第1章 麒麟の透明人間(31- end)
「もうだめだ。俺は終わりなんだ…」
与謝はとぼとぼと廊下を歩きながらぼそぼそと呟く。その表情は沈んでおり、どこか悲しげな雰囲気が漂っていた。もちろんその表情は誰にも見えていないが、どんな表情をしているかわかってしまうくらいどんよりと重々しい雰囲気を醸し出していた。
「どこの誰がやったんだろうな」
隣を歩く綾多華は適当な話題を振った。
「どうでもいいだろもうそんなの……俺がいるってわかったら、どうせ俺がやったことにされるんだ。もういい。もう俺が透明人間だってバラすことにする」
与謝は見るからに自暴自棄になってしまっていた。
「落ち着けよ。バレたら今度こそ変態透明人間だぞ。お前がやったわけじゃないんだろ?」
「当たり前だ!でもいい、もういいんだ。もう無理なんだ。事件が解決したらなんとかなると思ってた。でもそんなの関係ない。何か事件が起きたら全部俺に疑いが向く。でずっとそれを否定していくだけの人生。そういう運命なんだよ俺は。誰にも知られずひっそりと死ぬか、謂れのない罪を否定し続けながら生きていくかしか残されていないなら、俺は辛くても生きる。死んでも誰にも見つけてもらえないなんて、最悪すぎるだろ」
与謝から漏れた悲痛の心の叫びに、綾多華は適当な言葉を見つけることができなかった。
共感なんてできるわけもなく、励ましは何も解決しない。そういう言葉を待っているというのも察しはついていた。気にすんな、大丈夫だ。そういう言葉をかけてほしいだろうことは、他人事とはいえ綾多華にはわかっていた。
しかしその言葉は一時与謝を立ち直らせるだけでしかない。
再び訪れる誹謗中傷に悩まされ、その都度励まして立ち直ってもらう。その無責任な人生を歩ませる危険性が、自分の一言には込められていると綾多華にはわかっていた。
ゆえに綾多華は何一つ与謝の言葉に応えることはなかった。ただ黙って、与謝の教室に向かって足を進めていた。
「…見ろ」
綾多華は教室を覗き込み、友人に囲まれながら話す向田美優の姿を指差した。心配する友人たちの声を聞いて、美優はささやかながらも穏やかに微笑み返している。
「お前がいてもいなくても彼女は盗撮の被害にあっていた。でもお前がいたからこそ、あの子を助け出すことができたんだ。お前がいなければ、彼女はもうあそこにいなかったかもしれない。一生消えない傷を負っていたかもしれない。彼女が今ああやって笑っていられるのは、間違いなくお前がいたからだ。少なくとも、あたしはそう思ってる」
向田美優がいなくなっていたかもしれない。その未来を考えるとゾッとする。その最悪な未来を救うことができたのは、確かにこの体でなければ不可能だった。そのためにこの体が与えられたんだと思いさえした。それが今の彼女の笑顔に繋がっている。英語準備室で見せた怯えた顔はすっかり消え、暖かな表情を浮かべている美優の姿を見て、自然と与謝の頬も緩んでいた。
「…絶望のどん底に差し込んだ光。そういう眩しくて明るい光のことを、昔の人は麒麟って例えたのかもしれねぇな」
綾多華は与謝の方を何度か指で突いた。
「俺が、麒麟ってこと?」
「あの子にとってはな。誘拐なんていう絶望のどん底から救い出してくれて、謂れのない噂も晴らしてくれて、付きまとってたキモイ先輩までどっか飛ばしてくれた。ビッカビカに眩しすぎる光だろ」
「でも俺、人間だぜ?」
「るっせぇな。そういうとこは適当でいいんだよ。てかよくそれで人間だって言えたな」
「今の俺にそういうこと言うなよなぁ…」
再びどんよりとした空気が与謝の周辺に漂った。それを察した綾多華は、今度はケタケタと笑い始めた。その笑い声に釣られて、与謝も自然と気持ちが明るくなった。
その笑い声を聞いてか、美優が綾多華の存在に気づいた。慌てて席を立ちあがり、綾多華のもとに駆け寄ってきた。
「あ、あの!」
美優は緊張したような面持ちで綾多華に話しかけた。
「あの、助けてくれて、ありがとうございました」
「いいよ。あたしが勝手にやったことだ」
綾多華は壁に寄りかかりながら適当にそう返答した。
