醜い皮膚を消すのが契約ですから

くろつ

第1話

 新宿。

 歌舞伎町からほんの少し離れた一角の、裏さびれたビルの非常階段で、イッカは鉄柵に頬杖をついて風に吹かれていた。


 淡い色の髪の毛は吹きつけるビル風を受けて優雅になびいている。

 白く細い指先に持っているのは、目に涼しげな青と白二層のタピオカドリンクだ。


 この夏の新作にしようかどうか考え中のバタフライピーソイミルク黒糖タピオカは、甘すぎないのが夏らしくていいと思う。なにしろ見た目は文句なしに可愛らしい。


 ──だが今ひとつ決め手に欠けるというか、「これだよう、これ美味しいよう、お代わり~」と言えないあたりが迷っている理由なのだ。

 とはいえ、イッカのタピオカ屋は看板もなく、宣伝もまったくしていないため、客はほとんど来ないのだが。


「……おやぁ?」


 プラカップの中の飲み物をからにして、さて店内に戻ろうかと思ったイッカは、ある一点を見て眉をひそめた。

 先ほど、イッカがこの非常階段に出てきた時から見えていた向かいの路地にたたずんでいるセーラー服の女子が今もまだそこにいたからだ。


 ……この炎天下に? わざわざ? なんで?


 女の子はスクールバッグを肩にかけてひっそりと壁にもたれている。


 まあ、関わりすぎないのはこの街で生きていくためのルールみたいなもんだしね。と店に引っ込もうとしたイッカの目の前で、セーラー服の女の子がずるずるとしゃがみ込んだ。スクールバッグが汚れた路地に落ちる。

 少女がそれを拾おうとせず、半袖セーラーからのびる腕がだらんとしているのを見て、イッカは慌てた。


「ちょっとお! やっばー! あれやばいやつでしょ!」

「どしたの、イッカ」


 声を聞きつけて、店側のドアがあき、驚くほど整った容姿の少年がエプロン姿で顔を出す。


「なにかあった?」

「いやいや、あれ絶対倒れてるでしょ! ちょっとーなんで誰も通りかからないかなあ! いや通りがかったほうがある意味やばいか! あれ変なやつに見つかったらかえってよくないしいっ。あ、オーちゃんこれあげるっ」


 せわしなく言いながら、からになった容器を少年に手渡す。

 黒髪の少年はとるものもとりあえずそれを受け取ったが、状況はよくわかっていないらしく、かすかに首をかしげている。

 イッカは、カンカンカン、と非常階段を鳴らしておりて行きかけてふと途中で立ち止まる。


「……オーちゃん!」


 びしっと指を突きつけられて、少年がたじろぐ。


「なっ、なに」

「あの子連れてくるから、ちょっと姿変えておいて」

「ええっ、変えるって……」

「あたし思ったんだけど! 今のオーちゃんの見た目だと未就学児に見えるんだよね! 働いてたらまずい年齢なんだよね! だから変えておいて!」

「い、いいけど、どんなふうに……?」

「てきとー!」


 適当って……。

 少年は口をぽかんと半開きにしたが、彼の主であるイッカはもうはるか下まで駆け下りていったあとだった。


◇◇◇


「あの……ごめんなさい、お手数をおかけして」

「いいのいいの! それよりも体調はどお? 吐き気はおさまった?」


 水野かんなと名乗った女子高生は、軽い熱中症のようだった。

 イッカが水を飲ませ、冷房のきいた店内に寝かせ、額と首筋、両脇と足の付け根を氷で冷やすと楽になったようで、今はきょろきょろと店の中を眺めている。


「職業柄ね~、氷は売るほどあるんだよね~。って売れてないからか! にゃはーっ、それもやばいな!」


 イッカはひとりで言ってひとりで笑っている。

 艶消しの黒を基調に、金と赤でアクセントをきかせた店内は一見してなんの店かわからない。

 タピオカ屋というよりはどこぞのラウンジかVIPルームのようにも見えるが、カウンターの向こう側には確かに各種タピオカのメニューが貼ってあるのだった。


 カウンターのこちら側にはほっそりとした小柄な美少女が、カウンターの向こう側には長身で手足の長い美形の青年がいて、水野かんなははじめのうちはその二人に見とれていたが、やがて体調が落ち着いてくるにつれ、育ちの良さを思わせるしっかりとした口調で謝罪した。


