだと諦めて歩き始めた。轟門(とどろきもん)をくぐったあたりから木の柱が立ち並ぶ屋根付きの回廊に入る。観光客が数珠つなぎになって列をなしており、ケンタたちも列の最後尾に並んで本堂に向かって少しずつ前進していった。


 本堂に入ってすぐのところに鉄で作られた大きな下駄と真っすぐに刺さった大小2本の鉄の棒があった。先に歩いていた3人がケンタを振り返って説明を求めてきたので、

「弁慶の鉄下駄と錫杖だよ。下駄はもともとは左右同じ大きさだったんだけど、みんなが触るから大きさが変わっちゃったんだって」

 とガイドブックから仕入れた知識をまたぞろ披露した。弁慶ってでっかかったんだなとか、バカ、伝説に決まってるだろという声が上がる中、ケンタに促されてヨウヘイが大きいほうの錫杖を持ち上げるのに挑戦したが、96キロあると言われている錫杖はさすがのヨウヘイでもびくともしなかった。

「ダイゴなら持ち上げられるんじゃないか。やってみろよ」

 ヨウヘイに声をかけられても、ダイゴはくだらねえと呟いてやろうとはせずに、すたすたと「清水の舞台」のほうへ歩いていってしまった。


「うわあ!」

「絶景だなー」

「サイコーだね」

「めっちゃ高いよ」

 ダイゴに追いついた4人は「清水の舞台」の手すりにもたれると、目の前に広がる京都市内の一大パノラマに感嘆の声を上げた。下を見るとビル4階分あるというだけあって、想像以上に高さを感じる。しかもビルのようにコンクリートでできているわけではなく木造なのだから、強度的にこんなにたくさんの人が一遍に上に乗って大丈夫なのかなと不安になってしまう。

 遠くの景色に見とれていたケンタだったが、舞台の下をのぞき込むと、あの転生する直前の校舎の屋上を思い出して足がすくんだ。

「昔は清水の舞台から飛び降りると願いが叶うと言われて、飛び降りて死んじゃう人がいたんだって。それで100年ぐらい前に飛び降り禁止になったらしいよ」

 黙っていると恐怖がこみ上げてくるので、ケンタはガイド役に徹しようと説明をし始めた。

「今でも〝清水の舞台から飛び降りるような〟とか言うもんね。ここから飛び降りるのは確かに命がけだよね」

 なるべく下を見ないようみんなの顔を見ながら話すケンタに他のみんなが注目していると、ケンタの後ろに立っていたダイゴがさっと動く気配がした。振り返ると舞台の手すりに足をかけてよじ登ろうとしている。

「ダイゴ君、だめだよ。危ないよ!」

「こんなのへっちゃらだよ。俺はおまえらみたいな意気地なしじゃねえからな。何だよ、みんなして女子の仲よしグループみたいにわちゃわちゃしやがって。ばっかじゃねえのか!」

 周りの観光客も騒然となり、お寺の人や後方にいたヤマダ先生が駆け付けてくるのが見えた。みんなの注目を浴びたことがかえって煽る結果になり、手すりの最上部でしゃがんでいたダイゴは、つかんでいた擬宝珠(ぎぼし)と呼ばれる銅製の玉ねぎのような形の飾りから手を離して、

「ほら、見てみろよ!」

 とドヤ顔で叫んで立ち上がろうとした。

 その瞬間バランスが崩れ、落下を止めようと差し出される無数の手も虚しく、ダイゴの体は欄干の向こう側に消えていった。時が止まったかのような空気の中で、下から吹き上げてくる5月の風に新緑の木々の葉だけが揺れていた。

 大変だ、助けなきゃと思う一方で、ダイゴ君も僕と同じ恐怖を味わえばいいんだという思いもケンタの脳裏をよぎった。この旅行の間にほかのみんなとは結構仲よくなれて、もう自分のことをバカにしたりからかったりしなくなっていたのに、ダイゴ君だけは威張ってて全然打ち解けてくれなかった。イジメられている子の気持ちなんてわかろうともしないんだからいい気味だ。落ちて死んじゃえばいいんだ。


「自分が助かるためならほかの人を犠牲にしてもいいなんて、やっぱり間違ってるよね」

 コウジの言葉がふとよみがえる。逡巡していたのはほんの数秒だった。止めようとする仲間の手を振り切ってケンタも欄干によじ登り、落下していくダイゴのほうに向かって空中にダイブした。

「守護神、ダイゴを助けて!」

 と叫びながら。

 バサバサと翼をはばたかせる音がして上空から守護神が姿を現すと、落下していく2人を背中に受け止めて再び上空高く飛び上がり、「清水の舞台」の周りをぐるりと旋回してゆっくりと地上に降り立った。

「もう大丈夫だぞ」

 遠のいていく意識の中で、ケンタは守護神の声を聞いたような気がした。


 気づくと、ケンタの体は柔らかい干し草のようなものの上に横たわっていた。隣を見るとダイゴが気を失って倒れている。上を見上げると「清水の舞台」が圧倒的な存在感でそびえたっていた。あそこから落ちたのか? だけど無傷だったのだろうか。それともまさかまた転生したとか? でも、ダイゴ君も一緒だし、どういうことなんだろう。

 いろいろな考えが頭の中を駆け巡る中、駆けつけてきた大勢の人の中に、先に「清水の舞台」の見学を終えて下に下りていたノリコ先生の姿も見えた。顔が涙で濡れている。境内の手入れをしていたらしい植木職人の人たちが何人かやってきて、口々に大丈夫かとか言いながら、ケンタの体を抱き上げて干し草の中から運び出した。ダイゴも意識を取り戻したらしく、何がどうなっているのかわからないという顔で同じく運び出されると、毛布を敷いた日陰のベンチに寝かされた。寺務所から駆けつけたらしい職員や僧侶、医者だと名乗る人も寄ってきて、2人は脈をとられたり怪我がないか調べられたりした。

 どうやら2人が落ちたところは植木屋さんが刈り取った草を積んだ軽トラックの荷台の上だったらしい。ちょうど「清水の舞台」の真下に停めてあったところに落ちたのだ。そんな偶然があるのだろうか。周りの野次馬たちの間でも、本当に落ちたのかとか、1回あそこの木に引っかかったからクッションになってバウンスしたんだよとか、実際は落ちてなくて中学生がいたずらでトラックに潜り込んだんじゃないかとか、無責任な憶測が飛び交っていた。


 ケンタだけが、守護神が助けてくれたことを知っていた。ケンタ自身も気を失ってしまったけれど、あの時翼の音をはっきり聞いたし、屋上から落下した時のようにふわりと体が浮かぶ感覚もあった。お礼を言わなくちゃときょろきょろとあたりを見回していると、本堂から最短距離を通って下りてきたヨウヘイ、ヤスシ、コウジの3人が血相を変えて走ってくるのが見えた。安心させようとケンタが手を振ると、3人とも2人が無事なのを見て泣き出した。ケンタはまだ呆然としている傍らのダイゴにニッコリと笑ってみせた。改めて周辺に目を凝らしてみたが、上空にも舞台の上にも守護神の姿を見つけることはできなかった。

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