新世界より

下東 良雄

新世界より

「ぎゃーっ! 負けたぁー!」


 女性の叫び声が響く音楽準備室。

 戸神北高校の音楽研究部の拠点だ。

 机にはトランプが散らばり、金髪ロングの女子が両手で頭を抱えている。その向かいにはカードを手にニヤける男子。そして周りには、同じようにニヤけるふたりの男子と、苦笑いを浮かべる一人の女子がいた。

 頭を抱える金髪ロングの女子に、にやにやしながら五枚のカードをひらひらと見せた向かいに座っている茶髪ポニーテールの男子。


「いやぁ~、亜由美ちゃ〜ん。随分自信持ってキングのスリーカードを出したねぇ~」

「くっそぉ~、まさか駿の手がフルハウスだとは……」


 カード勝負に勝った茶髪ポニーテールが音楽研究部部長で、ベース兼ボーカルの駿しゅん

 頭を抱える金髪ロングの女子が、サイドギターの亜由美。

 駿の後ろでニヤけているツンツンヘアーが、リードギターの達彦。

 同じくニヤけている坊主頭のおデブちゃんが、ドラムの太。

 苦笑いしている黒髪ロングでそばかすだらけの小柄な女子が、リードボーカルで駿の彼女でもある幸子だ。

 全員二年生で、普段はこれに加え、コーラスと裏方を担当している三人のギャルがいるのだが、今日はどこかに遊びに行ってしまったのか不在の様子。


「亜由美さん、これ……」


 幸子が亜由美に渡したのは、白い割烹着だった。


「今日一日メイドになるって罰ゲームのはずだけど……」

「メイドの衣装なんかあるわけねぇだろ。早く着ろ」


 ニヤける駿からの指示。

 亜由美は、不満気に割烹着へ腕を通した。

 派手な金髪ロングに割烹着姿は、何とも形容し難いシュールさだった。


「ぷっ……あ、亜由美、三角巾もつ、つけて……」


 勝負に勝った駿の命令に、亜由美は白い三角巾を頭に巻いた。


「ぷっ……くっ……」


 笑いを堪える男子陣。


「……ねぇ、さっちゃん。今、私どんな感じ? 正直に言って……」


 幸子へ不安げに顔を向ける亜由美。


「し、正直言って……きゅ、給食のオバサン……?」

「ぶっ! だぁーっはっはっはっは! さ、さっちゃん! 給食のオバサンって!」


 幸子のどストレートな一言に、男子陣は腹を抱えて大笑いし、亜由美は顔を真っ赤にして頭を抱えた。その様子にアワアワと慌てる幸子。今日も音楽研究部の面々は平和そうだった。


 コン コン ガチャリ


「失礼するわね」

「あれ、澪さん。珍しいね」

「気安く下の名前で呼ばないでください」

「はい、はい、会長さん」


 音楽準備室にやって来たのは、肩まで伸びる綺麗な黒髪が特徴的な生徒会長である三年のみおだ。


 駿が率いる音楽研究部は、三年の小太郎が率いる軽音楽部と敵対している。この音楽準備室も、勝負に勝利して軽音楽部から奪い取ったものだ。

 澪は生徒会長でありながらも、軽音楽部を贔屓にしている。澪の恋心を小太郎が利用しているのだ。澪の身体と心をもてあそび、何でも言うことを聞く女として扱っているのである。本人もそれに薄々気づいていはいるが、小太郎から離れられないのが現状だ。駿たちは、何とか澪の目を覚まさせようと苦心しているが、まだそれは実っていない。


「あなたたちが危険なコトをしようとしているって聞いて、その調査」

「危険なコト?」

「チェーンソーを使って破壊活動をしようとしていると聞いたわ。そうであれば、部としての活動をすべて無期限停止にするから」


 駿は微笑みながらも小さなため息をつき、他のメンバーたちも怪訝な表情になった。明らかに軽音楽部からの牽制であり、嫌がらせだ。


「軽音からのチクリか」

「その質問には答えられないわ」

「まいったね……」

「破壊活動をしようとしていることを認めるのね?」


 立ち上がる駿。


「澪さん。澪さんはどんな音楽が好きだい?」

「それがこのことと何か関係あるの?」

「あるかもしんねぇし、ないかもしんねぇ」


 音楽準備室の中に沈黙の空気が満ちる。


「……クラシックを聴くわ。ドヴォルザークの『新世界より』とかが好きね」

「そっか、クラシックが好きなんだ」


 ニヤリと笑う駿。

 