「本当にすみませんでした、休ませていただいて……こちらはお店、ですよね……?」

「そうそう。あたしはイッカ。あっちのでかいのはオーちゃんね! かんなちゃんって呼んでもいい? かわいい名前だね~」


 淡い水色に黒ラインが入った有名女子高の制服を着た彼女は、いえいえ、と顔の前で手を横に振った。


「その制服、桜川女子高のやつじゃん! 直接見たの初めてだけどすっごいかわいいねー。ねえねえあとで新作タピオカ味見してね? 現役女子高生の意見聞けるなんて貴重だもん~」

「あっ、はい……私でよかったら」

「抹茶とバタフライピーのどっちにしようか迷ってるんだ。両方飲んで意見欲しいなー」

「それはもう……喜んで」


 水野かんなが額に乗せた保冷剤を手で押さえて起きあがったので、イッカはカウンターの中にいる青年に目線で合図をする。

 慣れた手つきで二種類のドリンクを作り、旺はカウンターから出てくるとそれを水野かんなに手渡した。


「どうぞ」


 そういう声は少年姿の時とは違い、低くなめらかだ。


「あっ、どうもありがとうございます……」


 水野かんなは一瞬、間近で見る旺の顔に見とれたが、早速ドリンクに口をつけるとあっおいしいと声をあげた。

 もう片方のストローもくわえてみて、こっちもおいしいですと笑顔を見せる。

 彼女の表情をじいっと観察していたイッカは、なにやら決心したように大きくうなずいた。


「……うん、やっぱ抹茶でいっとくか」

「どっちもおいしいですよ。それに二つ揃うとすごく組み合わせ的に映えるっていうか……」


 水野かんなは二つのカップを目の高さに掲げてみせた。

 確かに、晴れた空のようなブルーと鮮やかなグリーンの組み合わせは、それだけで目に嬉しい。


「んー、そうなんだけどね。でもやっぱりタピオカドリンクはおいしくてなんぼだって思ってるし……見た目よりも味重視でいきたいから」

「そうなんですね」


 水野かんなは抹茶味のほうをもう一口飲んでから、嬉しそうにきゅっと目を細めた。


「ホントに美味しいです」

「ね、抹茶味のチーズフォームの味が濃いよね! ほろ苦、でも甘じょっぱ、みたいな! でもベースの抹茶ミルク自体は甘さ控えめにしてるからするするって入るの。これねー、タピオカも実は抹茶味なんだよ」