「本当に、助けてくれてありがとうございます……それとあの、もう1人の…」
と言って、美優は綾多華の周囲をキョロキョロと見ながら何かを探した。その視線に気づいて、与謝は慌てて綾多華の後ろに隠れた。
「もう1人、いましたよね?…」
「あ、あー…」
綾多華はごまかすように視線を泳がしながら隣の与謝の方を見た。しかしどうにもそこにいる気がしない。どこかに逃げたか。こうなるとわからないのが透明人間の強みというか欠点というか、悩ましいところである。
「名前も、顔もわからなくて」
「まあ、そうだろうな」
「知ってるのは……あの人が透明人間ってことだけ」
綾多華はぎくりとした表情を浮かべた。なんでそのことを知っているのか。驚いたのは綾多華だけではない、背後から緊張のような怯えのような雰囲気を感じる。
「…話したのか?」綾多華は小声で背後にいる与謝に話しかけた。
「俺1人で助けに行ったんだ!見えてないんだから、素直に言うしかないだろ?!」
状況はなんとなく察することができる。綾多華は小さくため息を吐いて頭を掻いた。
姿はどうやっても見えていないはず。そして名前も知らないということは、与謝証明=透明人間ということがバレてはいないということだ。であればもはや何もバレていないのと同義であった。しかし学校で立て続けに盗撮事件が起きていて、透明人間の評価が良いはずがない。
ぞわぞわとあふれ出る不安に駆られ、与謝は後ろから小声で綾多華に話しかけた。
「頼む!もしこの子が何か疑ってたら、あの透明人間は善良で意外といい奴ですよ!的なフォローを…」
必死に小声で話す与謝であったが、美優の発した言葉は想像していたものとは異なっていた。
「お礼が、言いたいんです!」
うっすらと緊張の色を宿しながらも、凛とした眼差しを向ける美優の顔を見て、与謝は呆然としていた。
人々から非難される存在という運命を受け入れた与謝が初めて受け取った気持ちは、感謝であった。
「私、自分に自信がなくて、うじうじしちゃうことがあって。だから昔から、人に疎まれてしまうことが多かったんです。最近でも、三原先輩から気に入られてるってだけで色々言われたり、ちやほやされて調子乗ってるとか、鞄隠されたり、盗撮も自演だとか、色々言われることも多くて」
美優はスカートをぎゅっと掴んで話を続ける。右手には与謝の渡した麒麟のぬいぐるみが握られていた。
容姿の良し悪しと自信の有無は、別の問題だ。向田美優はそこの乖離に悩みを抱えていた。周りからの評価と自己評価の乖離に。
周りから評価されるたびにそんなことないと下がっていく自己評価、その謙遜に苛立ちを覚える者たち。そのようにして対立が生まれ、彼女の心はどんどん蝕まれていってしまっていた。
「違うってどれだけ言っても、逆にいろんな人の反感を買っちゃって、何をしても裏目に出ちゃって。どうして私は、いつもこうなんだろうって本当に自分が嫌になってて」
必死に伝える美優の瞳は次第に滲み出し、涙目に変わっていった。
「だから連れ去られた時も、自業自得だって思ったんです。全部私がいけないんだ。私がそうさせてるんだ、私はこうなる運命だったんだって。そう諦めていたんです」
美優は両手でぎゅっと麒麟のぬいぐるみを握り、「そんな時に、あの人は来てくれたんです」と述べた。
「その人は名前も名乗らず、見ず知らずの私のことを助けてくれたんです。その人の話を聞いてびっくりしました。絶対自分の方が苦しくて辛い状況のはずなのに、怖がられるのも気にせず、私を励まして助けようとしてくれたんです。温かくて、その優しさがとても嬉しかった。姿は見えなくても、その姿に勇気をもらったんです」
与謝は自然と、かがめていた腰を伸ばして立ち上がって綾多華の横に立ち、勇気を出して感謝の気持ちを伝える彼女をただじっと見つめていた。
受け入れたはずの暗い運命に、一筋の光が差し込んだような気がした。
「この先もずっと、こうやって人から嫌われて生きていくんだって。誰も信用できなくなって、俯いて生きていくんだって諦めてました。でもあの人に出会って気づいたんです。これは、私の望んだ人生じゃない。私はもっと、楽しく、笑って生きていたいって!」
