鐘の子
棚霧書生
鐘の子
掛川市内に着物を着た子どものおばけが出る。僕の通う小学校では最近そんなうわさがはやっていた。というか僕はこの話を今朝、聞いた。
毎年、夏になると誰が初めに言い出すのかわからないけど、怖い話がいつの間にか学校に広まる。うわさって不思議だ。学校でおばけの話をした始まりの人が必ずいるはずなのに、大体それはだれなのかわからない。もっと奇妙なのは、気がつくと僕以外のみんながその話を知っていて、えっ、倉田はまだ聞いたことなかったの、なんてクラスメイトに言われたりすることだ。
僕らの五年二組では転校してきたばかりの高峰くんが昨日の夕方に着物を着た子どものおばけを見たって言ってて、朝からちょっとした騒ぎになっている。休み時間になると、おばけをどこで見たのとかどんなやつだったとか、高峰くんを囲んで取材が始まった。みんなおばけが好きなのかな。
「私が知ってることはぜんぶ話した。あとは皆の調査に期待する!」
高峰くんが声高らかに宣言する。朝からずっとみんなの質問に答えていたから、いいかげん、囲まれるのにも飽きたのかもしれない。ズンズンと行進でもするときのような足取りで高峰くんは自分の席から離れると。
「倉田くん、話があるんだ。放課後に図書室前まで来てくれるかい?」
どういうわけか、僕にそう言ってきた。
「えっ?」なんで僕のところに来たんだろう。
「君は去年の夏休みの宿題で掛川の昔話を調べていたと先ほど群衆から聞いた。それについて二三たずねたいことがあるんだ」
「うん……わかった……掃除当番が終わったらになるけど、いいよ」
「ではのちほど」
「うん……」
返事をするのにすごく緊張した。だって高峰くんとは全然しゃべったことがなかったし、彼はやけに大人っぽい話し方をするから、先生を相手にしているような気分になる。
今日はおばけの件があったからみんなに囲まれていたけど、高峰くんは普段はちょっとみんなより離れたところにいる感じ……遠くからみんなのことを眺めて観察しているようなところがある人なのだ。
放課後、掃除を済ませて高峰くんとの約束を果たすために僕は図書室に向かった。図書室の出入り口のすぐ横で高峰くんは本を読みながら僕を待っていた。
「高峰くん、おまたせ…………え?」
高峰くんのほうに近づこうとしたそのとき、頭の中でカーンという音がした。かたいもの同士がぶつかる音だったけど、辺りを見回しても今聞いた音が出そうなものなにもない。変だなあと思いながらも、僕は気をとり直して高峰くんに向き直る。
「大丈夫かい?」
高峰くんが少し下を向いたままたずねる。本から視線を動かすのが面倒なのかな。
「なんともないよ。変な音が聞こえた気がしたけど空耳だったみたい」
高峰くんが困ったような顔をする。僕は高峰くんの表情の意味がよくわからなくて、首をかしげた。
「……君も大丈夫なら、それはよかった」
そのときの高峰くんはどうも歯切れが悪かった。僕がなにか変なことをしてしまったんだろうか。
高峰くんが持っている本の表紙に大きく掛川の字が見えた。僕はここに来た目的を思い出す。
「高峰くんは掛川について調べてるの? 教室では掛川の昔話が知りたいって言ってたよね」
「まあね……掛川の昔話で子どもが登場する話はないかい?」
「子ども……有名なのだと夜泣き石かな」
「幸せな話か?」
「いいや、僕は全然そう思わないな。赤ん坊のときに山賊に母親を殺された人が大きくなってからその山賊に復讐したって話だから」
ちなみにこの話が夜泣き石と呼ばれるのは峠を越える途中で山賊にやられてしまった妊婦がお腹の赤ん坊だけでも助けようとして魂となってそばにあった石にとりつき、人を呼ぶために泣いたからなのだが、そのへんの詳細は高峰くんは求めていないらしい。夜泣き石については追加で質問をしてくることもなく、次の話題に移る。
「みんなに幸せを運ぶような話はないか?」
「幸せ……幸せかぁ……」
あまりピンとくる話は思い浮かばなかった。けれど、さっき頭の中で鳴ったカーンという音でひとつ思い出す。
「無間の鐘」
そうださっき聞いたのは鐘をつく音によく似ていた。まあ、わかったところでここに鐘なんてないのだから、結局空耳なんだろうけど。
「無間の鐘はどんな話なんだい?」
「えーっと……たしか、みんなの幸せを願って小さい鐘を山の上に置いたけれど、鐘のご利益を求めた人が殺到してけがをする人がたくさん出た。それは望んでたことではないからってことで、結局鐘を外して井戸の底に沈めてしまった」
「その井戸はまだ残っているのかい?」
「跡地が観光地になってるよ。無間の井戸でググれば詳しい場所も……」
「ありがとう、倉田くん! 解決しそうだ!」
「えっ、なにが……?」
高峰くんはニコッと笑った。
「掛川に出る子どものおばけの件だよ」
学校のない土曜日、僕は高峰くんと無間の井戸まで来ていた。蝉が本格的に鳴き始めている、緑が多い場所だとセミの個体数も増えるのか余計にうるさい。カラッと晴れて気持ちのいい青空とじりっと肌を焼く太陽光。全身で、ああ夏だなって感じられる天気だった。