 イッカは嬉々として説明してから、急に経営者の顔になった。


「……うん、やっぱりこの夏はこっちでいこう。見た目も大事だけどやっぱ一番は味だっ。──で? かんなちゃんは?」

「……え?」


 急に話を振られて水野かんなは目をぱちくりさせる。


「その制服は確か横浜の学校だったよね。あたしの記憶だと確かバイトも原則禁止だったはず。それがどうしてこんな場所にいるの?」


 水野かんなは目に見えて真っ赤になった。

 おんや? とのぞき込むイッカの前で、彼女はぽつりぽつりと事情を話しだした。

 好きな人がいること。毎朝電車で一緒になること。話したことはまだないこと。


「かっこいいの?」

「……かなり」

「わおわお~。いいね~」

「うちの学校でも、けっこう有名なんです。……何人か、告白したけど全員ふられてて」

「へええ~」


 やったあ恋バナだあ! とイッカの顔には露骨に書いてある。


「恋バナするの生まれて初めてだよう。うれしー」

「えっ?」

「いやいやなんでもない。それで?」

「──でも最近、その人の悪い噂があるらしくて」

「悪い噂?」

「歌舞伎町で歩いてるところを見た、とか……」

「ふむー」

「しかも夕方に」

「なるほどねえ」


 それだけで悪い噂になるとは、有名女子高おそるべしだとイッカは思ったが、口には出さずにおいた。

 まあ確かにその時間帯はホストたちがヘアメイクに出かけるような時間であり、飲食店もまだあいてないし、高校生が用のある時間帯ではないだろう。


「それで?」

「それで……私が告白を考えてるって言ったら、学校の友達はあんな人やめなよって言うんです。でも……私は、そんな人には見えないし、それで」

「あとをつけてた、と」

「つけてた、わけでは……」


 水野かんなは目線を落とし口ごもった。


「でも、運がよければ会えないかなって……なにか事情があるんだと思うんです。だって毎朝見るたび、その人、電車の中で勉強してるんですよ。うちもけっこうな進学校だからわかるんです。あの人が使ってる参考書、かなりレベルが高いの。そんな人が、悪いことするようには見えないから」


 頭のいい犯罪者もいっぱいいるけどね。とイッカは思った。


 職業柄何人も知っている特殊な生業の面子を思い浮かべる。彼らは概して頭が切れるし、法律も熟知しており、最先端のデバイスもすぐに使いこなす。

 法律の隙間を縫う必要がある仕事なのに、そもそもの法律を知らないなんて、やる気あんのかって話だよ。と語る彼らのことをイッカは思い浮かべながら、もちろんそんなことは口には出さない。

 うんうん、そうだよねー。と毒にも薬にもならない相槌をうっている。

 水野かんなは柔らかくなった保冷剤を両手で握った。


「それで……私、もしここで彼に会えたら、言おうって心に決めて……」

「告白するつもりだった?」


 こくん、と水野かんなはうなずく。


「会いたくて、でも会えなくて。……そうこうしているうちに気持ち悪くなってしまって……」


 ふむふむなるほど、と聞いていたイッカは満面の笑顔のままでこう言った。


「そっかーっ。でも思うんだけどさ、告白するのしないのってさ、へたくそだよね?」

「……え?」

「恋愛以前に、もう、コミュニケーションの取り方として、へたくそ」

「…………ええっ?」


 思ってもいないことを言われたのだろう、水野かんなは大きな瞳をぱちぱちさせて面食らっている。

 カウンターの中にいる旺も、いきなりイッカはなにを言うのかと会話に聞き耳を立てている。

 やわらかそうな髪を揺らしてイッカは続ける。


「思うんだけどさあ、なんで、イエスかノーかで相手に決断を迫るのかなあ。告白って、ものすごーく分が悪い賭けだよね」

「分が、悪い……」

「そうだよ、そんな出たとこ勝負の相手まかせみたいなこと、あたしだったら怖くてできないなあ」

「じゃ、じゃあ……イッカさんなら、どうやって……」

「あたしだったら、相手が喜ぶことをちょっとだけ、小出しに、与え続ける。相手が負担にならないような分量の好意を、ちょこちょこ、こまめに、与え続けるの。継続って強いし、自分のことを相手にも知ってもらわないとどちらにしても深い人間関係には至らないわけだしさー」


 イッカが言うのを、水野かんなは真剣な面持ちで聞いている。

 そして真剣な表情なのはカウンターの中にいる旺も同じだった。ふきんを持つ手がいつしか止まっている。


「好意とは、相手が負担にならない形で示すものだよ。じゃあどういう形なら相手の負担にならないのか、それを真剣に考えるのが愛情なんじゃないのかなあ」


◇◇◇


 すっかり顔色もよくなった水野かんなを機嫌よく送り出してから、イッカは店内に目をやってぎょっとした。


「オ、オーちゃん、どした!?」


 カウンターの内側で、青年姿のおうが小さくひざを抱えてしゃがみ込んでいる。

その縮こまった格好は、脱皮直前のさなぎのように不自然な姿だった。

 落ち込んでいるのとは違う。具合が悪いのとも違う。


(封印だ)