美優の力強い言葉に、心の中に灯った小さな明かりがじわりと広がっていくような感覚が押し寄せてきた。その明かりは暗い運命のその先から漏れだしており、まばゆい光を放っている。
「…君の人生には楽しいことや面白いことがいっぱい溢れている。そう言って、このぬいぐるみをくれたんです」
美優は握っていた麒麟のぬいぐるみを手のひらの上に乗せて綾多華に見せた。
「それを信じて、私も精一杯生きてみようと思います。自分の運命を諦めず、精一杯頑張ってみようと思います。これをくれたあの、麒麟の透明人間みたいに」
その言葉で、与謝の暗く閉ざされた運命という壁が完全に決壊した。そしてまばゆい光が差し込み与謝を照らした。姿のない与謝の周囲を暖かく包み込んだ。
「またこの前みたいな怖い目に合うこともあるかもしれないけど、耐えられない日々に泣きたくなる時が来るかもしれないけど、それでも前を向いて生きていきます。その先で必ず私は笑っているって、今なら信じられるんです」
美優は麒麟のぬいぐるみを自分の胸の前でぎゅっと握って顔を上げた。微笑みながらも、優しい涙が頬を伝った。
「だって、幸運を呼ぶ麒麟はもう来てくれたから!」
その姿を、綾多華は優しい目をして眺めていた。隣からも何か晴れたような、清々しい空気を感じる。
「それで、あの……」
と言って美優はもじもじしながら、ポケットから手紙を取り出して綾多華に渡した。
「これ……その人に渡して、もらえますか?……感謝の言葉と、その、私の連絡先が書いてあるので……今度、どこかでゆっくり、お話でも出来たらなって……」
美優は耳まで真っ赤になった顔を背けながら、震える手で綾多華に手紙を差し出した。
その光景を見た周りの生徒たちが一斉にざわつき始める。学校随一のイケメンたちが一才見向きもされなかった美優美優のお眼鏡に叶う存在が現れた?!と騒然としていた。中には綾多華へのラブレターだ勘違いして盛り上がるものたちもいたが、クラス中がその話題で持ちきりとなっていた。
「そ、そういうことなので!」
まるでイチゴのように顔を真っ赤に染めた美優は手紙を渡して急いで自分の席に戻り、そのまま顔を隠すように机に突っ伏してしまった。
「…波瀾万丈だな」
綾多華は甘酸っぱい苦笑を浮かべながら息を吐いた。学園1の美少女に惚れられている傍ら、姿を隠して生きなくてはいけない存在。1ミリズレて停止してしまった歯車を見ているかのようなもどかしさを感じる。
「…決めたよ、俺」
与謝は綾多華の隣に立ってただじっと美優の姿を眺めていた。
「俺みたいなやつがいたら、世の中の人は絶対怖がる。何か事件が起きたら俺を疑うに決まってる。だからこそ、俺はそういう人じゃないって、信じてもらえるような存在にならないといけない。あの透明人間がそんなことするはずないって、みんなにわかってもらうんだ」
腹の底から響いているかのような、決意に満ちた声で与謝はそう伝えた。
「寄り添って、助け合って、そうやって俺を知ってもらって。そういう輪をどんどん増やしていって。いつか世界中の人に、俺はいい透明人間なんだってわかってもらって……って、流石に話デカくなりすぎ?」
目を輝かせながら明るい未来に向けて語る与謝は、ふと我に返り、恥ずかしそうに頭を掻きながら綾多華に問いかけた。
綾多華は吹き出したかのように笑って、与謝の肩に腕を回した。
「奇遇だな。ここに世界中の人間を笑顔にしたいって女がいる」
綾多華はいたずらな笑みを与謝に向けた。
自らの決意に負けず、豪快な夢を語りながら笑顔で応えてくれる人がいる。
何事も乗り越えられる気がしてくる。綾多華の笑顔に引き込まれ、与謝の頬も自然と緩んでいった。
「でもあたしだけじゃ無理だ。笑いの才能もねぇし、人目を惹くような特技もない。あるのは行動力と、この夢見がちな脳みそだけ」綾多華は頭を指で叩いた。
「…何言ってんだ。俺なんて透明人間だぞ」微笑みながら与謝も答える。
「つまりあたしらが組めば最強ってことだな。今日この時から、あたしの夢物語の主人公はお前だ。泣いてる人はもちろん、苦しんでいる人、俯いている人、笑ってる人すらおおいに笑わせて、世界中をお前という光で照らしてやれ!この世に、とんでもねぇ麒麟を連れてきてやろうぜ!」
