ペンギンはなぜ空を見上げるか

木口まこと

全1話

 岩手県奥八幡平郡那須花村。「なすかむら」である。岩手山と安比高原のあいだに位置するこの小さな村は、平成の大合併で日本中に合併の嵐が吹き荒れたさなかにも、いち早く村議会が全会一致でどこの市町村とも合併しないことを決め、独立を守ったことで知られる。それだけに財政状況は厳しく、また若者たちは村を離れて今や平均七十歳近い高齢社会であるにもかかわらず、村人たちの意気は高い。

 那須花村の半分を占めるのは、十四世紀に岩手山から流れ出た熔岩が作り出した荒涼とした土地である。同様の地形としてはすぐ西に位置する国指定特別記念物の焼け走り溶岩流がよく知られているが、那須花熔岩台地は成立がそれより古いにもかかわらず、焼走りに比べて規模が小さいこともあってか、あまり知られていない。いや、知られていなかった。少なくともつい最近までは。

「わげもんがいねば村もいづまでつづくがわがんね。ここはひとつ、でっけえものでもつぐっで村起こしせねばっきゃ、まいね」村の宴席で達次郎村長が口にしたひとことが全ての始まりだった。

 と、ここでひとつお断りしておきたい。作者は津軽弁ならある程度わかるものの南部地方の言葉はさっぱりである。達次郎村長の言葉もなんとなく東北弁ぽく書いてみたが、どう考えてもこれでは津軽弁である。南部のみなさんには誠に申し訳ない。そういう事情により、これ以後、全ての村人の言葉はいわゆる標準語、つまり国が学校教育で押し付けている「国語」訳で表記させていただく。

 達次郎村長は村に若い人たちを呼び込むために何か大きなものでも造ろうかと提案したのである。宴席での話題だけに、その話はそれきり忘れ去られていたのだったが。

「村長はご自分が一年ほど前に非公式の席で大きなものを作って若者を呼び込もうとおっしゃったのをご記憶ですか」村議会の一般質問でそう問うたのは、議員の中でも最年少、まだ五十代の慎之助議員である。ちなみに、那須花村の村民は名字が全員「須花」なので、名字を書いても意味がない。

「酔っておりましたので」と村長が答弁を始め、議場には笑いが起こる。一部は村長派の苦笑、一部は反村長派の失笑である。慎之助議員は反村長派の急先鋒として知られる。反村長派と言っても、たいした政争があるわけではなく、実はゲートボールのチームがふたつあるだけなのだが。

「しかし、たしかにそのようなことを申した記憶はございます」村長が続ける。

「何を作ろうと考えておられるのか、ここではっきりと伺いたい」慎之助議員が鋭く問う。

「那須花熔岩台地にデズニーランドを誘致してはいかがかと考えております」村長が答えた。議員たちの口から「ほう」という声が漏れる。まさか、そのような壮大な計画とは誰も想像もしていなかったのである。

「ただ誘致するだけでデズニーが乗ってくると考えるのは非現実的です」慎之助議員が切って捨てた。「しかも、儲けのほとんどはデズニーが持っていってしまう。しかし、何かを造って若者を呼び込もうというお考え自体にはわたくしも賛同するものであります。テーマパークもいいでしょう。そこで」と慎之助議員は議場に居並ぶ九人の議員を見回した。そのうち四人は居眠りをしている。

「村長はナスカの地上絵をご存じですか?」慎之助議員が言った。

「那須花の地上絵ですか? 聞いたことはありませんが」村長が答える。

「那須花ではなくナスカです。ナスカの地上絵」文字で見ても分からないと思うが、那須花とナスカはアクセントの位置が違う。那須花は「か」にアクセントがあるのに対し、ナスカは「ナ」である。

「お配りした資料の写真をご覧ください」慎之助議員が続ける。議員たちが資料をめくると、有名なハチドリの地上絵の写真が現れた。「ペルーの平原にはこのような巨大な絵が多数描かれています。最近は山形大学のグループが精力的に調査を行い、新たな絵も多数発見されています。そこでです」と芝居掛かった調子で間を置く。「那須花村にも地上絵があったことにするのです」

