悪夢に棲む者
朽木 堕葉
夢から覚めるには
夕陽に輝く川面が、寝起きの目にはひどく眩しく見えた。草の匂いと、柔らかな土の感触を背に感じながら、河川敷の斜面に寝転がったままでいた。
あまりに気怠くて、すぐ動く気になれなかった。それがただの五月病によるものであったなら、こんなところで思い煩うあまり、眠りに落ちてしまうこともなかっただろう。
遠くから響いて来る選挙の街頭演説の声が、一段と熱を帯びたとき、誠一はそばで揺れていたタンポポをむしり取った。どこか苛立たしげに。
たくさんの綿毛をくっつけたそれをしばらく見つめ、勢いよく息を吹き込んだ。
あっと言う間に、真っ赤な空で散り散りになった。
綿毛たちも、すべて真っ赤に見えた。赤い血を吸い上げたように。
誠一が自宅のマンションに戻ると、妹のはしゃぐ声がした。
稀に顔を見せるあの母親と話して、あんな明るい笑い声を上げるはずもない。ふと、今日は数時間だけ中学校に登校していたのを思い出し、誠一は妹の部屋をノックしていた。
「
妹の花夜はベッドで寝ていたが、別段、苦しそうでないことに誠一はまず安堵した。それから、傍らのツインテールの女の子に視線を移した。
女の子はこちらに振り返ると、元気よく挨拶をしてくれた。
「お邪魔しています! 花夜ちゃんのお兄さんですか? 私、
誠一の第一印象としては、活発的で愛らしい少女に見えた。
「ああ、よろしくね。花夜、お友達ができたのか。良かったな」
「うん! 夢月ちゃんね、とっても面白い子なんだよ!」
「そうか。お喋りもいいけど、時期に日も暮れるから、ほどほどにしておくんだよ。俺は、買い出しに行ってくるけど。ああ、あと、薬もちゃんと飲むこと」
「わかってるよぉ」
「お兄さん、心配しないで。花夜ちゃんのことは、私に任せてください」
胸を張って言い切る夢月に、ちょっと苦笑して、誠一は自室に寄って鞄を放り出した。
そして、七階の窓から身を乗り出していった。
甲高い悲鳴が夜道に響き渡る。
たった今まで、抱き合っていた男が真っ二つに引き裂かれたのを目の当たりにした女性は、半狂乱に陥り、血だまりを踏んで走り出した。
全身を漆黒で
「……⁉」
愕然となり、黒騎士はあたりを見回した。そして、目を見開いた。標的の女性ではなく、少女の姿を目に映したからだった。
「夢月……ちゃん?」
「もうやめてください! 花夜ちゃんのお兄さんっ。ナイトメアーズの言いなりになんてならないでっ」
黒騎士――誠一は、可憐なコスチュームに身を包んだ夢月の姿に驚愕した。そして、聞き慣れない言葉に、眉をひそめる。
「……ナイトメアーズ?」
「人の悪夢の世界に棲む魔物たちのことや!」
夢月ではない声が叫んだ。リスともウサギともつかない小動物らしきものが、空を飛んでいた。
「悪夢……。夢のなかで、俺に命令するあの声のことか?」
「そうです。ナイトメアーズは、悪夢を通して人を操るんです」
夢月が大きな声で訴える。誠一は、両手で剣を構え直した。
「それでも、俺は命令を実行しなくてはならないんだ。でないと、花夜は――」
もともと病弱だった花夜が、この半月、ひどく衰弱し始めたのは事実。夢のなかの声に従い、この力で裁けと命じた者を殺めるほどに、回復の兆しをみせてきた。それが、真実。
「ドアホ! 花夜が具合悪いのも、ナイトメアーズの仕業ってわからんのか!」
小動物が言っている意味を、誠一はすぐに理解できなかった。
「なんだって……?」
「本当なんです。だから、あなたたち
「キミは、なんなんだ?」
夢月の代わりに小動物が答えた。
「夢と現実を愛と希望で照らす光の使者やっ」
「ムーくん……その口上はちょっと」
呆れ気味に夢月。
誠一は目を細めた。キツく睨むように。そして地を蹴った。突き込んだ真紅の剣は、夢月の操る三日月型のチャクラムで大きく弾かれていた。
「誠一さん、どうして?」
「もっと早く、現れてほしかったよ」
「えっ」
「これまで、俺が殺めた人たちも、夢になるのか? 生き返るのか?」
「それは……」夢月は顔を歪める。
「それは無理や。現実世界で起こったことやからな」
夢月がムーくんと呼ぶ小動物が、きっぱりと告げる。
斬り結んだまま、沈黙がしばらくつづいた。
誠一の肩が震え、壮絶な叫びを上げた。途絶えることなく。力の限り、剣を振り続けた。
道路に大の字になって、誠一は夜空を見上げていた。
三日月が鋭く光っている。
不意に、夢月がそばによって来て、愛らしい顔で申し訳なさそうに笑んだ。
「遅くなって、本当にごめんなさい。けれど、これで誠一さんと花夜ちゃんはナイトメアーズから解放されるはずです」
言って、夢月が誠一の額に手を当てた。
「なにを、する気なんだ」
「あなたの夢に入り、そこにいるナイトメアーズを倒します」
そうか、と誠一は口に出そうとした。だが、口からこぼれたのは、声ではなく血だけだった。
鋭利な影が、地面から生えるようにして、自身の胸を貫いているのがわずかに誠一にも見えた。
「厄介な個体やな! 図々しく宿主を切り捨てて逃げおった」
ムーくんが、素早く移動する影を追っていった。
「誠一さん⁉」
夢月が青ざめて、誠一の顔を覗き込む。
これが因果、と意識が白む。完全に塗りつぶされる前に、声を振り絞った。
「花夜と、これからも仲良く……してやってくれないか」
何度も、強く頷く夢月の姿を目にして、誠一は最期の安堵の息をこぼした。
悪夢に棲む者 朽木 堕葉 @koedanohappa
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