第1章 麒麟の透明人間(30)

 向田美優が救出された後、ほどなくして竹内たちは警察に連行されていった。


 三原は無気力で、警察から何を問われても一切口を開かなかったようだが、SNSで多数拡散されてしまっていた動画が全てを物語っていた。同情はない。しっかりと自分の犯した罪と向き合い、償っていく必要がある。


 後日聞いた話では、その後の調査で、三原に協力していた半グレ集団は過去にも数々の罪を犯しており、今回の件に関係しているものたちは総じて逮捕されたとのことだ。被害を受けた女性たちの声も数多く集まったらしい。その数は2ケタにものぼったとのことであった。


 この学校における三原の犯行は、意外にも向田美優の件のみであったようだ。三原自身もその半グレ集団に良いように使われていただけだったのかもしれない。しかし例えそうであっても行ったことが消えるわけではない。


 三原の罪は未成年の犯行として処理される部分もあるかもしれないが、動画は拡散されてしまっている。罪人・三原明彦の人生はこの罪から一生逃れることはできない。退学となりどこか地方に越すとのことだったが、それで人生が巻き戻ることはない。

 三原に組していた生徒たちも同罪だ。


 警備会社も改められ、この件に関する繋がりは全て解消された。これにて、向田美優盗撮事件は全て解決したのであった。


 事件解決から翌日は休校となった。翌日はマスコミ対応や生徒たちの混乱を想定してのものであったが、ネットでも話題になっていた事件ということであり、土日も挟んで都合3日以上の休校となった。


 登校初日にしてすぐさま休校。透明人間になってからというもの、波乱万丈という言葉がかなり身近なものになったような気がする。


 他人の波乱万丈話はどれも輝かしいものに聞こえ、そんなものに憧れもしていたが、いざ自分がそうなってみると、現在進行形で繰り広げられる波乱万丈はどれもため息をつきたくなるものばかりであった。


 しかし事件は一件落着した。これでようやく普通の日常生活を送ることができる。勉学に励み、部活をし、バイトをし、彼女を作り、最高な学園生活を!まあ、透明人間としてではあるが。


 休校明けの登校日、与謝はその明るい未来に向かうため、ルンルンで家を飛び出した。


 そしてその一歩を踏み出した瞬間、自分の中の何かが語り掛けてきた。


 いや与謝証明よ。何を普通の生活をしようと考えている。高校生活においてお前が決意したことがなんだったかを思い出せ。透明人間ということを除き、弊害となっているものは取り払われたはずだ。


 人気者になるんだろう。この学校で最も目立つ有名人になるんだろう。


 お前は今日からその一歩を踏み出すんだ。その意気でいないでどうする。波乱万丈、最高の言葉じゃないか!そんな言葉が聞こえてきた。


 全くもって、その通りだ。あらゆるトラブルに疲弊し普通で平凡な生活を夢見てしまった。与謝は自分自身にカツを入れる。


 パチンと頬を叩いてカツを入れたわけではあるが、いざそのことを考えるとどうすればいいんだろうと不安が勝ってしまった。


 登校初日の激動を思い返し、トラブルまみれだったから息つく暇もなく過ごせていたが、これから自由に人気者の道を歩める、いや歩んでいかなくてはならないと考えると、急に怖くなってしまった。一度自分がいなくても問題なく回っている学校の姿を知ってしまったことも、恐れに拍車をかけていた。


 意気揚々とルンルンで家を飛び出したときのその心意気はすっかり消え去り、学校に向かう通学路の端っこをトボトボと歩いていると、目の前にきれいな赤髪を揺らす見覚えのある女子生徒の後姿を見かけた。背中に見える麒麟の模様が、今の与謝には眩く輝いて見えた。


 与謝はその姿を見かけてすがるように小走りで近づいていって「おはよう」と耳元でつぶやいた。


 綾多華はその声に驚き慌てて距離を取った。声のした方向をきょろきょろと見渡すが誰もいない。それで誰が話しかけたのかすぐに理解した。


「おはよう…」

 与謝は再びぼそっと挨拶をした。


 与謝のどんよりとした空気を察したのか、綾多華は怒る気にならず「お、おう」と小さめに返すにとどまった。



「堂々としてりゃいいじゃねぇか」

 登校中、与謝は綾多華に事情を話したが、綾多華からの返答はそっけないものであった。


「それはそうなんだけど、改めてってなるとこう、お腹痛いというか」


「知らねぇよ。もう事件は解決したのに何を気にすることがあんだよ」


「いやなんというか、既にこう、グループができてるのを目の当たりにしちゃうとさ、自分がいなくても問題ないんだよなぁみたいに思っちゃって、どうしてもなんかこう、お腹痛いというか……」