「あったことにする?」

「だって、ないでしょ?」慎之助議員はしれっと答える。「ないのなら、作ってみせよう地上絵を」

 慎之助議員の提案はこうだ。

 那須花熔岩台地をドローンで調査したところいくつもの巨大な地上絵が発見された、ということにして、実際にはこれから那須花熔岩台地に地上絵を描く。村の教育委員会の調査により、これらの地上絵が十五世紀にまだ熱を持つ熔岩を削って描かれたものだと判明した、ことにする。これを大々的に発表すれば、まずテレビ局が集まるだろう。充分に話題になったところで、隣接地に那須花地上絵パークをオープンさせる。売りものは地上絵を一望できる巨大観覧車と那須花名産を使ったレストランだ。いちおう学術施設として那須花地上絵資料館も併設し、体裁は取り繕う。

「これは電報堂に勤務する甥に秘密裏に計画立案を依頼したものですから、絶対に当たります」

「なるほど!」と村長は感嘆の声を上げた。「で、地上絵はどのような絵柄を?」

「ペンギンです」慎之助議員が高らかに告げると、議場がざわめいた。

「なぜペンギン?」村長が首を傾げる。

「だって、ペンギンはかわいいじゃないですか。若いギャルに人気が出ます。すると、ギャルを喜ばせたい男どもがギャルを那須花村に連れてくる。村は若いカップルとギャルのグループで大賑わいですよ。電報堂が言うのだから、間違いありません」


 こうして、那須花の地上絵計画は始まった。那須花村始まって以来の一大プロジェクトである。

 地上絵のデザイン担当は、村役場に勤める景子総務係員に白羽の矢が立った。景子は役場勤めのかたわら某アニメの二次創作BL同人誌を作ってコミックマーケットで大人気を博す有名同人作家だった。彼女が得意とする「かわいい系」の絵柄がペンギンの地上絵に最適と考えられたのである。景子の祖父母は那須花村で農業を営んでいるが、景子自身は村で働く若者たちの例に漏れず、隣接する中八幡平市から通っていた。

「ど、どうしてわたしがマンガを描いていることをご存じなのですか」村長から直々に打診を受けたとき、景子はひどく怯えた顔をした。ペンネーム「那須花☆景」が村人にばれているとは思ってもいなかったからだ。

「東京に住む孫娘の絵梨花があなたのマンガのファンでしてね、コミックスマートとやらであなたに会ったと言うとるのですわ」村長にそう言われてしまっては、断るわけにはいかない。絵柄こそかわいいものの内容はかなりハードな自分のBLを好む村長の孫娘の将来は心配だったが、景子はコミックマーケット出店を一回休むほどの熱意をもってデザインに取り組み、百羽のかわいいペンギンを描ききった。熔岩台地の半分ほどを大小のペンギンで埋め尽くすデザインである。その中心には地上絵のシンボルともいうべき、ひときわ大きな体長百メートルに及ぶペンギンがいる。もちろん、デザインはかわいい。

 景子のデザインをもとに熔岩台地に絵を刻んだのは村で唯一の土木会社、(有)那須花土木である。「村の存亡がかかっていましたから、社運を賭けて取り組みましたよ」と社長の太一郎は後に語っている。それからしばらく、熔岩台地には(有)那須花土木のユンボの音が絶えなかった。

 半年後、村は地上絵の発見を大々的に発表した。那須花の地上絵はまたたくまに全国ニュースになり、ワイドショーで取り上げられ、まだ展望台もないというのに気の早い観光客がやってくるようになった。教育委員会は観光客のための説明会を週に一度開催した。

 Y形大学の研究チームが那須花の地上絵を本格的に調査したいと申し入れてきたが、これは村の教育委員会が調査するからと丁重に断った。

 大ペンギンの愛称は全国から公募し、奈良県の小学五年生伊藤愛梨ちゃんが応募した「なすぺん」が採用された。愛梨ちゃんには五万円分の図書カードが送られた。

「全国のこどもたちが『なすぺん』を好きになってくれたらうれしいです」命名イベントのために那須花村に招かれた愛梨ちゃんは、元気よく言った。この伊藤愛梨ちゃんが後に人気グラビアアイドルとして一世を風靡することになるとはこの時誰も予想していなかっただろう。

