6.修学旅行2日目

 朝8時半。9時過ぎに旅館に到着予定の母親を待つタツヤとノリコ先生だけを残して、修学旅行生たちはバスに分乗して法隆寺を目指して出発した。ノリコ先生はタツヤを母親に引き渡して駅まで送った後、京都の金閣寺で合流することになっていた。

 バスの中で隣同士に座ったコウジから聞いた話では、タツヤの家は何とか流という華道の家元の一族で、おばあさんが現家元で、その息子のお父さんは次期家元、お母さんもその流派の師範だということだった。タツヤもいずれは家元を継ぐようにと、華道はもちろんのこと茶道や書道も小さい頃からみっちりと英才教育を施されていたらしい。乱暴な言葉遣いはしても、時々見せる動作は確かにどこか上品だったし、私服も安物には見えなかった。家にいる時は朝から晩までお稽古漬けで息が詰まっていたのだろう。ダイゴたちとつるんでいるのは、そのはけ口を弱い者イジメに求めたからかもしれない。


 1人減って5人になったケンタたちの班は、みんな朝からどことなく元気がなかった。昨日はケンタの分までうどんを平らげてしまったヨウヘイも、朝食は自分の分を片づけるのがやっとという様子だった。昨夜のタツヤの発作の件で、あれ以上ひどい発作を起こしていたら死んでいたかもしれないと後からノリコ先生に聞き、友達なんだからもっと注意してあげなきゃだめじゃないと珍しく真剣な表情で叱られたことが、みんなの楽しい修学旅行に水を差した形になった。

 ダイゴも事の重大さに気づいたのか、さすがにもうタツヤの自業自得だとは言わなくなったが、おもしろくなさそうにむくれた顔をしてめっきり口数が少なくなった。バスに乗り込んでも2人掛けの席の真ん中に1人で陣取ってしまったので、その後ろにヨウヘイとヤスシ、そのまた後ろにケンタとコウジが座る格好になった。ヨウヘイたちもケンタたちもぼそぼそと時折小声で話すだけで、他の班が賑やかに話したり、窓の外の景色を見て歓声を上げたりしているのを尻目に、ふだんの態度からは考えられないほどおとなしく座っていた。



 バスが法隆寺に着くとそこで1時間半の自由時間となった。機械的にクラスのみんなが行く方向に黙々と歩を進める。時々ヤスシが前を歩いているダイゴに何か話しかけていたが、ダイゴはうるさそうに適当に相槌を打つだけだった。

 ヨウヘイも心ここにあらずという感じで、黙ってダイゴの後ろを歩いているだけなので、沈黙に耐えられないヤスシは、振り返ってコウジとケンタに話しかけてきた。

「コウジ、おまえ、タツヤが喘息だって知ってたのかよ」

「うん。去年の運動会の時に1000メートル走があったよね。タツヤ君が出たやつ」

「ああ、あいつ2位だったよな」

「うん、ゴールした後、どこかへ行っちゃってしばらく戻ってこなかったでしょ? 僕、トイレでタツヤ君に会ったんだ。それで吸入器を使ってるのを偶然見ちゃったんだよ」

「知ってたら何で俺たちに言わなかったんだよ。1000メートル走に出たいって自分で言い出したぐらいだから、まさか病気があるなんて思わないじゃないかよ」

 ヤスシがなじると、

「タツヤ君に口止めされてたんだ。スポーツ万能で通っているから、病気だと知られたくないって、言われて」

 口ごもりながらコウジは答えたが、ヤスシもそれ以上は突っ込まず、今度はケンタのほうに視線をずらした。自分にはどういう非難の言葉が飛んでくるのかとケンタは身構えた。

「ケンタ、すげえな。おまえはタツヤが喘息持ちだって知らなかったんだろう? よく気づいて薬までとってこれたな」

 どうやら褒められているようだ。

「うん、小学校の同級生が、そうだったから。ほ、発作を起こしたの、見たことあって。絶対、く、薬は持っているはずだと思って、探したんだ」

 ケンタもどもりながら切れ切れに答えた。

「ふーん」

 と感心したようにうなずくと、ヤスシは前を向いて小走りでダイゴとヨウヘイの後を追った。

 目の前に夢殿の八角形の建物が見えてきた。ケンタがその屋根を見上げると、屋根の中央の宝珠に生えた光芒と呼ばれるトゲトゲを避けようと、守護神がひょこひょこと屋根の上で飛び跳ねていた。


