カーネーションの家

香久山 ゆみ

カーネーションの家

「ただいまー」

 部活動を終えて帰宅した僕は、いつものように玄関を開ける。

 平和な我が家。父さんと母さんは愛し合っていて、母さんは自身の趣味を充実させながらも僕の学校行事には必ず参加するし、学業にも目を光らせる。片や父さんはあまり細かいことには口を挟まず、母さんの意思を尊重するし、僕に対してもほとんど自由にさせてくれる。そんな家庭で、僕はけっこうまともないい奴に育ったと思う。だから現にこうして思春期真っ盛りにも関わらず、毎日真面目に挨拶を繰り返す。

 しかし、今日はどうしたことか。返事がない。毎日この時間は母さんがうちにいるはずだし、今日は父さんも非番の日のはずなのに。

 靴を脱ぎ、廊下を進む。キッチンもトイレも二階にも、いない。何となく不穏な気がして、家の中をぐるりと一周してからリビングに入る。

 誰もいない。

 ダイニングテーブルに置かれた、白い花瓶に挿されたカーネーション。テーブルの上に黄色い花弁がぱらぱらと落ちている。三輪あった花はもう一輪しか残っておらず、二本の長い茎の先には緑の萼が虚しく残るだけだ。つい昨日まで咲いていたと思ったのに。

 その日いつまで待っても、父さんも母さんも帰ってこなかった。

 翌朝、ざわつく胸に封をして、いつも通りに登校する。

 昨夜も今朝も、冷蔵庫のありもので、卵焼きを作って、ウインナーやベーコンを炒めて食べた。こんな時にカップ麺やレトルトがあればいいのだけれど、母さんが嫌うのでうちには一切ない。部活帰りにコンビニに寄って級友と初めて食べたカップラーメンに僕はどれだけ感動したことか。今日も両親が不在ならば、コンビニで食料を買って帰ろうか。そう考えて、ため息が出た。

 そうだ、お金。

 思い至って、冷汗が出る。僕の財布にはいくら入っていたろうか。それで何日もつだろうか。一体彼らは僕のためにお金を置いていっただろうか。リビングのテーブルの上にも、冷蔵庫にも何のメモも残されていなかった。お金、家のどこにしまってあるだろう。学校から帰ったらまず確認しよう。そう考えつくと、もう帰りたくて仕方なかったけれど、僕はいつも通り、まるで何事もないように級友と馬鹿話をして、授業を受ける。けれど、頭の中は上の空。人生で一番長い六時間だった。結局部活をサボることもできず、帰宅したのはいつもと同じ夕方六時になった。

 家にはやはり誰もいなかったし、両親が帰ってきたような形跡もなかった。安心を担保するために、家中の引出しを開けてみたけれど、お金も通帳も見つけられなかった。

 自分の財布を開けてみる。

 ――三千円。

 僕の小遣いから考えると頑張って残っている方だ。けれど、当座の生活費と考えると心許ない。

 しゃがみ込み、学習机の一番下の引出しを開けて、手を突っ込む。引出しの裏から、小さな缶を引っ張り出す。いざという時のためにこつこつ貯めたへそくり。小学四年生からはじめて、五年間。二万円にも満たなかった。がっくり肩を落とす。

 ディスカウントストアで買ってきたカップ麺をすすりながら、考える。

 二万三千円。

 ディスカウントストアでカップ麺を買うと一食百円。平日昼は学校給食がある、土日の昼食は我慢する。一日二食で、一一五日。一年ももたない。もやしとか栽培した方がいいんだろうか。満たされぬ空腹感を抱えながら、僕は愕然とした。

 遅くまでリビングに座っていたけれど、その日も両親は帰ってこなかった。

 両親が帰ってこないまま三日間、それでも僕は何事もないような顔をして日常生活を過ごした。

 空腹を紛らすために水をがばがば飲んでいたら、腹を下した。使い切ってしまったトイレットペーパーを三百円で買って、絶望する。こんな風に、食べ物以外の出費も発生するのだ。となると、一体何日もつのだろう。