 村人たちは地上絵が世間に与える威力の大きさに感心し、いよいよ熱心に地上絵プロジェクトに取り組むのだった。


 三年後、ついに那須花地上絵パークが盛大にオープンした。

 慎之助議員の思いつきは当たった。若いカップルや女性グループが全国から集まってきた。週末ともなれば地上絵パークは原宿並みの混雑を見せた。目玉の大観覧車は二時間待ちの行列である。うれしい誤算は、若いとはとても言えない客も意外に多かったことだった。那須花村には外国人客も多く訪れ、急ごしらえの二軒のリゾートホテルは観光客で満室になった。

「ペンギンはあらゆる年齢層、あらゆる人種に人気なのですなあ」達次郎村長が今や那須花地上絵パークのCEOとなった慎之助に声をかける。

「那須花村の繁栄は約束されたようなものです」慎之助CEOは胸を張った。

 地上絵だけではすぐに飽きられる、次々とイベントを打たなくてはならないと焚き付けたのは電報堂から地上絵パークに出向している慎之助の甥、須花良実である。「俺のことはヨシミックスって呼んでください」地上絵パーク開設準備事務所に現れた良実が開口一番そう言ったことはいまだに語り種になっている。

「若者向けに熔岩台地でロック・フェスティバルを開きましょう」良実が言った。「キャンプ場を整備して、五日間の野外フェスをやるのです」

「なるほど!」慎之助CEOは膝を叩いた。慎之助も一九七〇年代にはロックに夢中になった世代である。なんの反対があろうものか。

「ヘッドライナーはもちろんペンギン・カフェ・オーケストラです」良実がにやりと笑った。


 ペンギン・カフェ・オーケストラは来なかったが、毎日のヘッドライナーにはイギリスから若者に絶大な人気を誇るシンガーソングライター、ケイト・ウィルスンやアメリカはウェストコーストの伝統を継ぐフラワーパワーズ、フェス全体の大トリにはアメリカのヘヴィメタルの重鎮たるメタルマニアなど海外の大物を並べ、さらに日本からも若手・大御所取り混ぜて、都合百組近いアーティストが三つのステージで演奏するという大フェスティバルが開かれることになった。「那須花ロック・フェスティバル」通称「ナスフェス」は日本中の、いや世界中のロックファンの注目の的となり、「なすぺん」はフェスのシンボルとして、ますます世間に広まっていった。


 そして、ついに那須花ロック・フェスティバル前日がやってきた。若いカップルやグループ、あるいはフェスでの出会いを期待するひとり者が続々とシャトルバスから吐き出されてくる。真っ白な長髪に白い髭を伸ばし、ベルボトムのジーンズとペイズリー柄のシャツに革のベストを身にまとった七十代くらいの男も颯爽とバスから降りる。男と手を繋いで降りてきたのは、ストレートロングの白髪にヘアバンドを巻き、大きな丸いサングラスをかけた同年代の女性である。ピンクのペイズリー・シャツの前を開いてノーブラの胸の谷間を覗かせている。

「これがロック・フェスだ!」慎之助CEOは思わず叫んだ。

 ちょうどその頃。南極大陸では何万羽とも知れないコウテイペンギンの群れが一斉に北の空を見上げていた。その先に位置するのは日本。

 コウテイペンギンたちの目に知性の光が宿った。

「時は満ちた」群れを率いるペンギンの王がペンギン語でおごそかに告げた。だが、人間はまだそれを知らない。


 フェスのステージと観客スペースは地上絵にかからないよう熔岩台地の端に設定されている。三つのステージを合わせて十万人を収容できるだけのスペースが用意され、初日に五万を数えた観客数は日を追うに連れて増えていった。

 朝十時から夜八時まで続くライブに、集まった観客は熱狂し、そのまま明け方まで乱痴気騒ぎが続く。最終日ともなれば、みんな疲れ切っているが、それでも演奏が始まれば熱狂するのがフェスのファンだ。実はナスフェスには致命的な問題があった。場所がごつごつした熔岩の台地のために、疲れても座り込めないし、靴底も傷んでしまうのである。そのため後年、ナスフェス靴として、底が強化された靴が某レコード店で売られるようになったのはご存じの通りである。

