【短編】世界は今日、死んだ【現代/ダーク】

桜野うさ

世界は今日、死んだ

川崎かわさき修世しゅうや様へ、厳選なる抽選によって、貴方は次の神様に選ばれました。おめでとうございます』


 ポストに乱雑に入っていたダイレクトメールの束の中に、そう書かれた手紙が混ざっていた。変な文章。新手の宗教勧誘かな。

 ゴミ箱に入れようと、すぐに他の紙類と一緒に丸める。いざ捨てる段になってから妙に手紙が気になった。


「神様、ねぇ」


 部屋の床にごろんと寝転がりながら手紙に目を通してみる。


『神様になった貴方には次の権利が与えられます。

一つ目、どんな生き物でもその場で殺してしまえる権利。

二つ目、新たな生命を生み出せる権利。

最後に、世界を終わらせる権利です。


 新たに生命を生み出す権利には次の制限があります


①死んだ者を蘇らせる事は不可能です。

②無からは何も生み出せません。有性生殖体を生み出す場合には、その種族の雄と雌が最低一体ずつは必要です。無性生殖体の場合は雄雌どちらか一体いれば生み出せます。


 神様になった場合、死ぬ権利が奪われます。自殺、他殺、事故、天災問わず、何があっても死ねませんのでご了承ください。

 神様をやめた場合は人間に戻ります。なお、次の神様候補が現われるまでは神様を辞める事が出来ません』


 最近の宗教勧誘は凝っているな、と、くしゃくしゃになった手紙の皺を伸ばしながら感心した。


「どんな生き物も殺せる権利……か」


 すぐばれる嘘ならつかなきゃいいのに。手紙はゴミ箱にこそ入れなかったが、机の上に放置した。

 自室の窓から山口やまぐちがケバイ女とべったりくっついて歩いているのが見えた。山口は僕をいじめていた屑だ。あの頃の事を思い出すと吐きそうになる。普段は記憶に蓋をしているけど、何かの拍子に思い出しては胸糞が悪くなった。

 中一から中二にかけて、山口とその取り巻き達に毎日殴られた。弁当にオレンジジュースと金魚の死体を入れられた事もある。僕が好きな女の子と、わざわざ目の前で仲良くしてみせたりして。そこまではまだ、何とか我慢できた。あの時だけは、山口を殺してしまおうかと思った。

 ある日教室に行くと、僕の机の周りが血まみれになっていた。引き出しの中に猫の首が入っていた。僕が可愛がっていた猫――にゃん助の首だった。にゃん助は野良だったけど、餌をやったら懐いてくれた。僕のどんな話にも耳を傾けてくれた。人間には本心なんて吐露できなかったけれど、あいつにだけにはどんな本音も言えた。山口はそれを知っていてにゃん助を殺したんだ。

 山口は三年になってから僕をいじめなくなった。受験のため、少しでも内心を落とさないようにしてると噂で聞いた。……どんなに取り繕ったって、お前がやった事は変わらない。お前みたいな奴は笑って生きる権利は無いんだ。

 もしもあの手紙に書かれたみたいな権利が僕にあったら、山口をすぐにでも殺すのになぁ。オレンジジュース漬けになった金魚入りご飯よりもぐちゃぐちゃで、可愛いにゃん助みたく首をちょん切られた死体にするのに。


 脳天をつくような、かん高い女の悲鳴が上がった。窓の外を見ると、顔面を蒼白にさせたケバイ女と、首から上が吹っ飛んで、体がミキサーに入れられたみたいにぐちゃぐちゃになった山口がいた。

 山口が死んだ?