 来年は高校受験もある。しかし、学費など到底用意できない。アルバイトでなんとか工面できるだろうか。無理かな。いや、そもそも。未成年が働くには保護者の同意が必要なのではなかったか。考えるほどに泥沼でうんざりした。もう何も考えたくなくて早い時間に布団をかぶったが、ひどい悪夢にうなされて、全然眠った気がしなかった。

 金曜日。僕は決意をもって登校した。

 結局子どもの力ではどうにもならないし、どうにかなる手があったとしても思いつきやしない。担任教諭に相談することにしたのだ。

 いつ声を掛けようかと、ずっとそわそわしていた。いつもより早めに登校したが、思っていたよりも人が多くて職員室に近づけもしなかった。休み時間、たった十分間では相談できないよなと、断念。昼休みも、足りない。途中で授業始まってしまうと困るし、人目につくし。そんなこんなでもじもじしているうちに、放課後になってしまった。いや、放課後の方がじっくり話せるし、むしろ都合がいい。

「先生!」

 ホームルームが終わり、級友達が教室でざわざわ話し込んでいるのを横目に、僕は教室を飛び出して担任の後を追う。さいわい廊下にはまだ他に誰もいない。

「なあに?」

 担任が長い髪を靡かせてふんわり振り返る。おっとり微笑むその表情に、ふっと安堵を覚える。

 僕は口を開く。完全に気が緩んでいた。油断していた。

「あの、じつは相談があるんです。うちの親のことで……」

 そう言った瞬間、さっと担任の顔色が変わった。

「あの、ごめんね。先生急いでるから。ちょっといま無理だから」

 僕が言い終えぬうちに、早口で被せると、そのままパタパタと早足で廊下を駆けていった。呆然と立ち尽くす僕を、一度も振り返りすらしなかった。

 担任が廊下の角を曲がりきるのを見送って、深いため息を吐く。

 ――そうだよな。

 そうだ、仕方ないよな。担任は二十代の女教師で先月入籍したばかりの新婚。この九月に職場復帰するまで、半年間休職していた。体調不良といわれたが、メンタル的なやつだと皆知っている。それで、三月で退職するらしい。そんな彼女に心的負荷を掛けるわけにはいかない。

 だいいち、うちの親のことときたら、逃げられるのも当然だろう。

 専業主婦の母さんは、趣味や稽古事で忙しいにも関わらず、必ず僕の学校行事には参加した。運動会はもちろん、参観日も懇親会も野球部の試合も。欠かしたことがない。小学生の時、一度だけ「参観日のお知らせ」のプリントを母に渡し忘れたことがある。二日前に知った母は激昂した。

 どうしてちゃんと連絡しないのよ。もう環境クラブの会合の予定を入れてしまったから、今更キャンセルできないわよ。母さん行けないからね。あんたが悪いのよ。ああ、本当に最悪だわ。参観日にも参加しない毒親だと皆に思われたらどうするのよ。あんたのせいよ。あんたが馬鹿だから、私が苦労するの。私は悪くないのに。

 捲くし立て、プリントを投げつけられ、叩かれ抓られ、担任教諭に電話して責任追及だとか日にちを変えろだとか喚き散らす母を呆然と眺めた。早く部屋に戻りたかったけれど、それでまた叱られるのが怖かった。電話が終ったのは、夜十時を回っていた。父さんはその間何事もないかのようにテレビをつけて一人晩酌していた。参観日当日の朝、「馬鹿な担任のせいでごめんね」と母さんは僕を抱きしめた。僕は強張る体に力を込めて母さんの背中に手を回した。それ以来、僕は母さんの顔色ばかり窺ってきた。

 以降、プリントを出しもれることはなかったし、クラブ活動も母が勧めるままに決めた。中学に上がってからも、「勉強に支障が出る」と言われて科学部に入るのを諦めたし、「運動部に入っていると内申が良いらしい」という母に従い二年になってから野球部に入部したりした。当然万年補欠だが、構わない。なるべく波風立たないように気をつけはするものの、それでもテストの点数や通知表の成績に少しでも納得いかなかったりすると、母はすぐに学校に電話を架けた。母も、先生みたいに僕に無関心ならよかったのに。