心を包み込んでいた暗闇はもうどこにもない。あるのは目の前に輝く、希望の光へと続く道。もちろん、その道は想像の何倍も苦難に満ちていることだろう。途中でくじけてしまうときもあるかもしれない。
しかし思い出せ、渡り廊下で出会った麒麟の姿を。
自分たちの元にももう麒麟は来たのだ。だったらもう何も心配することはない、信じて前に進むだけだ。
3か月前には、この学校で一番の有名人になってやろうと意気込んでいた。それが紆余曲折を経て、今では世界中で話題の透明人間になろうとしている。あの時思い描いていた未来とは少し違ってしまったが、この道で踏ん張り精いっぱい生きていこうじゃないか。そう心に決めた。与謝は決意新たに、一度大きく深呼吸をした。
突如、胸の高鳴りと同時に、頭の中に何者かの声が聞こえた。
声といえば声のようであるが、どこか動物の鳴き声とも思える。
与謝と綾多華はその音を不審に思い辺りをキョロキョロと見渡した。
そしてすぐに、あの足音が聞こえてきた。好き勝手に飛び跳ねていたあの足音が。2人の周囲を飛び跳ね、まるで祝福しているかのようであった。
そして飛び跳ね回る音は与謝の顔の辺りで止まり、まるで綾多華を驚かすかのように、与謝の顔がある透明の空間からひょっこりと姿を現した。
見覚えのあるその姿、2本の角にキラキラとした粒子を漂わせるその厳かさで理解した、渡り廊下で出会った麒麟であった。
と言いたいところではあるが、目の前に現れた麒麟は幼くてなんとも威厳がなく、両手で持てそうな小動物かの如き姿であった。まるでぬいぐるみのような、マスコットキャラクターのようなデフォルメされた小さくまん丸なボディを揺らしながら、精一杯口を開いて咆哮をしているようだが、「きゅーきゅー」と小動物が鳴いているようにしか見えなかった。
綾多華は何度か瞬きをしてその小さな麒麟の姿を眺め、「…お前、そんなだったか?」と思わず本心が口に出た。
その問いに答えたつもりなのか、麒麟は元気よく笑顔で「きゅー!」とだけ鳴いた。綾多華は苦笑いを浮かべ、あたしたちが呼べる麒麟はまだこの程度かとため息を吐いた。まだまだ、育てていく必要がありそうだ。
「……ま、とりあえず作戦会議だ。お前も来る?」
綾多華の誘いに、小さな麒麟は元気よく「きゅー!」と答えた。
与謝も彼女に置き去りにされないよう、脇に並んで歩き始めた。麒麟も与謝の動きに合わせてついてくる。どうやらこの麒麟は、透明化した先の世界に存在しているようであった。
「と言ってもさ、俺今再び変態透明人間の危機なわけじゃん?世界中に認めさせるって、そんな堂々とできるか?」
「無理だ」
「いやいやいやそんなあっさり」
「今この学校に透明人間がいるとバレたら一瞬で盗撮犯扱い。変態透明人間になって終わりだ。誰にもバレるわけにはいかない」
「いややっぱそうでしょ?終わってね?」
「だから姿を隠す必要がある。しばらくの間は」
「結局姿隠して生きてくのかよ。俺透明人間なのに……」
「この学校ではってこと。今日からお前の居場所は、ここだ」
そういって綾多華はポケットからスマホを取り出して与謝に見せつけた。スマホを受け取り画面をのぞき込むと、とあるSNSのプロフィールページが表示されていた。
「……レンタル透明人間?」
「世間様に、自由に使える透明人間を解放する。届いた依頼をこなして知名度を上げ、今を時めく超超超人気者になる。街行く人々が思わず振り向いちまうくらいド派手な透明人間にな」
「…それそれそれ!俺はそういう人気者になりたくてさ!」
浮かれる与謝を聞け聞けと諭し、綾多華は話を続ける。
「レンタル透明人間の目的は、アンチを獲得することだ」
「……いらねぇよ!」
与謝は足を止め、その場に声が聞こえることを一切気にせず大声で否定をした。
「俺は、人を助けたりみたいな良い透明人間だってみんなにわかってもらいたくて…」と与謝の大否定が繰り返されるが、「受ける依頼は人助けとか、お前の評判が上がるようなもんだけだよ。まあ聞けって。お前がお前として生きていくために必要なことなんだ」と再び諭して、綾多華は与謝の肩に手を回して歩き出す。