 まさかそんな。あり得ない。あいつのことだ。僕を騙すために何かトリックを使ったのかもしれない。あいつはびっくりするほど性格が悪いから、悪知恵を働かせてどうにかしたんだ。

 僕は急いで自室から出た。奴が本当に死んだのか確かめなきゃ。

 玄関の前の道路は人垣になっていた。女の悲鳴を聞きつけてそこいらの人が見に来たらしい。むわっとした鉄の臭いが鼻腔をくすぐった。にゃん助の血だらけになった机と同じ匂いだ。

 人を掻き分けて一番前に行く。ケバイ女が、山口だった物の隣りでぺたんと力なく座り込んでいた。女は放心状態で、口はだらしなくひらかれ、目元はマスカラが滲んでパンダみたいになってる。大女優でもなければこんな演技はできない。

 足元を見ると山口の頭が転がっていた。目をかっと見ひらき、自分に起こったことが理解できないといった表情で固まっている。にゃん助も、こんな顔で死んでたっけ。

 笑っちゃいそうだ。僕は口元に手を当て、再び人垣を掻き分けて家に戻った。


「そうか、神様になったんだ……」


 驚きと感動のあまり、玄関先でさっきの女みたく力なくへたり込んでしまった。

こんな凄い力があれば何だってできるじゃないか。何だって僕の思いのままだ。かなり昔に流行った人殺しノート漫画の主人公みたいに、悪人を殺して世直しでもしてみようか。いや、世界なんてどうだっていい。こんな世界消えちゃえばいいって、子どもの頃からずっと思っていたから。


「神様にはすぐに世界を終わらせる権利もあったよな。消しちゃおうかな」


 そう言った瞬間、周りの空気がぱりぱりと音をたてた。


「あ、待って」


 ぷつんと音は消え、再び部屋に静寂が訪れる。

 やり残したことが一つあった。大好きな女の子、小谷香織おだに かおりちゃんの十六歳の誕生日に告白したいって、去年の彼女の誕生日の後から考えていた。僕みたいな奴が彼女に告白なんてしたら冷やかしだけでは済まないだろうから告白なんて無理だって諦めていたけど……今の僕には力がある。僕をいじめる人間を全て殺してしまえる力が。


 次の日、学校では山口が死んだニュースで持ちきりになっていた。あんな奴が死んだくらいで騒ぎになるなんて、世に中は変だ。罪も無いにゃん助や、金魚が殺された時は朝礼なんて開かれなかったのに。

 教壇に立って悲痛な顔を浮かべている担任の黒岩は、死んだにゃん助の首を抱えた僕には嫌な顔を向けただけだった。

 校長のつまらない話で大事な朝の読書時間が潰された事に腹が立つ。でも良いんだ。斜め前にいる香織ちゃんの後姿を眺めているだけで幸せになれたから。

 香織ちゃんは、はた迷惑な男の死にも肩を落として悲しんでいた。背中の真ん中くらいまで伸ばされた黒い髪、赤いカチューシャが今日も可愛い。膝より少し短い紺のスカートと、白のリボン。ありきたりなセーラー服なのに、彼女が着ると素晴らしい衣装に見える。

 香織ちゃんはとても素晴らしい子だった。山口と取り巻きに殴られた時は保健室に連れて行ってくれたし、お弁当を滅茶苦茶にされた時は自分のご飯を半分くれた。何より、にゃん助のお墓を作った時、隣で泣いてくれたのが嬉しかった。

 彼女は誰にでも優しい。僕には無愛想な担任も、彼女にはいつも笑顔で接している。山口にさえ優しかったから、あいつから変な勘違いをされていたみたいだ。ベタベタされて迷惑そうだったけど、今日からはもう不快な思いはしなくてすむね。

