P.F.N.

石川ライカ

P.F.N.

 漆黒の大河が流れるその土地には古くから細長い塔がそびえていた。

 その塔がかつて誰からともなく呼ばれ、また名乗ったかもしれないその名前はとうに忘れ去られ、長い年月が過ぎ去っていた。

 その塔はかつて

 〝P〟と

                 〝E〟と

                                  〝N〟を

     出力したが、その響きはこの世界にゆきわたり、また拡散して、もはやペンギンたちが休息する草むらの雑草と変わりはなかった。そして、塔はMoonもMoleも出力しなかった。しなかったが、彼らは現にこの世界を照らし、またこの世界を穴だらけにもしていた。そのことに聡明なペンギンたちは気づいていただろうか? 今となってはもうわからない。しかし彼らはそこにいた。

                MOGURAは、いつも土のにおいに塗れていた。

                   それは古くはペンギンたちの墨汁の匂いが

                      濃く染みついていたものだったが、

                         それは半減期をとうに過ぎ、

                              世界を覆う繊維の

                          奥深くへと落ちていった。

 MOGURAたちはいつとはなくこの世界に穴を掘っていた。地中に潜り、長い鼻をひくつかせて泳ぐように穴を掘る彼らは、空を飛ぶことなしに世界を飛ぶその心意気においてペンギンたちと類縁をなすものであったが――進化の枝分かれを主張する論者もあった――

       彼らはペンギンたちのように大地を滑り  

            まわることはなく、時折穴から顔を出しては

                  世界を覆い尽くすペンギンたちの交通――

               疾走にあわてて頭を引っ込めていた。

       MOGURAたちが掘る土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土土

                                     穴

                は暗く、そこにはあたたかな黒が満ちていたが、

彼らはペンギンたちの滑らかな黒い背広を発色させる父なる大河、その黒い液体が彼らの穴に流れ込むことを嫌った。彼らには彼らの黒があった。彼らの 

                            黒は何も染め上げず、

                    ただ彼らの瞳を眩しい外の光から守り、

              彼らの嗅覚を豊かにし、仲間や隣人と触りあって

            そのふさふさした茶色い毛やピンクに腫れ上がった

                    生温かい身体の一部をまさぐりあう

                    豊穣な闇の時間をもたらす黒であった。

          しかし一方で、彼らの世界はその黒だけでは充足しなかった。

            彼らは夜空を見上げるたびに、


            黒が反転したくろ、

             まっくろ、まっ

               くろ!

             まっ!  くろ。


   と白くぬめぬめした鼻息と洟水のしたのくちに「くろ」は楽しげに溢れだし、

           まっ……    ●!

   と勝手に謡いだされてしまいそうな夜の世界を充たすくろの世界を夢想した。

                       それはくろであって黒ではなく、

           彼らの身体を形づくり彼ら同士の関係を充たす黒とは違い、

                    彼ら自身の存在に何もかかずりあわない

                           遠い遠いくろであった。

    ( )

                   彼らはペンギンたちが寝静まる夜になると

                   こそこそと悪戯な気分で地上に顔を出し、

                     自分たちを拒む世界へと身を晒した。

  「月見ぼっこ」

            それを墨の河から目撃したペンギンたちはそう名付けた。

                           彼らを拒む神聖なくろ、

                その中でまるい顔をしているのは月だけだった。


 そして塔である。やっと塔である。

 塔はもはや誰にも語られず、物語の仇花としてそこに立っていた。その塔は白く、いや空と親しむその立ち姿は、季節や時間、見るもののこころによって何色にも染まった。しかし、白である。夜空はいつでも、彼を真っ白に染め上げた。彼は空白となって、むしろ誇らしそうにすら見えた。それはこの世界に存在することへの皮肉めいた佇まいであったかもしれないし、誰にも見上げられない夜空と塔との個人的な体験そのものなのであるのかも知れなかった。

 目

 ひとつの目。

 ほんとうは、ふたつの目。

 夜空を見にきたMOGURAたちに混じって、ひとり、塔を見上げるMOGURAがいた。彼には、その塔が夜空に突き刺さった棘にみえたし、またある夜には、月へと飛び立つための細長いターミナルにも見えた。彼は夜の塔をかれの色に染めていった。


