第3話 花の死体

 陽葵と蓮は商店街を歩いていた。


 「どこの飯食わせてくれるの?」


 陽葵はスマホから視線を外して蓮に顔を向ける。


 「え?もう食べるの?早くない?」


 陽葵が腕時計に目をやる。時刻は16時。


 「私まだお腹空いてないんだけど。蓮君もう空いたの?」


 「俺昼飯食べてないから」


 「え!?昼ご飯食べない人なんているの!?」


 驚いた様子の陽葵に、合わせる気のないような涼しい返答をする蓮。


 「別にいるよ。てか、さっきからスマホで何見てるの?てっきり店でも探してるのかと思ってた」


 そう言って蓮は、腰を曲げて陽葵のスマホを覗き込む。


 「何の記事?」


 「今日からちょうど4年前に、この近くで事故があったの。高校生が車に轢かれて死んじゃったらしいよ。で犯人はそのまま逃げた。轢き逃げだよ」


 「もしかして、それを見るためにここまで来たの?」


 「そうだよ!犯人は事件現場に戻って来るってよく言うじゃん」


 蓮はそんな訳がないと、否定する言葉を出そうとすると喉に何かが突っかかる。その行動には心当たりがあったからだ。


 「あー。確かに俺も戻ったよ」

 

 「え?」


 「ああ。いや、父さん死んでから母さんと2人で引越したんだけど、母さん死んじゃったから、元々住んでた一軒家に戻ったんだ」


 「へ、へぇー」


 触れづらく返答のしにくい話題を出されて、陽葵の額に汗が待機する。


 「父さん死んだから家のローンなくなって住み放題だよ」


 これには陽葵は反応しない。


 「でも、轢き逃げしたような奴が事故現場に戻って来るかな?それも今日が事件の日なんでしょ?」


 「まあ、来ないでしょ!流石に」


 陽葵の返答に蓮は意外に思う。


 「期待してないんだ」


 「うん。でも犯人はかなりヤバい奴だよ」


 「人殺してるからね」


 「...まあ、それもやばい!でも、もっとヤバいのは人轢いた後、その車のまま近くのラーメン屋に行ったことだよ」


 「え?何しに?」

 

 「そりゃあ、ラーメン食べに行ったんだよ」


 「逃げたんじゃないの?」


 「逃げる前にどうしても食べたかったんだよ。きっと!」


 「へー、そんなに美味しかったのかな?そのラーメン屋さん」


 「気になるよね!?と言うことで!今日の夜ご飯はそのラーメン屋です!私のお詫び奢りね!」


 「おお。やった」


 2人は商店街を抜けて大通りに出る。


 「あ!あそこだ。事故起きた場所。ほら、花が置いてあるでしょ」


 陽葵が指を指す方には花が置かれている。歩道の脇に山積みになっていた。4年も前の事故にも関わらず、忘れていない人がいることに、蓮は驚いた。


 積まれた花の前に1人の男が立っていた。目の前に積まれた花と道路を見た後、男はカバンから花を一輪取り出して、山の頂上にそっと添えてから立ち去った。


 「ん?」


 それを見ていた陽葵が眉を顰めて視線を絞る。陽葵は蓮の耳元に囁く。


 「ねえねえ、今花置いた人、犯人に顔めっちゃ似てなかった?」


 「いやいや、どんな顔か知らないから」


 蓮がそう言うと、陽葵は犯人の顔写真をスマホで見せる。

 