 彼女は誰にでも優しいけど、僕に対するときが一番優しいんだ。きっと、香織ちゃんも僕の事……。


「なによあいつ、しゅんとしちゃって。山口死んで嬉しいくせにさ」


 背後から、意地悪そうな女の声が上がった。


「いつもの点数稼ぎでしょ。やる事があざといんだって」


 何を言ってるのかわからないけど、嫌な気分になった。だけど香織ちゃんがこちらを振り向いて笑ってくれたから、そんな気分はすぐに吹き飛んでしまった。


「今回の事件で皆さんが命の貴さを考えてくださることを祈っています。以上でお話を終わります」


 校長の長い話が終りを告げると共に、教頭がマイクで礼の合図をした。頭を下げた人間は疎らだった。教頭は別段怒る事もせず生徒に解散を告げた。


「ねぇ、山口殺ったのあいつじゃない?」


 先ほど背後で話していた女子の声がした。


「違うっしょ。友達から聞いたんだけどさー、山口相当やばい死に方してたらしいよ」


 別の女の声が上がる。これもさっき僕の背後で話していた女子みたいだった。


「どんな死に方だったの?」

「突然頭吹っ飛んでー、体がぐちゃぐちゃになったんだって」

「やだぁ、グローい」

「ねー、絶対、人間には無理っしょ」

「でもぉ、あいつならそう言うのもやっちゃうんじゃない?」

「バケモンかよあいつ! けど否定できねー」


 甲高い声で下品に笑う女の声に耳を塞ぎたくなった。あんな奴らが香織ちゃんと同じ生きものだなんて信じられない。


「まぁ、運の良さはバケモン並だよねぇ」

「あいつ、山口の事そーとーうざがってたもんねぇ」

「自分の蒔いた種のくせにねぇ」

「あいつイイ子ちゃん演じるために結構えげつない事山口にやらしてたんでしょ?」

「知ってるー、前なんか猫を……」


 胃の辺りがきゅうっとする。これ以上この話を聞くのを体が拒否していた。

早く教室に戻ろう。


「うわぁ、小谷いるじゃん。聞かれたかなぁー」


 そいつらが視線をやった先にいたのは香織ちゃんだった。


「大丈夫っしょ。あいつ自分じゃ絶対手ぇ下さないし」

「あいつの手足死んじゃったもんね」


 こいつらは何を言っているんだろう。よくわからない。香織ちゃんの悪口を言っているのだけは理解できた。


「あいつ下僕作んの上手いし、すぐに新しいのけしかけてくんじゃない?」

「あんな女のどこに魅力あるんだろうねぇ」

「おっぱいでかいのが良いんじゃないの? 知らないけど」

「私噂で聞いたけどぉ、あいつって成績のために……とか、他にも……でぇ、もう垂れてんじゃない?」

「やっだ、かわいそー」


 甲高い笑い声が響いた。

 こんな薄汚いやつらが香織ちゃんの事を悪く言うなんて許せない。

 どさりと鈍い音がして、二匹の豚が死んだ。安心してね、香織ちゃん。君の事は僕が守るから。

 殺してから少しだけ後悔した。これで明日の読書時間も潰される事が確定したからだ。


 今日は香織ちゃんの誕生日だ。僕はこの日をどきどきしながら待っていた。

 はやる気持を落ち着けて、鞄の中にプレゼントを入れる。香織ちゃんが前に好きだと言っていたキャラクターのキーホルダだ。去年買って今まで大事に机の中に仕舞い込んでいた。女の子がつける奴だから買うのはちょっと恥ずかしかったけど、彼女の喜んでくれる顔を思い浮かべた何だって出来た。

 プレゼントは、キーホルダだけじゃ無い。香織ちゃんに喜んでもらうために神様の持ってる『新たに生命を生み出せる権利』を使ってそこいら中を花畑にしたんだ。

どこを見ても赤やオレンジの花が満開でとってもキレイ。まるでアダムとイブが追い出された楽園みたいだ。僕の世界にアダムは要らないけどね。

 心臓をばくばくさせながら学校に向い、教室の扉を開いた。誰の姿も無かった。この時間に香織ちゃんがいないなんて珍しいな。いつもは大体八時十一分頃には教室で友達と談笑しているのに。風邪でもひいたのかな? 大変だ! お見舞いに行かなきゃ。僕は急いで香織ちゃんの住んでいるマンションに向った。


