◇1930/8/1 ケイルゴッド北西部 ソルヴツキー諸島 イサベラ・エラストヴナ少尉

「さあ、私の手を。少尉」


 私の聞いたところによると、訓練は首都から北西におよそ2000キロ離れたソルヴツキー諸島で行われるとのことだった。


ずいぶん離れているが、それも仕方のない事だ。なぜならこの諸島は参謀本部にとって今現在最も頭の痛い存在である火人、それを駆逐するための新たな技術の実験場がそこにあるからであり、今回の訓練は私がある種皮検体となって執り行われる実験でもあるからだった。


 私はメリーに手伝ってもらいながら小型の航空機を降りる。両手を使って、ゆっくりと。


「メリー、ありがとう」


 このころになると、私は日常動作はほとんど問題なくこなせるようになってきていた。


 皆には少し驚かれたし私も驚いてはいるが、さすがは帝国の医療技術だと思った。しかし、航空士として戦線復帰するにはまだまだ全ての数値が足りない。

 ニコライ医師にもここからが本番だと言われている。

 イリーナからは、多少無理をしてでも戦闘能力の回復をしてもらうとも宣言されているのだ。


「ようこそ、ソルブツキーへ。イサベラ少尉、歓迎します」


 航空機を降りると目の前に小柄な少女が姿を現した。


 白いレースの襟と白地のエプロンのついた茶色のワンピース……学校エプロンピナフォアを身に着けた少女は、私と目が合うとぺこりと頭を下げた。


 どこからどう見てもかわいらしい女学生だったが、なぜこんなところにいるのかと私が少し戸惑っているとメリーが、

「アリス先生。実は少尉はまだここの事をあまり詳しくは知らないの」


 と助けてくれた。少女ははっとした顔をして、

「メリーさん、失念していましたわ」

 と言う。


「改めまして、私の名前はアリス。ニコライ医師に教えてもらっている軍医の見習いです。今回の訓練において少尉のサポートをするためにソルヴツキーへ来ました。以後よろしくお願いいたします」


 アリスと名乗った少女はにこりと笑った。


「私の事はすでに知っていると思うけれど、名前はイサベラ・エラストヴナ・ソコロワ。主治医のニコライ先生にはとてもお世話になっています」



 私はアリスと両手で握手をする。小さくも力強い手だった。

「ありがとうございます。それでは少尉、まずはお部屋に案内します」


 私たちの目の前にはホテルのような外観の建物がある。アリスは私たちの前を歩いてエントランスへ。その後を追う。


「広い……」


 元はリゾートホテルだったのだろうか。エントランスロビーの天井は高く、中央には装飾性の高いシャンデリアがつるされている。しかしおそらく受付に当たるところは無人で、まだ昼間なのもあって灯りはつけていないものだから、なんだか寂しくも感じられる空間だった。


 アリスはエントランスロビー中央の階段を二階に上る。

 二階は客室エリアだった。


「もともとソルブツキー諸島は戦前まで有名な観光地の一つでした」


 メリーが説明を続ける。


「しかし、戦争がはじまると要塞化され、戦後の現在も軍が研究、実験の用途で使用しています。このフロアは観光地だったころの名残です」


「そうそう、奥の渡り廊下からいろいろな施設にアクセスできるから、リハビリがてら歩いて覚えておくといいかもですね」


 なるほど、と二人の話を聞き、私は105号室と書かれた部屋まで案内された。


 アリスから部屋のカギをもらい中へ。


 二人はそのまま研究棟へ向かうとのことだったから、私は夕食までの間しばらく休むことにした。



 正直まだ体力が全然戻っておらず、階段を二階まで上った時点でかなり息が切れていた。私はベッドに腰掛ける。

「あー」


 意外と人間立ったり歩いたりするだけでも力を使っているのだと実感している。ベッドに腰かけた途端、今までの緊張から両足が解放されて、なんとも形容しがたい心地よさとなって全身を巡った。


行儀が悪いと思いつつ、私はそのままベッドに背中をつける。天井に蜘蛛の巣が見えたので、後で掃除しなきゃなと思いながら目を瞑る。


気を抜くとこのまま寝てしまいそうだった。すべての動作が緩慢になる。


 私は何となく、右腕の義手を眺める。


 ソルヴツキー諸島へ来る三日前、私にこの新型義手の試作品がやってきた。

 材質は魔力の伝導率が高い金属を用いており、重さはそれなりにある。そして見た目は少し無骨だ。


 せめてもの軽量化という事で、手首のあたりからはまるで骨をそのままくっつけたような見た目をしている。


 暗闇でもし見られたら、右腕だけ骸骨お化けと言われてもおかしくない。


 しかし私はこの見た目をかなり気に入っている。何よりも気に入っているのは、義手に軍用ナイフが備え付けられている点だ。


 手首のところを支点に普段は肘の方に折りたたまれるようにして収納されているが、何か有事の際にはすぐに使用することが出来るようになっている。もちろん、取り外しも可能だ。


 ただその分重さが増しているのも事実だ。また義手を使用しているときは魔力が常に喰われていく。


 私は比較的魔力が多い方だが、それでも休まずにずっと注ぎ続けているとバテてしまう。故に今はオフだ。


「イサベラ少尉、少しよろしいですか」

 ドアがノックされる。イリーナだ。


「どうぞ」

「失礼します」

 ガチャリとドアが開き、イリーナとメリーが部屋に入ってくる。

「ソルヴツキーへようこそ。さて、訓練は早速明日から行われます。それまでこちらのお部屋で休むようにお願いします」


 私は頷く。イリーナは続ける。


「あと、少尉には今からこちらの薬を飲んでいただきます」


 イリーナが取り出したのは一つの小瓶。中にはキラキラとした青い粉薬が入っていた。


 私は特に何も疑いもせずに、促されるままその薬を舌にのせる。強烈な苦みだ。メリーから水を貰うと一気に流し込んだ。


「けっこう苦かった」


 素直に薬の感想を伝えると、イリーナは何故か表情を曇らせる。そして、

「……

 などと、不思議なことを言い始める。


「え……どういうこと」


 私はそれに違和感を覚え、どういうことか聞こうと思ったが、途端にぐるりと目を回しベッドに倒れこんでしまう。強烈な眠気が私を襲う。


「イリーナ……なんで……」

 体にうまく力が入らない。


「おやすみなさい。少尉」

 イリーナとメリーは倒れこんだ私を介抱することも無く、そのまま立ち去っていく。


「まって、どういう……」

 視界が暗転する――

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火人狩りのイサベラ Ⅰ まるめろ書店 @Marmelo_Books

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