 とにかく、狂熱のナスフェスにもついに最終日は訪れた。午後四時、夏の日差しがまだ高いその中、いよいよ大トリを飾るヘヴィメタルの帝王、メタルマニアがメインステージに姿を現した。観客たちは最前列を目指して一斉に走る。

「トーキヨーーー!」リードヴォーカルのデイヴが拳を上げて高らかに叫ぶと、観客から地響きのような大歓声が湧き起こる。ドラムスのジョーイがスティックでカウントを三回、そしてバンド全員が一丸となって爆音を鳴らしたその時。

 ステージの爆音をかき消すほどの轟音が辺りに響きわたった。その音にさらに熱狂した観客たちだったが、すぐに何かがおかしいことに気づきだした。ステージ上ではメタルマニアが演奏をやめて、何ごとが起きたのかと様子を伺っている。

 轟音は明らかに空から聞こえてくる。観客たちが空を指差して口々に叫ぶ。

「鳥だ!」

「飛行機だ!」

「いや、あれは……」

「ペンギンだ!」

 銀色に輝く巨大なペンギンが足から炎を吹き出しながら降りてくるところだった。轟音がどんどん大きくなる。

 耳をつんざく轟音の中、巨大なペンギンは「なすぺん」のお腹のあたりにしずしずと着陸した。轟音が止み、静寂が訪れる。銀のペンギンの高さは百メートルはありそうだ。人々はただ呆然と立ち尽くしている。

 慎之助CEOは急いでステージの裏に回った。目を凝らして銀のペンギンを見つめていると、脚の付け根あたりが開いてタラップ状のものが地面に降りた。タラップを次々と降りてくるのは……

「ペンギン?」慎之助CEOは思わずつぶやいた。たくさんのペンギンたちが姿を現した。「なすぺん」に降り立ったペンギンたちは続々とこちらに向かって歩いてくる。よく見るとペンギンたちはミラーのゴーグルをかけ、手にはライフル銃のようなものを構えている。

「諸君」背後に聳え立つ銀のペンギンからメタルマニアの爆音にも遜色ないほどの大きな声が流れてきた。「我々はペンギン座アルファ星第三惑星から来たペンギン星人である」

 呆然としていた観客たちが我に返ってざわつき出す。「ペンギン星人?」という声がそこかしこから上がる。人気声優、春坂あかねの声に似てるなと慎之助CEOはぼんやり思っていた。

「フェスを妨害する奴はペンギン星人だろうがなんだろうが許さない!」叫んで飛び出したのはヨシミックスだ。彼の頭にはフェスの成功しかない。それだけが本社に戻る道なのだ。

 先頭を歩くペンギンの銃から光線が放たれ、ヨシミックスはその場に凍りついた。

「心配するな」背後の巨大ペンギンが春坂あかねの声で言った。ここでは標準語で書いたが、聞こえてきたのは流暢な南部弁だった。「マイナスエントロピーの冷凍光線だ。しばらくすれば、回復する」そして「責任者と話がしたい」と続けた。

「責任者?」慎之助はつぶやいた。村の責任者は達次郎村長だが、フェスの責任者はCEOの自分だ。意外に責任感のある慎之助はペンギンに向かって「わた、わた、わたしが責任者だ」と叫んだ。

「責任者と話がしたい」巨大ペンギンが繰り返した。慎之助が勇気を振り絞って叫んだ言葉も巨大ペンギンまでは届かなかったようだ。

「ええい、ままよ」慎之助は叫ぶとそのままステージに駆け上がり、呆然と立ち尽くすメタルマニアのデイヴを押し退けてマイクに向かった。「私が責任者だ!」シャウトしたその声を聴いたジョーイが何を血迷ったかスティックでカウントを三回、つられてギターとベースがユニゾンでリフを刻み始めると、ステージ前の観客たちは条件反射でモッシュサークルを作った。

「いや、そうじゃなくて」巨大ペンギンから呆れたような声が聞こえた。我に返った観客たちが見ると、ペンギンたちがステージの裏手に並び、先頭のペンギンがステージに近づいてきている。ステージ上の慎之助からはまだその姿が見えず、きょろきょろするばかりだ。