 イッカはすぐに思い当たり、カウンターの内側に走り込んでおうの背中に手の平を当てる。その広い背中は小刻みに震えていた。

 皮膚を突き破りそうになにかがぼこぼこと動いているようすは、内側の異質なものが暴れているようだった。


「オーちゃん、大丈夫? もう楽にしていいよ?」


 そっと声をかける。おうの封印は、凶暴な本性を抑えるために人に変身して理性を保っているだけだ。

 幼い外見であればあるほど封印は強く保たれるが、今日は便宜上大人の姿でいてもらう必要があった。


(ちょっと大人の姿で長いこといさせすぎたかなあ、でもこれくらいの時間ならオーちゃん楽勝なはずなんだけど。なんなら一晩中あの姿だった時もあるしい……)


 そうイッカが思っていると、おうは苦しそうにしゃがれた本来の声をもらした。


「イッカ……ぬし……いや、イッカ」

「どっちでもいいよ。オーちゃんが呼びたいように呼びな」


 封印が、外れかかっている。

 なにがおうを暴走させかけているのかイッカはわからないまま、それでも穏やかに背中をたたき、声をかけてやった。


「ごめん、もう……我慢できないかも……」

「いいよ。もとの姿になって」


 その瞬間。

 ばちん、と大きな破裂音が店の空間に鳴り響いた。


 決して広くはないタピオカ屋の店いっぱいに、黒々とした得体のしれない生き物が充満する。

 とぐろを巻いているところはヘビのようでもあり、ごつごつとした前腕は大型のトカゲのようでもある。罪悪感にさいなまれ、そっとそらしている瞳はぎらぎらと光る金色で、瞳孔は細く縦長だ。