 自由行動が終わると、一行は再びバスに乗り込み金閣寺を目指して出発した。法隆寺観光にはほとんど身が入らなかったケンタたちの班は、金閣寺へ着くまでの1時間半ほどの行程の間も最前と同様あまりしゃべることもなかった。ダイゴとヨウヘイは眠っているのかずっと目を閉じている。ヤスシは手持無沙汰なのかスマホをいじっていた。ケンタとコウジはたまに外の景色を見て二言三言言葉を交わすほかは、ぼんやり外を見たりガイドブックを読んだりして過ごした。



 金閣寺では、先に着いていたノリコ先生がニコニコとクラスのみんなを出迎えると、つかつかとケンタたちの班のほうに寄ってきて、

「タツヤ君は無事にお母さんと一緒に帰ったわよ。持病がある人は事前に申告してと言っていたのに、タツヤ君申告していなかったから昨日は焦ったわー。お母さんもまさか病気のこと隠しているとは思っていなかったらしくて、最初は話がかみ合わなかったけど、タツヤ君が申告していないことを説明したら、お母さんに怒られてた。あなたたちも知らなかったみたいね。昨日はきつく言っちゃってごめんね」

 と謝ってきた。訳も聞かずに頭ごなしに叱らないところがノリコ先生のいいところだ。ヤマダ先生だとそうはいかないけれど、ノリコ先生は自分が間違っていた時はちゃんと謝罪してくれる。


 金閣寺拝観はクラスごとに全員そろって引率されて行うことになっていたので、ダイゴたちも惰性でクラスの最後尾について歩いていった。朝は少し曇っていたけれど、金閣寺に着く頃には晴れてきたので、初夏の青空に金ピカの金閣寺が映えてとてもきれいだった。

 ケンタは小学生の時に家族旅行で大阪のUSJには来たことがあったが、京都と奈良は初めてだったので、1年生の時は修学旅行に行くのを楽しみにしていた。ガイドブックの写真どおりに金色に輝く姿を見て、ダイゴたちと一緒でなければ心から楽しめたのになと小さくため息をついた。しかし、初日と違って2日目の今日は誰もケンタのことをからかったり、いたずらを仕掛けてくる者はいなかった。今夜京都のホテルに入ったらまた何かやられるかもしれないが、まだ起こってもいないことを考えてくよくよするのはよそうと思い直した。ヤスシ君もタツヤ君も危ない目には遭ったけれど無事だったことだし、せっかくの修学旅行なのだからせめて観光だけはしっかりしたい。

 そう決心すると、金閣寺って一回、放火で燃えちゃったんだって、などとガイドブックで仕入れた豆知識を総動員して話のきっかけづくりをしようとした。最初は傍らのコウジだけに向かってしゃべっているつもりだったのだが、ヤスシやヨウヘイにも聞こえたらしく、

「じゃあこれってそんなに古くないのかよ」

「放火犯って捕まったのか?」

 と次々と質問が飛んできた。ケンタはガイドブックを読んでその事件に興味を持っていたので、事前に自分なりにネット検索で調べていた。そこで問われるままに事件の経緯や犯人の素性とその後について説明すると、ダイゴ以外は、へえとかそうなんだとケンタの蘊蓄に感心しているようだった。ケンタが熱心に説明しているので、クラスのほかの生徒も興味を引かれたらしく1人2人とケンタの周りに集まってきた。金閣寺炎上にインスピレーションを得て小説を書いた三島由紀夫の話なども交えながら、次第に金閣の建築そのものの話に移っていく。

「屋根の上の鳥は孔雀じゃなくて鳳凰っていう想像上の鳥なんだよ。1代目と2代目は火災や修理の際に取り外されて、今いるのは3代目なんだって」

 ケンタ君って意外と物知りなんだね、という女子の声もちらほらと聞こえてきた。意外が余計な気もしたけれど、ダイゴたち以外にはいつもいないもののように扱われて、まともに話しかけてくるクラスメートはいなかったので悪い気はしなかった。

 あの屋根はこけら葺きといって薄い木の板を張っているんだよなどと、さらに説明しながら金閣寺の屋根に目をやると、よほど屋根の上が好きなのか、守護神がてっぺんに止まって鳳凰の頭をくちばしでつついていた。

 だめだよ、そんなことしちゃ、壊れたらどうするのと声に出さずに慌てふためくケンタを見て、みんなは大ぶりのジェスチャーを交えて話しているのかと勘違いしておもしろがり、ケンタを囲む輪はさらに大きくなった。