 先頭のペンギンがステージに飛び乗った。振り返ってその姿を見た慎之助は思わず後ずさる。身長1メートル50センチほどのペンギンが慎之助に銃を向けている。仮にこれをペンギンAと呼ぼう。ペンギンAはマイクに近づくと「トーキヨーー!」と叫んだ。ロニー・ジェームス・ディオにも似たそのシャウトにジョーイがカウントを三回、つられてギターとベースがユニゾンでリフを刻み始め、再び観客たちのモッシュが始まった。

「そうじゃないだろ!」ペンギンAが叫ぶと、ステージ上のバンドも観客も我に返り、沈黙が訪れた。みな、怯えたような顔でペンギンAを見つめている。

「我々は銀河連邦を代表してやってきた」ペンギンAが続ける。「責任者は君か」と慎之助を指差す。いや、指なのか?よく分からないが、翼の先で指差した。「あ、これは指だ。我々ペンギン星人の手には指が一本しかない」親切なペンギンAは作者の疑問をテレパシーで感じ取ったらしく、そう言った。

 メインマイクを奪われた慎之助は女性ベーシストの前に据えられたマイクに向かって、「ぎんがれんぽう?」と間抜けな声を出した。

「銀河連邦は銀河系に住む知的生命体の連合だ」


ペンギンAの長い話を要約するとこうだ。地球時間で約600万年前、知性観測望遠鏡で人類の誕生を察知した銀河連邦はペンギン星人を地球の監視役に任命した。それ以来地球はペンギン星人の監視下にあったというのだ。

「そして、君たちが我々に呼びかけているのを見て、ここにやってきたというわけだ」ペンギンAは説明を終えて、言葉を切った。

「呼びかけた?」慎之助は首を傾げた。「そんな覚えはないのですが」マイクに向かっておずおずと言う。

「では、なんのために地上に巨大なペンギンを描いたのだ」ペンギンAが言った。「我々はペンギンの絵を見て、いよいよ地球人類が我々にコンタクトしてきたと判断した」

「いや、それはなんというか……」慎之助が言い淀む。

「我々は600万年前から地球に監視員を置いている。彼らからも人類が十分な知性を獲得したと報告を受けている。たしかに地上にペンギンの絵を描けるくらいの知性はあるのがわかった」

「監視員って……」次々と入ってくる新しい情報に慎之助の頭は混乱している。

「ペンギンだよ。知らないことはあるまい。コウテイペンギン、オウサマペンギン、アデリーペンギン……」

「待ちなさい!」女の叫び声が聞こえた。慎之助がステージの反対側を見ると、ギタリスト用に立てられたマイクの前に髪をピンクに染めた女が立って、拳を振り上げていた。実は拳ではなくメロイックサインなのだが、慎之助には区別がつかない。黒い革ジャンに真っ赤な革のパンツとブーツ、革ジャンにはたくさんの鋲が打たれている。

「私は国立K学博物館の研究者よ。シャーリー姐さんと呼んでくれていいわ。メタルマニアを見にきたのに、なんてことなの。そこのあなた!」とペンギンAを指差す。「寝ぼけたことを言うんじゃないよ。ペンギンは鳥だ!」

 ペンギンAが一本指で器用にゴーグルを外し、目を細めてシャーリー姐さんを見た。慎之助はペンギンが目を細められることになぜか感心した。

「ほう」ペンギンAが言う。「ペンギンが鳥だと言うかね。地球に暮らすペンギンは全てペンギン星から送り込まれた監視員なのだ。鳥ではない。地球の知性体が銀河連邦に敵対しないか監視し続けてきたのだ」

「ペンギンは鳥だ!」シャーリー姐さんは繰り返した。

「では聞こう」ペンギンAが皮肉な口調で言う。「ペンギンはニワトリに似てるかね」

 シャーリー姐さんは虚を突かれたように一瞬口ごもり、「い、いや、似てない」と小さな声で答えた。

「スズメに似てるかね」ペンギンAが畳みかける。「ダチョウに似てるかね。クジャクに似てるかね」

「い、いや、似てない」シャーリー姐さんはすっかり元気を失っている。

「では答えたまえ、シャーリー姐さん。直立二足歩行し、二本の腕を持つペンギンが最も似ている地球の生物はなんだ」ペンギンAは勝ち誇ったように言う。

「に、人間だ」それだけ答えるとシャーリー姐さんはその場にへたりこんだ。

「地球の諸君」ペンギンAがマイクに向かって声を張り上げた。「我々は地球人が銀河連邦に敵対的かどうか監視してきた。地球人が地上にペンギンの絵を描いて我々を呼べるほど文明を発達させた今、我々は判断しなくてはならない。地球人は銀河連邦の敵か味方か」