 腫瘍のようにごつごつとした体表は固く鎧のようでいて、店内のライトを浴びて粘着質に光ってもいる。

 異様なのは、そんな醜い皮膚の中にごく一部、まばゆいメタルブラックに光るところもあることだった。


ぬし……おねがい、イライラする。誰なら食べてもいい……?」

「誰も食べちゃだめ、今夜は」


 ぴしりとイッカは言い放った。大型の化け物が身をよじる。


「殺したいよ……ねえお願い、誰かを殺させてよ」

「だめだよ。これ以上、おうの体を汚させないよ」


 さっきよりやや厳しく、イッカは言う。


「あたしの許可なく、あたしたちに危害を加えていないものを傷つけたら許さない。そんなしつけの悪い子には育ててないからね」


 ぐるぐるぐる、と化け物ののどのあたりが鳴った。不満げでもあり、喜んでいるようでもある。

 イッカはぐいと手を伸ばして化け物の首のあたりを凝視した。

 ぬらぬらと光る凹凸部分は、ひとつひとつ微妙に大きさが違っていて、よく見ると、その中心部からは黒い粘液がにじんでいる。

 目をそらしたくなるようなグロテスクな皮膚の表面に、イッカは当たり前のように手を置いて観察した。


「……首のここんとこ、今週に入って少しきれいになってきてるのに。ダメだよ」


 そして納得のいくまで観察し終えると、


「おいで」


 と言って両腕を広げた。

 そこに、黒い化け物がそっと頭部を寄せてくる。

 その長い鼻面を両手で抱きしめるようにして、イッカは軽くキスを落とした。


「大好きだよ、おう


 言い終わるか終わらないかで、どす黒いものはかき消え、かわりに愛らしい容貌の少年が所在なげにたたずんでいる。

 にこおーっ、とイッカは顔全体で笑う。


「おかえり、オーちゃん」


 だが少年は目線をそらし、もの言いたげに口をとがらせたままだ。

 おや、いつもの感じと違う。イッカは少年の顔を覗き込もうとしたが、プイとそっぽを向かれてしまった。

 その手を取って、イッカは店のソファ席に移動した。

 少年を隣に座らせて改めて尋ねる。


「まだなにかあたしに言いたいことがあるね?」


 少年は答えない。ふてくされたような困ったような顔のまま、イッカから目をそらしている。

 そんな顔しててもかわいいなんて、美形は得だなあとイッカは自分のことを棚に上げてそう思ったが、追及はゆるめなかった。


「言いなさい」

「──カッコ悪いから、いやだ」


 にゃんだとう!? とイッカは目の色を変えた。

 いやだ!? カッコ悪いからいやだって言った、今!?


「オーちゃんがそんないっちょまえなこと言うようになるなんて……反抗期かな?」

「あのねえ反抗期って! 姿はこうでも俺一応、イッカより何十倍も長生きしてんだからね」

「大事なことを話し合うのに、カッコ悪いから嫌だなんて言うメンタルはお子ちゃまだよって言ってんの」


 ズバリ言われて、おうはぐっと詰まった。


「子供扱いされたくないならちゃんと言葉で説明してごらん。そんな長時間でもなかったのに、どうして今日は暴走したの?」


 待っていると、少年はぼそりとつぶやいた。


「……好意は、相手の負担にならないように示すものだって、イッカが」

「んん?」

「俺、イッカの負担にしかなってない……って思って。そうしたら、我慢できなくなった」


 思いもよらないことを聞いたというように、イッカは目をぱちくりさせた。


「だってそうでしょ、イッカは俺といるせいで、誰とも親しくなれないんだ。友達もできないし、恋人だってできない。俺と一緒にいる限り、ずっとひとりで生きていかなきゃいけないじゃないか。人間にとって、ずっとひとりってのが耐えがたくつらいことだってことくらい、俺にだってわかる」

「それが契約だもん、仕方ないよね?」


 かすれ声で言う少年とは裏腹に、イッカは冷たいくらい落ち着いた口調で返す。


「なっ」

「あたしはなにかを強いられてこうしてるんじゃない。自分で納得してオーちゃんのぬしになったんだよ」

「そうかも、しれないけど……」

「オーちゃん」

「……はい」

「勘違いしたらダメだよ、オーちゃんとあたしは愛情で結ばれてるんじゃないってこと。あくまでもこれは、契約なの」

「……わかってる、けど」


 ほんとにわかってるのかなあ、とイッカは少年の隣でため息をついた。


「あたしはオーちゃんのぬしになって、オーちゃんをこれ以上汚さないようにする。その代償として、オーちゃんはあたしのそばにいてあたしを守る。これが等価交換ってものだよ」

「等価……なのかなあ」


 少年は納得がいかないというように眉をひそめる。


「……愛情じゃなくって、契約……」

「そうだよ」

「じゃあ俺、全然イッカを守れてないよ。こないだだって指の骨折ったでしょう……」

「そういうこともあるよ。それにあの後オーちゃん、あいつら、食い殺したでしょう?」

「当たり前だ」

「だからあいつらがあたしに危害を加えることは、もう二度とない。ねっ、ほら、守ってくれてるでしょう」


 少年はまだいまひとつ納得していないような顔だが、イッカは半ば強制的に話を終わらせた。


「そんなことよりオーちゃん! 今日の一杯ちょうだいな!」

「今日の一杯はもう飲んだよね……試作品の青いほうさ……」

「もう、何度言ったらわかるのかなあ。さっき飲んだぶんは珍しく接客した労力でプラマイゼロになったんだよ? はい、わかったら今日の一杯! あたしが一番好きなやつ作ってほしいなー」