 「あー、確かに似てたかも?一瞬しか見えなかったから、よく分かんないよ。髪型も違うし」


 「私ちょっと写真撮ってくる!」


 首からぶら下げたカメラに両手を添えて、陽葵は興奮気味な笑顔で言う。


 「はあ!?ちょ、ちょい!」


 蓮は走り出しそうな陽葵の腕を掴む。


 「なに?」


 歩みを止められた陽葵は振り返る。


 「なに?じゃなくて。え?」


 「顔撮りたいから近く行くだけだよ」


 「いやバレるでしょ。顔なんて撮ったら」


 「大丈夫大丈夫」


 陽葵の落ち着いた返答を聞いて、蓮は掴んだ陽葵の右腕から手を離す。


 「蓮君知ってる?今はね、ストリートスナップってのが流行ってるんだー」


 「ストリートスナップ?」


 「街とかを歩いてる人を捕まえて、写真撮らせてもらうの。オシャレですねーとか、カッコいいですねー、とか言って」


 陽葵の言葉を聞いた後、蓮は少し先を歩く男を見て指を指す。


 「でも、あの人おっさんじゃん。オシャレでもないし、カッコ良くもなかったよ?」


 「ダンディーですねー、とかでいけるでしょ!」


 「撮ってどうするの?」


 「本人だったら警察に突き出そう!で、お金貰おう!」


 「まだそんなこと言ってるの?」


 呆れた感情を隠さない蓮を見ても、陽葵の気持ちが捻じ曲がることはなかった。


 「うん。さっき言った通り!私の夢が目の前歩いてるんだから。滅多にないビッグチャンスだよ!」


 「あの人が犯人かどうか、まだ決まってないでしょ?」


 「だから撮りたいんだよ!確かめるためにね。どうするかは撮ってから考える」


 「なら、危ないかもしれないから、僕も一緒に行くよ」


 「ああ、蓮君は来なくていいよ。ストリートスナップは一対一じゃないと、ただの脅迫になっちゃうから」


 「でも危なくない?もしものことがあったら」


 「周りに人たくさんいるし大丈夫でしょ。蓮君はここら辺で待ってて」


 「...分かったよ」


 蓮は道の脇に寄って、先程の男まで駆け寄って行く陽葵を見守る。陽葵が男に駆け寄って声を掛ける。引き止められた男は振り返って、陽葵の話を大人しく聞いている。少し話した後、2人は距離を取って撮影を始める。陽葵は何枚か写真を撮って満足したのか、男の方まで歩いてカメラで撮った写真を見せる。2人は軽い会話をして、会釈をして立ち去る男を見送ってから陽葵は戻って来る。


 「イエイ!バッチリ!」


 「良かったね。で、あの人は轢き逃げの犯人だったの?」


 「絶対本人だよ。だって黒子の位置も同じだし、この辺のオススメの店聞いたら、あのラーメン屋だって言うんだよ」


 陽葵は自信に満ち溢れた顔で、ストリートスナップではありえない程の、顔面ドアップの写真を蓮に見せる。


 「確かにさっき見た犯人の写真とめっちゃ似てるね。で、この写真どうするの?本当に警察に?」


 「んー、どうしよ?本当はこの写真と指名手配の写真をSNSで拡散して、蓮君のことをみんなに忘れてもらおうと思ってたんだけど」


 陽葵が悩むのには理由があった。蓮に迷惑を掛けた手前、連続で人に迷惑を掛けるのはごめんだと思ったからだ。


 「んー」と唸りながら悩む陽葵に蓮は畳み掛ける。


 「止めときなよ。もし人違いだったら、この人にすごい迷惑掛けることになるよ」


 「...そうだね。分かったよ。蓮君にも迷惑掛けたし、これ以上他人を困らせるのは良くないよね」


 迷惑を掛けた相手の意見を無視して、己を貫いて失敗した姿を想像して陽葵は折れた。


 「それが良いよ。お腹空いたしラーメン食べに行こ」


 ラーメン屋に到着して、行列を耐えてやっと自分たちの番が来て店に入る。店に入って、陽葵の目には一瞬で目に入った。陽葵は食券機の前でどのラーメンにしようか悩んでいる蓮に耳打ちする。


 「ねえねえ、さっきの人いる。ほらあそこ」


 指を指して蓮に男の位置を示す。


 「本当だ。でももう関係ないし、どうでもいいでしょ?」


 蓮にそう言われて、陽葵は男のことは忘れてラーメンに集中しようとする。それでも陽葵の頭の中は、ラーメンが目の前に運ばれてきても、ラーメンを食べていても、男のことで一杯だった。


 「食べるの早!」


 空になった陽葵のどんぶりを見て、蓮が言う。


 「美味しいからつい」


 陽葵はそう言ったものの、最初の一口目以降味を感じることが出来なかった。食べ終わってからの視線は、全て男に吸い込まれる。


 陽葵が監視の目を光らせていると、男はスッと立ち上がる。店員にご馳走様、と言ってからカウンター席に座る2人の、後ろを通って外へ出て行った。陽葵はスープを飲んで追いかけたい気持ちを紛らわせるが、我慢出来ずに立ち上がる。


 それを見た蓮が麺でパンパンの口をモゴモゴさせながら言う。


 「あっ!ちょっと!駄目だって!」


 陽葵が外に出ると先程まで気配のなかった雨が降っていた。辺りは薄暗くなっていた。傘があっても無事じゃ済まなそうな豪雨の中、陽葵は走り出す。

 

 陽葵は焦っていた。周りの人間の視線が、隣を歩く蓮に集まっている気がした。周りの笑い声が全て蓮に向けられているように感じた。本人は気にしてないと言ったが、それで納得出来るほど陽葵の頭は単純な構造ではなかった。お金しかないと考えた。お金を与えられて困る人はそうそう見当たらない。そのためにあの男を警察に突き出す。やっぱりそれしかなかった。悪いことをした時は、良いことをして上書きするしかない。


