心のかさぶた

間川 レイ

第1話

「いらっしゃいませぇ、ご来店ありがとうございます」、なんて。同僚のほぼ叫んでいるような大声に釣られるようにして声を張る。いらっしゃいませ、ご来店ありがとうございます。なるべくハキハキ聞こえるように。ありったけの作り笑いを浮かべて。


 だって、そうしなければ怒られるから。作り笑いのできない配属初期の頃は酷かった。接客するたびにバックヤードに呼ばれて、それはそれは厳しく叱られたものだった。なぜ笑顔で接客することができないの、接客業舐めてるの、などなどなど。接客業向いて無いんじゃない。そう言われた事さえある。


 接客業に向いていない。そう言われても反論できない自分がいた。実際表情は硬いし、他人と話すのもそこまで得意ではない。お客様に売り込みをかけるセールストークだって研修で学んだ台詞の使い回し、先輩社員の丸パクリ。覚えた言葉を繰り返しているだけのオウムにすぎない。なんで、こんな仕事についちゃったんだろう、なんて。そんなことすら考える始末。夜な夜な涙で枕を濡らした、なんてのは大袈裟な表現にしても、毎晩この仕事を続けるか深刻に悩んだものだ。転職すべきか。いやいや、20代で3回の転職は多すぎやしないか、などなどなど。


 それでも。転属して半年も立てば多少は慣れる。作り笑顔の浮かべ方も多少はマシになり、セールストークもまだ流暢に話せるようになる。本格的な契約業務は難しいにしても、ファースト・アプローチぐらいは任せてもいいんじゃない、ぐらいにはみなされるようになる。何だったら新人もその間に入り、ファースト・アプローチのやり方はあの人に教わりな、と言われるぐらいには仕事を任されるようになる。接客するたびひしひしと怒りを感じさせる表情で私を叱責していたマネージャーも、最近頑張ってるらしいじゃない、と笑顔を向けることも増えてきた。


 それでも。それでも。仕事というのは心に来るものだ。頭のおかしなお客様に絡まれた。こちらの言うことを鼻で笑うお客様に出くわした。仕事上でミスをした。上司に嫌味たらしく怒られた。仕事のストレスというのは澱のようにたまっていく。しとしと、しとしとと。それはさながらおりもののように。だけど、おりものと違うのは仕事のストレスというのは決して排出されないということだ。心の中に、どろりとした塊となって積み重なっていく。社会人を続けるうちに、終わったことは終わったこととして、切り替えの早さだけは身に着けてきたけれど、理不尽なクレームや、後輩に販売実績で負けたこと。そうした思い出は、決して消えないかさぶたのように心の表面に残り続ける。そして、ふとした折にそのかさぶたは剥がれ、じくじくとした痛みを放つのだ。そういえばあの時はあんなおかしなことを言われたな、なんて。


 この仕事を続けていると、本当にいろいろなお客様に出会う。私の仕事は接客業だけど、どちらかというと営業職的な側面も強い。だからこそ、時に両方の嫌な側面を目にしたりもする。クレームを受けたり、実現の難しい販売実績を追わなければいけなかったり。販売実績のほうはともかく、本当につらいのはクレームのほうだ。怒鳴り散らすお客様、ねちねちと出来ないことを延々と求め続けるお客様、とにかく謝罪を求め続けるお客様。そういう彼らの瞳の奥に宿る光が苦手だ。クレームを寄越すお客様の瞳の奥には、いつだって自分は間違っていないという無条件の信頼がある。それに、この相手にならこれぐらいは言ってもかまわないだろうという侮りの光も。


 そういう光を向けられるとき、私はこの人にとって格下なんだなって思い知らされる。踏みにじってもかまわない相手なんだと思い知らされる。そういう眼差しにはほの暗い怒りを覚える。舐めやがってというべきか。でも同時に思ってしまうのだ。それは、私が女で、若いから舐められるのではないか、なんて。これが年季の入った男性従業員相手なら、この相手もここまで調子に乗らないのではないか、なんて思うとき本当に何とも言えない気持ちになる。心の中を隙間風が吹き抜けていくような心地。切り替えようと思っても、心にかさぶたが追加される。


 その感覚は日常生活においてもありふれている。例えばぶつかりおじさん。この間こんなことがあった。仕事帰りの帰り道。JR線と地下鉄の連絡通路で、後ろからぶつかられたと思った時には手に持つスマホが弾き飛ばされていた。カラカラと回転しながら転がって行くスマホ。それと同時に背後から降りかかってきたのは、唾でも飛んできそうなぐらい勢いのよい舌打ちだ。あの人わざとぶつかって来たな、なんて。遠ざかるガタイのいい中年の背中を見ながら直感した。だって、ぶつかるほど人通りも多くなく、私を追い越していく足取りはそこまで頼りなくもなかったから。でも一方で、私が女で、比較的小柄だからぶつかられたんだろうなとも思う。だって、ぶつかる相手は他にもいて、選べたはずなのにぶつかられたのは私だけだったから。


 結局のところ、舐められているんだ。そう思うと心がじくじく痛む。女だから、小柄だから、若いから。怒鳴られるし、詰られるし、ぶつかられる。殴り返してこないと思っているから殴ってくる。そういう時、この人たちは私が本当に殴り返して来たらどんな反応をするんだろうと思うこともある。怒鳴られたら怒鳴り返してやる。詰られたら詰り返してやる。ぶつかられたらぶつかり返してやる。殺してやれたらどれだけ気が晴れることか。きっと、何も変わらないのだろうと思う。むしろ一層悪化するかも知れない。格下の者に牙をむかれたと思って。舐めていた相手が小生意気にも歯向かってきたと思って。だから私は申し訳ございませんと頭を下げる。でも心の底では納得していないから、それが心のかさぶたになる。


 心のかさぶたとは厄介だ。忘れたときに痛みを放つ。忘れかけたときに痛みを放つ。じくじく、じくじくと。納得して、しょうがないと諦めて。忘れようとしたときに痛みを放つ。私はここにいるよというように。私の心はかさぶただらけ。ごわごわとした茶色のかさぶたに覆われて、じくじくと血を流している。


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心のかさぶた 間川 レイ @tsuyomasu0418

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