「じゃあ、会長にはその『新世界』を体感していただきましょうか。みんな準備して」

「どういうこと?」


 何が行われようとしているのか分からない澪を差し置き、駿たちは演奏の準備を進めていった。


「さぁ、お待たせしました! これからこのライブ限りのバンド『HOHエイチオーエイチ』が澪さんのために演奏させていただきます!」


 ベースを抱えた駿がにこやかに澪へ語りかけた。

 そんな駿にススッと近づくギターを抱えた亜由美。


「……ねぇ、駿。『HOHエイチオーエイチ』って何よ」

「ん? "Housekeeper Of Hell" の略」

「なにそれ?」

「『地獄の家政婦』ってこと」


 割烹着に三角巾姿でワインレッドのストラトキャスターのギターを抱える亜由美。その姿と駿の言葉に男性陣は吹き出し、幸子も笑いをこらえている。


「……駿」

「なに?」

「オマエ、後で本気のモモキックの刑な」

「げっ!」


 ビビる駿に背を向けて、足元にあるギターとアンプに接続されたエフェクターのダイヤルをすべて最大にセットした亜由美。


 いよいよ、たったひとりの客のためのステージが始まる。


 イラつきをすべてぶつけるように、亜由美は激しいリフを刻み始めた。そのイントロが終わった瞬間、すべての音が雪崩のように澪へ襲いかかる。


 澪はそのサウンドに驚く。

 信じられないほどファストなビートを刻む太のドラム。それに呼応するブルドーザーのように重く響く駿のベース。時に激しく、時にメロディアスな音色を奏でる達彦のギター。怒りを込めて叫ぶようにがなり立てる駿のデスボイス。それと相反する幸子のクリアボイスは、まるで荒ぶる悪魔を慰めるような天使の歌声だった。

 何よりも澪にインパクトを与えたのは、亜由美のギターだ。エフェクターによって極限までひずまされたそのサウンドは、すでにギターのそれではなく、まるで唸りを上げる凶悪な工業製品のようだ。


 そして、演奏が終わる。


「ふぅ……どうだろう、澪さん。わかったかな?」

「……えぇ、確かにチェーンソーだったわ」


 澪の受け答えに、にっこり微笑む駿。



 チェーンソートーン――


 特定のエフェクターの機能をすべて最大値に設定して、極限まで音をひずませたギターサウンドのこと。まるでチェーンソーが動作しているような音がすることからこう呼ばれている。北欧、特にスウェーデンのデスメタルバンドで多用され、それが世界中の様々なバンドに広まっていった。



「音楽はどうだった?」

「……正直、驚いたわ。ヘビーメタルなんて、ただうるさいだけかと思っていたんだけど、過激な音の中に美しい旋律が重なって、相対する声がきれいなハーモニーを奏でていて……本当に驚いた」

「できるだけメロディアスな曲をチョイスしたからね。クラシックから強い影響を受けたバンドとかもあるから、色々聴いてみるといいと思う。クラシックの新しい魅力を見つけるきっかけにもなると思うよ」