 先生の後についていくのも忘れて盛り上がっているケンタたちのところにヤマダ先生がすっ飛んできて、またまた大きな雷が落とされた。自分が中心になって騒いで怒られたことなどいまだかつてなかったので、ケンタはちょっとショックを受けたけれど、その反面、怒られるほど目立ったことに密かな喜びも感じていた。



 金閣寺から三たびバスに乗り京都御所近くのホテルまで移動した後、余分な荷物は部屋に置いて、各班とも遅い昼食と自由行動のためにホテルを出て京都の町に出発していった。ダイゴは朝よりももっと不機嫌そうだったが、自由行動のイニシアチブは渡したくないと見えて、旅行前に自分が主になって決めたとおりのスケジュールをこなすべく、四人を引き連れてホテルを出た。明日の午前中は清水寺(きよみずでら)観光が控えていることでもあり、神社仏閣見物はもう食傷ぎみだったので、市営バスに乗って錦市場近くのバス停で降りた。錦市場に数え切れないほどある食べ物屋を冷やかしながら買い食いをしようという計画なのだ。

 漬物屋ではケンタだけが串に刺したキュウリの浅漬けを買ってかじりつく様子を見て、みんなにカッパ、カッパとはやし立てられたが、以前のようなバカにした響きは感じられなかった。小さなイイダコの頭の中にうずらの卵を詰めて甘辛く煮た「たこたまご」は、SNS映え間違いなしのビジュアルもあって5人全員が買い求め、イエーイと串を突き出してポーズを決めたところをコウジがスマホで自撮りした。肉屋でもそれぞれメンチカツを一つずつ買ったが、ヤスシはコロッケを三つも買って、だからおまえは太るんだよとヨウヘイにさんざんからかわれた。ヤスシがスイーツショップの前でソフトクリームも注文しようとしたところで、好き嫌いの多いダイゴが、こんなんじゃ腹にたまらねえなと言い出して、結局5人はチェーンのハンバーガーショップに入って遅い昼食を済ませたのだった。



 昼食後は鴨川まで行ってみようということになって、四条大通りを歩いて向かうことにした。大通りの両脇にはアーケードが設けられており、飲食店や洋服屋、雑貨屋、おもちゃ屋などさまざまな店が軒を連ねていた。前を歩いていた3人が、カッコいいエレキギターがディスプレイされているショーウィンドウに気をとられている間に、ヨウヘイがケンタの腕をつかんで、いま通り過ぎたおもちゃ屋へ引っ張っていった。

「え? 何、どうしたの?」

 とケンタに聞く間も与えず、ヨウヘイは店先にディスプレイされていた着物姿のリスに似たキャラクターのぬいぐるみを一つつかむと、目にもとまらぬ速さでレジに向かった。このぬいぐるみはアニメのキャラクターで、女の子に圧倒的に人気を誇る丸っこくてかわいらしいキャラだったが、着物を着て日本髪のかつらをかぶった舞妓姿をしているのはどうやら京都限定のご当地物だかららしい。かつらに覆われた顔のクリクリの目と着物の尻から飛び出しているくるりと巻いた尻尾がかわいらしい。

 ヨウヘイは包装も断って代金をレジカウンターに投げ出すと、ひったくるようにぬいぐるみを取り上げてケンタのリュックの中に押し込んだ。ヨウヘイの突然の行動に一瞬、万引きするのかと肝を冷やしたケンタだったが、ちゃんとお金を払っているのを見てひとまずはほっとした。ケンタを付き合わせたのは荷物持ちとしてだったのだろうか。どこか釈然としない思いで、ヨウヘイの後について店を出ると、エレキギターを見ていたダイゴたち3人がこちらへ向かって歩いてくるところだった。


「おまえらどこ行ってたんだよ。団体行動しろよな」

 まるで引率の先生のようなことをダイゴが言う。

「ケンタがおもちゃ見たいって言うから……」

 ヨウヘイが珍しく少し口ごもって言いわけをした。え、僕のせい?と思ったけれど、もしかしてあのぬいぐるみは彼女にあげるもので、ダイゴに冷やかされたくないから隠しているのかもしれないとヨウヘイの気持ちを慮って、

「ダイゴ君、ごめんね、勝手な行動をして」

 ととりあえず謝っておいた。

「ケンタ、女子じゃん。こんなの買って」

 閉まり切っていなかったリュックの口からリスの尻尾がのぞいていたのをヤスシが目ざとく見つけて、尻尾を引っ張ってぬいぐるみを引きずり出した。ヨウヘイの顔が一瞬ひきつる。

