Part5

 中央駅を発着するメトロや電車のプラットフォームはすべて地下にあり、吹き抜けのように、橋の上から見下ろせる形で線路が並んでいる。懐かしさが胸に吹き込んだ、ような温かさを感じた。中央駅の近くで下宿をしているシオンと別れ、プラットフォームに降り立つ。なんとなく、ふと後ろを振り向くと、そこにはまだシオンがいて、微笑みを浮かべて手を振ってくれた。わたしは手を振り返して、ちょうど目の前にやってきた列車に乗り込んだ。ここから二時間をかけて、居候をしている家に戻る。きっと陽もとんと沈み、真っ暗になっていることだろう。まだ空は明るいが、めずらしく、青空が、惜しい気がした。

 扉が閉まらないうちにプラットフォームに再び降り立つと、すぐに電車は北へ向かって発っていった。いつのことだっただろうか、シオンと話していたことを思い出す。シオンの国では、走っている電車に飛び込んで自らの命を絶つ人が多い、と。その話題を耳にしたときにはぴんと来なかったが、ぐんと加速して去っていく列車を見ると、それは理に適っていると感じる。ただ、タイミングが難しい。スピードに乗った列車が目の前を通り過ぎていくような、危険な造りをしたプラットフォームは見たことがない。駅があるからそこに電車が停まる、停まるためには減速をしなくてはならず、そこに飛び込んだとて、急ブレーキは十分に間に合ってしまうだろう。廃タイヤを車両の前後にくっつけたような装いも、ぶつかっても死にきれなさそうなイメージを呈している。この国では縊死が多いのだと思う。事故物件という概念については、シオンと共通の理解があった。

 高い建物は多くても、どこにも飛び降りさせてくれるような隙はない。建造物を見ながらそう思う。できれば、生きていたいと思う。多少の苦しみがあっても、楽しみがある人生ならば、自ら終えたくはない。だから——しかし、あらゆる手法で苦しみを封じ込めても、希望がなければ、死にたい気持ちに変わりはない。このまま、わたしが家と呼んでいる場所に帰ってしまえば、次にわたしの生活に変化が訪れるのはいつになるのだろうか。想い人からの連絡には期待しないことにしている。シオンだって、いつ死ぬか分からない。もう少しだけ、と思った。

 橋に戻り、人の流れに逆らって歩き始めた。初めは城の方向へ足を向けていたが、それでは面白くないと思いかけて、ひとつ横にずれた筋を歩き始めた。見覚えのある、コンビニ、服屋、土産屋さん、シオンとも歩いたことがあるし、想い人とも歩いたことのある、複雑に記憶が重なりあう道。独りで歩いたことはなかった。この辺りまで来ると、わたしと同じ方向へ歩く人も増えてくる。人混み。幼い頃は、わたしがいま身を寄せているような、人の少ない漁師町で育った。そうして、友人がどういう存在か、ということを朧げながら理解し始める年頃に、父母と離れ、親戚を頼って都会に引っ越し、満員電車に揺られる生活を送るようになった。人はたくさんいるのに、付き合いは希薄。精神を病んで、厄介払いとしてこの国に居所を用意させられた。都会なんてどこも変わらない。人はめっぽう多いだけ、それから目にうるさい広告、醜いわたしを映す、磨かれたガラスのショーケース。靴紐がほどけていることに気づいて、その場にしゃがんだ。結びなおしていると、つぎつぎと、わたしを背後から、追い抜いていく人の影。空が晴れている証拠。横に目をやると、華美な格好をしたマネキンと、その手前に映るわたしの姿。地面にうずくまって、足元でゴチャゴチャやっているだけの、醜いやつ。誰もわたしのことを気に留めるはずはない。分かっていても、わたしにつけられた値札が、どんどん低い値に書き換えられていくような気がする。

 だめだ、と感じて、靴紐をさっと結びなおすと、踵を返して中央駅へ戻った。北へ向かう電車に乗る。はじめは人が多くても、首都から離れていくにつれて、徐々に人が少なくなっていく。四人掛けのボックスシートもわたし一人で使えるぐあいになってきて、車窓も独り占め。外はもう暗くて、ロールケーキがお腹の中で眠気を誘っていた。

 そうして、乗り換えの駅に到着するところでふと目を覚まし、いま夢を見ていたな、などと思うのだけれど、果たしてその尻尾を掴むことはできなかった。そのとき、ふいに、自分には、感動することがないのだ、ということを突きつけられたような気がして、それは今しがた見ていた夢のせいか、あるいは寒々しいプラットフォームにひとり立っているためか、分からないが、胸の苦しさ、気分の悪さがいちどにやってきた。澱み、泥濘ぬかるみを、直に手で掬いとるような生々しさがあった。夢を引き摺っているのか、それとも単なる疲れなのか。北へ向かう列車は閑散としている。冬場の黒々とした漁場、しかも夕暮れ刻など、誰も用はないのだ。心をふるわせるもの。そういったものがあればいいと思う。人生の輝き。晴れ舞台。粛々と生き永らえるのは、疲弊するだけだ。


 わたしの過ごす街に街灯は少ない。まばらに建つ家の硝子から漏れる灯りを専らの頼りに、家路を歩いていた。二月ともなれば、陽が出ている時間は、ある程度は延びてくれる。日の高いうちに舟を漕いで、ベッドの上で微睡まどろみながら窓の外に目をやって、まだ外が明るいときなどは、嬉しいような、哀しいような気分になる。わたし以外の足音は聞こえない。だからと言って心音まで聞こえるわけでもない。死んだあとはこんな感じなのかと想像してみる。独りで、暗いなか、どこまでも歩き続けるのだ。心地はよい。たいらか、という言葉が適しているかもしれない。そんなことに漠々と頭を巡らせているうち、家にたどり着いてしまった。止まり木に一匹の鳩がいるのを見つけた。玄関の灯りが作る陰影からそれと分かったが、足環の色までは分からない。銜えている封筒を受け取り、扉を開けると、暖かい空気がわたしの上体を撫でていった。わたしが手に持っていたのは、想い人からの手紙だった。しばらくは封を切らずにいようと思った。


(了)

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光陰 暮沢深都 @Kuresawa_Mito

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