「お前が人気者になったら当然アンチが出てくる。人気者の透明人間なんて絶好のおもちゃだ。好き勝手適当なこと書いてぼっこぼこに殴りかかってくる」
「ふざけんなよ。いらねぇって」聞けと言った割に心をえぐる発言しか飛んでこず、与謝は思わず吹き出しながら否定した。
「好き勝手適当なことを書く。覗きやってただの、泥棒してただの、盗撮してただの」
綾多華は『盗撮』という言葉をわざと強調して伝えた。それで与謝の脳内にも綾多華と同じ閃きが浮かんだ。
「…そうか。もし人気者になってアンチが出てきたら、そいつらは適当な噂を流し始める。そうなってしまえば、盗撮の疑いなんてのもアンチが好き勝手言ってる妄言の1つに過ぎなくなる。それだけじゃない、今後どんな疑いが向いたとしても、同じようにアンチの戯言として鎮火される可能性が高くなる」
「そういうこと。で、超が付くほどネットで話題の人気者になったら、実は与謝証明って人がレンタル透明人間の正体でしたと明かす。そうすりゃお前は、透明人間ということを隠すことなくこの学校で1番の人気者になれる」
与謝は再び、スマホの画面を見つめた。心の中で湧き上がる感情が、目の前に表示された「レンタル透明人間」という文字を躍らせるかのように感じられた。
「まあそうなる前にこの学校に透明人間いるとバレたり、与謝証明=透明人間ってバレたら終わりだけどな。盗撮魔の変態透明人間なんて噂が広まってレンタル透明人間が成り立つわけがない。でもどう?面白そうだろ?」
その言葉に共鳴するように、与謝はぐっと拳を握った。そして顔を上げ、再び向田美優の笑顔を思い浮かべた。
彼女のささやかながらも輝く笑顔は、自分を信じてくれる人がいることを与謝に示していた。それだけで、この壮大な夢物語も、単なる夢幻ではないと感じさせられた。全てを失ったと思っていたこの身体でしかできない壮大なプロジェクト。抑えきれないほどの胸の高鳴りが聞こえた。
向田美優の顔を思い浮かべて彼女とのやり取りに思いめぐらせた時、与謝はふと、自分のしてしまった過ちに気が付いた。このプロジェクトがスタートダッシュを切ることなくとん挫しかねない問題点が。
「でもさ、俺向田さんに透明人間って言っちまったぞ」
「…あ」
2人の足は、ピタリと止まった。
もし彼女が透明人間の存在を周りに伝えてしまっても、おそらく誰も信じないだろう。
しかしレンタル透明人間を始めたら話は変わってくる。透明人間が本当にいるとなったら、この学校でも噂になったとすぐさま話題になる。そして本当にいるのであれば、透明人間が盗撮事件の犯人であると決めつけるやつらが出てくるに決まっている。そんな噂が広まれば、レンタル透明人間は盗撮犯として認知されてしまう。変態透明人間の出来上がりだ。このプロジェクトは一瞬にして失敗に終わる。
その不安は増大し、遠くで美優の教室が透明人間の話題で盛り上がっているような幻聴すら聞こえてきた。
焦りに駆られた彼らは、「とりあえず、何とかごまかしてみよう」と言いながら、急いで教室に引き返した。
「大体なんてバラしたんだ!」
「し、仕方なかったって言ったじゃん?!」
2人は肘を突きあって小競り合いをしながら廊下を歩いていく。
運命に導かれるように出会った二人の旅路は、まだ始まったばかり。
これから先、どんな困難が待ち受けているのか、彼らの行く末がどうなるのかは誰にも分からない。
しかし、一つだけ確かなことがある。
それは彼らの未来が、様々な人々の笑顔で満ちているということだ。
そしてその旅路に残る、麒麟の足跡。
これは、透明人間となってしまった少年・与謝証明が、世界一の人気者になり、最も目立つ透明人間になるまでの物語である。
この世の全ての人を照らす、偉大なる麒麟となるまでの物語である。
レンタル透明人間! 阿久津一朗太 @rental_toumeiningen
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