「お腹お腹うるせぇな…」


 しばし沈黙。


「…だったら演劇部に来るか?くらい言えないのかよお前は」


「図々しいな」


「いやまあわかってる!やるしかないんだ。やるしか!」


 与謝は大きく伸びをした。


 ため込んでいた不安を綾多華に話したことで、何か重荷が下りたように心がすっきりとした。そう、やるしかない。もともとそうだったじゃないか。3か月遅れ、透明人間、無理やりやっていくしかないんだ。それができる状況になったんだ。あとはもう覚悟を決めて突き進むしかない。


「俺は、やるぞ!」

 与謝は天に拳を突き上げて、大声でそう宣言した。


「見てろ?俺は絶対この学校で1番の有名人になってやるからな!」


「なるだけならそう難しくねぇだろ」綾多華はからかうようにして笑った。


「違う!物珍しさじゃないぞ?マジの、マジの人気者になってやるから!知ってるか?今の時代SNSっちゅーもんを活用した人間が勝つらしいんだ」


「クソジジイかお前は。友達もいないのに何がSNSだよ」


「そういうことを言わんでください」


 なんて話をしていると学校に到着した。休校の間も演劇部は学校に来て無許可で飾り付けた正門の掃除をしていた。すっかりきれいになってしまった校門の姿を見て綾多華はどこか寂しそうな顔をする。


 学校からしてみたらお前がそんな顔する資格はないと怒られそうなほど悲し気な表情ではあるが、与謝も横に立って正門の先、大きな校舎を見上げる。


 初日では疎外感を感じていたが、盗撮事件が解決したのもあってか暖かな雰囲気で、まるで校舎が手招きしてくれているような気がした。もう自分は跳ねのけられる存在ではないんだと、そう思うだけで心がかなり軽い。いたるところから聞こえる生徒たちのざわつき、それは心地よく与謝の耳に届き、これから始まる生活を彩っていた。


 その彩の中でも、とある場所で起きている生徒たちのざわつきは一際目立っていた。異常とも言えるほど。

 その声は一か所に固まって聞こえてきた。掲示板の方だ。そこで多数の生徒たちが集まって話し込んでいる姿が見えた。


「…またなんかしたのか?」

 与謝は訝りな視線を綾多華の方に向ける。


「人聞き悪いな、なんもしてねぇよ。テストの結果とかだろ。テストなんてあったか?」


「いや知らねぇよ」


 2人して何が起きているのかと掲示板の方に近寄っていった。近づくにつれ、生徒たちの会話も聞こえてくる。


「これ本当なの?」


「マジかよ。こわぁ」


「三原って人がやったの?」


「いや、これは違う人らしい」


「まだいるってこと?!最低!」


 嫌な予感、それは汗となって与謝の背筋を冷たく流れたのを感じた。掲示板には1枚の張り紙があり、綾多華がそれを読み上げる。


「『校舎内の設備を確認したところ、各運動部の部室と校舎3階のトイレなどに多数の隠しカメラが発見され、掃除用具入れから、女子生徒の物と思われる多数の盗品が見つかった』」


 背筋を流れていたはずの汗は気づくと全身からぼろぼろと零れ出しており、もはや溶けるのではと思えるほど与謝を汗まみれにしていた。


「『本件はバスケ部の盗撮事件とは無関係で、恒常的に行われていた様子。もし、犯人に心あたりのあるものは直ちに、ご連絡をお願いします。』と…」


 綾多華が読み終えると、与謝はがっくりと膝をついた。そのまま地面に手のひらをつき、零れる汗が地面を次々に濡らしていく。


「設置場所的に、狙いは3年と運動部か。まだいんのかよこんなキモい変態盗撮野郎が。最悪」


 綾多華は両腕をさすった。しかしそれ以上に絶望感を感じているものが、隣にいた。


 地面に零れる大量の汗の感じから、綾多華は与謝が今どういう態勢でどういうことに絶望しているか手に取るようにわかってしまった。


「…もう少し、大人しくしといたほうがいいかもな」

 同情するように、綾多華はぼそっと呟いた。


 ようやく幕を開けた与謝証明の新章は、またしても同じような事件によって一瞬で幕を閉じられたのであった。

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