「俺の姉ちゃんもグッズ集めてるぜ」

 ヤスシとしてはケンタと話すきっかけづくりにしたかったらしく、さらにアニメの話をいろいろと振ってきた。コウジもそのアニメは見ているらしく、すぐに話に混ざってきた。ケンタもファンではないもののそのアニメには詳しかったので、ヤスシがつかんで離さないぬいぐるみを見つめるヨウヘイのことを気にしながらも、適当に口を挟んで場を盛り上げていた。

「おまえらほんとくだらねえな! よこせよ! こんなものガキのおもちゃじゃねえか!」

 1人話題についてこられなかったダイゴが、突然癇癪を起したようにヤスシからぬいぐるみをもぎ取ると、交通量の多い四条大通りに向けて放り投げた。みんなが一瞬固まる中、ヨウヘイがぬいぐるみを追って大通りに飛び出した。その右から市営バスが迫ってくる。

 誰もがもうだめだと観念した時、四条大通りにさあーっと風が吹いて、自撮り棒に結びつけてリュックに刺してあったケンタのペナントがはたはたと音を立ててはためいた。ペナントは、お父さんが昔京都の修学旅行で買ったことがあって、今はもうないかもしれないけど懐かしいからもしまだ売っていたらお土産はそれを頼むよと言われていたので、昨日金閣寺の近くで見つけた時に買っていたものだった。

 ケンタはとっさにペナントの棒を抜き出すとバスに向かって大きく振りながら車道に飛び出し、ぬいぐるみを拾い上げているヨウヘイの前に仁王立ちになって振り続けた。バスの運転士が気づいて急ブレーキをかける。間一髪。バスはケンタとヨウヘイのぎりぎり手前で停止した。複数の車のクラクションが鳴り響く。走っていた周りの自動車も減速して停止した。

 バスの運転士が真っ青な顔を窓から出す。

「君ら大丈夫か? 怪我ないかぁ? 気ぃつけなあかんで!」

 半分怒ったような口調だったが、もし轢いてしまったらと運転士も気が気でなかったのだろう。

「大丈夫です。すみませんでした」

 ケンタはバスの運転士と周りに停まっている自動車にぺこりと頭を下げると、うずくまってぬいぐるみを大事そうに抱えているヨウヘイを促して、ダイゴたちが待つ歩道のほうへと小走りで引き返した。それを見届けると、ストップモーションが解除されたように賑やかな往来が復活した。


 ヤスシとコウジが駆け寄り、四人はお互いに背中をさすり合って無事を喜んだ。

「それ、ヨウヘイのだったのか」

 一歩引いたところでその様子を見ていたダイゴが、呆然とした様子で聞いてきた。ヨウヘイはぬいぐるみのほこりをはたきながら、気まずそうにうなずいた。幸いぬいぐるみは奇跡的に車に轢かれることもなく、ひどい汚れもついていないようだった。

「彼女か何かにやるのかよ」

 とダイゴが重ねて尋ねると、ヨウヘイは小さな声で、妹に頼まれたのだと言った。これも後でコウジから聞いた話だが、ヨウヘイの家は母子家庭で、お母さんがスナック勤めで夜いなくて朝は遅くまで寝ているので、年の離れた幼稚園児の妹の世話は、ほぼほぼヨウヘイが担っているということだった。ヨウヘイは、自分が修学旅行に来ている間は、妹は母親と2人きりになってしまい、あまり面倒を見てもらえなくなることはわかっていたので、罪滅ぼしの意味もあって妹が欲しがっていたぬいぐるみをお土産に買いたかったのだ、とも話した。みんなに打ち明けたヨウヘイの細い目は、いつものつり上がった鋭いものではなく、優しい兄の目になっていた。

 ヨウヘイが落ち着いたところで、5人は当初の予定どおり鴨川に向かい、ダイゴを除く四人は賑やかにおしゃべりしながら川べりをゆっくりと散策した。ダイゴは先頭を切って歩くのをやめ、四人の後ろから物思いに耽ったような顔でついてきている。歩きながらヨウヘイがケンタを振り返って、さっきはサンキューなとぶっきらぼうな調子で言ってきた。

 きっとどこかにいるんだろうとケンタが守護神の姿を探すと、思ったとおり反対側の河原に片方の翼を腕枕にして寝そべっているのが見えた。どんどんだらしなくなっている気がする。

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