「無間の井戸はあっちにあるようだ。さあ、おいで」
先頭を歩いていた高峰くんがわざわざ振り返って僕に言う。小さい子ども相手にするような仕草になんだかちょっとむかつく。
「言われなくてもわかってるよ。高峰くんって弟か妹でもいるの?」
「いないけど、どうしてだい?」
「別に聞いてみただけ」
無間の井戸は井戸と言うより地面に空いた穴って感じの場所だった。小さなお社があって絵馬がたくさんかけられている。中央の地面に大きな石がまるく積んであって、無間井と書かれた人工的に四角い苔むした石がトンと置かれていた。井戸の正面には新しめの賽銭箱もあった。
「コロナ禍も落ち着いたし、結構観光の人が来るのかな」
絵馬の中には外国語で書かれたものもあった。僕も高峰くんもここには初めてきたけど、パワースポットとしてなかなか人気のようだ。
「そうだと思うよ。突然、人が来なくなって寂しいなと思っていたけど、しばらくしたらまた人が来るようになって、それが嬉しくて気まぐれに人のあとについて行ったら迷子になっちゃって戻れなくなってたらしいから」
天気の話をするときのような気軽さで高峰くんが言った。けれど、意味はよくわからない。
「……なんの話?」
「子どものおばけの話」
首すじがスーッと冷えていく。風は吹いてないのに妙に涼しい。
「高峰くん……そろそろ教えてよ、子どものおばけと無間の井戸になんの関係があるっていうの?」
「ちなみに君には見えてないんだよね?」
確認するように高峰くんがなにかを指差した。積まれた石の横あたり、目をこらしてもそこは草が生えているだけで特別なにかがあるようには見えない。
「なにも見えないよ」と言いかけたそのとき、着物の裾のようなものがぼんやり見えた気がした。
「わっ……!?」
僕は思わず飛びのいて高峰くんの腕をつかんだ。
「きっ、きもの……着物の幽霊だ!?」
「落ち着いてよ、倉田くん。あの子は幽霊というより……つくも神だと思うよ」
「つくもがみ?」
僕はドクドクいっている胸を押さえながら、高峰くんの顔をのぞきこむ。
「掛川に現れる着物を着た子どものおばけの正体は、井戸の底に埋められてしまった無間の鐘のつくも神だったんだよ」
僕らのあいだを風が吹き抜けていく。さわさわと髪をゆらす風は肌を優しくなでていった。
「無間の鐘のつくも神が迷子になっていたんだ。たまに私みたいに見える体質の人がその姿を見て、おばけだと勘違いしたのがうわさの始まりだろうね」
「ちょっと待ってよ、見える体質ってことは高峰くんはずっと無間の鐘のつくも神が見えてたってこと?」
僕にはもう見えない。ほんの一瞬、着物の裾がうっすら見えただけだった。
「うん、今もいるよ。ここに戻ってこれて喜んでいる」
「もしかして、僕と一緒にいるとき無間の鐘のつくも神のほうと話してるときとかあった?」
高峰くんはゆっくりうなづいた。
「だから態度が少し変だなあと思うところがあったのか……初めから言ってくれればよかったのに」
「倉田くんがどんな人か知らなかったからね。ほぼ初対面の相手に、実は私には人には見えていないものが見えていて、なんて言ったら変なやつだと思われるかもしれないだろう?」
「うーん……」
高峰くんの意見もわかるのだが、その打ち明け話がなくとも高峰くんは十分変わっていると思う。
「無間の鐘のつくも神は話すのがあまり得意ではないみたいでね。迷子なのはわかったが、肝心のどこのだれなのかを聞き出すのは難しかった。“みんなに幸せを”が口ぐせのようだから、倉田くんにあんなふうに聞いてみたんだ。君が無間の鐘を知っていて助かったよ」
「わざわざつくも神の帰る場所を探してたのか……高峰くんって……」
優しいんだな、と僕が言う前に高峰くんがきれいな笑顔でこちらに振り向く。
「無間の鐘がお礼にハイタッチしたいって! 倉田くんも手を出してあげて」
「えっ……」
「悪い子じゃないから大丈夫さ。それに君は図書室の前でも無間の鐘に触れているよ」
高峰くんにうながされて僕もおそるおそる空中に手を伸ばす。
カーン! 鐘の澄んだ音が頭の中に響いた。
みんなの幸せを願って置かれた無間の鐘、つけば長者になるといううわさから多くの人が山を登ったけれど、足をすべらして谷底に落ちたり、怪我をしたりする人が出た。鐘があると人々の心をまどわすと言われて、最後には井戸の底に埋められてしまった。
無間の鐘からしたら迷惑な話だろう、つくも神が人間を恨んでいても仕方ないって思うくらい人間の身勝手に振り回された鐘だと思う。
だけど、無間の鐘の澄んだ音はどこまでも優しかった。優しい鐘が優しい高峰くんとめぐりあったのは偶然なのかな。鐘の音のように彼らの優しさが響きあっている気がした。
無間の鐘の音は僕ら人の子の幸せを願う美しい音だった。少なくとも僕はそう感じたんだ。
終わり
鐘の子 棚霧書生 @katagiri_8
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