 そして彼は空を掘りはじめた。

彼は千夜に満たない数の夜で計画

を練り、石の塊である塔を底から

上へと掘りはじめた。昼間はペン

ギンたちのさざめきと陽射しの熱

を薄い壁を隔てたむこうに感じな

がら、掘り進めた。彼は何度も夜

空を切り裂く塔の伸びやかな直線

と曲線を見つめ、測量し、間違っ

ても塔の外側へと掘り出さないよ

う、何度も慎重に進路を修正した。


そんな彼を、当初こそ

まわりのMOGURAたちは

訝しんでいたが、やがてひ

とりのMOGURAが興味本意で

手伝い始めた。彼は測量を手伝

い、データをまとめ、重力と戦う

ことになる未だかつてない「掘り」

プロジェクトを喧伝し、一儲けした。

やがて、その上へと掘り進むプロジェ

クトの技術的困難に気付いたちょっとオ

タクなところのあるMOGURAは、螺旋構造

に掘り進むことで重力の影響を緩和しようと

した。彼は変り者だったので、これは天という

 神との戦いだ!というような主張を度々してい

  たが、これはむしろプロジェクトに怪異な味わ

   いを付与させることになった。天を掘ることに

    決めたMOGURAはどんどん逞しくなりひとか

     どのMOGURAとして地底波の話題にも上った

      が、無理が祟ったのか程なくして力尽きた。そ

       の後、完成することのない地上トンネルとして

        観光地化され、観光客のための階段や手摺り、

         また煌びやかな内装が造られていった。しかし

          MOGURAたちはぺンギンへの無意識のコンプ

           レックスか、腹ばいになって穴を掘ることに慣

            れていたので、何千段と続く階段を上まで昇り

             るものは一握りだった。その一握りのうちから、

              やがて、階段を延長する数寄者のMOGURAが

               現れた。そこに情熱はない。が、ひねくれた好

                奇心はある。そうして長い年月に任せるままに

                 MOGURAたちは塔を掘り進めていったのでる 

                  る。ひねくれすぎて、というか多分ほかの

                   MOGURAへの当てつけだろうけど、突然

                    メルヘンチックな窓が取り付けられたり

                     した。そんなことをしたせいでそこは

                      日中は眩しすぎてMOFURAたちの

                       通行を阻害する場所だったが、見

                        たことのない夜空が見られると

                         聞いて、急に高層まで上りた

                          がるMOGURAが増加した

                           りたりした。とくに若い

                            連中に多かった。


                      もうどれだけ掘ったのかわからな

                      いが、まだまだ塔のてっぺんに出

                      ることはできなかった。MOGURA

                      達の中にはそれを終わることのな

                      い趣味として無邪気に喜ぶものも

                      いたが、俺たちはなんて阿呆な種

                      族なんだ! と突然絶望に満ちた

                             詩を書く者もいた。


     MOGURA文学史上、有名なその一節を、

          ここで引用しよう。


           ほる、ほる、ほる、

          ほるほど爪は短くなる

         おれたちの鼻はながいまま

         はなくそもほれなくなった


       むずむずするので、ふんといえば

       塔のてっぺんからもぐらがとんだ

       とんだもぐらは、かえってこない

           くろいあなよ!

          みしらぬあなたよ


 これは未来の話かもしれない。

 終わってしまった出来事かもしれない。

 時間をもたないただの歌かもしれない。


 いつか、たったいま、とおいむかし。

 MOGURAたちは塔に上り、制御室を見つける。制御室は動かない塔を制御するのではなく、かつて何者かであった塔を制御していた部屋なのだろう。塔は遠い昔に自分を呼んだ名前すら忘れてしまった。塔は全身を穴ぼこだらけにされてしまったが、それはおしりからあたままでを貫く通路であった。脊髄であった。その塔はかつて〝P〟と〝E〟と〝N〟を出力したが、塔はMoonもMoleも出力しなかった。しかし彼らはそこにいた。


 彼らが入力する番だった。

 彼らは入力した――〝P〟と〝F〟と〝N〟を。

 それは書き損じであったかもしれない。打ち間違いだったかもしれない。進化とはそういうものだ。それは歴史家が邪推しているだけで、確信に満ちた選択だったかもしれない。

 そこには響きだけがあった。塔のてっぺんで、夜空を見上げて、呟いたものがいた。

――Please, Fall, Neighbor !


 MOGURAたちの口から零れ落ちたその響きは、そのまま塔の中を縦横無尽に響き渡り、木霊となり、信号となって宇宙へ出力された。

 月面には、誰かが描いた落書きのようなSAKANAたちが住んでいた。

 月面に着陸した何者かによって描かれたそれは、その呼びかけに応えた。彼らは、宇宙にあいた光る孔――すなわち月面を泳ぎ回り、ひとこえ。

――Poi, Funfum, Numyam !


 この声をペンギンたちは聞かなかったが、SAKANAたちが泳ぎ回る月面を眺めていたかもしれない。月面の落書きは墨やインクで書きつけられたものではなかったかもしれない。消しゴムを穿ったあとのへこみのような、ただの影であったかもしれない。しかし彼らはそこにいた。SAKANAたちは影絵のように、光の中でダンスをしていた。ペンギンたちも滑ることでそれに応えた。MOGURAたちにとっては、穴そのものが踊りだった。しかし、その踊りは地上からは見えない。秘すれば穴、といったMOGURAもまた芸術家だった。

 MOGURAは宇宙に孔をあけた。

 孔から零れてくる月の影は、いまも輝き、夜の塔に不思議な陰影を投げかけている。塔にとってはひと眠りの夢の景色であった。

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P.F.N. 石川ライカ @hal_inu_

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