 にこやかな表情の駿やメンバーたち。その視線を避けるように顔を背ける澪。


「もういいわ。問題ないことがわかったから。それじゃあ……」

「ちょっと待った」


 立ち去ろうとする澪を止める駿。

 駿は、澪の頬に触れた。


「ちょ、ちょっと何を――」

「この目元の傷はどうしたんだ」


 ハッとする澪。そのままうつむいてしまう。


「アイツにやられたのか」


 軽音楽部の小太郎から、暴力を振るわれるようになっていた澪。


「女の子にこんな……ぶっ殺してやる……」


 怒りのままに音楽準備室を出ていこうとする駿だったが、澪が腕を掴んでそれを止めた。

 目に涙を溜めながら、必死で首を左右に振る澪。


「澪さん……アイツとの関係は切らなきゃダメだ」


 駿の説得にうなだれる澪。


「会長さん、私たちと一緒にいようよ。ね?」


 幸子の言葉に涙がこぼれる。

 しかし――


「お願い……お願いだから、これ以上私に優しくしないで……」


 澪は、差し伸べられた手をどうしても掴むことができない。

 その様子を他のメンバーも心配そうに見つめている。


「……澪さん、これだけは覚えておいてくれ。オレたちはいつだってここにいる。どんな小さなことだっていい。何かあったら、いつでもここに来てくれ。いいね?」


 澪はゆっくりと顔を上げ、涙をこぼしながら小さく頷く。

 そして、そのまま音楽準備室を出ていった。


「……ちくしょう」


 今回も澪をもてあそぶ小太郎の手から彼女を救い出すことができなかった駿たち。その駿の呟きは、この部屋にいる全員が思っていることでもあった。

 暗闇をさまよい続ける澪。駿たちの手を取り、笑顔を見せてくれる日は来るのだろうか。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ――CDショップ


 学校帰り。澪の目の前には、日本の人気バンドの最新アルバムがある。


『今度これ演るから聴いとけよ、いいな』


 小太郎から言われたことを思い出す澪。


(まともに耳コピもできないくせに……)


 アルバムを手にする澪。

 その時、店内に流れたのは――


「ドヴォルザーク……交響曲第九番『新世界より』第四楽章……」


 自分が好きなこの曲。目の前に新しい世界が開けた瞬間の衝撃と感動をそのまま音にしたような名曲。


(私は……私はこの曲を聴くに値する生き方をしているのだろうか……)


 暴力を振るわれても、身体を汚されても、『今』を失うことを恐れ、『今』に固執している澪。そんな新しい世界に足を踏み出そうとしない自分の生き方を否定し、『新しい世界を恐れるな』と第四楽章が必死で訴えているようだ。

 鼓膜を震わすその音楽と、瞳から滲み出る涙。曲が終わるまでの十分間強、澪はその場を動くことができなかった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「ありがとうございましたー」


 CDショップから出た澪の手には、アルバムの入ったCDショップの黄色い袋があった。

 多くのひとが行き交う雑踏。ひとの流れに逆らうように歩いていく澪。


(……このまま私は小太郎くんから離れられないのだろう。殴られ、犯され、それでも彼の足にすがっている自分の姿が見えるもの。でも……)


『どんな小さなことだっていい。何かあったら、いつだって来てくれ』


 駿の言葉が頭の中を何度もリフレインする。

 手にした袋を目にする澪。

 その袋に入っているのは、小太郎が今度演奏するといっていた人気バンドの最新アルバム、ではない。


 『SOILWORK』


 駿に教えてもらった、スウェーデンのメロディック・デスメタルバンドのアルバムだ。澪は新しい世界に足を踏み入れるべく、それを阻む苦悩の壁をチェーンソーで破壊しようとしているのだ。彼女にとって小さな、でも確かな新しい一歩だった。

 それでも、まだ澪の心の中心には小太郎がいる。彼への想いもチェーンソーで破壊できるのか。それはまだ分からない。


 雑踏の中に消えていく制服姿の澪。

 悲しく辛い恋を抱えた彼女の背中は、どこまでも寂しげだった。






= = = = = = =


 『新世界より』をお読みいただきまして、ありがとうございました。


 本作は、私の長編『コンプレックス』のスピンオフとも言える内容となっております。


 ――軽音楽部の罠にかかり、窮地に陥ったコーラス部

 ――コーラス部を救うために動く駿たち

 ――心の傷が開いてしまったジュリアの想い

 ――音楽研究部&コーラス部 vs 軽音楽部&生徒会

 ――卒業生謝恩会での軽音楽部の卑劣な嫌がらせ

 ――小太郎のコマとして動く澪の暗躍と苦悩


 もしもご興味がございましたら、ぜひ『コンプレックス』の下記エピソードをご覧いただければと思います。


コンプレックス 〜心に傷を抱えた少女の一年間〜

https://kakuyomu.jp/works/16817139555680818001


[三学期・前半]

 第140話 コーラスライン (1) 〜 第152話 コーラスライン (13)

[三学期・後半]

 第158話 卒業生謝恩会 (1) 〜 第164話 卒業生謝恩会 (7)


※登場人物紹介のみのエピソードもございますので、

 本編をお読みいただく前にご覧くださいませ。



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