 マンションはどの部屋も明かりがついていなくて閑散している。エレベーターは動いてないはずだから、彼女の居る十三階まで階段で登った。

一三○七号室の扉の前で僕は歩を止める。緊張するなぁ。何度もこの部屋を下から見上げていた事はあったけど、近くまで来たのは今日が初めてだ。

 震える手を叱責しながら、なんとかインターホンを押した。


「川崎です。小谷さん、いますか?」


 返事は無かった。だけど、扉に押し付けた耳は微かな物音を捉えた。良かった、ちゃんと居るみたいだ。


「今日、小谷さんの誕生日でしょ? プレゼント持って来たよ」


 やっぱり返事は無かった。動いたり声を上げられない程重い病気になっちゃったのかな? 僕が助けなきゃ。


「扉の隙間に木を生やして、大きな木」


 コンクリートの地面がばきばきと鳴った。やがて地面はひび割れ隙間から樹木が芽吹いた。植物が早送りに生長する様は、いつ見ても神秘的だった。

 マンションの一室の扉は木の圧力でぐにゃりと曲がった。


「有難う。……ごめんね、このままじゃ通れないから……死んで」


 途端に大樹は枯れてばらばらになった。いくら香織ちゃんのためとは言え胸が痛んだ。

 僕は木が作ってくれた隙間から彼女の家の中に入った。部屋は電気がついてなくて真っ暗だったけど、そこが綺麗な部屋である事はわかった。


「お邪魔します」


 そう言うと向こうの方からばたばたと足音が響いた。香織ちゃんが思いのほか元気そうだったので胸を撫で下ろした。重い病気じゃなくて本当に良かった。

 僕は香織ちゃんを追いかけた。あっちには彼女の自室がある。


「誕生日おめでとう」


 香織ちゃんの部屋の扉を開きながら僕は言う。彼女の部屋に入った瞬間、甘い香りがしてちょっと照れくさくなる。


「こ、これ、プレゼント……」


 駄目だな、色々と台詞を考えて来たのに緊張して何も言えないや。しかも声だって震えてる。かっこ悪いな。だけど、彼女の方がもっと震えている。緊張してくれてるんだ、嬉しい。


 言わなきゃ。彼女に好きだって。唾液を飲み込み一つ深呼吸。


「あのね、ずっと、小谷さんに言いたいことがあったんだ」


勇気を出して言うんだ。


「僕、君の事が……」

「いやぁぁぁぁぁ!」


 突然彼女は僕の脇をすり抜け部屋から出た。どうして逃げるんだろう。とにかく、追いかけなきゃ。

 彼女を追いかけて、屋上でついに追い詰めた。彼女は顔面を蒼白にしながら下界を見つめた。


「そんな所にいたら危ないよ」

「来ないで!」


 香織ちゃんは顔を引きつらせてそう言った。


「アンタ、何でこんな事するの?」


 香織ちゃんが怒ってる。返事が無かったとは言え、勝手に部屋に入ったのはまずかったみたいだ。謝ろうと口を開きかけたけど、香織ちゃんの声によって阻まれた。


「アンタなんでしょ? みんな……殺したの」


 香織ちゃんは震える声で一つ一つ言葉を紡ぐ。

 僕はにっこりと笑った。


「だって、みんな汚いんだもん。平気で動物をゴミみたいに殺すし、他の人を貶める。こんな人ばっかりの世界じゃ君が汚れちゃうよ」


 屋上から下界が見えた。巨大なビルにも道路にもたくさんの草花が生えていて綺麗だ。猫や犬やリスは豊富な緑の中で楽しげに遊んでいる。人間は一人もいない。こここそまさに楽園なんだ。


「君みたいに優しくて綺麗な人が傷つく世界なんておかしい。だから理想の世界を作ったんだよ。これからは大丈夫。もう誰も君を傷つけない。ここには僕と君しかいないんだから」

「気持ち悪い」


 ぴしゃりと、彼女は言い放つ。


「アンタ、マジで気持ち悪いんだけど」


 鋭い目つきで香織ちゃんは僕を睨んだ。頭が目の前の出来事を処理しきれない。


「君はそんな事を言う人じゃ……ない。君はずっと優しくて、僕はそんな君の事が凄く好きで……」

「勝手に理想押しつけて好きとか言わないでくれる? 私の事何にも知らない癖に」


 香織ちゃんは絶対にこんな事言う子じゃない。香織ちゃんは優しくて可愛くて心が綺麗で……


「アンタと二人っきりの世界なんて絶対にごめんよ」


 彼女は屋上の柵に足をかけた。


「じゃあね。【理想の世界】とやらで、せいぜい一人で善がってろ」


 香織ちゃんは怒りの形相を浮かべると、屋上から飛び降りた。彼女は僕の目の前で段々と小さくなって行き、やがていつかの山口よりもぐちゃぐちゃになった。


『次の神様が現れるまで神様は死ぬことができません』


 あの手紙の内容が、頭の中で反芻された。

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