 雨の中を激走して男を捉える。傘をさして呑気に路地をゆったりと歩いていた。ただ目に入っただけなのに、これから何をすればいいのかも分からないのに、陽葵は妙な安心感に襲われて全身の力が抜け落ちる。段差も何も無い平らな道路に足を取られて転ぶ。


 「きゃっ!」


 反射的にカメラを守るために、両手で抱え込んだまま、傍に置かれたビールケースに突っ込む。派手に突っ込んだ陽葵は、右肘と顔を地面で擦りむく。カランカランと音を奏でながらビール瓶が散乱する。傷口には地面に溜まった雨水が侵入してくる。皮膚から感じるヒリヒリする痛みを堪えながら、立ちあがろうとすると、男が気付いて駆け寄ってくる。男はしゃがんで陽葵に手を差し伸べる。


 「大丈夫ですか?って君はさっきの」


 「あ、ありがとうございます。...あなたは何で良いことをするんですか?」


 突然の陽葵の質問に男は何も言わず困惑の表情を浮かべる。陽葵は地面に両手をついて体を起こす。


 「あなたは今日誰に花を添えたんですか?轢かれて死んだ人?自分が殺した人?あなた、あの事故の犯人ですよね?」


 陽葵が話し終えると、男は傘を握る力を失って、傘が風に吹き飛ばされる。陽葵に返答することなく、地面に散らばったビール瓶を手に取る。それが答えだった。男は間違いなく、あの轢き逃げ事件の犯人だ。


 陽葵は立ち上がって、路地裏の狭い道へと全力で走り出す。後ろを振り返るとビール瓶を持ったままで、男は追いかけて来る。


 「誰かーー!!」


 陽葵の声は豪雨で遮られる。その声を求めている者以外には、届かない声量まで落とされる。どんどんと狭く、細くなっていく道に人など居るはずがなかった。自分の足音と呼吸音、男の足音、雨音以外は何も聞こえない。


 陽葵は何に後悔をすればいいのか分からなかった。蓮に興味を持ったこと、蓮と関わったこと、蓮の写真をSNSに投稿したこと、目の前の男の写真を撮ったこと、蓮の制止を張り切ってこの男の後をつけたこと。どれか分からないから全力で走った。


 走る陽葵は男を撒くのに良さそうな道を見つける。角を曲がった先を見て陽葵の足は止まる。行き止まりだった。完全に袋のねずみだ。それでも陽葵はちょうどいいと思った。もう走る体力もない。陽葵は首にぶら下げたカメラを手に取る。


 「やっぱり蓮君はカッコいいなぁ」


 今まで撮ってきた写真を見ながら、陽葵は壁に向かってとぼとぼと歩く。写真を眺めていると、息の上がった男が到着した。男は足を止めて呼吸を整える。酷く焦った表情を浮かべている男の右手には、ビール瓶がしっかりと握られていた。


 男もこの先が行き止まりだと理解して、安堵の表情を浮かべて、胸を撫で下ろす。ビール瓶を頭上まで上げて、いつでも振り下ろせそうな構えを取る。そのまま男は一言も発さずに、ジワジワと陽葵との距離を詰める。


 陽葵は向かってくる男に何かを訴えることもなく、カメラを男に向けて構える。自分の死因になるかもしれない男だ。記録に残す必要がある。自分の目は捨てて、カメラが写す世界だけを覗く。すると、カメラは陽葵の見知った人物を映し出す。蓮だ。蓮は左手で濡れた前髪をかき上げて、男と同じように、頭上までビール瓶を上げる。蓮は男に忍び寄り、真後ろに付いた瞬間、思い切りビール瓶を振り下ろす。


 パリーンと音が鳴り響く。蓮は男が持っていたビール瓶を叩いた。2人の待っていたビール瓶は粉々になり、男の頭上に降り注いだ。男は驚いて地面に倒れ込む。


 「すみません!!すみません!!」


 地面に散らばるビール瓶の破片が刺さり、男は痛みに悶えて転げ回る。男の周りの水が徐々に赤く染まっていく。それを見る蓮には、安堵の表情も、焦りの表情もない。


 「とりあえず傘でも買いに行く?」


 手元に残ったビール瓶を、目の前で転げ回る男に投げ落としてから蓮はそう言った。蓮の声に震えなどはなく、日常で飛び交う普通だった。


 陽葵は一連の光景を目の当たりにして、力なく地面にペタリと座り込む。目の前には、カメラに収めるべき景色と、人物が繰り広げられているのにも関わらず、震える手はカメラを持つことを拒んだ。それを受け入れて、陽葵は自分が一流のカメラマンになるのは、無理だろうと思ってしまった。

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犯罪者捕まえた ちゃもちょあちゃ @chamochoacha

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