「ベースは甘さ控えめの烏龍茶で、黒糖タピオカ入りチーズフォームだっけ……?」

「チーズフォームは多めで氷は少なめ、だよ」


 頼み終えると、イッカは店のソファに身を預けてきげんよくくつろいだ。


◇◇◇


 そして、そんなことがあったのも忘れかけた二週間後のこと。

 看板のないタピオカ屋に、再び水野かんなが現れた。

 エナメルの長財布を出して今度はタピオカドリンクを注文しながら、彼女は言った。


「本当に、ありがとうございました。イッカさんには感謝してます」

「……なんのこと?」

「私たち、今、つきあってます」

「ほえっ?」


 例の、片思いの男子に告白したのだと、正確にはイッカのアドバイスをもとに彼に提案をしたのだと水野かんなは言った。


「最初に声をかけた時はすごく緊張しましたけど……イエスかノーを相手に選ばせるのはやり方として下手だってイッカさんが言ってたのを聞いて、じゃあ、相手が絶対にオーケーするような、相手が嬉しいような提案ってどんなだろうって考えたんです」


 レンタル自習室を借りたいのだがシェアしてくれないか、と彼女は彼に切りだしたのだそうだ。

 いつも会う電車の中で、自分の学生証を見せ、志望校を告げたのち、自宅では事情があって集中しにくいこと、外の自習室を借りたいが、そこは駅裏で、特に帰りの遅い時間帯に薄暗い道を通らなければならないために親が反対していること。学校は女子高なので友達が全員女であること。いつも同じ駅で乗り降りするため声をかけたこと、誰か男子が行き帰りに付き添ってくれれば安心だし、親も了承すること、自習室の料金は全額こちらが持つことなどをひと駅分の間で手際よく告げて、自分の連絡先を渡し電車を降りたのだという。

 その日のうちに彼から連絡が来た、と水野かんなは言った。


「それで……自習室が欲しいのは本当だったので、一緒に勉強し始めたんです。自然と行き帰り待ち合わせて一緒に歩くようになって……それで、今は、つきあうことに」

「そりゃまた……よかったねと言うべきか」


 抹茶尽くしと名前をつけた夏のタピオカドリンクを手渡しながらイッカが言う。

 毎日顔を合わせるうちに、なぜ彼が歌舞伎町に用があるのかもわかったと水野かんなは言う。


「三つ年上のお兄さんが、家を出てホストクラブで働いてるんですって。今は寮に入っているらしくて……ご家族は大反対で。それで、お兄さんは、唯一彼のラインには返事をしてくれるみたいで、ホストとして頑張りたいお兄さんと、あくまで反対のご家族との間を橋渡ししてたようで」


 当人が本気なのがわかり、彼に当初課せられていた「なんとか説得して家に帰るように言いなさい!」という圧力も今は少し和らいでいるという。


「それにしても、自習室の提案をしたのは、なんでなの」

「勘です」


 水野かんなははにかむような笑顔を浮かべて、だがはっきりと言った。


「私には彼の事情は見えないですけど、確率から言って、彼が今一番求めてるジャンルは勉強じゃないかなと思って。それで、不自然でなく、きちんと私にとってもメリットがある提案を考えたところ、自習室がいいかなと」