 なるべくそんなことにならないよう、家ではずっと机に齧りついた。時々息抜きにクラスで話題のコント番組を観ようとリビングに座っていると、ちくりと嫌味を言われる。僕はさり気なくテレビを切り自室に戻る。階下から聞こえるバラエティ番組の音に耳を塞ぎ、勉強に励んだ。その甲斐あって二年になってからは学年十位以内をキープし(僕の頭ではここらが限界のようだ)、母からの苦情もないはずだけれど、一度貼られたラベルをきれいに剥すことはできない。

 そうだ、今日は塾の日だ。

 塾の月謝、一万五千円。来月分って払ってあるんだろうか。わからない。けれど、どの道もう続けられない。辞めよう。今月でやめて、来月分の月謝が戻ってくれば儲けものだし。正直、勉強は自習で足りている。母さんが選んだ「評判の塾」は、学校の授業をもう一度浚う程度のもので、積極的に質問するタイプでない僕にはそれ以上でも以下でもない。僕は学校の授業を居眠りもせず真面目に聞いているし、どうしてもわからないことはインターネットで検索すれば答えが出る。

 その日塾の終わりに、「今月で塾をやめる」と塾長へ告げると、「そうか」とあっさり返された。この塾で一番成績が良いので多少引き留められるのではないかと思っていたから、拍子抜けした。代わりに、想定外の言葉を掛けられた。

「やめる前に、今月分の月謝を清算してくれよ」

 あれ、すみません、忘れてました? 親に言っときます。とかなんとか愛想笑いを返したものの、もう死にたくなった。

 帰宅すると、お腹は空いているはずなのに、何も食べる気にならない。テレビをつけても見る気にならないし、参考書を開いたが文字が頭に入ってこない。

 リビングのカーネーションはまだ一輪だけ咲いている。

 そういえば、ずっと水を遣っていない。花瓶を持ち上げると、前触れもなくはらりと一枚花弁が落ちた。そっと花瓶をテーブルに戻す。残った花弁を摘まむと、すっと手ごたえもなく萼からはなれた。

 カーネーションの花弁は茎から離れた後もすぐには落ちない。小さい花弁は萼の中に留まり、一見あたかも未だ咲いているように見える。しかし、形骸化したそれは脆く、ほんの微風でいとも簡単にはらりと花弁を落としてしまう。

 そんな風に、僕ら家族ももうとっくにだめだったのかもしれない。

 予感はあった。

 父と母がいなくなった前日、深夜に目覚めた僕はそっと階下の声に耳を澄ませていた。ぼそぼそと父母の話し声が聞こえる。仕事が上手くいかないと、父が言う。あの子さえいなければと、母。大丈夫、もう中学生だもの一人でも生きていけるわ。

 僕はカーネーションから手を離し、じっと見守る。今落ちた二枚以外の花弁はちゃんと萼に収まっている。大丈夫、まだ咲いている。

 僕は望まれた子ではなかった。

 父と母は愛し合っていた。子どもなんて不要で、ずっと二人で生きていければよいと考えていた。けれど、父方の祖母が二人の結婚を許さなかった。母の職業を非難し、跡継ぎも生まぬ嫁を断固として拒否した。それで、母は僕を産んだ。けれど、祖母は母を認めなかった。お前みたいに出来の悪い女の子どもなど。半ば駆け落ち同然で結婚したものの、母は諦めなかった。祖母に認められるように、優秀な息子を育て、完璧な母親であろうとした。

 けれど、認められぬまま、昨冬祖母は亡くなった。僕は一度も会ったことがない。顔も知らぬ。

 僕が両親の息子である意味はなくなった。父も母ももう帰ってこないのかもしれない。

 僕は空っぽの家にひとりぼっち。もう誰かのための僕ではない。僕のために生きる僕がいる。

 僕は自由になれる。

 なのに、どうして涙が出るのだろう。

 いつの間にか窓の外が白んでいる。長い夜の間、ずっと泣いていた、喉が痛い。

 強くなりたい。

 顔を上げる。窓を大きく開けた。ひやりと澄んだ風が室内に流れ込む。残されたカーネーションの花弁が揺れる。

 どこまでも飛んでゆけ。

 僕は大きく吸い込んだ息を、吹きかけた。


 花瓶には、ただ空っぽの茎だけが頼りなげに揺れている。

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