 その時だ。マイナスエントロピーのために冷凍されていたヨシミックスが息を吹き返した。ヨシミックスはペンギンAの言葉を何も聞いていなかったが、ペンギンたちがナスフェスを妨害しようとしていることだけは分かっていた。ヨシミックスが本社に戻るための希望はナスフェスの成功にしかない。誰であれ、妨害する奴は許さない。

 ヨシミックスは怒りに我を忘れてステージに駆け上がり、ペンギンAに向かって突進すると、体当たりを喰らわせた。ヨシミックスと一緒になって転がるペンギンA。ふたりはしばらく揉み合っていたが、突然ヨシミックスは体を痙攣させ、ぐったりしてしまった。ペンギンAが立ち上がる。

「これが君たちの答えか!」ペンギンAが叫んだ。「ならば戦争だ」


 さて、話は突然変わるが、実は国連は宇宙人の侵略に備えて秘密裏に地球防衛組織UNCBSを組織していた。United Nations Chikyu Bouei Soshikiである。巨大ペンギンロケットの襲来はUNCBSの監視システムに捉えられていた。北極に密かに築かれていたUNCBSの基地から、対宇宙人戦闘機TUS1の編隊が発進したのは一時間ほど前。編隊は超音速で那須花村を目指している。

 ペンギンAはステージを駆け降りると、居並ぶペンギン星人たちにペンギン語で何かを伝えた。一斉に戦闘態勢にはいるペンギン星人たち。

「ラブ・アンド・ピース!」例のペイズリーシャツを着た70代の男が叫んだ。「ラブ・アンド・ピース!」その声は瞬く間に観客たちに伝わり、巨大なシュプレヒコールとなって、あたりの空気を震わせた。「ラブ・アンド・ピース!」

 だが、愛など超越した高等知的生命体であるペンギン星人たちにラブ・アンド・ピースの概念はなかった。観客たちに危機が迫る。

 その時、爆音が聴こえてきた。ステージを降りていた慎之助が空を見上げると、TUS1の編隊が迫ってきているのが目に入った。振り返ると、ペンギン星人たちも空を見上げている。

 ペンギン星人たちはTUS1を追って顔を上げる。TUS1が真上に来ると首を思い切り伸ばして見上げる。そして、TUS1が後ろに飛び去るとき、ペンギン星人たちはそれを追って頭を後ろに倒していき、ついにはみんな仰向けに倒れてしまった。

 その頃、南極。UNCBSの南極基地から飛び立ったTUS2の編隊がコウテイペンギンの群に接近していた。ペンギンの王がそれを指差し、「警戒せよ」とペンギン語で告げた。ペンギンたちはTUS2を見上げる。TUS2が頭上にくると、みな思い切り首を伸ばしてそれを追う。そして、TUS2が背後に飛び去るのを追って、コウテイペンギンたちはみんな仰向けに倒れてしまった。ペンギンたちの目から知性の光が消えた。

 慎之助は恐る恐るペンギンたちに近づいていった。ひとりまたひとりと立ち上がるペンギンたち。だが、ゴーグルの奥に隠されたその瞳に知性の輝きは既になかったのである。


 那須花地上絵パークの隣に「那須花ふれあいペンギンパーク」が開設されたのはその半年後のことだ。慎之助はCEOとして、パークのオープンまで忙しい日々を送った。身長1メートル半の大きなペンギンたちと直接触れ合えるのがこのパークの売り物だ。ヨシミックスは相変わらずパークに出向の身だ。

「ペンギンだけっていうのも芸がないっすね」ヨシミックスが慎之助に言った。「今度はパンダの地上絵なんかどうですか」

 いいかもしれないな、と慎之助CEOは独りごちた。那須花村はますます繁栄するぞ。

 その時、中国四川省に住むパンダたちの目に知性の光が宿ったのだが、人類はまだそれを知らない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ペンギンはなぜ空を見上げるか 木口まこと @kikumaco

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画