「はあ、なるほどねえ……」


 としか、イッカは言えない。

 この子、なかなかやる。

 というか、さすが有名校の制服を着てるだけあり、頭がいい。そう思った。

 水野かんなはあらためて店内をぐるりと見渡し、口にした。


「ところでこのお店って、ビルの下にも、入り口にも看板がないですよね」

「ああ、うん」

「どうしてかなと思ったんですけど……」


 聡明そうな目で店内をじっくり見つめられて、イッカは内心ぎくりとした。

 タピオカ屋は便宜上営業しているだけで、実際の仕事は、知る人ぞ知る、とある職業の仲介屋だということを、まさか女子高生に知られるわけにはいかないからだ。

 息を詰めてイッカが相手の言葉を待っていると、水野かんなはドリンクを持っていないほうの手を胸のあたりに引き寄せて、熱のこもった口調で続けた。


「なんか、わかった気がします」

「……なにが?」

「知る人ぞ知る、縁結びタピオカなんですね、ここは」

「ちっ……がーう!」


 イッカは思わず大きな声を出したが、水野かんなは確信に満ちた表情を崩さなかった。


「だから看板を出さないんですね。基本口コミで来るんでしょう? だから席数も少ないし、タピオカ屋の客単価にしてはすごく豪華なソファ席ばかりだなあって、こないだ来た時も思ってたんです。きっと、ゆっくり相談に乗るためなんですね。それで、恋に悩んだ女の子が落ち着いて話ができるようにわざと目立たない場所にお店を作ってるんですね……!」

「いや、違うから。あたしたち、そういうことをするためにやってるんじゃないから」


 なんでそっちにいったかな。

 イッカは真顔で否定したが、水野かんなはむしろ真剣にうなずいた。


「わかりました! 内緒にします!」

「だから違うんだってーーー」

「そりゃそうですよね、タピオカ屋さんなのに相談ばかりでタピオカが売れなかったら困りますもんね。わかります!」

「わかってないと思うよ絶対!?」

「私、言わないですから。あでも、本当に感謝してるので。ありがとうございました!」


 ぺこりと大きく頭を下げて彼女が出て行った、その翌週から。

 看板のないタピオカ屋は若い女性客でこれまでにない賑わいを見せた。


「抹茶尽くしひとつください」

「こっちにもひとつ」

「裏メニューでブルーのがあるって、ほんとですか?」


 これまで静かだったのが嘘のように女性客は絶え間なくやってきて、旺はもちろん、イッカも休む暇なく接客とキッチンに追いまくられた。

 ぜえぜえと肩で息をして、カウンターの内側でイッカは客に聞こえないよう小声で旺に八つ当たりする。


「なにこれ!? なんなの!?」

「なんなんですかねえ……」

「あたしはね、自分が好きな飲み物をいつでも好きに飲めるようにってこのお店を作ったんだよ、それが、なに!?最近ちっともゆっくりできないよ、なんでよ!?」

「なんでなんですかねえ……」


 旺は営業スマイルを崩さないまま、カウンターを出たり入ったりしている。

 青年姿のおうは長身の美形なので、そこをチラ見している女性客から、あのう、スタッフさんも一緒に写真入ってもらってもいいですかあ、などと声がかかったりもする。

 おうはカウンターの中にいるイッカの顔色を伺いつつも、ぎこちない態度でスマホに撮られている。

 そして、そうこうしている間にも客足は途絶えない。

 先週までの閑散とした様子がひどく遠いことのように思えて、イッカと旺はそれぞれ小さくため息をついた。

 盛況なのはありがたいことだ。しかし、ここまで怒涛じゃなくてもいいのではないか。


「あの子がなんかしたね、これは……」

「今さっき、お客さんに教えてもらいました。SNSでバズってるんだそうで」


 やっぱり。とイッカは苦々しい顔つきになった。


「うちのタピオカドリンクを飲んでから告白すると恋が叶う、んだそうで」

「だから、そんなんじゃないってば!」

「あっちのお客さん、イッカのことも撮らせてほしいって言ってたよ。あなた、美少女だから」

「やなこった!」


 ついつい言葉遣いが荒くなるイッカである。

 なによりも、今日は朝から一度もゆっくりできていない。


「ねえ、このお客さんの波、いつ止まるの?」

「イッカ確か言ってたよね、あの子に。継続がどうとかさ……相手が喜ぶことを小出しに与え続ける、みたいな……」


 いやーーー。カウンターの内側で控えめな悲鳴が響いた。

 看板のないタピオカ屋の夏は、まだはじまったばかりなのだった。

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醜い皮膚を消すのが契約ですから くろつ @kurotsu000

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